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堂面洞窟遺跡





 海食洞や鍾乳洞の区別無く 人類は自然の洞窟を利用して生活を営んだり、墓地として利用してきました。 日本では、後期旧石器時代以降の洞窟遺跡が発見されていますが、 世界規模で見れば、人類500万年の歴史のうちの大部分を人々は洞窟に隠れ住んでいました。 石灰岩台地には、ほとんど例外なく石灰岩体中に鍾乳洞が形成されていますが、 石灰岩質の岩石は人骨などの保存に適していることもあり、 帝釈峡地域には史跡に指定されている寄倉岩陰遺跡や豊松堂面洞窟遺跡など、 カルスト地形に由来する石灰岩の岩陰や洞窟を利用した先史時代の遺跡から 多くの人類化石が発見されています。
 成羽(なりわ)川の支流域にあたる天田(てんだ)川流域にも、帝釈峡遺跡群を構成する洞窟遺跡や岩陰遺跡が点在しています。 堂面(どうめん)洞窟もそのひとつで、2つの支洞を持つ上洞・下洞の2層構造の鍾乳洞ですが、 縄文時代前期(9000年前)から古墳時代(7世紀)にかけての多くの遺物が発見されたことから、遺跡として保護され、入洞は禁止されています。

付近にある説明板には
豊 松 堂 面 洞 窟 遺 跡

 この遺跡は昭和三十九年(1964)調査の結果、古代人の遺跡であることが 明らかにされた。広島大学と帝釈峡遺跡群発掘調査室により昭和四十二年 (1967)第一次調査より昭和五十八年(1983)第十五次調査をもって一応完了 した。洞窟前面は道路工事の時に一部削りとられたが、本来岩廂(ひさし) は道路半ばにまで出ていた。
発掘の動機は洞部入口の壁面が崩落し埋葬人骨の一部が露出していたこと による。
調査の結果、第十層以下の(遺物)包含層は縄文時代早期のものであること が確認されている。
埋葬人骨は数体発掘されているが、頭を東に横位屈葬と考えられ縄文時代 前期・後期の墓壙と推察される。

出土遺物の主なものは
 土  器(縄文土器・繊維土器・押型文土器)
 石  器(石鏃「せきぞく〜石製のやじり」・削器・彫器 等)
 自然遺物(カワニナ・カワシンジュ貝・シジミ・マイマイ・キセル貝・木炭等)
     (獣骨はシカ・イノシシ・タヌキ・ネズミ・ヘビ・カエル・鳥類等)

この遺跡は数千年前の古代人の生活を知るための貴重な資料として大切に 保存したいものである。

   昭和五十九年(1984) 四月
豊松村文化財保護委員会A
と書かれています。
※兵庫県 森脇さんから ご提供頂いた写真を元に作成しました。 サンキュ♪


所   在
  広島県神石郡神石高原町上豊松 
入   洞   禁止
料   金   −
交   通
「福山駅」から 中国バス 「東廻り油木・東城線」にて 「油木」へ、ここから 中国バス 「豊松線」に乗り換え 「天田」下車、徒歩1km。
車の場合、国道182号線から県道9号線(主要地方道 芳井・油木線) または 県道106号(布賀・油木)線に入り 上豊松を目指し、天田から天田川を沿いを下流へ進みます。
駐 車 場
  なし 2009年1月現在



 兵庫県 森脇さん2008/11/1

 毘沙門洞へ行く途中にあります。 道路の拡張工事で岩が削られ、穴がぽっかり空いていますが、金網で入れないようにしてあります。 無理をすれば、中に入れなくもないのですが、どう考えても一旦降りると道路まで上がるのが無理ですので、あきらめました。
 広島県とは言え、旧豊松村は吉備高原の一部とあって、「ある」んですね。 鍾乳洞。 写真にある、幅100m,高さ36mと言われる石灰岩の巨大な岩体の露頭も見事なもので、 地図を見ながらワクワクしてしまいました。




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