1948年に発行されたベルリン(西ベルリン)の切手
1Deutsche Mark(ドイチェ・マルク) = 100Pfennig(ペニヒ) (1948年6月25日から)
1948.9.3 (金曜 Freitag, Friday) - 9.6
アメリカ・イギリス・フランスの西側占領国が行った通貨改革(1948年6月20日(日)のドイチェ・マルク発行)は、あくまで西側占領地区のみで、4カ国共同統治下にあるベルリンは対象外、という条件付きでした。しかし、ソビエトはベルリン封鎖(陸路の橋を破壊、送電停止等)で西ベルリン地区を地理的に孤立させ、さらに、6月24日(木)からはソビエト占領地区および東西ベルリンで流通する旧ライヒスマルクを無効にし、西側が通貨改革で発行した新札マルクを認めず、ソビエト側が用意した証紙付きライヒスマルク(旧紙幣に証紙を貼り付けた新札の代用品)をソビエト占領地区および東西ベルリンに流通させる手段に出ました。つまり、ソビエト側が西側に対抗し、独自の新通貨による通貨改革を行ったことになります。これに慌てた西側占領国は、全ベルリンが経済的にソビエト占領地区へ組み込まれては困るため、先の条件を撤廃し、6月25日(金)から西ベルリン地区でも西側の新札マルクを流通させました。
しかし、数々の決済や給料の支払いにソビエト側の新通貨が使われ、ソビエト占領地区に残る親類・家族宛に送る郵便切手はソビエト占領地区で発行した切手を貼らねばならず、その切手を買うためにはソビエト側の新通貨が必要、ということで、ソビエト側の新通貨は、しばらくの間、西ベルリン地区で流通することになります。
BERLIN黒加刷シリーズは、そのソビエト側の新通貨である、Mark(Ost)で購入するための切手です。全部で20種類あります。当然、ソビエト側は、西側が用意したこの切手を認めなかったため、Mark(Ost)で購入されようとも、ソビエト占領地区宛の郵便に使用することはできませんでした。結局、ソビエト側の新通貨を持っている市民が、西ベルリン内および西側占領地区に送る郵便に使用した形になります。
2Pfennig 加貼り用 |
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6Pfennig 20gまでの印刷物 |
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8Pfennig 20gを越え50gまでの印刷物 |
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10Pfennig 市内用葉書、10Markまでの郵便振替手数料 |
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12Pfennig 市外用葉書 |
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15Pfennig 10Markを超えて25Markまでの郵便振替手数料 |
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16Pfennig 20gまでの市内用書状 |
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20Pfennig 10Markまでの郵便為替手数料、25Markを超えて100Markまでの郵便振替手数料 |
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24Pfennig 20gまでの市外用書状 |
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25Pfennig 100Markを超えて250Markまでの郵便振替手数料 |
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30Pfennig 100gを越え250gまでの印刷物、外信葉書、20gを越えた外信書状の20gごとの追加料 |
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40Pfennig 250gを越え500gまでの市内用書状 |
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50Pfennig 20gまでの外信書状 |
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60Pfennig 書留料、配達証明料、250gを越え500gまでの印刷物、500gを越え1kgまでの市内用書状 |
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80Pfennig 速達料、250gを越え500gまでの市外用書状 |
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84Pfennig 20gまでの書留市外用書状 |
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1Deutsche Mark 小包、他 |
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2Deutsche Mark 小包、他 |
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3Deutsche Mark 小包、他 |
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5Deutsche Mark 小包、他 |
・有効期限は、1949年3月31日です。
ソビエトが通貨改革を実施する前日の1948年6月23日までは、西ベルリン地区では戦前から使われていた(旧)ライヒスマルクが流通し、1947年から発行された労働者図案シリーズの切手もその通貨で額面通りに購入することができました。6月24日からソビエトの新通貨、6月25日から西側の新通貨が導入され、旧ライヒスマルク額面の切手は1/10の額面になり、それぞれの占領地区で発行される新切手を使用することになりました。12月28日(火)から切手を購入する際に西側の新通貨のみを使用することになるので、その前日までは、西側で発行される切手がソビエトの新通貨で購入できたと思われますが、詳細は不明です。
当時の各占領地区の切手が、西ベルリン地区でどの期間に使用可能であったかを、以下に示します。
逆に、西ベルリン地区で発行された切手は、1950年1月20日(金)から西ドイツでも使用できるようになったので、BERLIN赤加刷シリーズから使用例が存在します。なお、東ドイツで西ベルリン地区の切手が使用できるようになるのは、東西ドイツ統一の前に、西ドイツのDeutsche Markを導入した後の1990年7月2日(月)からです。
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