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海食洞や鍾乳洞の区別無く 人類は自然の洞窟を利用して生活を営んだり、墓地として利用してきました。 日本では、後期旧石器時代以降の洞窟遺跡が発見されていますが、 世界規模で見れば、人類500万年の歴史のうちの大部分を人々は洞窟に隠れ住んでいました。 石灰岩台地には、ほとんど例外なく石灰岩体中に鍾乳洞が形成されていますが、 石灰岩質の岩石は人骨などの保存に適していることもあり、 帝釈峡地域には史跡に指定されている寄倉岩陰遺跡や豊松堂面洞窟遺跡など、 カルスト地形に由来する石灰岩の岩陰や洞窟を利用した先史時代の遺跡から 多くの人類化石が発見されています。 |
成羽(なりわ)川の支流域にあたる天田(てんだ)川流域にも、帝釈峡遺跡群を構成する洞窟遺跡や岩陰遺跡が点在しています。 堂面(どうめん)洞窟もそのひとつで、2つの支洞を持つ上洞・下洞の2層構造の鍾乳洞ですが、 縄文時代前期(9000年前)から古墳時代(7世紀)にかけての多くの遺物が発見されたことから、遺跡として保護され、入洞は禁止されています。 |
付近にある説明板には | ||
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所 在 |
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入 洞 | 禁止 | ||
料 金 | − | ||
交 通 |
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駐 車 場 |
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2,3行で構いません。
堂面洞窟遺跡に関する今昔の情報や写真, 訪れた際の皆さんの感想を E-mailでお寄せ下さい。 このページに掲載させて頂きます。 じじいが出かける際の参考にもさせて頂きますので、よろしくお願いいたします。 |
- 2009.1 |
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