1953年の西ドイツと日本の出来事
1953年
・第2回総選挙
・東ドイツからの亡命者相次ぐ。この年だけで39万人(西ドイツ成立後1955年までに140万人)
(東ドイツでデモとストライキが発生)
昭和
28年
・NHKによるテレビ本放送開始(放送時間は4時間)
・民放の開始(日本テレビ)
・プロ野球、大相撲、紅白歌合戦の放送始まる
・保安大学(後の防衛大学)開校
・スターリンの死去に伴う株価大暴落
・中国、シベリアからの引き揚げ再開
・赤色の公衆電話(店舗委託用の電話)設置
・ストライキ規制法成立
・奄美群島返還に関する日米協定調印
・町村合併促進法公布で昭和の大合併始まる
・大仏航空切手発行
・板垣退助100円札発行

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1952年発行の西ドイツ切手へ

1954年発行の西ドイツ切手へ


1953年に発行された西ドイツの切手

1Deutsche Mark(ドイチェ・マルク) = 100Pfennig(ペニヒ)

1953.3.30 (月曜 Montag, Monday)

1.交通事故防止 

 戦後、奇跡の経済復興を遂げる西ドイツでしたが、一方で急増した交通事故を防止するために、キャンペーンをかねて発行された切手です。

交通事故で子供を失い悲しむ母親 20Pfennig
交通事故で子供を失い悲しむ母親

・発行枚数は、1000万枚です。
・有効期限は、1954年6月30日です。


1953.5.7 (木曜 Donnerstag, Thursday)

2.ミュンヘン・ドイツ博物館50年

 ヨーロッパ最大規模の科学技術博物館であるミュンヘン・ドイツ博物館が、オスカー・フォン・ミラーの提唱で建設が始まってから50年を迎えるのを記念して発行されました。1903年から着工されたものの、途中で第一次世界大戦もあり、開館するのは1925年です。第二次世界大戦後は、1947年10月にディーゼルモーターショーが行われたことがありますが、一般公開が再開するのは1948年5月7日(金)からでした。博物館の別館に、移動をテーマにした交通博物館があります。ミュンヘン・ドイツ博物館の公式ホームページはこちらです。

歯車の上に立つフクロウ 10Pfennig
ミュンヘン・ドイツ博物館のシンボルマークである「歯車の上に立つフクロウ」

・発行枚数は、150万枚です。
・有効期限は、1954年6月30日です。


1953.5.8 (金曜 Freitag, Friday)

3.アンリ・デュナン生誕125年

 赤十字の提唱者であるスイス人実業家のジャン・アンリ・デュナン(1828生-1910没)の生誕125年を記念して発行されました。アンリ・デュナンは1952年の社会福祉の付加金付き切手にも登場しています。

アネモネと百合と赤十字 10Pfennig
アネモネと百合と赤十字を図案化したマーク

・発行枚数は、500万枚です。
・有効期限は、1954年6月30日です。


1953.5.9 (土曜 Sonnabend, Saturday)

4.ドイツ人捕虜

 5月9日の終戦記念日に発行された、ドイツ人捕虜をテーマにした切手です。人物の白い部分は、やせ衰えた捕虜の横顔がエンボス加工されています。発行後、この図案が東ドイツ当局の怒りにふれ、この切手を貼った西ドイツからの郵便物は、東ドイツ側で切手を黒く塗りつぶして配達されるか返送されました。これは、東ドイツの国民そのものが西ドイツ側から捕虜に見えていると解釈されたからと思われます。10Pfnnig切手の場合、通常、刷色が緑色であるところが、この切手だけは灰色になっていて、切手の発行の意図が強調されていると言えます。

鉄条網の向こうのドイツ人捕虜 10Pfennig
鉄条網の向こうのドイツ人捕虜

・発行枚数は、1億120万枚です。
・有効期限は、1954年12月31日です。


1953.5.12 (火曜 Dienstag, Tuesday)

5.ユストゥス・フォン・リービッヒ生誕150年

 科学者のユストゥス・フォン・リービッヒ(リービヒ)(1803生-1873没)の生誕150年を記念して発行されました。リービッヒは男爵の爵位を持ち、燃焼法による有機化合物の定量分析法を改良したリービッヒ炭水素定量法を編み出し、様々な有機化合物の分析を行って、有機化学の確立に貢献をしました。また、植物の生育には窒素・リン酸・カリウムの三要素が必要との説(リービッヒの最小律=土の中で最も少ない無機養分の量によって植物の生長速度が決定される)などを提唱して化学肥料を製造する等、応用化学の分野でも貢献をしています。

ユストゥス・フォン・リービッヒ 30Pfennig
リービッヒの肖像

・発行枚数は、500万枚です。
・有効期限は、1954年6月30日です。


1953.6.20 (土曜 Sonnabend, Saturday)

6.ドイツ交通博覧会

 ミュンヘンのドイツ博物館で開かれたドイツ交通博覧会を記念して発行されました。

電車と標識 4Pfennig
鉄道のテーマ(電車と標識)
鳩と手紙と飛行機 10Pfennig
通信のテーマ(鳩と手紙と飛行機=航空郵便)
自動車と信号 20Pfennig
道路のテーマ(自動車と信号)
水路とブイと船 30Pfennig
水上交通のテーマ(水路とブイと船)

・発行枚数は、各500万枚です。
・有効期限は、1954年6月30日です。


1953.7.29 (水曜 Mittwoch, Wednesday)

7.フランクフルト国際切手展(IFRABA)

 フランクフルトで開催された国際切手展を記念して発行されました。

トゥルン・ウント・タクシス家の宮殿の門 10+2Pfennig
フランクフルトにある1741年のトゥルン・ウント・タクシス家の宮殿の門
(トゥルン・ウント・タクシス家はフランクフルトの郵便事業を引き受けていた)
フランクフルト放送局の新社屋 20+3Pfennig
フランクフルト放送局の新社屋

・発行枚数は、138万枚です。
・有効期限は、1954年12月31日です。


1953.11.2 (月曜 Montag, Monday)

8.社会福祉 付加金付き

 恒例の社会福祉の付加金付き切手です。

アウグスト・ヘルマン・フランケ 4+2Pfennig
アウグスト・ヘルマン・フランケ(1663-1727)
プロテスタントの神学者、教育学者。1698年にヨーロッパで最初の近代的孤児院を設立した。当初100人もの孤児に対して、自費で衣服と食事を与えた
ゼバスティアン・クナイプ 10+5Pfennig
ゼバスティアン・クナイプ(1821-1897)
カトリックの司祭。自らの闘病体験を元に、薬物を用いず自然治癒力による療法(クナイプ療法)を提唱し、多くの患者を救った
ヨハン・クリスチャン・ゼンケンベルク 20+10Pfennig
ヨハン・クリスチャン・ゼンケンベルク(1707-1772)
医者。父親と同じくフランクフルトで医者として活躍し、1772年に養老院を設立した。(彼は、この建設現場の足場から落下し、死亡した。)第二次世界大戦の爆撃で施設は大きな損害を被ったが、500万マルクの資金で修復され、現在もこの施設は使用されている。設立当初6つのベッドだったのが、今では302ベッドもあり、ドイツ人以外の患者のために18もの言語の通訳者がいる
フリチョフ・ナンセン 30+10Pfennig
フリチョフ・ナンセン(1861-1930)
ノルウェーの探検家、政治家。1888年から翌年にかけてスキーによるグリーンランド氷原の横断に成功。1893年には船ごと流氷群に囲まれた状態で漂流して北極点に達する計画を立て、出航するも途中で失敗し、1896年にイギリスの探検隊に救助された。1905年以降は政治家に転向。第一次世界大戦後の1919年に国際連盟の難民高等弁務官に就任し、45万人もの捕虜の交換帰国に貢献。さらに戦争による飢餓難民の救済活動として、無国籍難民の為の国際的な身分証明書(いわゆるナンセン・パスポート)を発案し、多数の難民の海外移住を助けた。これらの功績で1922年にノーベル平和賞を受賞。受賞後も、トルコ領内のギリシャ人難民の救済や、アルメニア人難民の救済に活躍した

・発行枚数は、4+2Pfennig切手が290万枚、10+5Pf切手が400万枚、20+10Pf切手が315万枚、30+10Pfennig切手が135万枚です。
・有効期限は、1954年12月31日です。

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