1880-88年のドイツと日本の出来事
1880年
・第2次七年制軍事予算案可決(陸軍増強)
・アメリカへの移住のピーク(〜1890年。年平均10万人)
明治
13年
・官業払い下げ概則
・教育令改正(政府の統制強化)
1881年
・ドイツ・オーストリー・イタリア三帝条約締結
明治
14年
・明治14年の政変
1882年
・ドイツ・オーストリー・イタリア三国同盟成立
・ドイツ植民地協会設立
・ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団結成
・コッホ、結核菌を発見
明治
15年
・東京専門学校開校
・条約改正予備会議
・日本銀行設立
1883年
・労働者疾病保険法案可決
・ニーチェ「ツァラトゥストラはかく語りき」刊行
・リヒャルト=ワーグナー没
明治
16年
・U小判切手発行
1884年
・災害保険法案可決
・トーゴ、カメルーン、南西アフリカを保護下に
・ベルリン会議開催(ベルギーのコンゴ領有問題解決)
・ドイツ植民会社設立
明治
17年
・華族制度創設
・弥生式土器発見
1885年
・ダイムラーとベンツ、ガソリン自動車製作
・マーシャル諸島を保護下に
明治
18年
・電信切手発行
・内閣制度創設
・坪内逍遙「小説神髄」
1886年
・中国領事館内で郵便業務開始(在中国局開設)
・サモアで植民地最初の郵便業務開始
明治
19年
・学校令
・ノルマントン号事件
1887年
・第3次七年制軍事予算案可決(最初否決で議会解散)
・保守党・帝国党・国民自由党の選挙協定成立
・ドイツ・ロシア再保障条約締結(戦時の相互中立)
・三国地中海協商(イタリア・イギリス・オーストリー)
明治
20年
・東京音楽学校創立
1888年
・軍政改革法案可決
・ニューギニア北東部を保護下に
・ヴィルヘルム1世没
・フリードリヒ3世即位するも3ヶ月で没
・ヴィルヘルム2世即位
明治
21年
・新小判切手発行
・電信切手廃止(1949年まで普通切手で代用)
・市制・町村制公布(地方自治体の確立)
・憲法草案

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1880-1888年に発行されたドイツ切手

1880-88

1.PFENNIGシリーズ 

 PFENNIGシリーズは、通貨のPfennig(ペニヒ)の複数形であるPfennigeから最後のeを省いたものです。切手付き封筒では早くも1876年からこの綴りになっていたのですが、切手の方は大きく遅れての改訂となりました。1880年中頃から徐々に切り替えられていったため、正式な初日使用はありません。

3PFENNIGE 3PFENNIG3
最後のEの代わりに数字の3になっている(数字図案)
PFENNIGE PFENNIG
最後のEがない(鷲図案)

UPU加盟国が増えたため、複雑な料金体系がかなり単純になっています。

3Pfennig
50gまでの印刷物
5Pfennig
市内用書状、市外用葉書、50gごとの外信印刷物
10Pfennig
15gまでの市外用書状、外信葉書、等
20Pfennig
15gを超え250gまでの市外用書状、15gまでの外信書状、書留料、配達証明料、郵便為替料、等
25Pfennig
速達料、小包、気送管葉書、等
50Pfennig
小包、価格表記、等

・長期にわたって製造されたため、刷色の違いが多くあります。多いもので6種類に分類されます。
・切手シートの5段目と6段目の間にガッター・マージンがあります。
・切手の横幅は狭いものから広いものまであって、専門的には4種類に分類されています。
・窓口で1890年12月1日まで売られ、1891年1月31日まで有効でした。なお、新切手との交換は1891年2月1日まで行われました。

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