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ソビエト占領地区−メクレンブルク・フォアポンメルン地区

1Reichsmark(ライヒスマルク) = 100Pfennig(ペニヒ)

 メクレンブルク地区は当初、ヴィスマール、シュヴェーリン、ルートヴィヒスルスト、デーミッツの各都市を結んだ線を境に、西がイギリス軍占領下(5月20日〜)、東がソビエト軍占領下というように2分割された形で占領されていましたが、イギリス軍からソビエト軍へ統治が移管されて、1945年7月1日(日)から全体がソビエト軍の占領下となりました。
 一方、フォアポンメルン地区は、メクレンブルク地区の東側、オーデル・ナイセ・ラインの西側にある地域で、もちろんソビエト軍占領下にありましたが、郵便業務上はメクレンブルク地区と一緒に扱われ、どちらもシュヴェーリン中央郵便局の管轄下に置かれました。なお、オーデル・ナイセ・ラインとは、ナイセ川と合流点以北のオーデル川とを結ぶ線のことで、ドイツとポーランドの国境に定められています。(1950年に東ドイツが国境として初めて承認。ところが、この国境の東側にあった旧ドイツ領の放棄をあきらめない西ドイツは、国境承認を渋り続け、1970年にようやく承認。さらにドイツ統一後の1990年に、再度、ドイツとして承認。)

 郵便業務は、ソビエト軍占領下の地域では、5月中旬から、その地域内に限定した郵便として再開されています。一方のイギリス軍占領下の地域では、遅れて6月14日(木)から再開されています。

1945.8.28 (火曜 Dienstag, Tuesday) - 1946.3.1

1.数字・労働者図案シリーズ

 メクレンブルク・フォアポンメルン地区としての最初のシリーズです。まず、市外用葉書料金の6Pfennig切手と市外用書状料金の12Pfennig切手が発行され、少し遅れて、市内用書状料金の8Pfennig切手が発行されました。
 印刷はザントメイヤー社で行われ、10×10の100面シートで印刷されました。あり合わせの用紙とインクを使ったためか、製造された時期によって用紙と刷色の差が大きく異なるため、こちらのページでもその違いを示しています。
 ところで、6Pfennig切手の図案は、1849年11月にバイエルン王国で発行された6Kreuzer切手とそっくりのデザインです。これは、意図的にデザインを似せたものと思われます。

6Pfennig 1945年8月28日(火)発行 数字と枠飾り
市外用葉書

発行枚数:約700万枚
6Pfennig 1945年11月16日(金)発行
市外用葉書

発行枚数:195万枚
6Pfennig 1946年1月7日(月)発行
市外用葉書

発行枚数:204万枚
6Pfennig 1946年1月11日(金)発行
市外用葉書

発行枚数:199万4000枚
8Pfennig 1945年10月6日(土)発行 畑を耕す農夫
市内用書状

発行枚数:299万3000枚
8Pfennig 1945年10月19日(金)発行
市内用書状

発行枚数:50万枚
8Pfennig 1945年11月3日(土)発行
市内用書状

発行枚数:100万2000枚
8Pfennig 1945年11月2日(金)発行
市内用書状

発行枚数:49万5000枚
8Pfennig 1946年1月7日(月)発行
市内用書状

発行枚数:103万枚
8Pfennig 1946年3月1日(金)発行
市内用書状

発行枚数:100万枚
12Pfennig 1945年8月28日(火)発行 麦の束と農家
市外用書状

発行枚数:700万枚
12Pfennig 1945年11月9日(金)発行
市外用書状

発行枚数:339万枚
12Pfennig 1945年12月20日(木)発行
市外用書状

発行枚数:159万2000枚
12Pfennig 1946年1月30日(水)発行
市外用書状

発行枚数:198万2000枚

・それぞれの切手に、さらに色調のバラエティがあります。
・それぞれの切手に、版欠点があります。
・有効期限は1946年10月31日です。


1945.10.21 (日曜 Sonntag, Sunday)

2.ファシズムの犠牲者救済基金 付加金付き

 いずれも、ファシズムに反対した政治家をテーマとした記念切手で、木版画をそのまま図案にしたような、簡素なデザインです。印刷はニーマン社で行われ、10×5の50面シートで印刷されました。

6+14Pfennig
ブライトシャイト(1874生-1944没)
8+22Pfennig
クラウゼナー(1885生-1934没)
12+28Pfennig
テールマン(1886生-1944没)

・使用済が少なく、後消し、偽消しはもちろん、切手そのものの偽物まであります。
・有効期限は1945年12月21日でしたが、実際は、1946年2月28日まで使用された例があります。


1945.12.8 (土曜 Sonnabend, Saturday) - 12.31

3.農地改革推進基金 付加金付き

 「ユンカー達の土地を農民の手に」をスローガンに進められた農地改革の基金を目的とした付加金付き切手です。ユンカー(またはユンケル)は、若い貴族を意味する言葉ですが、古くから農民に対する封建的な支配を行い、その家系から多くの将校を排出しました。ソビエト軍は、占領地内の軍事施設の破壊、軍需産業の解体を行いつつ、さらに将校への報復として、ユンカーの社会的基盤の破壊を意味する農地改革を断行しました。
 印刷はニーマン社で行われ、10×10の100面シートで印刷されました。このシリーズは、約3週間後に再発行がありますが、刷色の違いで区別ができます。

初版再版 6+14Pfennig
馬で土地を耕す農夫
初版再版 8+22Pfennig
種をまく農夫
初版再版 12+28Pfennig
麦を刈る農夫

・それぞれの切手に、さらに色調のバラエティがあります。
・有効期限は1946年2月28日です。


1945.12.31 (月曜 Montag, Monday)

4.児童救済 付加金付き

 戦争で親を失った子供達を救済する目的で発行された付加金付き切手です。印刷はニーマン社で行われ、10×10の100面シートで印刷されました。

6+14Pfennig
一輪の花を手にする赤ん坊と大人の手
8+22Pfennig
スカーフを巻いた少女
12+28Pfennig
笑顔の少年

・使用済が少なく、後消し、偽消しはもちろん、切手そのものの偽物まであります。
・有効期限は1946年2月28日です。


1946.1.17 (木曜 Donnerstag, Thursday) - 2.25

5.風景図案シリーズ 無目打ち/目打ちあり

 新しい図案のシリーズとして、風景を描いたシリーズが発行されました。印刷は、3Pfennigから12Pfennigまでがニーマン社で行われ、それ以外はザントメイヤー社で行われました。いずれも10×10の100面シートです。なお、ザントメイヤー社は、まだ最初のシリーズ(6Pfennig、8Pfennig、12Pfennig)を担当していたため、ニーマン社と同じ額面で違う図案の切手を並行して印刷していたことになります。
 紙質の違いで発行日が異なりますが、ここでは最初に発行された日付のみを示します。

3Pfennig 1月17日(木)発行 無目打ち 新築の家
20gまでの印刷物
4Pfennig 1月17日(木)発行 無目打ち 赤鹿と遠くに見える町並み
20gを越え50gまでの印刷物
4Pfennig 2月25日(月)発行 無目打ち 赤鹿と遠くに見える町並み
20gを越え50gまでの印刷物
5Pfennig 1月17日(木)発行 無目打ち 2隻の漁船
市内用葉書
6Pfennig 1月17日(木)発行 目打ち入り 刈り取りをする農夫
市外用葉書
8Pfennig 1月17日(木)発行 無目打ち 風車小屋
20gまでの市内用書状、50gを越え100gまでの印刷物
10Pfennig 1月22日(火)発行 無目打ち 馬で畑を耕す農夫
加貼り用
12Pfennig 1月22日(火)発行 目打ち入り 建設中の家
20gまでの市外用書状
15Pfennig 1月24日(木)発行 目打ち入り トラクターで畑を耕す農夫
100gを越え250gまでの印刷物
20Pfennig 1月29日(火)発行 目打ち入り 穀物の倉庫と港
250gを越え500gまでの市内用書状
30Pfennig 1月26日(土)発行 目打ち入り 工場と煙突
書留料、配達証明料、250gを越え500gまでの印刷物
40Pfennig 1月22日(火)発行 目打ち入り 糸を紡ぐ農婦
速達料、250gを越え500gまでの市外用書状

・色調と紙質にバラエティがあります。
・それぞれの切手に、版欠点があります。
・有効期限は1946年10月31日です。


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