◆音楽よもやま話◆ 音楽全般について+αの日記のようなものです。




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2002年12月30日(月) ♪キーボーディスト&プログラマー

さてさて、今年も残すところ後1日、読み直すとここでも、随分好き勝手いってきましたなぁ(^^;。
お腹立ちの方もいらしたのでは、失礼いたしました。でも多分来年もトンチンカンなこと語ると思います。ご容赦を。

先日BBSでも書きましたが、今年は私の中に2代ヒーローのキーボディストさんがいらっしゃいまして、Matsz氏と本田海月氏。
このお2人がつくられた、いわゆる自主制作盤ということになるのでしょうか、個人で自宅録音のMatszさんと、ユニットでスタジオも使用された本田さんと、
厳密には形態異なりますが、あまり他人というファクターを通していないだろう思われる作品。まったくスタイルは違いますが、それぞれに非常に感銘を憶えました。

音うさのもともとのコンセプトでもある、「売れてる作品は山ほどあるけど、ものすごく愛されてるかというと、すぐ中古CD屋に流れたり、なんでこれが売れてるのだろうかと思ったり、
そうじゃなくて、いつまでも手元に置いておきたい良い音楽を聴きたい、お知らせしたい。」というところから、出会えてよかったと思った2作品でした。

簡単ではありますが、今年のlast worksとして、「WinD sOngS」「上弦の月」紹介アップさせていただきました。

来年も、こ〜いったアルバムが増えるとよいな。アーティストのみなさん、よろしくお願いいたします。

2002年12月22日(日) ♪死蔵物お披露目・・・?

うちには作りかけたまま、ほったらかしになってる作品が結構あります(^^;。
その中で比較的状態のよいものに、夕べこっそり鼻歌をいれてアップしてみました。音楽サイトとして、年に一回ぐらいは載せてみようかと。
ほんとはとしさんの歌うべき作品です。へんな歌にしてしまってスミマセン(苦笑)。セクシー鼻歌バージョン一発取り、興味がおありでしたら、こちらです。
バックは・・・90年代はわりとお洒落系にとしさんが走りましたので、そ〜ゆ〜作品です。
・・・来年はも少しがんばります。

2002年12月2日(月) ♪上弦の月

閉店ぎりぎりに空夜のアルバム「上弦の月」を手にした。
なぜだか胸騒ぎがする。電車で座るまでまてない。
ムショウに聴きたくなって、新宿の地下道で、突然バックを投げ出ししゃがみこむ。
スカートのすそも気にせず。パッケージをひきちぎり、CDプレーヤーにはめ込む。
ほんとは滑稽な光景なのかもしれないが、なんでもありの新宿はこんなときにはやさしい。
通り過ぎる人は誰も気にとめない。
立ち上がって、すそをはたき、再生ボタンに指を置く・・・
いきなり耳に飛び込む、ハードチューン、「
えっ、これが空夜?

・・・などと三文小説風にはいってみましたが(笑)、いいです。空夜。めちゃめちゃいい。
てか、生ドラム?そういえば、テツさんの名前がmiyoさんだったか日記にあったっけ?向山テツさん?
クレジットみたら2曲ほど(あとは打ち込み。)おぉ、小柴さんつながりかしら、低いシンバル位置でたたかれたんでしょうね(^^;
もちろんハードなものだけではなく、どうしようもなく切ないものから優しいものまで、それでなんというのか、切ないものは詞もメロディも歌も音もアレンジもみ〜んな切ない。
その一体感ってゆ〜のはこれまでにない独特で雅かな世界だと思いました。でも情熱もみなぎってる。
すっかりその世界にはいってしまった私は、すべてがとまってしまい。約束してたとしさんに連絡つけるのさえも忘れた。電車でケータイが振るえて、焼肉食べようと駅で待ち合わせる。

R:「ごめん、空夜が驚くほどよくて、やることすべて忘れちゃった。」
T:「なんだよそら。そりゃ、ftaが好きなんだから、好きだろうよ。」
R:「ちっがうの。そうなんだけど。違うの。」
T:「どーゆー風に?」
R:「・・・うんと、たとえばftaはリズムの音とか、パシャって感じじゃない。」
T:「あぁ、それがスコーンと抜ける感じなの?」
R:「う〜ん、そこまでぢゃない。パシャーん、ターンって感じ?^^;リバービー?」
T:「???もういい、お前のいってることはさっぱりわからん。あとで聴くから。もう焼肉食わなきゃ死んじゃうよ。」
R:「そうだね。私も。」

とそんなことで簡単に死ぬらしい二人は焼肉屋にいき、満腹満足で帰宅。

そしてCDプレーヤーに「上弦の月」滑り込ませる・・・。

T:「・・・本田海月、恐るべし!

上弦の月の感想に上限はないと思う・・・一言では語り尽くせません。まずはお聞きください。・・・とひとまず、我々の反応まで・・・。

2002年11月15日(金) ♪未来の楽譜?

昨日は帰りに楽器屋によって用事を済ませながら、ちょっとエレピなんぞ弾いてみたくなって試奏してみた。
その機種には、クラシックからポップスからのデモがはいっていて、ただの練習曲とかでも、ちょっと豪華にオケバックにアレンジされていたりして、なかなかかっこよい。
さらに譜面台のところに、電子的な(笑)楽譜が映し出され、デモの音を消して、楽譜追いながら、オケにあわせて弾けるといった代物。ためしにモーツアルトのソナタ、
う〜んK何番だっけか、有名なやつ(笑)。ド〜ミソ、シ〜ドレド〜ってやつです(わからんて^^;)。を右手だけ消して(笑)、右手だけ弾いていたんですけど。
弾けなひ〜。指がついていかなひ〜。
左手が退化しているのはきづいていただが、右がここまでとは、ヤバイな〜(汗)。
それにしても、楽譜の表示幅の関係か、音域の広いその曲は、やったらオクターブ記号がつかわれてて、曲が早いこともあって、オクターブ勘違いしやすく、譜面追いかけるの大変でした。私だけ?(笑)
子供さんとか弾き始めの人とか大丈夫なのかなぁ、あ〜ゆ〜譜面に慣れちゃっても。
これからは、楽譜も紙じゃなくて、薄いディスプレイ1つ譜面台に置いて、テンポ決めたらそれにあわせて、音符が進んでいき、人間はそこを追いかけるだけになったりして(苦笑)。
個々の解釈も表現もあったもんじゃないわね(^^;。

2002年11月1日(金) ♪結婚記念日

なんというか、下手の横好きっていうんでしょうか、究めたものは何ひとつなく、ちょこちょこいろんなことがやってみたい。
そんな私の物心ついたときの夢は、結婚式には手作りの招待状を送って、自分で縫ったドレスを着て、自分の焼いたケーキをお客さんに振舞う。
そしてBGMも自作で。などという可愛いもんでした。
かろうじて20代(笑)であった私の乙女な夢は、式場への衣装の持ち込み禁止等により、いくつか叶えられませんでしたが、(その分2次会で好き放題)
自分たちの曲だけを流そうという計画は遂行できることになったのです。
BGM程度のもともとある曲はともかくとして、やはり、ポイントにはそれらしい曲がいるだろう・・・と。普通であれば、彼のためにせっせとブライダルエステにでも通うだろう頃、
ワタクシはシンセを前に、「入場の曲」、「ケーキカットの曲」など、それらしきフレーズ曲をせっせと作っておりまして(爆)。髪ボサボサ、お肌ボロボロ。
さらにメインに、2人で歌う(えぇ、まったく人の迷惑かえりみてません・笑)新曲があって、曲をとしさん、アレンジは2人、で、苦手な詞をワタクシが担当したんですが、
これがなかなか、これといったものができない。としさんには「なんだよ、それ」といわれて喧嘩になり、式の前日まで喧喧諤諤、
(先日どこぞで伺った、詞が出来ず蒸発したくなる気持ち、実はよくわかります・笑)
なにしろ、時間がなくハモリの練習は、電話でやったという(^^;。それでも詞は最後まで落ち着かず、私は大泣きで、
結局、お義父さんの「どうせ歌詞なんて、そんなに聞こえないから・・・。」というナイスフォロー(なのか?^^;)により、丸くおさまったのでした。
ま、そんな泣き虫乙女も、10年ですっかり貫禄がついたとさ。おしまい。

2002年10月12日(土) ♪レベッカ

何気なくつけたCSで87〜89年のレベッカのライヴを3、4本やってた。全盛期のレベッカ、やっぱりすごいわ。鳥肌がたった。
NOKKOの神がかったボーカル、もう、上手いとか下手とかそういったものを越えてましたね。パーソナリティの若い女の子が「男らしい」っていってたけど、まさにそんな感じ。
あの小さな体のどこから、あんなパワーがって感じでした。いつだかテレビでみたジュディ・マリライヴのゆきちゃん、かっこいいと思ったけど、パワーではNOKKOの方が上かも・・・。

土橋さんのキーボードは私がバンドを熱心にやっていたとき、一番研究した人で、というより、一時期アレンジのほとんどは、土橋さんを参考にさせていただいたといっても過言じゃないかも。
バラードとかも、ピアノ使えってよくメンバーにいわれたんだけど(笑)、あのピアノ以外で表現するきらびやかなバラードに当時惚れていたのです。
めちゃめちゃライヴバンドだったけど、アルバムとしてもそれはそれはセンスがよくクウォリティ高くて、土橋さんのなせる技だろうな・・・。

そうそう、早稲田のゲリラライヴビデオとかあったなぁ、雨の中、あれもかっこよかった。。。。ライヴ映像ではイチニを争う好きさ加減かもしれません。
結局、レベッカのライヴには一度もいかなかった。改めて後悔・・・。

NOKKOさん・・・最近何されてるのでしょうか・・・、同じ歳だった気がする・・・。

2002年9月24日(火) ♪DTM

夏休み中に「singer song writer」をインストールした。今は画面上で音符切り貼りして遊んでるけど、これはやっぱりキーボードつなげないと仕方ないんだろうな(笑)。
ひとまず、ついていたソフトシンセをいれてみたけど。となると外部音源か・・・(とりあえずシンセもってるんだからつなげよって感じなんですが・^^;)。
「音はこんなもんなのか?」「なんか遅れて聞こえないか?」横でツレがいろいろつっこむ。音は音源の問題かと、ちょっと待って、私だってよくわかんないんだから〜。

2002年8月18日(日) ♪バーチャルな音楽

こんな聴かれ方をして作者が嬉しいかどうかわからないのですが、以下作品「WinD sOngS」に興味を持ったのは、基本自宅録音でこれだけのリアルなサウンドが創れるという、
現在の技術と、ご本人の力量に驚いて。も理由のひとつなのです。
私がリアルだとか本物(意味一緒ですが^^;)といっているのは、バーチャルな中での表現力としての感動から。と思っていただければと思います。
もちろん、本物の楽器をもってくれば、それなりのものはある意味当たり前にできるはずで、リアリティという意味では絶対的なものだと思います。
でもそれをバーチャルな空間、卓上でやってしまうという、すごさ、恐ろしさをこのアルバムに感じました。

ず〜っと前にもここで書いた気がするんですが、本物を表現するためには、それぞれの楽器の特徴をわかっていなければならない。音域はもちろん、演奏法も、楽器の癖も。
これはたぶん、私が小さい頃から、エレクトーンやほかのキーボードで「フルート」「ヴィオリン」「ストリングス」とか、
あまりにうそ臭いネーミングが付いた造られた音を、ただ鍵盤上でピアノやオルガンと同じ奏法で弾いていたときの気持ち悪さ。からのトラウマなのかも知れませんが、
あるいはバンドの中で一番いろいろな楽器の音を求められる、キーボードをやっていた(いる?)ということもあるのかも知れませんが、どうやったらそれらしい音がだせるんだろうという気持ちはついてまわるものでした。
サンプリングという技術ができて、15年ちょっと前ぐらいですかね、その時、こりゃスゴイと。でもやっぱりただ鍵盤で弾いても、楽器によってはあまりにかけ離れてるなぁと。

先日BBSでmatszさんに「ギターフレーズはご自分で弾かれてるのですか?」と伺って「ソロなどあれだけ弾けるのなら、ギタリストとしてやってると思います。」と笑われてしまったのですが(笑・そりゃそーだ)、
この質問には、まるまるバリバリに弾いているのか?(=上モノとして録音か)というより、(私なりにきれい系な音のピッキングやFBなどバーチャルを感じたりしますので)
どこまで「フレーズ」として取り込まれてるのだろうかと思いまして、仕組みを理解していないからなおさらなんですが、音としてとってフレーズを組み立てているなら、楽器表現の推移を表すには気の遠くなる作業なのでは?とか。
歪んだ音などではリアルさが増してますし(処理にもよるのかもしれませんが)、こーゆーのはある程度かたまりフレーズで弾いてしまうのかなぁとか。
私にとっては不思議がいっぱいだったのです。

ほんとにナチュラルで心地よいアルバムで、このような聴き方をする必要はないですが、私はそんなことも思いながらつい聴いてしまいました。
作品のやさしさの陰には技術だけでなく、強靭な精神力と集中力が隠されているとお察しします。

2002年8月16日(金) ♪matsz氏のソロアルバム「WinD sOngS」

matszさん(RXキーボーディストの松崎氏)の初のソロアルバムが、氏のサイトで発表され、Web限定発売ということで本日手にしました。
サイトでフルの視聴もできるのですが、やはり音質、広がり・・・、CDを購入されることを絶対的にオススメいたします。サンプリングによる生楽器以上の生楽器も必聴。
おそらく1年以上の月日をかけての発表となった作品。その完成度は「なぜこれが1,500円??」と驚くことでしょう。
キーボードやプログラミングはもちろん、ヴォーカル、ギターもmatszさんがされています。ゲストプレイヤーにRXでもお馴染みのソプラノサックスの岩佐真帆呂氏が2曲参加。
ほのかに外国の香りがする、やさしく熱いアルバムです。これはホントに買いです!!ぜひこちらから。

2002年8月2日(金) ♪アーティストって

アーティストや作品について、好きだとか嫌いだとか、こうすればよいとか、そのままでよいとか、いろんな人の話を聞くたび、アートって何だろ?って思います。
それは音楽でも絵画でも伝統芸能でも・・・。

・・・私は結局「創り手次第」なのかなと思っているのですが。
創り手が売りたいのであれば、多少自分を殺してでもニーズにあったものをつくられればいいし、採算を考えていないなら、徹底して自分の世界をつらぬかれればよいのではと。
後者は食べる手段を別においている?売れなくても、やりたいことがそれなら仕方ない。というか、そんな作品もありでしょう(^^;。
商業ベースに乗せず、その中でやっぱりその人やその人の世界が好きっていう人がいるんだから無理に自分を変える必要はないのではないかと。
同じ創り手でも作品によって意図を変えてる場合もあるかも知れません。
受け入れる側は「そんなに大衆的なものでいいんかい?」と思っても、「そんな自己満足なもんでいいんかい?」と思っても、
もしアーティストが本気だと感じたら、わかった上でどう選択するかを決定するしかないんじゃないですかね。。。

自分の気にいったアート作品(器でも曲でも)が、既成のものでなく、自分がいちからこと細かく指示して作ってもらったものだ。という人はほとんどいないと思います。
たまたまその創り手がつくったものを、気にいっただけ。それを創り手の手法、方向が変わったからといって口をはさむことは難しいのでは?モチロン感想を伝えることは大事ですが。

つまらないワタクシごとですが、ワタクシの曲を聴いたことがある方は少ないと思うのですが(爆)、
どれもとってもふつ〜の曲です。キャッチーといえばキャッチーなのかも知れませんが(笑)、つるっと流れる曲世界だと思います。
一生懸命やってるころから、ツレには「ひねりがない。」とか「あまりにふつ〜すぎる」とか散々いわれてきました(笑)。
でも、私はそれが好きで、良いと思ってやっているわけで、変えるつもりはなく、その世界が好きだといってくださる方もいたのでそのままきました。(人様のアレンジ等は別として)
とくにプロになるわけでもないから余計なんですが。でもアートってそんなものなのでは・・・と思うのですよ。

…後はアーティストさんが、自分がファンに与えてきた「もの」だけでなくメンタルな部分について、どう考えられる。かな。。。
でもアートとは別次元の話・・・。だからなおさらややこしい?

2002年7月21日(日) ♪新コンテンツ「お唄のれっすん」

新しいコーナーを昨日立ち上げましたぁ。「お唄のれっすん」 その名のとおり、歌うことについて書いていきたいと思います。
「歌うこと」については、やっぱりいいたいこといろいろあるのですよ(笑)。「音楽よもやま話」では収まらないほど(笑)。
ピアノについては、ほとんどないんですけどね(^^;、やっぱり、「気がついてたときにはやってた」というか、「やらされてた」というものより、
やりたくて仕方なかったもののほうが、工夫も努力もしているから。そのあたり、少しずつ書いていきます。

きのうからなぜかジャーニーが聴きたくなって、ベスト聴いてます。いや、この季節にあいますなぁ、あのサワヤカさ。

2002年6月19日(水) ♪豪快な指揮者

指揮者の山本直純氏が亡くなった。学生時代、短期講座だったか公開レッスンだったか、一度指揮法のレッスンを受けたことがある。
テレビのまんま豪快だけど、でもやっぱり指揮者らしく繊細で笑顔の優しい先生だった。思ってたより小柄だなと思った記憶が。。。
新聞の小沢征爾氏のコメントは「自分は音楽の底辺を広げるので、オマエは世界を目指せといわれた。」だった。なるほど。もっとも大衆に親しまれた指揮者かもしれない。
昭和を駆け抜けた音楽家がまた一人・・・。合掌。
そういえば私と同じ年の息子さんがいたなぁ。中学時代、偶然文化祭でチェロを弾く姿をみかけたことがある(謎)。その道に進まれたはずだが。。。

2002年6月9日(日) ♪裏話・・・(本番編)

・・・ということで本番話。今回もれい個人のお話。。

SEのF.O.を待ってストリングスのシンセから始まる、が、な〜んか、どこではいるかあまり理解してなかったらしく(^^;。適当に入ったら(ヲイ)、メンバーがこっちを見る。
あら、違ったみたいね。ごめん。またそれらしきところで入ってみる。今度はあってたみたいだ。。。。

♪お宝〜大切な君だから(JIGGER'S SON)
♪告白(JIGGER'S SON)
わたくし的には、音色切り替えが多く、ピアノとヴォーカルなど目立つパートも多く、さらにツインヴォーカルに近いコーラスもあるぅ。と初っ端から二重苦三重苦状態。
さらに、シンセ二台にしたことにより、最近追加した速いフレーズは、これまで3回に1回ぐらいしか成功してない(^^;。一番はダメ、二番はなんとか(^^;。

MCの間、次の曲との直前にお手伝いのK君が飛んできて、「もう少しシンセ音あげてください。」という。
ちょっと動揺、ピアノからのバラード、テンポを見失い少し遅めに出てしまう。やばっ、でもまっいっか。。。。
♪流れ星が見える丘(JIGGER'S SON)
ピアノとヴォーカルとコーラス。とにかくヴォーカルときれいにハモることだけに神経を集中して演奏する。

ここで弦楽器陣の楽器チェンジ。。。そう、これも初めての経験なんですが、ヴォーカルの関係で、曲によってレギュラーと、ハーフダウンチューニングが発生することになった。
ゆえにギターもベースも最低2本、ヨッシーにいたっては、ボトルネックで和音を出したいとかで、変則チューニングのギターありで3本。
置く所もないもんで(^^;、ローディー?のK君に手渡ししてもらうかっこよさ(笑)。
シンセは都度、キー・トランスポーズで設定、基本固定ドのわたしとしては、ミスタッチの元にもなり、ツライとこもあったんですが、そこはなんとか慣れて、でも二台を曲によって設定するのは、最後まで設定忘れしないようにとドキドキだったぁ。。。

♪Endless Night(青木秀一)
♪がらすのゆめ(face to ace)
♪夢と共に歩こう(THE OUTSIDERS)

最初がギターとヴォーカルだけのバラード。二部の女性コーラスが入る。あっ5/11の日記に登場したヤツ(^^;、結局次のスタジオまで渡せなかった。が、あんな読みづらい手書きの譜面、初見で歌うまーちゃんはさすがだと思った。
しかし、転調するソロをささえるコーラスが、どうもわたしたちには力不足で、急遽本番2日前に「ソロだけVOICE系のシンセにしよう・・・」と勝手に決めた。
本番当日のリハでいきなりかえて、ソロを弾くヨッシーに事後報告すると「あぁ、そうだったんだぁ。今日うめぇなぁと思ったんだ・・・」って・・・はは・・・キツ〜っ(^^;。
「がらすのゆめ」はもう精神誠意(笑)。ギターパートだけ気にしてると、「カーン」というエフェクトを弾き忘れる。ノリたいんだけど一番余裕がなかった曲です。笑顔にするのが精一杯(笑)。
「夢共」は呪われてるのかってぐらい、ミスタッチが多くて、ほんとすみません・・・。指が違うキーを弾いたまま、そのままずれたキーで引き続けてしまうという、あまり経験のないことを。。。唯一メインシンセを変えた曲で、モニターの応急処置をしなかったのが余計まずかったんだと思いまする。アウトファンがいらっしゃらなくてよかったと・・・。(そーゆー問題か?;)

再び、楽器チェンジ。としさんのMCで繋ぐ。
♪a place in THE HEART(三上博史)
♪Film(JIGGER'S SON)

オルガンを使った曲がラスト2曲。といっても2曲めは、原曲にキーボードが入っていないので、れいオリジナル(笑)。ノリ的には誰が聴いてもオルガンかなぁと思ったので、でも勢いのあるギターがかっこいいので、それを邪魔しないフレーズをとなるべくユニゾンにしたり、コード弾きにしてみました。ま、もっとも望まれてもたいした技はかけられないけど(笑)。
このあたりはだいぶみんなのよいグルーブがでてきたのでは・・・。弾いてるほうもエラく楽しかった。

・・・・・・お陰様でお約束のようにアンコールがくる(笑)。
ここで登場したのが、練習は後一回でっせ?っという、5/22の日記にある「バンマスから突如メールが届き、やることになった新曲」(笑)。
結局、25日のスタジオで数回、本番直前のリハでちょっと、計4、5回あわせて本番に臨んでしまったという恐ろしい曲(^^;。

えぇ、知らない人はいないだろうという名曲中の名曲「Smoke On The Water」です(笑)。
ターさんのギターから入る。もう水を得た魚のようにギターが鳴る。歓声があがる。25hoursサイズになっているし、歌詞はとしさん即興で「打ち上げ行こう」とか、「トルシエジャパン応援しましょ」とか王様状態でしたが、はっきりいって一番盛り上がりました(笑)。練習もね・・・。みんな骨の髄まで染み付いてるんでしょうね。わたしも高校の時、デタラメコピーして以来ですが、なんとか形になるもんです(^^;。

いやぁ〜、むっちゃ楽しかった。

■■

世間はワールドカップ一色ですなぁ。スポーツに興味のない私でも、いろんなものが目や耳に飛び込んでくる。
まだ開催前のこと、何気に見ていたテレビ番組のインタヴューに中田選手が出ていて、「日本でやることに選手はプレッシャーは?」って聞かれていました。
極端にプレッシャーに弱い私は耳がダンボ(^^;。「どれだけ自分が楽しんでプレイができるか、そうすれば周りは気にならないと思います。」確かそんなことを。。。そして「お客さんによるところも大きい。」というようなことも・・・。

あぁぁぁぁ、そうかぁぁぁぁ、ジャンルは違うけどすごく心に残った。そういえば、一生懸命やろう、ちゃんとやろうと思ったことはあっても、楽しんでやろうと思ったことはなかったかもしれない。多少失敗しても空回りしてもいい、今回はとにかく自分が楽しむことに専念しよう。そう密か(^^;に心に誓いました。そしてお客さんにもとても助けられた。ミュージシャンを殺すも生かすもお客さん次第ということを、久々実感しました。ありがとうございました。

さらにキーボーディストのMさんや、ライヴ直前にお話できたHさんの言葉はとても励みになった。ありがとうございました。

■■

ライヴのレポートや感想は、邪悉茗亭さんや、ロワン☆ディシーさんちで見られます。さんきゅです。 

2002年6月8日(土) ♪裏話・・・(本番まで)

久々のライヴから1週間たちました。へたれな私は目の前のことに終われ、シンセもその辺に転がしっぱなしでしたが、今日は十分寝て英気を養ったので裏話なんぞ。。。
あ、れい個人の話です。読みたい人がいるかわかんないけど(笑)、日記もかねてるんで。

今回とにかくみんな揃ってのリハーサル時間が取れなかった。昔だったら週1、ライヴ直前だったら週2で入ってたかもしれないのに、基本が月1で3時間、5月は月2かな?
個人練習がきちんとしていれば、リハはそんなに・・・という考えの持ち主が多い集団で、私自身もそう思ってるんですが、私は個人的なその練習も・・・???(^^;。
特に限られたスタジオで、ついギターとヴォーカルだけとかピアノのヴォーカルだけという箇所は後回しになったり、カットされたりする。そこに不安が・・・。
ヴォーカルと一緒に暮らしてるからといって(笑)、四六時中一緒に練習してるわけじゃありませんし・・・、
ってゆーか、私は「つるの恩返し」状態でひとりでこもって、音作りなり、練習するのが性にあっているもんで、やっているときは側に誰も寄せ付けない(^^;。
完成したものに何かいわれる以上に、途中段階に意見されるのがお気に召さない性格なんで、節目節目でしかヴォーカルとあわせることはない(笑)。
そもそもそんなことで喧嘩すれば、日常の生活にも支障きたしますんで・・・はは。。。いつものこととはいえ、ピリピリしてるし、迷惑だったと思いますわ(^^;。

当日は、11時頃、迎えに来てくれたSABUちゃんをお待たせして明太子スパゲッティをかき込み、車に乗り込む。
12時から2時間スタジオをとったんです。疲れる元とはなりましたが、そのスタジオが実は本番のステージのため、えっとつまり、ライヴハウスがレンタルスタジオをやっていて、そこの一番広いスタジオが、その日のライヴハウスなんですわ。なので、とても本番の雰囲気がつかめたのはラッキぃ。
休憩と打ち合わせ後リハ、逆リハなので最後に出演の我々は練習後の機材もバラさなくて済んだんで、それもらっきぃ。
しかし、ここんとこ変形のスタジオで練習してることが多かったんで、小さめのステージ、シンバルが耳元にあるようなセッティングでモニターが上手くできず焦る。
私の前に陣取ってるヨッシーもアンプをいろいろ角度かえてる。音の粒がはっきり出るライヴハウスだと。ひぇ〜粗が目立つぅ。ふぅど〜なることやら。

本番まで思い思いに過ごす、開演前メンバーでお茶して(各々家を出た頃から6、7時間たっており、既にお疲れモード)、ぼ〜っとしながらライヴハウスに向かう。
入口の階段に腰掛けた大きな花束を抱えたお姉さんに目がいく、「学生バンドの子たちのファンかなぁ?」と思ったら、日津樹ちゃんだったと後で知る(^^;。

楽屋は4畳半ほど?、楽器が所狭しと並んでる。奥に同じぐらいの広さのトイレがある。出演者は全員で16名、女性はまーちゃんと二人だけなので、
色々着替えとか気ぃつかっていただいてすみません。
前日に考えた衣装は、オフホワイトのすと〜んとしたシンプルなワンピース。ポイントに直径4センチぐらいの花のついたペンダントとブレスレット。淵にオーガンジーのフリルのついたオフホワイトの帽子。
初め、肩紐のスパンコールついたニットにレースモノのニットの重ね着とか考えたんですけどね、やっぱり太った体におかしかろうと・・・(^^;。
後は顔塗りなおして(笑)、もうラメラメ。。。首筋にもラメの入ったジェルを塗って、まーちゃんに貸して「すっごく汗かいたみたいに光ってるよね。」とか、
お化粧の話とか、こーゆーとき女の子(?異存は却下・笑)どーしは楽しい。和みます。

次々、メンバー宛て楽屋にとどくお花やお酒、たずねてくるお客さん。
そのたび、ローディー(なのか^^;)の若いKくんが、「ここに置きますね」「○○さんが見えてますが、今会いますか?後にしますか?」などと気を遣ってくれる。
としさんと昔一緒に仕事をしていた彼は、某ライヴハウスで働いていて、自らもパンキッシュなロックバンドを率いるアーティスト(ミュージシャンではなくアーティストなのだそうです。)、お手伝いにきてくれました。
とてももよく動かれて、気が効いて、一人でぼっと楽屋に座ってると「ドア閉めたほうが落ち着きますよね」と片付けてしめてくれたり、気持ちよい状態にもっていってくれるのでとても助かりました。さんきゅですぅ。

かっこいい学生ロックバンドと、テクニカルなフュージョンバンドに続いて、いよいよ本番。青木秀一さんのソロアルバムが流れる中、ステージに向かいました。

・・・ってやっぱ、レポートになってるよね。だめだ、手法?が体に染み付いてるらしい(^^;。・・・続きは後日(笑)。

2002年6月4日(火) ♪25hours(ギタセク編)

思い起こせば去年の今ごろ、各々コンスタントに活動を続けているベースのSABUちゃんと、ドラムのまーちゃんから、「またバンドやろぉ」と交互にメールがきたり、電話が来たり。
はたまた、飲めばバンドやってないのは罪悪のようにいわれ(笑)、としさんはまーちゃんに「弱気だ」とののしられ?(笑)、挙句音うさのBBSにまでも「やろうよ」カキコが続く・・・(爆)、
そんなリズムセクションの執拗な脅し(笑)に負けて、再開することになったバンド活動でした(笑)。

やるなら、ツインギターでやりたいととしさんに申し出た。
としは個性的なVoです。メンバーである演奏陣が、場合によってソロとバックバンドのように見えることがある。…そこにはアタシもいるんですけどね(^^;。
ツインギターでフロントを強調したい、としと張れる強力なギタリストがほしいと思ったのです。(これは完全に某バンドの影響うけてますが・笑)

・・・頭に浮かんだのはひょんなことで再会した、ターさんというギタリスト。
としさんがかつて一緒に活動していたメンバーで、ルックス、パフォーマンス性ともに、彼しかいないと密かに思っていた華やかなひと。実力も太鼓判。。。
私はファンだったことはあっても(笑)、ご一緒したことなかったんですけど。。。
が、はじめてのスタジオの日、鏡に向かって演奏する彼をみて、「よしよし・・・やっぱりとしさんと同じ血が流れてる。」とほくそえんだものでした(^^;。そ〜こなくっちゃっ!

これでツインがいけると喜んだのもつかの間、もともとのギタリストが仕事が忙しくて、参加できないという事態が。。
あぁ私のツインの夢は潰えるのか・・・そこに浮かんだ、もう一人のギタリスト。ヨッシー。
ルックス抜群(またかい・笑)、ターさんのような華やかさはないけれど、存在感があり、きっちりした演奏をされる。そしてなにより魅力を感じたのは、歌がうまい。音程が正確。
もう10年近く前になりますが、コーラスとしてとしさんのイベントバンドに参加したことがありまして、そのとき、ギター兼コーラスを担当したのがヨッシーでした。
三部でハモったときの、かつてないたまんない気持ちよさ。虜になりました(笑)。
としさんとのハモりには、絶対の自信を持っていた私ですが(笑)、こりゃライバル出現と!(笑・実際、練習途中でヨッシーの方がいいかもってゆずったコーラス多し^^;)
その後も何回か単発イベントライヴでコーラスをご一緒(ヘンな表現だ)させていただいたんですが、忘れられない心地よさ。頼むならヨッシーしかいないと(笑)。

でも、そんな気持ちはとっくにとしさんに察知されていたらしく、「ヨッシーに声かけといたよ。やるって・・・」

・・・そして、私のツイン伝説、フロント強化政策は始まったのでした。。。。(笑)
ベースのSABUちゃんと、ドラムのまーちゃんは付き合い長いから、その魅力は追々・・・。

2002年5月31日(金) ♪おぉぉぉぉ・・・

いよいよ明日はライヴ本番です・・・。
プロの方とかアマの方とかライヴ前ってどんな気持ちなんでしょ。ワクワクするのかなぁ・・・
今の私はこわくて泣きそうですぅ。。。ちょっと嘘、ちょっとほんと(^^;。

衣装・・・あぁ、もっと華奢だったらなぁぁぁ、きっと夢のような選択肢が広がるのでしょうねぇぇぇ(経験がない・笑)。
で、鍵盤弾き。。。今回オルガンパートあるからなぁ、おっきな指輪できないし・・・ペダル踏むから厚底靴はけないし、以外と制約あります・・・。
しっぽあっても問題ないけど(←つけません・笑)。

2002年5月26日(日) ♪最後の練習

きのうでライヴ前の最終リハが終わった。当日も直前にスタジオ入れてるけど、調整できるリハは実質これで最後かと。
録ったMDを朝っぱらから聴く。。。う・・・ん、ありきたりの言葉だけど、後はベストを尽くすだけかな。。。
これ以下になっちゃいけない。がむばります。。。で、やっぱりftaムズカシイっす・・・。ホント・・・。やめちゃうか(こら・笑)。

2002年5月22日(水) ♪そぉいやぁ、納得いかないことばかり・・・

・・・なんでうちのバンド、トリなんだろ・・・?(←今ごろなんですが^^;)
今回ライヴを企画してくださった、AKASAさんのギタリストさんとベーシストさんは、以前メンバーとしてご一緒させていただいたことのある二人ですが、
当時音楽事務所に所属していたり、若い頃(^^;、アイドルのバックでツアーまわってたようなプロです。
なんで、そんな方々を差し置いて我々が最後なんだぁぁぁぁぁ??????私なんてライヴハウスのライヴ12年ぶりだよぉぉ。

そもそもカシオペアの完コピめざしてらっしゃるところからして、レベルが・・・(泣)。

その2
バンマスからメールがきて、新曲が1曲増えるらしいことがおととい判明。・・・せめて事前に教えてよ。一緒に住んでるんだし・・・(^^;いぢわる…いけず…

そして私は、シンセ2台にしたことによって可能なことが次々でてきてしまい(笑)、でも今のこの段階でどこまでやるか悩んでます。
ちゃんとやれればやるに越したことは無いんですが・・・えぇ、ちゃんとできれば・・・(苦笑)。

2002年5月14日(火) ♪音楽かいりき話

先日のスタジオ&閣下ライヴの日、体がぼろぼろになった理由がもひとつ思い当たる。

スタジオ入りが結構ぎりぎりになった。車だし、6月のライヴ準備も兼ねシンセを2台持っていった。ヨッシーに貸すギターも持っていった。
スタジオ前でそれら機材を降ろして、としさんは駐車場を探しに行く。この日のスタジオは地下3階階段オンリー楽器は多い
ぼぉっととしさんを待っている間にも、練習時間は迫ってくる。タイム・イズ・マネーをモットーとする私は(いつからや?^^;)、気が気ではない。
かといって少しずつ運ぶにも、その間楽器を見てくれる人がいない。

・・・「チャレンジしてみっか。。。」馬鹿な考えが頭をよぎる。。。

その瞬間、私の中の女は消滅した。

左肩に15キロのシンセ、右腕に8キロ?のシンセ、さらに右手にはギター1本
シールドやペダルのはいったキティちゃんのバック(←ま、一応かわいい)計4個、一気に持ち上げる。

・・・うぉぉぉぉぉぉ、やっぱ重いぜぇぇぇぇっ!(そりゃそーだろ^^;) 重量挙げの選手になった気分だ。。。。

よたよたと階段をおりていく。
・・・途中、背後に感じる気配、振り返るとおびえるような目の華奢な青年ひとり(笑)。
あまりの驚きで声かけられなかったのか、「ど・どうぞお先に・・・」と気持ち(笑)道をゆずると、我にかえったように「だ、だいじょうぶですか?・・・」(お店のスタッフらしい)
「だ、大丈夫です・・・」というと、触らぬ神にたたりなし状態で逃げるように横を走りさっていった(^^;。

あぁぁぁぁん、ダイジョブなわけな〜いじゃ〜ん(泣)。

・・・たどりついたときには息もたえだえ・・・

追いかけてきたとしさん、

「お前ぇ、いっぺんで全部持ってきたんかぁぁぁぁぁ???(絶句)」

2002年5月11日(土) ♪つまりアナログ集団なわけね

明日の練習に間に合えばと思って、ドラムのまーちゃんに譜面FAX送ろうと思ったんだけど(って今ごろ、ライヴのコーラスの譜面おこしてるのもいかがなものかと ^^;)、
で、さぁ、留守電になっててFAXに切り替わんないよ。あの子んちFAXないのかなぁ??。おお〜い。もしもしぃ〜。
データならメールでもここにこっそりアップ&DLでもいけるけど、こっちも手書きだからなぁ。。。(笑)
スキャナーで取り込んでメールする?何もそこまではねぇ…(^^;

2002年5月9日(木) ♪とりあえず泣いてみよう

face to aceの曲、難しい。
ライヴのために急遽2曲追加したうちの1曲がface to aceだけど、別アーティストのもう1曲が2回の練習でちょっと形が見えたのに比べ、はまり中。

オマジメドラマー:「なんでこんなとこに、××がはいるのぉ?」
オキラク?ベーシスト:「機械がやってることに、そんな疑問いだいてても仕方ないさ。」・・・ごもっとも(^^;
ウルサガタ?ギタリスト:「ライヴでメインの音、こんな感じだった?」…お、おぼえてなひ…(汗)
カラクチ?ギタリスト:「ソロで音色の切り替え難しいんで、シンセでギターのとこ弾いてもらえませんかね。」…えっ?
ダンドリ?ボーカリスト:「歌詞が…混ざるぅ。これつながりが。エーさん、ちゃんと歌えてた?」
・・・その点につきましては…さあ、あってるかどーかまでは^^;。

開放弦の感じをシンセでだすのが・・・弾き方、ペダルの踏み方、至難・・・。音も・・・トレモロのような、コーラスのような、ディストーションのような・・・。えぃど〜なんじゃ〜!
ああん、ACEに〜さ〜ん、くだげさ〜ん(泣)。。。でも、がんばるよ。

2002年5月5日(日) ♪音表現について

音楽好きの人と話しをしてて耳にするフレーズに、「アルバムはいいんだけどライヴがね」というのがある。
そのたび「アルバムがいいんだから、いいじゃん」と反論するんだけど、そーゆーもんじゃないといわれたり(^^;。
アルバムの延長線上にライヴがあったり、アルバムの昇華した形がライヴみたいに言われることもある。創り手もそう意識してるのかしらん。。。

むしろ、「ライヴじゃこの素晴らしさが絶対表現できないから、ライヴは一切やらない」ってぐらいに、創りこんだアルバムがあってもよいと思うんだけどな。(あるのかな?)
逆にアルバムは創らず、ライヴonlyとか。。。個々の作品の表現に相応しい場というのは様々だと思うんですが。

それともアーティストが意識していても、リスナーは無頓着で、どちらが正しいということもなく(楽しみ方、求め方は自由だから)ジレンマが起こるのか…。
これはあるミュージシャンのコメントを某所で拝見してちょっと感じたこと。

2002年4月27日(土) ♪うるさがた

うちのバンドのツー・トップ(笑)、うるさがたのお兄様二人と、うちのドラマーがやってる別バンドのライヴを渋谷に見に行った。
(ごめん、時間間違えてすっ飛んできたモンで、素ッピンであらわれて・恐)

終わって私の友人も交えた4人でお茶しながら、あれやこれや講評タイム(^^;。うちのライヴも近いことから、ふたりの熱い語りが炸裂。
内容はちょっとここでは…(^^;。友達も「すごいですねぇ。」と目が点・・・。
「・・・いや、アマチュアの女性ドラマーとしてはトップレベルだと思うよ。」(←実際昔レギュラーでやってたライヴハウス内で女性なら5本の指に入るといわれてた。)
それ以上を求めてるってことでしょうか・・・?。
キーボーディストは、子供含めても下位クラス並みなのに・・・アハハハハハ・ハ(←笑い事ではない…練習せぇ…)

2002年4月21日(日) ♪チューニング

ライヴを前にスタジオへの機材持込がにぎやかになってきた。
諸般の事情で曲によってチューニングがレギュラーと、ハーフダウンにわかれることが今回より決まり、弦楽器陣が複数の楽器を持ちこんでる。
地下深いスタジオだからつらいのよ、我々には・・・(笑)アンプ持参者もいるし。。。

・・・チューニング、ただいま混乱中(苦笑)。しかも個人の弾きやすさで、チューニングをどのキーにするかはバラバラなので、お互いの確認がとりにくい。
「ギターにキー書いた紙張っとくかぁ(^^;」・・・かっこ悪いです。。。ローディーさんがほしい今日この頃?(贅沢)

2002年4月8日(月) ♪<戦う音楽>と<溶け合う音楽>

ふと気づけば「face to ace」のツアー終了で、元聖飢魔IIメンバーのソロライヴのすべてを見届けたことになる。(イベントサイズのものも含めると)
他「RX」「!」「犬死にイベント」4つのユニットのうち、はからずも3ユニットの出発は<同期もの>の音楽だった。
出身が世にいうロックバンドだったことを考えると、興味深い。(残る「RX」はフュージョン系ユニットだし。。。)

マニピュレータもつく、より高度な電脳が要求され(笑)、ちょっとテクニカルでスペイシーだったデーモン氏の「!」、
機械的なリズムにのってDJとギターの激しいバトルが繰り広げられたルーク氏の「犬死に」イベント。
そして今回の「face to ace」。同期ものの中にあって、ちょっと異色な感じがした。
「face to ace」のライヴで受けた不思議な温かさのことを考えてみた。
なぜだろう・・・。感情表現という意味ではいうことなしのデーモンさんであり、歌わせるギターはサイコーのルークさんであるのに。
もちろん、「face to ace」の音楽性というのは大きいわけだが、じゃあその音楽性とはなんなんだろうと。。

今思うことは、
<リズムやシーケンス音の上に乗っかって、フロントマンが挑む音楽>なのか、
<最初に歌ありきで、効果としてバックがフロントマンを支える音楽>なのか、
前者にはほとばしる熱さを感じて、後者には体温を感じる。そこなのかな・・・と。

デーモン氏もルーク氏も歌やギターに<強さ>がある。
でもエース氏にあまり<強い>という形容は似合わないように思う。それは歌においてもギターにおいても。。。

つまりソリストが演奏陣と<戦って生まれる面白い音楽>と、<融合して生まれる面白い音楽>があるのではないかなどと思った。
そのあたりをよくご存知でうまく表現されているのが、本田さんアレンジなのかな。

2002年2月28日(木) ♪キーボーディストって?

キーボーディストって何なんでしょう。。。(笑)

ピアニストはピアノを弾き、ギタリストはギターを弾き、ヴォーカリストは歌を歌う。でも、キーボーディストはキーボードを弾かなくても成り立ったりする。。。?

 最近バンド活動を再開したものの、自分の怠慢もあって、最低限の手弾きをしてその場を過ごしてる感がないでもない(おいおい)。
熱心だった昔は自動演奏を打ち込みして、手弾き以外のシンセパートを補ってたこともあった。それは、ライヴで音の厚みをつけるための作業。いわばプラスの作業。
逆に打ち込みで作った曲をライヴでやることになったとき、さて、どこを手で弾いてどこをこのまま残そうかと考えた。
まぁ、人間技じゃ出来ないパート(笑)はそのまま残すとして、ソロは弾くか…などなど。これはマイナスの作業。。
ふと思った、わざわざマイナスしないでこのまま流しても、曲は成り立つよな。誰かがスイッチいれれば、私いらないじゃん(笑)。

プロはどうだろう…。同期モノユニットでは、ほとんど原曲に近く、ポイントを華麗にパフォーマンスしながら見せるライヴがある。
RXは、アルバムにも同期ものがあるが、ライヴでは見事に松崎氏によって手弾きにアレンジされて、新しい曲に蘇ってる。
打ち込みを再現するのか、新しいものに生みかえるのか、それはバンド全体の趣味と(?)力量でもあるのでしょうが、やっぱり弾いてこそキーボーディスト。と私は思う。

前に、打ち込みメインの本田海月氏が「キーボーディストといわれて、ピンとこなかった時期がある。」というインタヴューを読んだことがある。
その後ライヴでは、「弾きたいという気持ちに素直になって」プレイを充実させるようにしたと。

さてface to aceでは?本田氏はどんなステージをみせてくださるのだろうか。新しいキーボーディストにあえるのは嬉しい。

2002年2月20日(水) ♪としさんは有名ヴォーカリスト?

弟から奇妙なメールがきた。「お兄さんの過去を教えてください。」
どうも久しぶりにメールで再会した小学校時代の友人(兄がバンドをやってた)に「義兄は地元でバンドのヴォーカルをやってた。」といったところ、「○○というバンドではないか」と聞かれたらしい。
弟がそのバンドをサイト検索したら、確かに共通点はあるのだが、「ア−スシェイカーの人が会いにきた。」「73年にバンド結成した。」「チャーも在籍していたことがある。」らしいと、
おにいさんはそんなにスゴかったのかと。

あのね…(^^;  んなわけないじゃないですかぁぁぁぁぁぁ〜っ!チャーさんと一緒にやってたら、自慢しまくりですって。…だいたい73年結成って、としさんいったい何歳なのよ(笑)。それにヴォーカリストの名前?ちがうじゃないですか?おにいさんは、としさんです。えぇずっと昔から(爆)。
よ〜く考えてからメール送ってください(笑)。

ちなみにそのバンドは、当時結構有名なロックバンド(プロです。^^;)で、地元のアマチュアバンドのイベントにゲストで来てた。
私も見にいったけど、ヴォーカルはとしさんじゃなかったと思います(笑)。
「姉弟して、俺を笑いのネタにしやがる…」と怒られた。スンマセン。

2002年1月27日(日) ♪楽器屋

ゆうべは、今年初のスタジオでした。練習後、新年会もどきで居酒屋へ。。。
良い具合に酔いも回って(あっ、しらふの人もいるんだけど)、話は楽器談議に。どんなギターがいいとか、どんなアンプが好きかとか。
最近買ったエフェクターの話とか…。

「楽器屋っておもしろいよね。」

「うん面白い面白い」「いつまでいても飽きないよね」「うん」「楽しい」「中古楽器屋とかもいいよ。」
まったく、口々にいい歳こいた人たちの会話とは思えない…(笑)

ギタリストさん:「パーツ売り場なんてワクワクしちゃうよね。ピックアップとかいっぱい並んでて…」
メンバー一同:「・・・・・・。」

…それはない…(^^;

2002年1月3日(木) ♪お正月の音楽会

子供の頃のお正月といえば、おばあちゃんち(おじいちゃんちでもある。^^)に集まり、2日の夜は近くの叔父の家で音楽会というのが習わしだった。

音楽会といってもそんな大層なものでなく子供たちの楽器演奏や、大人たちは適当にシャンソンもどきの歌を歌ったり、
レコードに合わせてダンス踊ったり、しかし総勢30人近くの賑やかな会だった。
母方のいとこは10人以上いる。男女半々ぐらい。なぜか全員楽器を習わされていて、必ずその会では1曲以上発表しなくてはならない(^^;
男はヴァイオリン、女はピアノを習ってることが多かったカナ。
ピアノ嫌いの私としては年々プレッシャーになっていって、どーやったら弾かずに済むかと暮れはそればかりを考えたもんだ(笑)。

子供たちが大きくなっても、ひ孫ができても、音楽好きな祖父母のもと「お正月の音楽会」は続いた。就職や結婚で勢揃いすることは少なくなったけど。
楽器は子供たちの興味とともに、エレクトーンになったりエレキギターになったり、ベースになったり。
ブラバンでドラム叩いてるなんてゆーのもいて、見事にバンドができるほどばらけていった。
いつまで続いたんだろ。オペラのアリアを歌った記憶があるので、私が20歳すぎても続いてたはず。後半はカラオケなんていうのも登場したなぁ。

特別な音楽教育を受けたわけじゃないけど、祖父母は音楽が大好きだった。
その血を受け継いだんだと思う。(ちなみに従姉妹はほとんど音楽関係の学校でてるか仕事してるのです。)
そんな祖父母も数年前に亡くなって、いとこたちにあう機会もなくなった。 あぁ従兄弟バンド・・・おじいちゃんやおばあちゃんに見せたら喜んだだろうな。今でも時々そんなことを思う。