第八十四話「思いがけない言葉」


 竜介は紅子の不機嫌には気づかなかったらしく、読み終えた新聞を無造作(むぞうさ)にたたんで卓上に置くと立ち上がり、言った。
「朝メシ、食い終わったら玄関で待っててくれるかい。昨日約束したとおり、このあと例の人に会いに行くから」
 わかった、と紅子が返事をすると、彼はうなずき返して部屋を出ていこうとしたが、最後に「あ、そうだ」と、何やら思い出した様子で足を止め、こう付け加えた。
「今朝の新聞の社会面だけど、一昨日、白鷺家とその周りであった停電の記事が出てる。興味があったら、見てみるといい」

 竜介が部屋を出ていったあと、紅子は新聞を手元に引き寄せて開いた。
 「岩木山麓(いわきさんろく)東部で停電・高圧線切断される」という見出しで始まるその記事は、トップニュースのすぐ下に載っていた。
 それによると、紅子たちを見舞ったあの停電は、どうやら白鷺家からほど近い高圧鉄塔の送電線が何者か――あるいは「何か」――によって切断されたのが原因だったらしい。
 現場となった鉄塔周辺はふだんから地元暴走族のたまり場になっており、停電のあった夜もそこで集会が開かれていたことから、警察は今回の事件を、彼らによる悪質ないたずらと見て捜査を進めているようだ。
 が、残念ながらその捜査には一つ、大きな障壁があった。
 容疑者も目撃者もいないのだ。
 現場で集会を開いていた暴走族のメンバー二十人あまりは、一人残らず死体で発見されていた。
 それも、首から上のない変死体で。
 つまり、送電線を切った「犯人」は――複数犯だろうと警察は推測しているようだが――地上高数十メートルにはなるであろう鉄塔に、視界の悪い夜間、落下死や感電死の危険を(おか)して登り、高圧電流の流れる送電線を切断し、それに前後して目撃者である二十余人を殺害、彼らの首を切断して持ち去った――ということになる。
 あまりに不可解で、猟奇的すぎる事件である。
 いったい、そうすることが「犯人」にとってどういう利益をもたらすのか――いずれにせよ、尋常な神経の持ち主ではないだろう。
 そう、「犯人」が「人間」ならば。
 送電線の切断面は、「通常の工具で切断されたとは考えられない」ほど滑らかだった、と記事にあった。
 首のない変死体と、ありえないほど滑らかな切断面。
 導き出せる答えは、紅子の思いつく限り、一つしかなかった。

 記事を読んだあと、考え事をしながらもそもそと食事をしていた紅子は、食後、ふと時計に目をやって、その針の進みように慌てた。
 急須のお茶を入れ替えに来てくれた滝口へ「ごちそうさま」を言うのもそこそこに玄関へ行くと、竜介はすでに来ていて、上がり(かまち)に腰を下ろし、そのかたわらに膝をついた母親と話をしているところだった。
「雨上がりで足元が悪いから、二人とも気をつけて行ってらっしゃいね」
 英莉(えり)の言葉に送られて玄関を出ると、竜介は紅子を連れて屋敷の裏手へ向かった。
 庭を囲む菱垣(ひしがき)の一隅には小さな木戸があり、そこを抜けると、鬱蒼(うっそう)とした雑木林が待っていた。
 歩けなくはないが、遊歩道と呼べるほど整ってもいない、そんな荒れた小道が奥へと続いている。
「……何だかずいぶんとその、奥深いというか、静かなところだね」
紅子は竜介のあとについて歩きながら、遠回しに感想を述べた。
「あたしに会わせたい人って、こんなとこにいるの?」
 どことなく不安な気持ちが、その声に出ていたのかもしれない。
「ここじゃなくて、ここから歩いて二十分くらいのところにね」
竜介は肩越しに、笑いながら言った。
「大丈夫、すぐに少し広い道に出るよ。車でも行けないことはないんだが、いったん街まで出なきゃならないから、一時間以上かかるんだ。悪いね」
 それとも、時間がかかっても車のほうがいいかと訊かれ、紅子は、
「歩きでいい」
と答えた。
 雨天ならともかく、今朝のような好天の下でなら、山歩きもそう悪くない。
「それと、途中でちょっと寄り道していいかな。そう時間は取らないから」
 そう言って、彼は片手にさげている水桶(みずおけ)を目で示した。桶に水は入っていなかったが、代わりに淡い色の秋桜(コスモス)が十本あまり揺れている。
「お墓参りにでも行くの?」
 紅子は半ば冗談のつもりでそう尋ねたのだが、彼は曖昧(あいまい)な笑みを浮かべ、言った。
「ま、そんなとこ」

 雑木林の小道は彼の言葉通り、まもなく広く明るい上り坂に変わった。
 道の片側は木々に覆われた急勾配の斜面で、木立のはるかむこうには街が見えた。
 紺野家の墓はその坂をしばらく登った、見晴らしの良い高台にあった。
 すぐ傍には小さな湧き水もあったが、これも墓を建てるにあたって山の水を人工的に引いてきたのかもしれない。
 人が手を加えた跡があった。
 竜介の説明によると、墓は彼の曾祖父の時、紺野家の菩提寺(ぼだいじ)が戦火に()って焼けてしまったのを機に、同家の私有地であるこの山に移したのだということだった。
 彼が花立てや水鉢の水を替え、持ってきた花を供えたりしているあいだ、紅子は卒塔婆(そとば)立てや墓誌(ぼし)を不思議そうな顔で眺めていた。
「うちの墓、そんなにめずらしい?」
 からかうような竜介の声に、紅子は自分が不躾(ぶしつけ)な子供じみた振る舞いをしていることに気づき、顔を赤らめた。
「あっいや、うちのお墓とずいぶん違うから」
あわてて言いわけをすると、彼女は墓誌を指さし、言った。
「こっちの石に刻んであるのって、全部このお墓に入ってる人の名前?」
 竜介はうなずいた。
「そう。それと、戒名と命日と享年」
 紅子は感心したように、ふーん、と鼻を鳴らした。
「これだけたくさんだと、たしかにお墓の裏には入りきらないよね」
「これでも、かなり減ったほうらしいよ」
竜介が言った。
「墓を引っ越すとき、石も新しくしたんだけど、古い墓石に刻まれてた名前のうち、すり減って読めなくなってた分は省いた、ってうちのじーさんが言ってたから」
 それを聞いた紅子が、竜介の祖父母の名もこの中にあるのだろうか、などと思っていると、まるでその考えを読んだかのように、彼は続けてこう言った。
「ちなみに、うちのじいさんばあさんは今、オーストラリアで隠退生活を送ってる」
「えっ、向こうの人なの?」
 驚いて訊き返す紅子に、彼は声を立てて笑った。
「まさか、二人とも生粋(きっすい)の日本人だよ。ただ、向こうのほうが物価が安くて気候もよくて、居心地がいいんだそうだ」
 海外で過ごす余生――英語の苦手な紅子には、想像もつかないことだ。
「さて、そろそろ行こうか」
 竜介は持ってきた桶を湧き水の傍らに置いたまま、紅子をうながして歩き出した。
 たぶん、帰りに回収するつもりなのだろう。
 立ち去る間際、紅子は何気なく、墓誌の一番最後に刻まれている故人の名前を見てみた。
 美夜子(みやこ)という俗名のその女性は、紅子が生まれたちょうどその年に、三十四歳という若さで亡くなっていた。
「あたしが生まれた年に亡くなった人がいるんだね」
 何気なく、口をついて出た言葉。
 しかし、それに対して返ってきた言葉は、彼女が予期せぬものだった。
「ああ、美夜子さんか」
と、竜介は言った。
「その人は、俺を産んでくれた人だよ」

2010.01.09一部改筆


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