第八十三話「ホームシックの夜」


 その日の夕食は、ちょっとした宴会だった。
 食事の準備ができたと知らせに来た鷹彦に紅子がついて行ってみると、そこは、昼間彼女が涼音から教えられた食堂とは違う部屋で、十三、四帖ほどの広い座敷だった。
 奇妙に思って尋ねてみると、今夜の食事は紅子の歓迎会に加えて竜介と自分の慰労会を兼ねているため、特別に広い部屋を使うことになったのだ、という答えが鷹彦から返ってきた。
 座敷の中央にすえられた広い長方形の食卓には、白鷺家で(きょう)されたものほど目先の変わったメニューはなかったが、家庭料理としてはかなりの馳走が並んでいた。
 よく冷えて汗をかいている瓶ビールもそこここに林立している。
 当然のことながら、紅子と涼音の席にビール用グラスはなかったけれど。

 アルコールが出る以上、この宴席の主な目的は、竜介たちの慰労会に決まったも同然だった。
 酒を飲めない未成年が酒宴の主役になることは、不可能に近い。
 酔いが回るにつれ、大人たちが各々勝手に盛り上がってしまうからだ。
 しかし、食事を終えたらさっさと自室にもどって休みたいと思っていた紅子には、これはかえって好都合だった。
 自分が主役でないなら抜け出すのも容易だし、後ろめたさを感じることもない。
 第一、酔っぱらいは注意力が散漫になっているから、面子(めんつ)が一人や二人欠けたところで気付かない。
 気付くことがあったとしても気にしないし、すぐ忘れてしまう。
 紅子は腹がくちくなると、滝口と一緒に座敷と台所をせわしなく往来している紺野夫人を呼び止め、馳走の礼を述べたあと、疲れているので部屋に帰って休みたいと告げた。
「ああ、それはそうよね。気がつかなくてごめんなさいね」
 英莉(えり)はもの柔らかな口調でわびると、紅子が座を抜けることを快諾してくれた。
 よかったら、お休みの前にお風呂に入ってね。浴室の場所、涼音から聞いてらっしゃる?

 さて、座を立とうとして改めて室内を眺めれば、そこは早くも祭りのあとといった様子だった。
 卓上の皿はどれもほぼ空っぽ。
 床にはビールの空き瓶が目立ち、酔っぱらいたちはグラスを片手に席を離れ、好き勝手な場所で話に花を咲かせている。
 素面(しらふ)で自分の席にじっとしているのは、紅子と同じく未成年であるがゆえに酒を飲めない涼音だけ。
 彼女はいかにも退屈そうに頬杖(ほおづえ)をつき、デザートの果物をフォークの先でつつき回していた。
 大好きな竜介が、あいにく他の兄二人と何やら話し込んでいて、彼女には出る幕がないらしい。
 自分の部屋にもどっちゃえばいいのに。
 涼音の様子にそんなことを思いながら、紅子がさりげなく座敷を出ようとした、そのとき。
 むこうが不意に顔を上げて、こちらを見た。
 目があった瞬間の涼音の反応は、ある意味、紅子の予想通りだった。
 彼女は紅子と視線がぶつかるや否や、不快感もあらわに、ぷいと顔を背けたのである。
 どうやら、彼女にとって紅子はまだ「敵」であるらしい。
 自分にとってまったく身に覚えのない敵意に、紅子は眉間にしわが寄るのを感じながら宴席をあとにした。
 ほんの一瞬でも涼音のことなど気にかけた自分が馬鹿みたいだった。

 シャワーとカランが四カ所もついただだっ広い風呂場は、紅子が一番風呂らしく、床のタイルは乾いていた。
 もう、涼音のことは放っておこう。
 少し熱めでちくちくする湯に身体を沈めながら、紅子は疲れた頭でそう決めた。
 もともと、別に仲良くなる必要なんてないのだ。
 自分はここに、魂縒(たまより)を受けに来ただけなのだから。
 風呂から上がって部屋にもどってみると、すでに寝具の用意はととのえられていた。
 時計を見ると、九時を半刻ばかり回ったところである。
 少し早いが、紅子は床に()くことにした。
 明日は、竜介が何やら「重要な」人物に会わせてくれると言っていたし、旅の疲れを残しておきたくない。
 いつの間にか、外は雨が降り始めていた。
 座敷の喧騒(けんそう)もこの部屋までは届かず、さらさらと穏やかな雨音だけが空間を満たしていく。
 そのささやきは、東京にいる春香たち友人のことを、なぜかしきりと思い出させた。


 雨は一晩で上がり、翌朝は快晴だった。
 食事の時刻はあらかじめ聞いていたので、遅れないようにこの家の「本来の」ダイニングルームへ向かう。
 そこに入った瞬間、紅子は初めてなのにどことなく懐かしいものを感じた。
 室内の雰囲気が、彼女の家の居間に似ていたせいかもしれない。
 もっとも、食卓として使われている座卓や、晩酌用とおぼしき酒瓶の並んだカップボードなどの調度品は、比べるまでもないほど一色家のそれらより立派だったけれど。
 室内の先客は、寝間着とぼさぼさ頭のままで茶をすすりながら新聞を読んでいる竜介と、食卓を片づけている滝口の二人だけだった。
 涼音と顔を合わさなくてすむのはありがたいが、昨夜のにぎにぎしさは、他の家人たちは、いったいどこへ行ったのだろう?
 壁に掛けられた古い振り子時計は朝の八時を指している。
 平日なら遅い時刻かもしれないが、今日は土曜だから、早いといってもいい。
 紅子が入り口に突っ立ったまま戸惑っていると、滝口が彼女に気付いて、
「おはようございます」
と声をかけてきた。
「ちょっとお待ちになってくださいね。ただいまご朝食を運んで参りますので」
と言いながら台所へ向かう彼女に礼を言って、紅子は座卓の前に座った。
「おはよう」
新聞ごしに顔の上半分だけを出して、竜介が言った。
「よく眠れたかい。ゆうべは雨の音がけっこううるさかったけど」
 紅子は、大丈夫と答えてから、
「他の人たちは?」
と尋ねてみた。
 すると竜介からは、彼の父親は今朝早くに東京へもどり、母親は昨日の酒宴に使った座敷の掃除中、斎は執務室で事務仕事、弟二人はまだ寝ている、という答えが返ってきた。
 どうやら自分が起きてくる時間を間違えたのではないらしいとわかって、紅子は少しほっとした。
「で、うちの問題児だけど、」
と、竜介は言葉を続けた。
「部活でついさっき出ていったところ」
「土曜なのに?」
紅子は滝口が運んできてくれた朝食を口に運びながら、言った。
「熱心なんだね」
「まあね」
 そう答える竜介の口調は、どことなく嬉しそうだった。
 彼は紅子の言葉をほめ言葉と解釈したらしい。彼女にそんなつもりはなかったのだが。
「陸上やってるんだが、駅伝の選手になったとかで、張り切ってるんだ」
 紅子はなぜか、あまり面白くない気分になって、
「ふーん」
と、わざとそっけない返事をしたきり、食事に専念するふりをした。
 化け物退治のために休学までして東京を離れ、一度ならず生命の危険にさらされながらここまでやってきた自分と、何ら変わりない日常を享受している涼音。
 同じ御珠(みたま)(ほう)じる血統に生まれながら、この違いはいったい何だろう。
 無論、御珠に関わるだれもが皆ひとしく何らかの責務を負うべきだなどとは、紅子自身も思ってはいない。
 平穏無事に過ごすなら、それに越したことはない。
 そう思っていたつもり、だったのだが――
 それでも、今の状況に納得できない気持ちがどこかにあったのか。
 何となく、何となく釈然としないものを、紅子は感じていた。

2010.01.09一部改筆


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