ドイツ植民地のトーゴの歴史は、こちらをご覧ください。ドイツ植民地時代に使われたトーゴの葉書もご覧になれます。
1888.3.1 (木曜 Donnerstag, Thursday)
1888年3月1日(木)に開局されたクライン・ポポ(Klein-Popo)局では、PFENNIG(ペニヒ)シリーズの3Pfennig、5Pfennig、10Pfennig、20Pfennig、50Pfennigの各切手と、1875年から発行された高額面の2Mark(マルク)切手が発行されました。
本国では速達料金用の25Pfennig切手は、植民地では速達がなく需要が見込まれていなかったため発行されてはいませんが、収集家が本国から持ち込んだフィラテリックカバーに押印されたものが存在します。
2番目の郵便局として1890年3月1日(土)に開局されたロメ(Lome)局では、1889年発行の数字・鷲図案シリーズの3Pfennig、5Pfennig、10Pfennig、20Pfennig、25Pfennig、50Pfennigの各切手と、1875年から発行された高額面の2Mark(マルク)切手が発行されました。
このロメ局には、時期的にPFENNIG(ペニヒ)シリーズは配給されませんでしたが、PFENNIG(ペニヒ)シリーズの切手が1891年1月31日(土)まで有効であったため、これらの切手を貼ったフィラテリックカバーがロメ局に持ち込まれて使用された例があります。
1897.8.-1899.
1897年1月頃、数字・鷲図案シリーズに植民地名の加刷が試作され、2月にはスイスのベルンにあるUPU(万国郵便連合)事務局に提出するための加刷切手が製造されました。トーゴへの配給分の加刷は、それより後に製造され、8月からクライン・ポポ(Klein-Popo)局とロメ(Lome)局の2局に順次配給が行われました。
全額面が一斉に配給されたのではなく、今まで使用していた無加刷切手の在庫に応じて行われましたので、25Pfennig、50Pfennigは翌年の1898年にずれ込んでいます。
3Pfennigには特徴的な3種類の色違いがあります。これは、ちょうど1897年から1898年にかけて本国で3Pfennig切手の刷色が変更された時期と加刷時期とが一致したためです。この3種類の色がはっきり区別できるので、市場ではこれを一通り揃えた8種類のセット(3Pfennig切手3種、5Pfennig〜50Pfennig切手各1種)で売られるのが普通です。
3Pfennig 明るい茶 1898年 50gまでの植民地内印刷物 |
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3Pfennig 赤味茶 1898年 | |
3Pfennig 暗い茶 1899年 | |
5Pfennig 植民地内葉書、50gごとのドイツ・外国宛印刷物 |
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10Pfennig 15gまでの植民地内書状、ドイツ・外国宛外信葉書 |
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20Pfennig 15gごとのドイツ・外国宛外信書状、書留料 |
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25Pfennig 1899年 50gまでのドイツ・外国宛書留印刷物、他 |
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50Pfennig 1899年 小包、他 |
版欠点を持つ切手と加刷の組み合わせは、ようやくカタログでも取り上げられるようになりましたが、市場にはほとんど出てきません。
以下に、Tの文字が欠けた50Pfennig切手のエラー切手に加刷された例を紹介します。
・有効期限は、1901年9月30日です。
・発行当時は、まだクライン・ポポ(Klein-Popo)局とロメ(Lome)局しか開局していなかったため、消印はもちろんこの2局のものしかありません。
1899.5.1 郵便料金改訂(植民地とドイツ本国が同一料金)
1900.11.
百年紀が迫った1899年に、どちらかというと暫定的性格であった加刷切手から、植民地専用の図案を用いた正刷切手に切り替えることが検討され、1899年から1900年にかけて、トーゴに関しては、2種類(以上?)のスケッチと1種類(以上?)のプルーフが作成されました。結局、全植民地共通の図案が採用され、上のタイトル部分だけが植民地ごとに異なるという合理的なシリーズが誕生しました。デザインに使われた船が皇帝の御用戦艦ホーエンツォレルン(Hohenzollern)号であったので、収集家の間ではカイザーヨットと呼ばれています。言葉からは優雅なヨットを思い浮かべてしまいますが、これはドイツ語のKaiserjachtを英語読みしたもので、実際はSMS(Seiner Majestät Schiff)、すなわち帝国軍艦のことです。
トーゴでは、1900年11月から、13種類の額面が発売されました。25Pfennigから80Pfennigまでの中額面が2色刷で、しかもその中額面は40Pfennigを除いて着色用紙という豪華なものです。高額面は5Markのみ2色刷で、他はすべて1色刷です。
1906年4月1日から1910年頃まで、3Mark切手と5Mark切手は植民地の窓口では発売されず、ベルリンの窓口で発売されました。
1909年8月頃に5Pfennig切手のすかし入りが、1913年の終わり頃から10Pfennig切手のすかし入りが発売されました。後者は、使用例が少なく高価です。
他に3Pfennig切手と5Mark切手にすかし入りがありますが、これは第一次世界大戦勃発後の1914年8月にイギリス・フランス軍にトーゴが占領された後に製造された不発行切手です。
3Pfennig 50gまでの印刷物 |
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5Pfennig 植民地内・ドイツ宛葉書 |
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10Pfennig 20gまでの植民地内・ドイツ宛書状 |
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20Pfennig 20gを超え250gまでの植民地内・ドイツ宛書状、書留料 |
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25Pfennig 植民地内・ドイツ宛書留葉書、他 |
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30Pfennig 20gまでの植民地内・ドイツ宛書留書状、500gを超え1kgまでの植民地内・ドイツ宛書状 |
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40Pfennig 20gを超え250gまでの植民地内・ドイツ宛書留書状 |
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50Pfennig 500gを超え1kgまでの植民地内・ドイツ宛書留書状、小包、他 |
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80Pfennig 1kgを超え2kgまでの植民地内・ドイツ宛書留書状、小包、他 |
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1Mark 小包、他 |
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2Mark 小包、他 |
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3Mark 小包、他 |
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5Mark 小包、他 |
有効期限は、1914年8月のイギリス・フランス軍による占領までです。
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