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1952年発行のベルリン切手へ

1954年発行のベルリン切手へ


1953年に発行されたベルリン(西ベルリン)の切手

1Deutsche Mark(ドイチェ・マルク) = 100Pfennig(ペニヒ)

1953.1.24 (土曜 Sonnabend, Saturday)

1.ベルリンの著名人 その4

 ベルリンにちなんだ著名人シリーズの第4弾です。まとめて3種類発行されました。

5Pfennig
オットー・リリエンタール(1848生-1896没) 技術者。航空工学の発展に寄与した。1866年にベルリンの機械工場のシュワルツコップ社に実習生として働く。以後、ベルリンで活躍し、自ら作ったハングライダーで飛行実験を繰り返すが、1896年8月9日飛行実験中15メートルの高さから墜落し、翌日ベルリンで没する。
15Pfennig
ルドルフ・ルートヴィッヒ・カール・フィルヒョー(ウィルヒョー)(1821生-1902没) 病理学者、政治家。ベルリンのプロイセン陸軍士官学校で医学を学び、後にベルリン大学の教授になる。病理学の権威として医学界に多大な影響を与え、議員としても活躍し、ベルリンで没する。
30Pfennig
マックス・カール・エルンスト・ルートヴィヒ・プランク(1858生-1947没) 物理学者。熱力学に傾倒し、それを学ぶためベルリン大学に転校。当時の熱力学理論と実験結果の矛盾を解決するには光のエネルギーに関する仮説が必要であることに気づき、1900年にプランクの法則を発表。これが後の量子力学の基礎になったことから、1918年にノーベル物理学賞を受賞。1913年にはベルリン大学の総長となる。

・発行枚数は、各500万枚です。
・有効期限は、1955年12月31日です。


1953.3.7 (土曜 Sonnabend, Saturday)

2.ベルリンの著名人 その5

 ベルリンにちなんだ著名人シリーズの第5弾です。

8Pfennig
ハインリヒ・テオドール・フォンターネ(1819生-1898没) 詩人、著述家。ドイツ写実主義の代表的作品を多数残す。ベルリンで没する。

・発行枚数は、500万枚です。
・有効期限は、1955年12月31日です。


1953.5.2 (土曜 Sonnabend, Saturday)

3.ベルリンの著名人 その6

 ベルリンにちなんだ著名人シリーズの第6弾です。

40Pfennig
カール・ヴィルヘルム・フォン・フンボルト(1767生-1835没) フルネームは、Friedrich Wilhelm Christian Karl Ferdinand Freiherr von Humboldt。言語学者、政治家。1810年にフリードリヒ・ヴィルヘルム大学(後のベルリン・フンボルト大学)を創設。日本からは森鴎外、寺田寅彦、北里柴三郎らが学ぶ。フンボルト一家が1766年から住んでいたテーゲル宮殿(1558年建設)は、切手にもしばしば登場。(一例は、こちらを参照。) 弟のアレグザンダー(アレクサンダー)・フォン・フンボルトは、博物学者・地理学者。

・発行枚数は、500万枚です。
・有効期限は、1955年12月31日です。


1953.5.27 (水曜 Mittwoch, Wednesday)

4.ベルリンの著名人 その7

 ベルリンにちなんだ著名人シリーズの第7弾です。

25Pfennig
カール・フリードリヒ・シンケル(1781生-1841没) 建築家。ベルリンの建築学校で学び、アルテス・ムゼウム等新古典主義の代表的建物を設計する。ベルリンで没する。

・発行枚数は、500万枚です。
・有効期限は、1955年12月31日です。


1953.6.24 (水曜 Mittwoch, Wednesday)

5.ベルリンの著名人 その8

 ベルリンにちなんだ著名人シリーズの第8弾です。これで、ベルリンの著名人シリーズが完結しました。なお、この切手だけ、それまでの切手と比べて、極端に発行枚数が少なくなっていますが、取り上げた人物の業績に対する各方面の反発を考慮したのでしょうか。

6Pfennig
ヴァルター・ラーテナウ(1867生-1922没) ベルリン生まれの実業家、政治家、著述家。第一次世界大戦後にドイツ民主党を創立。各種大臣を歴任し、外務大臣時代にソビエトとラパロ(ラパッロ)条約を締結したが、右派の反感を買い、ベルリンで暗殺される。(ラパロ条約締結で、ドイツはソビエトと軍事面の協力ができたため、ヴェルサイユ条約で航空機保有が禁止されていたが、ソビエトの地で飛行訓練を行うことができた。)

・発行枚数は、100万枚です。
・有効期限は、1955年12月31日です。

ベルリンの著名人シリーズ10種揃い


1953.7.28 (火曜 Dienstag, Tuesday)

6.自由の鐘奉納 第3次シリーズ(その1)

 シェーネベルク市庁舎の鐘楼に奉納された自由の鐘を記念して発行された切手の第3次シリーズです。10Pfennig切手は、10月9日に発行されています。
 鐘を鳴らすための金属部分(いわゆる鐘の舌)が中央にあることに注意してください。
 このシリーズには、第1次第2次もあります。

5Pfennig
20Pfennig
30Pfennig
40Pfennig

・発行枚数は、5Pfennig切手が200万枚、その他は各100万枚です。
・有効期限は、1955年12月31日です。


1953.8.9 (日曜 Sonntag, Sunday)

7.カイザー・ヴィルヘルム記念教会再建 付加金付き

 カイザー・ヴィルヘルム記念教会の再建を目的とした付加金付き切手が発行されました。カイザー・ヴィルヘルム記念教会は、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世を追悼するため1891年から1895年にかけて建設された、高さ113メートルの尖塔を持つロマネスク様式の教会です。第二次世界大戦中1943年11月の連合軍による空襲で破壊されましたが、戦争の悲惨さを後世に伝えるため、建物を元の姿に戻すことはせず、同じ敷地内に現代様式の教会を建設し、1961年12月17日(日)オットー・ディベリウス司教により除幕式が行われました。カイザー・ヴィルヘルム記念教会のホームページはこちらです。

4+1Pfennig
戦前のカイザー・ヴィルヘルム記念教会
10+5Pfennig
戦前のカイザー・ヴィルヘルム記念教会
20+10Pfennig
破壊されたカイザー・ヴィルヘルム記念教会
30+15Pfennig
破壊されたカイザー・ヴィルヘルム記念教会

・発行枚数は、4+1Pfennig切手が120万枚、30+15Pfennig切手が30万枚、その他は各45万枚です。
・有効期限は、1955年12月31日です。


1953.8.17 (月曜 Montag, Monday)

8.東ドイツ暴動(6月17日事件)

 1952年7月、東ドイツのウルブリヒト書記長は第2回党会議で東ドイツにおける社会主義の建設を宣言し、当時のソビエトを範として先鋭的な階級闘争等を推進しました。ところが、1953年3月にスターリンが死去してソビエトが柔軟路線に転換すると、ウルブリヒト批判が始まり、対するウルブリヒトは反対派を追放。彼の計画では、6月30日(ウルブリヒトの60歳の誕生日)までに、労働者は10%引き上げられたノルマを達成することになっていて、当時、西ドイツではマーシャルプランの効果もあって50Pfennigと安価に買えたチョコレートが、東ドイツでは800Pfennigもする等生活必需品が高騰しており、この物価高騰と、さらなる重税に加えて、新たなノルマの引き上げが市民の不満を一気に高めました。
 6月16日(火)、東ベルリンのスターリン大通り(現カール・マルクス大通り)で60ないし80名の建設労働者がノルマ引き下げを求めてストに入り、翌17日(水)には10万人規模の労働者がデモを行いました。この抗議デモは、たちまちのうちに500以上の都市と村に広がります。西ベルリン地区でもこの模様は、ラジオを通じてすでに16日から一般市民に伝わっていました。これに対して政府は、人民警察やソビエト軍も加えた2万人の軍隊を動員し、暴徒と化したデモ隊の鎮圧を計りました。犠牲者は、東ドイツ政府の報告では25名ですが、各種報告では300名に上ります。なお、鎮圧では市民の不満を抑え込むことはできず、西ドイツへの亡命者は1953年だけで39万人にも及びました。(1949年から1955年までの亡命者は、合計140万人で、人口の8.2%に達します。)
 切手は、この暴動を記念して2ヶ月後に発行されました。通常、西ドイツ宛の20Pfennig切手は赤、外国宛の30Pfennig切手は青ですが、事件を内外に強く訴えるため、どちらも異例の色で印刷しています。これを貼って東ドイツに宛てた郵便物は、東ドイツ側で切手を塗りつぶすか差出人に返送されました。

20Pfennig
とらわれた市民
30Pfennig
ブランデンブルク門

・発行枚数は、20Pfennig切手が300万枚、30Pfennig切手が200万枚です。
・有効期限は、1955年12月31日です。


1953.8.29 (土曜 Sonnabend, Saturday)

9.ベルリンの建物シリーズ改訂 通常切手

 ベルリンの建物シリーズは、基本的に1ないし2種類の額面が共通の図案になっていますが、4Pfennig、8Pfennig、40Pfennig切手のグループと、20Pfennig、80Pfennig、90Pfennig切手のグループは、例外的に3種類の額面が共通の図案になっていました。ベルリンの名所をもっと紹介しようという意図があったのかもしれませんが、この2つのグループのうち、よく使われる額面である4Pfennig(20gまでの印刷物)と20Pfennig(20gまでの市外用書状、外信葉書)の図案が変更されました。まず最初に、20Pfennig切手が改訂されました。4Pfennig切手の方は、翌1954年に改訂されます。

20Pfennig オリンピックスタジアムの東の入場口側

・有効期限は、1958年12月31日です。


1953.10.9 (金曜 Freitag, Friday)

10.自由の鐘奉納 第3次シリーズ(その2)

 シェーネベルク市庁舎の鐘楼に奉納された自由の鐘を記念して発行された切手の第3次シリーズの続きです。
 鐘を鳴らすための金属部分(いわゆる鐘の舌)が中央にあることに注意してください。
 このシリーズには、第1次第2次もあります。

10Pfennig

・発行枚数は、170万枚です。
・有効期限は、1955年12月31日です。

第3次シリーズ

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