第九十五話「月の魔法・2」


「ここに帰ってきて涼音を見ていて、改めて思い知ったんだ」
竜介は、グラスの中に目を落としたまま、言った。
「俺たちの失策が、きみの人生をどれほど狂わせてしまったか。もっと他に、うまいやり方があったはずなのに……そうすれば、きみは命の危険にさらされることもなかったし、今も普通に高校生活を送っていただろう。そう思うと、なんだかやりきれなくてさ」
 昼間、力を封印したらどうかという話をしていたのは、何とかして、きみに元の生活を返してあげられないかと思ったからだったんだ。
 でも、結果として、きみの気を悪くさせてしまった。
 すまなかった――と、彼は謝った。
 紅子はかぶりを振った。
「あたしも……言い過ぎた。ごめん」
 何の抵抗もなくするりと言葉が出てくることに、彼女は驚きと、ちょっとした感動を覚えた。
 気分が高揚しているのは、気化したアルコールを吸い込んだせいだろうか?
「でも、あたしには今の状況がそんなに悪いとは思えないの。そりゃ、殺されそうになったりするのはキツイけど。だけど、それだけじゃないでしょ。泰蔵おじいさんに会って、母さんの話を聞けたし、朋徳おじいさんのこともわかったし……。
 うちではね、親類のことや、父さん母さんの昔のこととかは、なんとなく訊いちゃいけない雰囲気だったんだ。だから、理由はどうあれ、ここに来てよかったって思ってる。ただ……」
「ただ?」
「話の中身が強烈すぎて、今は、頭の中がちょっとぐるぐるしてるけどね」
紅子がそう言いながら、自分の頭上に人差し指で渦巻きを描くと、竜介はくすりと笑った。
「きっとね、竜介の言う、もっとうまいやり方なんて、なかったんだよ」
「ありがとう。そう言ってもらうと、いくらか気が楽になるよ」
 竜介はほっとした様子で笑う。
 その顔を見ているうち、紅子はふと、意地悪をしてみたい衝動に駆られた。
「ま、それはそれとして」
と、紅子はわざともったいをつけて言った。
「もう一つ、あたしに謝らなきゃなことがあるんじゃない?ほら、いつだったか、黄珠を見つけだすのは時間の問題だ、なーんて言ってたのは誰だっけ?」
 それを聞いた途端、竜介は何ともばつの悪そうな表情に変わった。
「あー……ごめん」
彼は額を押さえてうなった。
「あの時点では、そういう情報だったんだ……って、言い訳にもならないよな。まあでも、あえて言わせてもらうと、四国全体が霊場だからか、どうも黄珠の精神波がつかみにくいらしくてさ。ほんと、すまない」
 自分で振った話ながら、紅子はなんだか不安になってきた。
 まじめな話、このまま黄珠が見つからなければ、どうなるのだろう?
「最悪、紅子ちゃんには直接四国へ行ってもらうことになるだろうね。三つ以上の御珠から珠縒を受けると、残り二つに感応しやすくなるらしいから」
と、竜介の答え。
「もっとも、そんな危険は冒さずにすめば、それにこしたことはないんだけど」
 紺野家の結界を出れば、黒珠の襲撃に遭うことは火を見るより明らかだ。
 そして、彼らがいつまでも雑魚ばかりでないことも。
 紅子は白鷺家で自分たちを襲った連中を思い出して、暗い気分になった。
 特に、あの黒衣の少女――伽陵(がりょう)、といったろうか――には、できればもう二度と会いたくない。
「朋徳おじいさんが、じきじきに持ってきてくれればいいのに」
 ありえないことではない。
 相手は千里眼の持ち主で、瞬間移動もお手の物なのだから。
 だが、竜介は否定的に肩をすくめた。
「どうだろうな。俺はあのおっさ……あの人がそんな親切な人だとは思えない。それに、今頃どこかでのたれ死んでるかもしれないぜ」
と、それこそ本人が聞いていたら憤慨しそうなことを平然と言う。
「朋徳おじいさんが嫌いなんだね」
 質問とも推測ともつかない紅子の言葉に、竜介は苦々しい顔になり、
「孫のきみには悪いけどね」
と、答えた。
「きみの両親を出逢わせたくなかったくせに、どうしてあの人は一年もここにいたか、その理由を聞いたかい」
「母さんの病気のせいじゃないの?」
 紅子の答えに、彼は、それだけじゃない、と、かぶりを振り、こう続けた。
「あの人は、日奈おばさんを俺と結婚させるつもりだったのさ」
 一瞬の沈黙。
「えええええっ!!!」
と、素っ頓狂な声をあげかけて、紅子はあわてて自分で自分の口をふさいだ。
 今が夜中だということを思い出したのだ。
「びっくりするだろ?」
竜介は皮肉っぽく笑った。
「八歳の子供を、十三も年上の娘と結婚って、いくら何でもありえねーよな」
 当時、紺野家の当主を務めていた竜介の祖父も、朋徳からのこの申し出にはかなり困惑したようだ。
 当然である。
 しかし、朋徳は断られてもなかなか引かず、その上に日奈の病が高じたこととが相まって、紺野家での彼らの滞在が思いがけず長くなった、というのがことの真相らしい。
 紺野家当主が、朋徳からの縁談を固辞したことは、言うまでもない。
「俺は当時まだガキだったから、あんな綺麗な人と結婚できるなら悪くない話だ、とか馬鹿なことを思ってたけどね」
竜介は苦笑した。
「でも今は、何を言われても首を縦に振らなかった、うちのじいさんに感謝してる。黄根さんは、顕化を持つ人間の血を一色家に入れたかっただけだ。もっと強い霊力を持つ神女を生むためにね。そのためなら、自分の娘の幸せなんて、どうでもよかったのさ、あの人は」
 紅子は、その言葉に同意できなかった。昼間、泰蔵から聞いた朋徳の言葉を思い出したからだ。
「ほんとに、それだけだったのかな」
「それだけって?」
 怪訝そうに聞き返す竜介に、紅子は朋徳が玄蔵に言った言葉を伝えた。
 ――貴様か、私か……どちらかがここで死ねば、運命が変わる。
「きっと、変えたかったんだよ。運命とか未来とか、そういうものを」
 そうまでして彼が変えたいと願った運命とは、いったいいかなるものだったのか。
 黒珠が復活しない未来。
 日奈が死なない未来。
 彼が思い描いていたのは、どちらだろう。
 あるいは、その両方か――
「馬鹿馬鹿しい」
竜介は怒ったような口調で言った。
「人が誰か一人死んだからって、そう簡単に未来が変わってたまるもんか。じゃあ、玄蔵おじさんがあのとき死んでたら、日奈おばさんは今頃、生きてたのか?黒珠は復活しなかったのか?そんなわけねーだろ」
 まるで朋徳本人がこの場にいるかのように、そう一気にまくし立てると、彼はグラスの中身を飲み干した。
「まあでも、黄根さんの未来視には、同情の余地は多少、あるかもな」
唇の端を手の甲でぬぐい、言葉を続ける。
「自分の大事な人がいつ死ぬか、なんてことがいちいちわかったら、誰だってどうにかなっちまう」
 大事な人。紅子の心臓が、わずかに跳ねた。ためらうよりも先に、言葉が口を衝く。
「大事な人って……たとえば?」
「家族、とか」
ほぼ即答。紅子は、なぜかほっとした。
「とは言っても、俺、親父のことはあんまり好きじゃないんだけど」
「え、どうして?」
そう尋ねてから、紅子は、はっと思い出した。
 彼の産みの母親、美夜子の享年が、彼の異母妹である涼音の生年と一致することを。

2009.3.22


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