1952年の西ドイツと日本の出来事
1952年
・アメリカ・イギリス・フランスとドイツ条約調印。ドイツはヨーロッパ共同体に編入される
・欧州防衛共同体条約調印。ドイツ国内の占領軍の権限を制限し、内政外交に制約のない主権国家として権力を行使できるようになる
・欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)に加盟
・北西ドイツ放送、テレビ放送を開始
・景気拡大続く
・貿易黒字が定着
・戦前に発行されていた官製の絵葉書の発行を再開
(ソビエトが、統一ドイツの再建を西側に提案)
昭和
27年
・日米行政協定調印
・琉球政府発足
・各地でデモ隊と警官隊が衝突
・東京国際空港(現、羽田空港)業務開始
・GHQ廃止
・立太子礼挙行
・第2次動植物国宝(円位)切手発行
・五重塔航空(円位)切手発行
・立山航空(銭位)(円位)切手発行

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1951年発行の西ドイツ切手へ

1953年発行の西ドイツ切手へ


1952年に発行された西ドイツの切手

1Deutsche Mark(ドイチェ・マルク) = 100Pfennig(ペニヒ)

1952.3.11 (火曜 Dienstag, Tuesday)

1.ポストホルン図案シリーズ 通常切手 

 1951年から1952年にかけて発行されたポストホルン図案シリーズの5回目の登場は、中額面のものです。いずれも凹版印刷です。

50Pf 50Pfennig
20gを超えて40gまでの外信書状、20gまでの市内用書留書状、ブラジル、セイロン宛等の20gごとの書状用航空料金、他
70Pf 70Pfennig
40gを超えて60gまでの外信書状、20gまでの外信書留書状、日本、仏領インドシナ宛等の20gごとの書状用航空料金、他

・有効期限は、1954年12月31日です。


1952.4.15 (火曜 Dienstag, Tuesday)

2.レオナルド・ダ・ビンチ生誕500年

 ルネサンスを代表する芸術家・科学者であるイタリア人のレオナルド・ダ・ビンチ(1452生-1519没)の生誕500年を記念して発行されました。初版(500万枚)と再版(1000万枚)の2種類があります。

モナ・リザ 5Pfennig
レオナルド・ダ・ビンチ画「モナ・リザ」

 初版と再版の違いは、専門的には図案の各所で細かいところが異なりますが、一番わかりやすいのは、モナ・リザの目の部分です。

初版(左)よりも再版(右)の方が、モナ・リザの黒目の部分がはっきりしている

・発行枚数は、1500万枚です。売れたのは1172万6000枚でした。
・光で色落ちしやすいので注意してください。
・有効期限は、1953年12月31日です。


1952.4.16 (水曜 Mittwoch, Wednesday)

3.ポストホルン図案シリーズ追加 通常切手 

 ポストホルン図案シリーズの6回目の登場は、残っていた中額面です。いずれも凹版印刷です。これでポストホルン図案シリーズが一通り揃いました。

80Pf 80Pfennig
20gまでの市外用速達書状、コロンビア、インドネシア宛等の20gごとの書状用航空料金、他
90Pf 90Pfennig
60gを超えて80gまでの外信書状、20gまでの外信速達書状、ベネズエラ、オーストラリア宛等の20gごとの書状用航空料金、他

・有効期限は、1954年12月31日です。

ポストホルン図案シリーズ16種類揃い


1952.6.25 (水曜 Mittwoch, Wednesday)

4.国際ルター学会ハノーバー大会

 7月25日(金)から8月3日(日)にかけてハノーバーで開催される国際ルター学会の会議を記念して発行されました。

マルティン・ルター 10Pfennig
マルティン・ルター(1483生-1546没)の肖像

・発行枚数は、500万枚です。
・有効期限は、1953年12月31日です。


1952.7.25 (金曜 Freitag, Friday)

5.オットー・サイクル75年

 ニコラウス・アウグスト・オットー(ニコラス・オットー)(1832生-1891没)が、1877年に4ストローク・サイクルのガス式内燃機関(オットー・サイクル)で特許を取ってから75年を迎えるのを記念して発行されました。オットーはさらに1884年、種火による点火から電気による点火へ、ガスから液体燃料へ置き換えることにより、移動する装置にも内燃機関の搭載が可能になりました。この内燃機関の原理は、今日の自動車、オートバイに使われています。なお、オットーが1864年3月31日にケルンで設立した「N.A.Otto & Cie」というガス式内燃機関の製造会社は、現在のDEUTZ AG(本社ケルン)です。

ニコラス・オットー 30Pfennig
オットーの肖像とオットー・サイクルの図

・発行枚数は、500万枚です。
・有効期限は、1953年12月31日です。


1952.8.9 (土曜 Sonnabend, Saturday)

6.ニュルンベルクのゲルマン国立博物館100年

 ドイツの先史時代から現在まで130万点もの所蔵品を保有するゲルマン国立博物館が開館100年を迎えるのを記念して発行されました。ゲルマン国立博物館の公式ホームページは、こちらです。

ニュルンベルクのマドンナ 10Pfennig
ニュルンベルクのマドンナ(博物館蔵)

・発行枚数は、150万枚です。
・有効期限は、1953年12月31日です。


1952.9.6 (土曜 Sonnabend, Saturday)

7.ヘルゴラント島返還

 第二次世界大戦後イギリス軍が占領していたヘルゴラント島が、3月1日(土)にドイツに返還されたことを記念して発行されました。ドイツ名はヘルゴラント(Helgoland)、イギリス名はヘリゴランド(Heligoland)、ドイツの北海沿岸地方で話されるフリース語(フリジア語)ではLun、または、Hålilönjです。
 ヘルゴラント島は細長い三角形の形をしていて、1.7平方キロメートルほどの小さな島で、フリース語を話す少数民族が住んでおり、2006年末の住民は1333名です。(公用語はドイツ語。)現在は2つの島に分かれていますが、1720年まではそれらは砂州でつながっていて、暴風雨により分断されました。
 戦前は、ドイツ軍の潜水艦基地と要塞が作られていましたが、1945年4月18日の大空襲でドイツ軍が撤退。2年後の1947年4月18日13時にイギリス軍が魚雷4,000本、水中機雷9,000個、各種口径の榴弾91,000個等合計6700トンもの火薬を使って旧ドイツ軍の施設を破壊しました。火薬の量が多かったので、島までも一部が破壊されました。
 ヘルゴラントの公式ホームページはこちらです。島の様子を写すWebカメラはこちらです。

漁船とヘルゴラント島 20Pfennig
北海を航行する漁船とヘルゴラント島

・発行枚数は、500万枚です。
・有効期限は、1953年12月31日です。


1952.9.17 (水曜 Mittwoch, Wednesday)

8.第二次ドイツ連邦青年育成計画 付加金付き

 第二次ドイツ連邦青年育成計画を記念して発行されました。第一次青年育成計画は、ドイツ連邦が発足した翌年の1950年12月18日に、14〜18歳の青年を対象とした政治的啓蒙と文化活動の奨励を目的として、1,750万マルクの予算で実施されました。これは、第三帝国時代の誤った青年教育の影響を排除するためにも、率先してやるべき事の一つではなかったかと思われます。このときは切手の方は、発行されませんでした。なお、1993年までは青年を対象としていましたが、翌年からは低年齢の少年も対象になり、青少年育成計画として現在も続いています。

青年とユースホステル 10+2Pfennig
旅行する青年(男性)とユースホステル
青年とユースホステル 20+3Pfennig
旅行する青年(女性)とユースホステル

・発行枚数は、各150万枚です。
・有効期限は、1954年6月30日です。


1952.9.17 (水曜 Mittwoch, Wednesday)

9.カール・シュルツ渡米100年

 政治家のカール・シュルツ(1829生-1906没)の渡米100年を記念して発行されました。シュルツは、1848年のドイツ革命に参加してチューリッヒへ亡命。パリ、ロンドンと渡りながら、1852年にフィラデルフィアへ移住。アメリカでは政治家として活躍し、1861年にはリンカーン大統領からスペイン大使に任命され、大使辞職後は南北戦争の北軍としてゲティスバーグの戦い等に参加。1869年にはアメリカ合衆国上院議員になりました。

カール・シュルツ 20Pfennig
シュルツの肖像と世界地図

・発行枚数は、500万枚です。
・有効期限は、1953年12月31日です。


1952.10.1 (水曜 Mittwoch, Wednesday)

10.社会福祉 付加金付き

 恒例の社会福祉の付加金付き切手です。一部の切手は、付加金が増えています。

エリザベス・フライ 4+2Pfennig
エリザベス・フライ(1780-1845)
イギリスの社会福祉活動家。1813年にニューゲイト監獄を訪れた際に、狭い部屋に女性の囚人達がその子供まで押し込められ、一緒に床に寝ているという待遇の悲惨さに衝撃を受け、1817年に女性収監者の待遇改善のための協会を創設する。この活動が、後の囚人への待遇改善につながった
カール・ゾンネンシャイン 10+5Pfennig
カール・ゾンネンシャイン(1876-1929)
カトリックの司祭。第一次世界大戦の復員軍人の就学支援や就職支援の活動を行った
テオドール・フリートナー 20+10Pfennig
テオドール・フリートナー(1800-1864)
プロテスタントの牧師。1833年、釈放された女性囚人に対して社会復帰のための施設を設立し、1836年にはライン=ヴェストファーレン救恤婦人会を創設。また、1852年に女性の精神病患者のための病院を設立した
ジャン・アンリ・デュナン 30+10Pfennig
ジャン・アンリ・デュナン(1828-1910)
スイスの実業家、博愛主義者。1859年のイタリア統一戦争の際に、激戦地ソルフェリーノの戦場に取り残されたおびただしい数の戦傷者の救護に参加し、1862年に著作「ソルフェリーノの思い出」の中で、敵味方を区別することなく中立的な立場で戦傷者を救護する必要性を説く。1863年に16カ国代表がジュネーブで国際会議を開き、赤十字国際委員会と各国が赤十字社を1つずつ設立することを決定し、翌1864年にヨーロッパ諸国の間でジュネーブ条約(赤十字条約)が調印された。1901年に第1回ノーベル平和賞をフレデリック・パシーと一緒に受賞。デュナンは、この賞金を全額赤十字に寄付した。世界赤十字デーの5月8日は、デュナンの誕生日である

・発行枚数は、4+2Pfennig切手が250万枚、10+5Pf切手が350万枚、20+10Pf切手が300万枚、30+10Pfennig切手が130万枚です。
・有効期限は、1953年12月31日です。


1952.10.25 (土曜 Sonnabend, Saturday)

11.切手の日 トゥルン・ウント・タクシス切手発行100年

 ドイツでは、戦前に「切手の日」というテーマの切手がいくつか発行されています。戦後は、切手100年や切手展を記念したものが発行されていますが、明確に「切手の日」と銘打った切手は、西ドイツではこれが最初です。
 1868年に北ドイツ連邦ができる前のドイツでは、ドイツは一つの国ではなく、たくさんの国に分かれていました。そして、それらの国が直轄して郵便事業を行っているのではなく、すでにヨーロッパで広く郵便事業を手がけていたトゥルン・ウント・タクシス家に郵便事業をゆだねるケースが多くありました。そのトゥルン・ウント・タクシス家が1852年1月1日に切手を発行して100年を迎えるのもかねて発行されました。普通、切手発行100年がメインの目的であれば、1月に発行されているはずですが、「切手の日」がテーマであるため、遅れて10月に発行された形になっています。

トゥルン・ウント・タクシス家の郵便馬車 10Pfennig
1846年当時のトゥルン・ウント・タクシス家の郵便馬車

・発行枚数は、1000万枚です。
・有効期限は、1953年12月31日です。


1952.10.27 (月曜 Montag, Monday)

12.電話75年

 ドイツで最初に電話が敷設されてから75年を迎えるのを記念して発行されました。最初に電話の原型を開発し、これにTelefonと名付けたのは、ドイツ人の物理学者・発明家であるフィリップ・ライス(1834生-1874没)ですが、彼の死後、アメリカのグラハム・ベルが電話の特許を取得して、ベルの方が電話の発明者として有名になってしまいました。ライスの生地であるゲルンハウゼンでは、「電話(Telephon)の発明者フィリップ・ライス」という記念碑があります。

フィリップ・ライス 30Pfennig
ライスの肖像

・発行枚数は、500万枚です。
・有効期限は、1953年12月31日です。

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