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2002年3月30日、家族4人で玉泉洞を訪れた時に、
手持ちの古いガイドブック(94年発行 『歩く地図』)に載っていた自然公園のほうへも、足を伸ばして見ました。
賑わっていた玉泉洞のコースに比べ、こちらはほかに人影もなく、鍾乳洞の持つ神秘的な雰囲気を堪能しながら歩きましたが、
そのうち、小学生の娘が、ここに漂う一種異様な雰囲気に気圧されて、おびえて先に進めなくなってしまいました。
結局子ども二人と私は、ハブ公園横の駐車場で、「残りのコースを駆け足で回ってくる。」
という夫を待っていたのですが、一人で回った夫がそこで見たものは、カメ棺様の土器と、人骨だった、というのです。
旅から帰ってきて、今日、こちらのホームページを拝見して、
このあたりが”死者の谷”の異名を持つお墓だったことを読むにつけ、娘のおびえようが、少しわかったような気がしました。
それにしても、夫の見た’骨’というのは、本当に、当時(当時、とは何世紀ごろなのでしょうか?)の”お骨”なのでしょうか?
玉泉洞王国村は、自然公園を、コースから切り離してしまったらしく、パンフレットにも載っていないし、公園内にあった表示板は、わざわざペンキで消された後が残っていました。
なぜなのでしょう?
満満洞は、なぜ立ち入り禁止になったのですか?
珍珍洞の入り口にある、線香台は、誰に手向けたものなのですか?
(先の大戦で、ここでも犠牲者がいらしたのですか?それとも、もっと昔にここで葬
られた死者に対して?)
旅の思い出をたどりながら、あれこれと疑問がわいています。
どなたかご存知の方がいらっしゃったら、教えてください。
[2002.4.3 佐賀の旅ガラス四人組さんより]
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たーくさんの質問? ありがとうございます。
正確ではないのですが、カメ棺&人骨はレプリカだったはず。
満満洞は内部が崩落しているため入洞禁止との情報があります。
私も古いガイドブックしか情報源が無いため 旅ガラスさん同様、
更に勉強してHPの内容強化に努めていこうと思っていますので、
正確なところをご存知の方、メール頂けませんか?
最新のガイドブックでは全く触れられていないが残念でなりません。
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今日、本屋で最新版の『歩く地図』(山と渓谷社)をチェックしてきましたが、
ほんと、玉泉洞のページから、自然公園の記述が見事に削除されていました。
地図まで書き換えられていて、”古琉球の谷”のカゲもカタチもない!!
もったいなさすぎますよね。
この、”魔境”とでも呼びたくなるような谷を、タイムトリップしたかのように、
さ迷ったひと時が、私たち旅ガラス4人組の、今回の沖縄の旅のハイライトでした。
鍾乳洞って、本当にいいですね。
鍾乳洞の闇の中で、「この石が、こんなになるまで、十万年・・・。」と考えていると、
あまりの遥けさに、くらくら、眩暈がしてきます。
これって、夜、星を見上げる時の気持ちに、似ているみたい。
[2002.4.6 佐賀の旅ガラス四人組さんより]
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