1955年の西ドイツと日本の出来事
1955年
・パリ諸条約発効、西ドイツの国家主権完全回復
・NATOに参加
・国防省設置(民主同盟のブランクが国防相に就任)、志願兵制導入
(東ドイツはワルシャワ条約機構軍に参加)
・アデナウアー首相訪ソ(対ソビエト外交再開)
・アデナウアー首相、東ドイツとの外交行為は非友好的行為と見なすと宣言
・ザール住民投票で、欧州化案否決へ
昭和
30年
・広島原爆資料館開館
・ヘレン・ケラー来日
・神武景気(高度成長の幕開け)
・三種の神器が流行
・第15回国際商業会議所総会
・菊穴なし50円ニッケル貨発行
・1円アルミ貨発行
・新議事堂5円葉書発行
・かり45円航空書簡発行

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1954年発行の西ドイツ切手へ

1956年発行の西ドイツ切手へ


1955年に発行された西ドイツの切手

1Deutsche Mark(ドイチェ・マルク) = 100Pfennig(ペニヒ)

1955.2.23 (水曜 Mittwoch, Wednesday)

1.ガウス没後100年

 数学者、天文学者、物理学者のヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス(1777生-1855没)の没後100年を記念して発行されました。小学生の時に1から100までの和を即座に答えたという神童ぶりは有名で、数学のあらゆる分野に業績を残し、近代数学の発展に多大な貢献をしました。彼の名前を冠した法則等が多数残されています。

ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス 10Pfennig
ガウスの肖像

・発行枚数は、2225万枚です。
・有効期限は、1956年6月30日です。


1955.3.31 (木曜 Donnerstag, Thursday)

2.ルフトハンザ航空営業開始

 1926年操業のドイツ・ルフトハンザが、新生「ルフトハンザ」として1955年4月1日(金)から営業を開始するのを記念して発行されました。
 すべての額面に天地逆のすかしがあり、合計8種類集めることになりますが、入手は難しくありません。

ルフトハンザのマーク 5Pfennig
ルフトハンザのマーク
ルフトハンザのマーク 10Pfennig
ルフトハンザのマーク
ルフトハンザのマーク 15Pfennig
ルフトハンザのマーク
ルフトハンザのマーク 20Pfennig
ルフトハンザのマーク

・発行枚数は、各1000万枚です。
・有効期限は、1956年12月31日です。


1955.5.7 (土曜 Sonnabend, Saturday)

3.ミラー生誕100年

 電気工学技術者のオスカー・フォン・ミラー(1855生-1934没)の生誕100年を記念して発行されました。1882年にミュンヘンでドイツ最初の電気博覧会を開催し、公開実験の形式でミュンヘンとミースバッハの57kmの間で電流を通すことに成功しました。トーマス・エジソンの特許を取得したエミール・ラーテナウが1883年に設立したドイツ・エジソン会社(後のAEG、一般電気会社)に支配人として招かれ、1884年にミュンヘン最初の発電所を建設します。こうした電気工学分野で活躍する一方で、ミュンヘン・ドイツ博物館の提唱も行いました。

オスカー・フォン・ミラー 10Pfennig
ミラーの肖像

・発行枚数は、2000万枚です。
・有効期限は、1956年6月30日です。


1955.5.9 (月曜 Montag, Monday)

4.シラー没後150年

 詩人、劇作家のヨハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー(1759生-1805没)の没後150年を記念して発行されました。シラーは、ゲーテとともにドイツ古典主義の代表的作家として有名で、戦前のドイツ帝国で初めて人物を図案に採用した通常切手である著名人図案シリーズにもゲーテと一緒に登場しています。シラーの詩は、広くドイツ人に親しまれていて、現在も学校の教材等に使われています。「歓喜の歌」は、ベートーヴェンが作曲した交響曲第9番の第4楽章に登場する合唱で使用されていますので、日本でも耳にする機会は多いと思います。
 切手は、シラーの肖像がエンボス加工で入っています。

ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー 40Pfennig
シラーの肖像(エンボス部分)

・発行枚数は、500万枚です。
・有効期限は、1955年6月30日です。


1955.6.1 (水曜 Mittwoch, Wednesday)

5.クラフトポスト(バス郵便)50年

 クラフトポストとは、人を乗せる自動車(バス)に郵便物を積んで一緒に運ぶ輸送システムのことです。1905年6月1日(木)、バイエルン王国郵政がバート・テルツとレングリースの間のバス郵便を始めてから50年を記念して発行されました。ドイツ帝国郵政は、1906年6月16日(土)にフリートベルクとランシュタットの間のバス郵便を始めています。1965年からは、名称がポストライゼディーンスト(旅客郵便サービス)と変更されました。近年では、ドイツ郵政のカラーである黄色の郵便バス(メルセデスベンツ製)を走らせていましたが、この輸送システムも、2006年1月末を持って廃止されました。

1906年当時の郵便バス 20Pfennig
1906年当時の郵便バス

・発行枚数は、500万枚です。
・有効期限は、1956年6月30日です。


1955.6.15 (水曜 Mittwoch, Wednesday)

6.バーデン=ヴュルテンベルク州博覧会

 シュトゥットガルトで開催されるバーデン=ヴュルテンベルク州博覧会を記念して発行されました。
 すべての額面に左右逆のすかしがあり、合計4種類集めることになりますが、入手は難しくありません。

バーデン=ヴュルテンベルク州の紋章 7Pfennig
バーデン=ヴュルテンベルク州の紋章
バーデン=ヴュルテンベルク州の紋章 10Pfennig
バーデン=ヴュルテンベルク州の紋章

・発行枚数は、各1000万枚です。
・有効期限は、1956年6月30日です。


1955.6.24 (金曜 Freitag, Friday)

7.研究促進

 ドイツの科学技術の研究促進を宣伝するために発行されました。

地球と原子モデル 20Pfennig
地球と原子モデル

・発行枚数は、1000万枚です。
・有効期限は、1964年12月31日です。


1955.8.2 (火曜 Dienstag, Tuesday)

8.東方移住者強制退去10年

 第二次世界大戦後、ポーランドやチェコスロバキアやそれより東に住んでいたドイツ系住民が強制的に退去させられてから10年を記念して発行されました。この強制移動の発端は、1943年アメリカ・イギリス・ソビエトの三国が会談したテヘラン会議で、ソビエトとポーランドとの国境を大きく西に移動してポーランド領が1/3減少する代わりに、ポーランドとドイツとの国境を西に移動する方針が決定され、ポツダム協定でそれに伴う強制退去の実施が始まりました。ポーランドから330万人、チェコスロバキアから280万人、その他の地域を合わせるとおよそ1200万人のドイツ系住民が強制退去させられ、ドイツ系以外の住民による迫害や略奪、病気や飢餓で200万人以上が死亡したと言われています。ポーランド人もソビエト領になった西ウクライナから170万人以上が強制退去させられています。
 この切手を貼った東欧諸国宛の郵便物は、切手を塗りつぶして配達されるか返送されました。
 なお、これと同じ図案の東方移住者強制退去20年の切手が1965年に発行されています。

故郷を追われて西に向かう人々 20Pfennig
故郷を追われて西に向かう人々

・発行枚数は、2000万枚です。
・有効期限は、1956年12月31日です。


1955.8.10 (水曜 Mittwoch, Wednesday)

9.レッヒフェルトの会戦1000年

 955年8月10日、バイエルン地方のアウクスブルクの南にあるレッヒフェルト(レッヒ川沿いの平原)で、オットー1世の軍隊10000人がマジャール人の軍隊50000人を撃退してから1000年になるのを記念して発行されました。
 図案の白抜きの部分がエンボス加工になっています。

アウクスブルクの紋章(左)とそれを貫こうとする弓矢 20Pfennig
アウクスブルクの紋章(左)とそれを貫こうとする弓矢

・発行枚数は、500万枚です。
・有効期限は、1956年12月31日です。


1955.9.14 (水曜 Mittwoch, Wednesday)

10.デュッセルドルフ国際切手展

 デュッセルドルフ国際切手展(Westropa 1955)を記念して発行されました。

手紙をくわえる伝書鳩とルーペ 10+2Pfennig
手紙をくわえる伝書鳩とルーペ
西ドイツ郵政のシンボルマークであるポストホルンとピンセット 20+3Pfennig
西ドイツ郵政のシンボルマークであるポストホルンとピンセット

・発行枚数は、10+2Pfennig切手が200万枚、20+3Pfennig切手が150万枚です。
・有効期限は、1956年12月31日です。


1955.10.5 (水曜 Mittwoch, Wednesday)

11.欧州ダイアグラム会議

 ヴィースバーデンで10月13日から15日にかけて開催される欧州ダイアグラム会議を記念して発行されました。この会議は、1872年から毎年10月前半に開催されていて、各国を結ぶ国際列車の運行について決定するものです。1955年の会議では、各国から142名の関係者が集まり、クアハウス(保養所)の会議室で、1956年の夏と冬の国際列車のダイアグラムについて協議されました。会議には、東欧圏からハンガリー、ブルガリア、ソビエトも参加しています。

レールを表す曲線と信号機 20Pfennig
レールを表す曲線と信号機

・発行枚数は、1000万枚です。
・有効期限は、1956年12月31日です。


1955.10.22 (土曜 Sonnabend, Saturday)

12.シュティフター生誕150年

 オーストリアの詩人、小説家、画家のアーダルベルト・シュティフター(1805生-1868没)の生誕150年を記念して発行されました。ありのままの自然や生活を描いた作品を数多く残しています。なお、実際の誕生日は、10月23日ですが、日曜日のため繰り上げて発行しています。

シュティフターの記念碑 10Pfennig
生まれ故郷のボヘミアにあるシュティフターの記念碑

・発行枚数は、1000万枚です。
・有効期限は、1956年12月31日です。


1955.10.24 (月曜 Montag, Monday)

13.国際連合設立10年

 1945年10月24日(水)に国際連合憲章の下に設立された国際連合が10年になるのを記念して発行されました。日本は1956年に加盟していますが、この切手を発行したときは、西ドイツは加盟していませんでした。加盟するのは、東西両ドイツとも1973年です。
 図案の白抜きの部分がエンボス加工になっています。

国際連合のマーク 10Pfennig
国際連合のマーク

・発行枚数は、500万枚です。
・有効期限は、1956年12月31日です。


1955.11.15 (火曜 Dienstag, Tuesday)

14.社会福祉 付加金付き

 恒例の社会福祉の付加金付き切手です。

アマリー・ヴィルヘルミーネ・ジーフェキング 7+3Pfennig
アマリー・ヴィルヘルミーネ・ジーフェキング(1794-1859)
ドイツ救恤婦人会の共同設立者、博愛主義者。ハンブルクの評議員の娘として生まれるが、5歳で母を、15歳で父を亡くして財産も失い、親戚に引き取られて病気の子供を介護する経験を持つ。その後、救貧院の少女のための学校を開き、1830年にハンブルクでコレラが流行した時には、救貧院で看護婦として活躍する
アドルフ・コルピング 10+5Pfennig
アドルフ・コルピング(1813-1865)
カトリックの司祭。1851年にカトリックの徒弟組合を設立した
クリスチャン・フリードリヒ・ザミュエル・ハーネマン 20+10Pfennig
クリスチャン・フリードリヒ・ザミュエル・ハーネマン(1755-1843)
内科医。1810年にホメオパシー(同種療法、同毒療法)を発表した
フローレンス・ナイチンゲール 40+10Pfennig
フローレンス・ナイチンゲール(1820-1910)
イギリスの看護婦。1854年にクリミア戦争が勃発すると、従軍看護婦として志願し、その活躍から「クリミアの天使」と呼ばれる。1860年にナイチンゲール看護学校を創設した

・発行枚数は、7+3Pfennig切手が350万枚、10+5Pf切手が600万枚、20+10Pf切手が500万枚、40+10Pfennig切手が160万枚です。
・有効期限は、1956年12月31日です。


1955.12.1 (木曜 Donnerstag, Thursday)

15.数字図案シリーズ

 最低額面の1Pfennig切手が発行されました。当時は、ホイス大統領図案シリーズが発行されていましたが、補助的な最低額面ということもあってか、一目で区別しやすい図案を採用したと思われます。ベルリンでは、この額面の切手をすでに1949年から発行していました。なお、西ドイツの1Pfennig切手は、これが最初で最後の登場でした。

1Pf 1Pfennig
加貼り用

・すかし違い(1958年、1960年)、糊違い(1958年)、蛍光紙(1963年)があります。
・有効期限は、1970年12月31日です。

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