第二十一回「クローンとじゃんけんだとぅ?」(後編)

 はい、第21回・・・今回は前回の続きなわけですねぇ・・・。最近の忙しさで前回のコトまで忘れそうになってますが(^^;、いくであります。うーん、空想科学ぅ。

 前回まで色々何だかんだ言ってましたが、結局どういう話に持って行きたかったかというと、どれだけ全く同時に意識を構成するところを2つに分けるかという話なわけです。自分の手の皮とかがむけてどっかへ行っても、その皮膚には自分の意識があるわけじゃないのは分かりますよね。結局はオリジナルとしての自分はハッキリと自分とわかるわけです。その皮から再生させて意識を持たせるようになったとしても、オリジナルとコピーとは元が違っているからハッキリ分けられるわけですね。

 では、脳(特に自分の意識を構成する部分ね)から何から全ての部分を同時にクローン的に2つにした場合はどうでしょうか?現在の自分の意識はこうなっていく瞬間一体どう動いていくのでしょうか?考えてみるに、まず意識の動きというのは頭の中の粒子の動きなわけですよね。今2つに分かれる場合を考えると、2つに分かれる最初の時では、分裂はしているけどほとんど距離的に離れてないといえるのではないでしょうか?で、この分裂した2つの距離が、意識を構成する粒子の動ける範囲だったとすると・・・。

 んで、ココでもう一つ考えなくてはいけないのは、全てを2つにするということは意識を構成する粒子も2つずつなわけです。で、2つに分かれる距離についても一緒に考えると・・・、分かれる最初の時は2つの身体両方好きなほうの意識になれるのではないでしょうか?意識の粒子は分かれる2つの距離が離れてなければ動けるわけですから、どっちの身体でも行けるというわけですね。距離が開けばその時いる身体の意識となるわけです。じゃ、もう片方の意識の方はどうなるか?元は全く同じ意識ですから自分と同じ動きをするかと思います・・・が、しばらくすれば別の動きになるのではないでしょうか?

 これはどういうことかといいますと、つまりは環境によって育ちが違ってくるというやつですね。周りの影響を受けてその反応も変わるということがあるでしょう。つまり頭の中の考えも、例え同じ人であっても環境が違えばそのうち変わってくるというわけですね。自分自身のクローンとじゃんけんをするとしたら、互いに見るもの聞こえるものなどが違っていればそのうち考えを行う粒子の動きも変わってくるわけですから、出す手も別になって勝負がつくってわけなんですね。

 結論としては・・・クローンは出来たては全くいっしょだったとしても、やはりオリジナルとは別の生き方をすることになるから全くいっしょとは言えないのではないか・・・ということですね。でもこれはかなり細かい所で見た場合ですから、パッと考えると全然一緒と考えてしまうわけなんですよね・・・。もし、自分のクローンが出来たとしたらどう考えるのがいいかとココで考えてみるに・・・目の前の自分(クローンに対してもオリジナルに対しても、どういう場合でも)に対しては、自分と一緒だけど自分とは別の人と考えて見るといいのではないでしょうか・・・?つまり自分を自分と自覚するのは大事だけど、自分こそ本物だという考えは別にに持ったほうが良いんではないでしょうか?自分と全く一緒でクローンかどうか区別もわからない人を目の前にして「自分のほうこそ〜」と、考えるよりは「お互いに一つの別々の個」と考えた方が、互いを尊重してやっていけるんじゃないかなぁ・・・と、思うんですよね・・・。

 うーん、今回は長い文章だけど何とか話が出来た感じね・・・(^^;


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