< Wikipedia watch>


英語版と日本語版では、漂っている雰囲気が違う(記事記述の視点・方向性みたいなもの。あるいは、感じられる書くときの気持ち)。スポーツの世界でよく言われる底辺が広がれば強くなるという言い方に倣えば、自分の日常生活、周囲の日常生活・会話を見渡してみると、たしかにWikipediaは生まれそうになく、2ちゃんねるは生まれそうだ。未来に2006年を振り返ったとき、それぞれアメリカ文化、日本文化として把握されるのだろう。

井戸端 2006年7月26日 (水) 09:54 の版 の節 =「余談だが〜」の記事を削除することについて = を読んで、ヒントを掴んだような気がする。日本語の世界には “他人を悔しがらせたい” が活動の動機である(価値観である)人たちが広範に居る、ということなのかな(あるいは、他人が何かするとすぐに悔しがってそれを押さえ込みたい衝動に駆られる心性を持つ人が多いということなのかな)。たとえば「JAF Mate」 2004年10月号にもこんな記事がある。(これは、嫉妬の精神なのかな?)

いっぽう、英語圏(アメリカ限定?ヨーロッパ系の流れ?)には、“クールであることが全て” という価値観があるようだ。本「ホール&オーツ」にそうある。また、いつぞやに見たポケモンがアメリカで流行しだしたというニュースで、子供たちがポケモンを指差してこぞって「Cool!」「Cool!」と言っている絵が私には「?」だった。ポケモンってクール?

“他人を悔しがらせたい(あるいは、他人が何かすると悔しくて許せないから足を引っ張りたい、頭を押さえ込みたい)” が動機の人たちが広範に集まってくる場と “(自分は)クールでありたい(と頭を伸ばし合う、競争し合う)” が動機の人たちが集まってくる場。この違いで、なりがちな雰囲気の違いを説明出来るような気がする。人間には 文化依存症候群 というもの(把握の仕方)もあるし、それぞれについて いい悪いはにわかにいえないけれど、違いや、向いている方向の違い、向き不向き、というのはあるのでしょう。体質・気質の違いという側面もあると思うけれど(クレッチマーやユングの気質分類など。性格気質。)、1人の個人でも経験や状況によって感情や気分、気持ちの在り方は変化するし、文化というのはその文化なり民族なりが置かれた環境、受けた経験によって変化するものだと思うから、上記は21世紀初頭に感じられる文化の違い、ということなのでしょう。「時代の気分」という言い方もあるし、文化とか時代の気分というと個人のそれよりもゆっくりと大きく、10年単位とか、時代のうねりとして変化していくのでしょうね。開闢以来の○○文化についてどうか、ということになると、比較文化や比較文学、それも歴史を遡って逐一検証して、といった壮大なことになるのでしょう。(2006年7月記)

でも(ただ?)、“日本では「出る杭は打たれる」”というような言い方は30年前から知っている。だから反感を買わないように、周囲の気持ち(風向き)を確かめるのに周到になるんだって。確かめた後でないと 素朴な言いたいこと は言えない。そこを踏み誤ると、今でいえば“炎上”する。日本人が“外国”へ行くと、各々があまりに素朴な本音をぶつけ合うので、これで明日みんな顔を合わせられるのか?とどぎまぎするんだって。なるほどそうだなあ、と腑に落ちてきました。(2006年9月記)

井戸端 2007年3月27日 (火) 11:44 の版 の節 =「2ちゃんねるでの中傷」の 2007年3月24日 (土) 01:35 (UTC) の質問 と 2007年3月24日 (土) 03:30 (UTC) の回答を見て、やっぱり、と思いました。「Coward」と言うんですか。アメリカ映画には、「chicken!」(この腰抜け!)(臆病者!)が“侮辱の言葉”としてよく出てくるし、それが侮辱の言葉として通るということは、腰抜けはカッコ悪い、という価値観があるから、「この腰抜け!」と言われると恥ずかしくてかなわない、のでしょうね。恥ずかしいと感じるポイントが文化によって違うと。(2007年3月記)


雑誌「MacPeople」2008年3月号株式会社ASCIIのP82大公開時代の羅針盤第21回肯定力を読むと、英語圏の会話は、日本人はびっくりするぐらい肯定「系」で話すものなんだそうだ。たしかに、Wikipedia周辺でも、日本語版を見ると、英語版と比べて、前向きな可能性よりも後ろ向きの足の引きずり合いを感じる。IRCのログっていうのを日本語版も英語版も見たけど、これも、日本語版と英語版では漂っている雰囲気が違う、と感じる(日本語版はよろしくないところが、英語版はよろしい(?)ところが、たまたまピックアップされてたのかな?それとも、常日頃の雰囲気がそのまま出ていたのかな)。(2008年2月12日記)

「平日の朝」の公共の場所は、のんびり行こうよ人生はと考え、それを実生活で実現出来ている幸運な人、着かなければならない時刻と目覚ましとの闘いとの間で汗をかいている人、緊急事態の報せを受けて「なんでこんな日に・・・」と心の中でボヤきながら急いでいる人など、各々それぞれに個別の事情を持つ人たちがたんに居合わせる場所なのだと思う。
そこでは、気持ちの上で過剰に負担にならない範囲で(英語のExcuse meとかさ)、互いにダメージを与えないように気を配りあうマナーがあれば、それでいいはず。急いでいる人は急いでね、のんびり行く人はどうぞごゆっくり。
でも現実には、別に急いでいないのだけれど急いでいる人を見ると邪魔をしたいという欲求が湧いてきてこれを抑えられない、邪魔をせずには居られない、という人が、かなりの数で居るようだ(しかもそういうタイプの人は、時代が下るにつれて増えていくように感じる)。
他人に想いが至るというのは想像力だから、隣の他人に想いが至るには半径数十cmの想像力が、「平日の朝の状況」に想いが至るには半径その地域の通勤圏の、あるいは様々な立場への想像力が要る、ということだから、時代が下るに連れて想像力が減ってきている、ということなのかな。。(2008年2月26日記)

趣味一般@2ch掲示板 【百科事典】ウィキペディア第595刷【Wikipedia】 猫が好き♪さん 2008/05/21(水) 21:54:47 の発言(2008年5月22日(木)19:50頃 閲覧)

感じている英語版と日本語版の雰囲気の違いは、ここ↑に言われていることにつきる、のかもしれないと思った。自分は2ちゃんねるには長らく偏見(?)があるのだけど、2ちゃんねるってこんなにカッコよかったっけ?(2008年5月23日記)
・英語でしゃべらナイト NHK 2008年6月2日(月)
・「ニッポンには対話がない」北川達夫×平田オリザ 三省堂 ISBN 978-4-385-36371-4
(2008年6月3日記)

追記。閉鎖された。仕事をしていると「圧力」っていうのはいかようにもかかってくるものだけれど、知性を問われる場所でそうであるとは思ってもいませんでした。(2008年5月30日記。6月3日改め)

  
閉鎖されたんじゃなくて、移動していた。“カッコいい”風情は薄まり(無くなり?)、かねて軽蔑していた“2ちゃんねるの雰囲気”が強まっていた。この2ヶ月の間に(あるいは今只今)、何があったのだ?(2008年7月30日記)


韓国では、インターネット上の書き込みを受けた芸能人の自殺(!)が相次いで起こった。それも最近の短期間のうちに3人とか4人とか。韓国の人が何か抗議するときの表現の仕方は過激だと日本の人は感じていると思うが、韓国語は全然読めないので実情はまったくわからないが、誹謗中傷も、また過激なのだろうか。告訴なしで当局が捜査を始められる「サイバー侮辱罪」の新設が検討に入ったそうだ。(2008年10月14日記。)


 
議論のあと得々としている風を見ると「大人気ない」と感じるが、議論を受けてあちこちで腹いせをしている風を見ると「許せない」と感じる。

とりわけ、wikipedia では議論に拘泥する必要はなく、関心が移った場合や、言いたいことを言い尽くした場合、あるいは主張が折れた場合にそこから消えていなくなることに寛容である慣習があり、これは素晴らしい伝統だ、と私は感じていますが、そこに突け込んで(?)、ふいに居なくなった後に方々で腹いせしている風を見ると、「卑怯」だと感じる。

そんなことをするなら、(正々堂々と)最後まで議論の場に居て欲しい。議論の結果がどうなろうとも、その参加者に潔さを感じ、人間としての尊敬を感ずる。そうでない場合、どうにも軽蔑してしまう感情が湧いてくるのを否めない(そんなことをするなら)。

とりわけ wikipedia では誰が何を言ったかは二の次であって、事がどうであるか・どうするかが一の問題である(慣習がある)のだから(世間には誰が何を言ったかが執拗に最重要であるとする「場」もあるなかで)。(2006年9月末記)

 
特定の土地に反感や憎しみを持つ人が居るのだということを、初めて知りました。というか知識としては知っていたけれど、その人たちの“生の声”を、初めて目の当たりにしました。(2006年9月記)

 
国の内には法律があり、国と国の間には条約があるように、人が集まる場所にルールや取り決めは必要なもの。ところでさて、掲げられた目的に自由意志を持った個々が集まる、という状況には耐えられなくて、管理してくれ・管理体制を問う・(従属でも反抗でも)お上の下に安住する という在り方がある。筑紫哲也対論集『若者たちの大神』 ISBN 4-02-255738-9 P89 〜 の項が腑に落ちる。(2006年9月記)

 
朝日新聞2006年11月1日 ニューデリー発の特派員メモ は、「『司法テロ』来襲」というタイトルでひとくさり書かれている。「司法テロ」来襲か。どこにでもそういうのはあるんだなあ。(2006年11月記)そういう精神はやっぱりあるんだなあ。(2007年2月12日記)

 
司馬遼太郎vsドナルド・キーン『日本人と日本文化』中公新書 1972年 ISBN 4-12-100285-7 P65 - 82 第四章 日本人の戦争観 で二人は、日本人にとって重要なのは舞台裏であって、関ヶ原の合戦も、自民党政治の国会の審議も、物事は舞台裏で決まって、合戦や審議はページェントに過ぎない、と観察している。「じつはハラのなかはこうです」「肉体的な接触みたいなもののありうる近さの関係にだけ」信頼・信棒「というものは成立する」と観察している。フランス革命で、「ロベスピエールのことばがすべて」で物事が動いた、ということに司馬遼太郎は驚嘆を示している。

21世紀初頭、国会で密室政治がそれどうなのと問われて、では判断や考え方を表に出して世に問いましょうというのでマニュフェストというのがもてはやされるようになったけれど、じゃあそれを本気で信じて闘っているかというと、やってる方も受け手の我々の方も、あんまりそんな気はしない。
2006年11月1日の報道で見る北朝鮮問題に関して外交に携わっているアメリカのヒル国務次官補のやつれた表情を見ると、話し合いをするためにあらゆるチャンネルを探す・使うのだけれど、英語の世界では、その各々の局面において、“言葉が全て”で闘うのだなあ、と想像される。想像出来る。

そういえばwikipediaでも、いつだったかどこでだったか忘れたけど、IRCやメーリングリストや、あらゆるチャンネルを通じて意見交換することは当たり前で有意義なことだ。でも確かに日本語版では、それらのチャンネルを持つことは、裏へ回る、話が舞台裏へ回る、物事が内々に決められるといった日本文化の特質として機能するな、たとえば英語版では、わりとあらゆることが堂々とノートで話し合われているなあ、ノートやIRCやメーリングリストを持つことは、話し合いの場・チャンネル数を増やすという意味で機能しているな、という旨の呟きみたいな記述を読んだ覚えがある。

実際、いま権限を持って運営に携わっている人たちの(一部の?)(ある状況での)振る舞いを見ると、バンダリズムやテロリズムや悪口や侮辱を吐く相手や暴力的な脅しを入れる相手に対して「言葉のやりとりに取り合わない」のはメソッドの1つとして理解できるけど、そうではない相手に、言葉のやりとりで(は自分たちの考えは)通らないと見るや突如として実力行使に出たり、人間関係をもって真綿を締めてくるやり方を見ると、ああそうなんだなあ、と頷ける。(2006年11月記)

 
2007年問題っていいますね。団塊の世代(1947年から1951年くらい生まれの人たち)がいっせいに退職するという話。手にしたたくさんの時間に、生きがいを求めていろいろなことに手を出すだろうといわれている。商売の観点から、それを取り込もうという競争が始まり出している事柄。思いもしなかったけれども、もしかしたら、“社会の活性化”につながるかもしれない事態。で、生きがいを求めて動き出した人生の先達のうちのいくらかの人達が、wikipedia に走らないかな。そうしたら、また新しいムーブメント、新しい風が吹くかもしれないですね。インターネットが始まる前の出来事には手薄いといわれている wikipedia (歴史時代は別)。豊富な人生経験をフィードバックした何かを付け加えることが出来るかもしれない可能性。経験に裏打ちされた(経験に拘泥されたらそれは、と思いますが)情報・知識を付け加えることが出来るかもしれない可能性。年がいってからコンピュータなんぞ新しい事柄に手を出すのはやっかいかもしれない。でも、脈々と「数年にわたって」(なんと、たった数年なのだ!)培ってきたマナーとルールは尊重してもらって、参加してもらえたら、なにか“革命”が起こるかもしれない。あくまでも、かもしれない。社会に対する秘めたる予感。胎動を感じる。私の予感の空振りかもしれないけど(^_^;)。(2006年7月記)

でも、人は、年齢を積むと分別が増す場合だけではない、こうなる場合もある、ということに気づいた。(2007年3月末記)トーチュウ 2007年4月3日 海老沢泰久 セブンアイ 役人の見本 を読んだ。深く頷いた。私が気づいた人の職業は役人ではないけれど、「〜というのはこういうふうに生きていくのか」という気づき・驚きに、深く頷いた。(2007年4月頭記)

 
サブカルチャー 2006年12月4日 (月) 11:23 の版 にこうある。「本来のカルチュラル・スタディーズにおけるサブカルチャーは民族や階級に関連した政治的色彩を帯びたものであった。1980年代に一世を風靡した日本のサブカルチャーはそこから政治色を取り除き、純粋に趣味の領域へと濾過されたものである。」 やっぱりと少しだけ、はたと膝を叩いた。(2006年12月記)

 
これはWikipediaを見てというよりも、インターネット全体も含めて、街で見聞きする会話も含めて、の印象。自分の若い頃はもっとのびのびとおおらかで、それぞれが自由に伸びていこうとする雰囲気が今よりもあった、と感じる。それに比べて今の時代(今の若い世代)は、自分の不利益になるかもしれないと本能的に感じることを目敏く見つけて、難癖をつけたり、世に存在している批判と思しき字面を掻き集めてきて、それが本当に批判であると確信を持っていなくても、確信を待つ余裕は無く、とにかく掻き集めてきて、蓋をして回ることに一生懸命、持てるエネルギーの多くをそこに注ぐ人が多い、と感じる。十数年前よりもずっと、汲々とした、窮屈な 小さい せせこましい感じが増してきている、と感じるのは、気のせい?
見聞するところでは、自分の親の話を聞いたり、たとえば「ムツゴロウの○○記」シリーズの本など読んでみるところでは、「戦後の歴史」上では、戦後すぐの頃がいちばんおおらかでのびのびとしていて、時代が下がるほど窮屈でせせこましくなっていくようだ。他所の国・文化では、それぞれどうなっているのだろうか?それぞれどういう事情を抱えているのだろう?(2007年2月記)

 
権威主義…。「権威主義(けんいしゅぎ)とは、意思決定の場において、論理的説明を省略し、権威に対する盲従を要求する態度、及び意思決定や判断において自分の頭で考えたり情報を集めずに権威に盲従する態度を指す。」(権威主義 - Wikipedia 2007年8月23日 (木) 04:58 の版)。 権威主義とは - はてなダイアリーPassion For The Future 権威主義の正体権威主義の被害者は誰か。 (2007年8月記)

 
世間を見て思った。これ2007年10月13日 (土) 09:02 版 )は、未成年(として擁護される者)向けには、世の中のあらゆる分野において、必要なものなのかも(そういう時代なのかも)。 (2007年10月18日記)

 
司馬遼太郎とドナルド・キーンは 日本人の合理性 と言ったけれども、日本人はありありとした形として現実に目の前に在ることには集中できるけれども、その集中力はすごいけれども、 想像力を働かせて何かを構想する 精神的なベクトル は基本的には/傾向としては持ち合わせていないのだろう。形として目の前には無い何かを/何かについて考える力 想像力 は、不得意分野なのだろうな。

たとえば、極端な/洗練された想像力の産物である哲学というものについて、 西洋哲学や東洋哲学といった人物や書物や人々の集まりという 現実 が目の前に在る ことについて、隅の隅まで見つめ、微に入り細を穿って検討する力はとても強く働くけれど、じゃあヨーロッパなりインドなり中国なりでそれら思想を生んだ/生み出していく方向の力/ベクトルは、日本ではほとんど働いていない/働かないんじゃないか。

自分はある分野で、がっかりしてこれはなんとかならないかと思ったりしていたのだけれど、でも思ったのだが、これはつまり、ミクロン単位で見て世界の誰もマネ出来ない素晴らしい工業製品を作る資質というのは、日本の素晴らしい(工業)技術というのは、この傾向が生み出しているものだ。に違いない。

ああなんだ、がっかりなんかしないで、“日本の在り方”として胸を張り誇るべきものじゃないか。ああそうか、日本が世界(地球)へ提供できる部分は、この部分だ。アニメとか既に提供しているし、出来あがった工業製品という姿を通してこの部分も世界に既に提供しているけれども、気持ちの在り方・哲学・思想そのものとして、これをこれとして提供できれば、世界に何がしかの利を貢献できるのかもしれない。(2008年5月31日記。6月3日出。9月13日補。)

そして(でも)。

でも思った。欧米(欧米か!)では、いま自分の目の前で何か起こっているか、自分の目の前にある社会がどうなっているかを目を凝らして見るのが社会科学の伝統だけど、日本の社会科学では、欧米語(古くは中国語)の文献に何が出ているか、書かれているかを追いかけるのが最重要というのが伝統だそうだからなあ。この部分は、やっぱりどうにかならないかなあ。

でももしかしたら、やがて地球上の交流がもっと進んで、国境の壁がもっと無くなったら、日本の学者を差し置いて、外国の学者が、日本と称されている地域で働いている心理的メカニズムを、エキゾチズムなどの色メガネ抜きで解いて見せる日が来るのかも。(2008年9月10日記)

 

このところ思う。ウィキペディア日本語版は、内容が充実してきた。(2008年6月25日記)
このところ思う。コモンズの画像は、とても充実してきた。(2008年8月11日記)

 
言論弾圧
言論の自由− 「自身の思想・良心を表明する自由を指す」(Wikipedia日本語版『言論の自由』2008年7月23日 (水) 11:21の版)。「止められた」その「こと」は、「誰かへの誹謗・いわれなき中傷」だったのか?「その人の思想・良心の表明」だったのか?(2008年9月1日記)

 
これはWikipeidaとは関係なく。自分の日常生活で思ったこと。善意と悪意。Wikipeidaでは、善意悪意恩送り
「負の連鎖」を生み出す者は、精神的には、当人の人生上の不満を晴らそうと、他人に縋りつく、つかまえて離さない離すものか!と悲鳴を上げているのだろうか。人間、そういう意味では、自立して生きたい。(2008年9月13日記)

 
やっぱり、これに尽きるのかもしれない。(2008年12月3日記)
 

 
2008年12月のWikipedia日本語版は、2つの立場が対峙しているように見えた。「オープンソース」に代表される「考え方」に魅かれて動く派と、本当はクローズドなサークルであったらよかったのに、と願う派。考え方・理念のぶつかり合いは、こうやって「派閥争い」になるんだなあ。「日本人と日本文化」司馬遼太郎とドナルド・キーン、「ユニークな日本人」グレゴリー・クラークと竹村健一。(2008年12月10日記)

 

アメリカ合衆国第44代大統領に、バラク・オバマ氏が就任した。

第43代大統領(2001年1月20日 - )ブッシュ氏の政権は、すべての億万長者が残りのすべての人達に対して、アメリカ合衆国がほかのすべての国に対して、“自分さえよければ他は傷ついても死んでもどうなってもいいんだよ”という政治を行って在任中隆盛を誇ったが、2009年1月のいま、その評価は低い。十年後(いまの若者が親になっている時代)、数十年後(いまの若者が孫を持っている時代)、百年後(歴史上の出来事として振り返られるとき)、どう見られるのだろう。

明治維新の獅子達は、“日本がよくなるために”と考えて動き、命まで懸けて闘った。百数十年後のいま、彼らを/彼らの時代を軽蔑する人はいない(いるのかもしれないけど、大きな論調は目にしたことがない)。
百数十年後、いまの政治家はどう振り返られるだろう。

人が生きているところに必ず政治はあり、政治は大事なものだ。政治をたいしたことではないという言う人を/軽んじる人を私は信用しない。でも、その時その場で起こっているスケール(尺度)を、その時その場に居ない人が、たいしたものだと評価したり、バカなんじゃないの?と軽蔑したりすることも、これまた是だ。

リアルタイムでは、究極には、当人が自分の胸に聞くしか正答(その本当の思い)はわからないわけだけど。抗弁が出来るからね。当人自らでさえ、自分自身をだまして目をつぶって/目をそらしているケースもあるわけだし。

Wikipedia日本語版で2008年に起こったことは、2009年のこれから起こることは、十年後、数十年後、百年後、どう読まれるのだろう。(2009年1月22日記)

 
技術的に精緻に再現出来る人が、でもそのものが何であるかを実はわかってなかったなんてことがあるのは、いわゆる“日本的な現象”なのかな。(2009年11月10日、22日記)

 
「『ウィキペディア』の活用方法や課題などについて考える国内で初めてのイベントが東京で開かれ」たそうだ。(NHKニュース 2009年11月22日18時14分 「ウィキペディア」活用法や課題は)「ウィキペディアは誰でも記事を書けるだけに、まちがった記事も多く、学問の世界でそのまま利用することは難しい。便利なサービスだが、利用者は記事の内容を別の文献で再度チェックするなど注意する必要がある」(国立国会図書館長尾真館長)「今後は記事の質や信頼性をどう高めていくかが課題だ」(ジェイ・ウォルシュウィキメディア財団広報部長)だそうだ。(2009年11月23日記)

 

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