あとがき
 
 この文章は、主として自分の趣味の領域で抱えている問題の解決を図ろうと試みたものです。
問題が発生している原因を歴史に求め、その原理として、表現とは何か、社会を動かしている力は何か、ということを考えました。
 ここまでお付き合い下さってお読み下さり、ありがとうございました。

1990−1991年 (元版)
 
  まえがきに記したとおり、2003年の今では、1990−1991年当時とは考えが違う部分があります。提起したつもりの問題についても、相当前向きに変化していると感じます。(この部分について、そのうちに「続編」として書くかもしれません。)どうもありがとうございました。

2003年版 (本版)

 
日本の表現へ
日本の表現へ


 
後記(後考))
 
 人種に固執して理解するつもりは毛頭ありません。ですが、思うのです(こう思うことがあります)。

 ヨーロッパ(白い人)は、「目の前にわからない何かがあると、『あれ(これ)は何だろう?ワクワクワクワク』と表から裏から眺めてかかって“把握”(しようと)し、掴まえたデータや発見や把握を文字などで表して、他の人や後の人に、それを知ろうとする人に、気力と能力がある人になら誰にでも、万人にそれを開示する伝統(科学の精神)」を世界(地球)に広めました(提供しました)。

 アフリカ(黒い人)は、「体の底から、血の中から湧き上がる、うねるようなリズム(感)」を、世界(地球)の音楽に広めました(提供しました)。

 アジアあるいはその中の日本(黄色い人)は、世界(地球)に何を提供出来るのでしょう(しているのでしょう)?



 


 
(後記(後考)2)
朝日新聞2009年7月2日の日本@世界(船橋洋一)に、「『危機の20年』の出口は」「『追いつき追い越せ』脱却を」という意見が載った。
日本に自律と自立が求められるようになったとき、目下今までのところ、日本は自画像を描かなかったのかもしれない。1990年代、音楽の世界にては、ずいぶん明るい眺望が広がったと思っていたのだけれど。
2009年7月2日記