1949年 ・憲法制定会議でボン基本法公布(西ドイツの成立) ・第1回連邦議会選挙 ・ボンで連邦会議開催。初代大統領としてホイスを選出 ・初代連邦首相にアデナウアー就任 (ソビエト占領地区の人民評議会がドイツ民主共和国=東ドイツの成立を宣言) ・ミュンヘンでドイツ労働組合総同盟結成大会 |
昭和 24年 |
・世界保健機関(WHO)に加盟 ・新制国立大学設置 ・法隆寺金堂火災で日本最古の壁画消失 ・湯川秀樹、ノーベル物理学賞受賞 ・郵政省/電気通信省設置 ・封書料金が5円から8円へ値上げ ・お年玉つき年賀葉書発行 ・航空書簡(Aerogramme)発行 ・国立公園切手シリーズ再開 ・切手帳ペーン発売再開(産業図案5円、8円) ・穴あり5円黄銅貨(楷書体)発行 |
1949年に発行された西ドイツの切手
1Deutsche Mark(ドイチェ・マルク) = 100Pfennig(ペニヒ)
1949.9.7 (水曜 Mittwoch, Wednesday)
第1回連邦議会開催を記念して発行されました。
1949年はドイツが東西に分裂した年ですが、その遠因は、主義主張が根本的に異なる東西の連合軍の対立にありました。すでに1947年1月1日(水)には、アメリカ占領地区とイギリス占領地区が、双方の地区での食料や物資の欠乏を補うために合体して、ソビエト対西側の下地ができており、3月10日(月)のモスクワ四カ国外相会議での対立、6月6日(金)開催予定のミュンヘン州首相会議の予備交渉段階での決裂など、両者は溝を深めるばかりでした。翌1948年2月23日(月)には、西側占領国のアメリカ・イギリス・フランスに加えて、かつての被占領国であるオランダ・ベルギー・ルクセンブルクが参加した六カ国ロンドン会議で、アメリカ・イギリス・フランス占領地区はマーシャル・プランに参加すること、フランスはルール地方をドイツから分断しないこと、憲法を制定しドイツは連邦制に移行することが議論されました。これはソビエトにとって不利な政策であり、態度を硬化させたソビエトは、ただちに連合国管理委員会から脱退し、6月20日(日)の西側占領地区での通貨改革にはベルリン封鎖(陸路の橋を破壊、送電停止等)で応酬。こうして東西ドイツの分裂は決定的となりました。
一方で、1948年8月に憲法制定予備会議が開かれ、以後、ボンを中心に1949年5月まで憲法の審議が繰り返されました。このときの議長が、後の初代連邦首相になるアデナウアーです。1949年5月23日(月)には、ボン基本法が公布され、西側占領地区を母体とするドイツ連邦共和国が発足することになりました。憲法であるべきところを「基本法」という表現を使ったのは、来るべきドイツ統一までの暫定法、という意味からでした。6月には選挙法を公布し、それに則って8月14日(日)に第1回連邦議会選挙が実施され、翌9月の連邦議会で連邦大統領と連邦首相を選出し、いわゆる西ドイツが歩み始めることになりました。この西側の動きに対して、ソビエト占領地区の方は、ちょうど1ヶ月後の10月7日(金)に、ドイツ民主共和国(いわゆる東ドイツ)として別の道を歩み始めます。
10Pfennig 上棟式の様子 |
|
20Pfennig 同上 |
・発行枚数は、各300万枚です。
・有効期限は、1950年8月31日です。
1949.9.30 (金曜 Freitag, Friday)
2.ドイツ切手発行100年 付加金付き
1849年11月1日(土)にバイエルン王国で3種類の無目打ち切手が発行されましたが、これがドイツで最初に発行された切手でした。このドイツ最初の切手発行から100年を迎えるのを記念して発行されました。
付加金は10Pfennig切手のみにあります。なお、東ドイツでは、バイエルン王国が地理的に西ドイツにあったからかどうかはわかりませんが、10月30日(日)に「切手の日」という名称の付加金付き切手を発行し、そこに1Kreuzer(クロイツェル)切手を図案に使った程度の扱いでした。
以下に、ドイツ最初の切手について、発行当初の用途を併記します。(西ドイツの郵便料金ではありません。)
10+2Pfennig 1Kreuzer(クロイツェル)切手 重量1ロート(=15.625グラム)までの市内用書状 重量1ロートまでの印刷物 (市内用、市外用共通。距離に無関係) |
|
20Pfennig 3Kreuzer(クロイツェル)切手 重量1ロートまでの書状で配達距離が12マイルまでのもの (1マイルは7,420メートルなので、12マイルは89.04キロメートル) |
|
30Pfennig 6Kreuzer(クロイツェル)切手 重量1ロートを超え4ロート(=62.5グラム)までの書状で配達距離が12マイルまでのもの 重量1ロートまでの書状で配達距離が12マイルを超えるもの |
・発行枚数は、各100万枚です。
・有効期限は、1950年8月31日です。
1949.10.9 (日曜 Sonntag, Sunday)
3.UPU設立75年
1874年10月9日(日)に万国郵便連合(UPU、Union Postale Universelle)がハインリヒ・フォン・シュテファン(1831生-1897没)の提唱で設立されましたが、それから75年を迎えるのを記念して発行されました。なお、東ドイツでも同じ日に記念切手を発行しています。(日本にもUPU75年の記念切手がありますが、こちらは休日の関係で10月10日月曜日の発行です。)
30Pfennig ベルリン中央郵便局(左) ハインリヒ・フォン・シュテファン(中央) スイス・ベルンのUPU本部の建物(右) |
・発行枚数は、200万枚です。
・有効期限は、1950年8月31日です。
1949.12.14 (水曜 Mittwoch, Wednesday)
社会福祉の付加金付き切手です。戦前のドイツでは、冬期慈善等の付加金付き切手が発行されていました。戦後は、ドイツのカリタス(社会福祉事業を行うカトリックの団体)で総書記を務めていて、収集家でもあったクーノ・イェーガーの提案により、ドイツ郵政局が社会福祉のための付加金付き切手を発行することを決定しました。その第1弾がこのセットです。
8+2Pfennig 聖エリーザベト(1207-1231) ハンガリー王アンドレアス2世の王女として生まれたが、4歳でチューリンゲン方伯の婚約者となる。高貴な身分でありながら、貧しい人々や病気に苦しむ人々のために献身的な援助を終生続け、チューリンゲンの聖エリーザベトとして知られる。死後(4年後)にローマ教皇グレゴリウス9世により列聖される。11月17日(命日)の守護聖人でもある |
|
10+5Pfennig パラケルスス(1493-1541) 本名はTheophrastus Philippus Aureolus Bombastus von Hohenheim。パラケルススは自らつけたあだ名で、古代ローマの医学者ケルススを超えた、という意味を込めたという説がある。医療を施しながら各地を旅する。錬金術師としても有名 |
|
20+10Pfennig フリードリヒ・フレーベル(1782-1852) ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチの教育理論を、より低年齢の幼児に応用し、就学前の幼児に対する教育理論を確立した。1840年、ブランケンブルクにて世界で初めて幼稚園を開設 |
|
30+15Pfennig ヨハン・ヒンリッヒ・ヴィッヒェルン(1808-1881) ハンブルクの貧民地区で学校にも教会にも行けない子供達のために、1833年、ハンブルクから6キロ離れた人口600人の村にあった藁葺きの粗末な小屋を使って教育と伝導を始める。以後、キリスト教的敬虔に基づく社会奉仕活動の実践としての国内伝道(Inneren Mission)を続けた |
・発行枚数は、8+2Pfennig切手と30+15Pfennig切手が400万枚、他は600万枚です。
・有効期限は、1951年3月31日です。
Copyright © S.Stein 2001-2020