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からすうり亭



 薄闇の中、水銀灯の明かりに照らされて、からすうりの白く繊細なレース花がまだぽつぽつ咲いていた。
 少し秋っぽくなってきた時分で、夜になると涼しかった。
 夏と秋の境目の、中途半端な時期だった。
 からすうりのつたう煉瓦塀をほどなく行くと、目当ての居酒屋の看板が見えた。最近贔屓にしている店だ。
 その名も「からすうり亭」。扉に仕掛けられた鐘を派手に鳴らし、僕は店に入った。
「いらっしゃい」
「星くずビールをジョッキで」
「へい」
 運ばれてきたビールを一口ごくりとやった。さわやかな苦みが、口の中をさっぱりとさせる。星くずの気泡が耳に心地よい。少し緑がかった中に、光の加減でキラリと光るのが星くずなのだ。飲んでいくうちに星くずはビールに溶け、気泡を発し、最後まで冷たい温度を保たせてくれる。軽い口当たりのビールだが、最初の一杯にはもってこいの味なのだ。
「今日も暑かったね」
「昼間はまだ夏がぐずぐずしてますからね」
「秋の奴がもたもたしてるんだよ」
「あはは、そうですね」
 店の親父がつまみの皿をジョッキの脇に置いた。今日のつまみは、小エビの煎餅だ。
 早々と一杯目を空にすると、次のを注文する。新しいジョッキがきたとき、ドアベルが来客を告げた。
「いらっしゃい……ああ、やっときたね」
「こんばんは」
 すらりとした姿態の、黒ずくめの青年が入ってきた。どことなく、優男風でこの店には場違いな雰囲気だが、店の親父とは知古のようだった。
 その青年は一通り挨拶がすむとカウンターの僕の隣に座った。
 親父から最初の一杯をもらうと、ぐいっと一息でジョッキを空ける。見かけによらず、実に飲みっぷりがいい。
 親父が空になったジョッキと引き替えに、小エビの煎餅の皿を置いた。
「今もね、こちらのお客さんと秋が遅いと話していたんですよ」
 店の親父は、思わせぶりな目配せをする。青年は微笑むと、軽く頭を下げた。
「それは、お待たせしました。もってきましたよ」
 青年はポケットの中から、からすうりの赤い実を取りだした。そのまま、その実をカウンターの上に転がす。
 ツルの部分もつけたからすうりは、乾燥させ、中をくりぬいたものに蝋が薄くぬってあるらしい。なかなかの出来映えだった。蝋の独特の照りが素朴な雰囲気をだしている。
 時期的に、今年のものではない。去年の実でつくったものだろう。
 僕も子供の自分にはよくつくったものだ。中に蝋を垂らして、芯を置き、提灯にして枝の先に吊して、暗い道でほのかな灯りを楽しんだ。
「……それが、秋ですか?」
「そうです。あなたには、これがなにに見えますか?」
 彼はからかう風でもなく、まじめに問いかけてきた。わたしは言葉に詰まる。冗談とすべきか、判断が付かない。
「からすうりに、見えますが……」
「なるほど。あなたにとっての秋は、からすうりなのですね」
 青年はしたり顔で頷いた。僕は心が穏やかでない。
「どういうことです?」
 僕はわけがわからなくなった。
 彼は慣れている、といった微笑みでからすうりを手に取ると、説明してくれた。
「あなたには、これがからすうりに見える。けれども、他の人間が見てもこれがからすうりとは限らないのです。これは、それぞれが抱いている秋のイメージがその姿として映しだされるもの、秋そのものです。今年は、夏の奴に長居をされてしまったので、遅くなってしまった」
「はあ」
 ただ、相づちを打つしかない。冗談にしても、荒唐無稽すぎて、かえって冗談に思われないものがある。そんな童話のようなことがあるものなのか。
「わたしは毎年ここへ、この辺りの秋の素を届けに来ます。明日からは夜だけではなく、すっかり秋になっていますよ」
 いいながら、新しいジョッキを持ってきた店の親父に、彼はからすうりを手渡した。
「こちらの方も、これがからすうりに見えるとおっしゃっていますよ」
「ほほう」
 親父は、受け取った実を壁に吊した。それまでそこにあった、貝殻を青年に渡す。彼が貝殻を手にすると、それは粉々になって消えていった。
 そうしたことを見るともなしに、親父は語り始める。
「あたしもね、これがからすうりに見えるんですよ」
 店のことは、若い者に任せることにしたらしく、親父は後ろからスツールを持ってきて腰掛けた。
「皆が同じに見えるのではないのですか?」
「いやあ、あたしと同じように見えたのは、お客さんが初めてです。他の人は、これが赤くなった紅葉だったり、甘藷や栗に見えることだってあるようです」
「へえ……」
 僕は壁に吊されたからすうりをまじまじと眺めた。どう見たって、これはからすうりだ。
「明日から、本格的に寒くなりますよ、お客さん。彼に聞いたでしょう? これは秋の素なんですよ」
 そういわれても、なかなか信じられない。憮然としていると、カランとドアベルが鳴った。
「ふう、ここは暖かいな」
 入ってきた男は独りごちる。
「いらっしゃい」
「やあ、いつもの奴、頼むよ」
 男はカウンターの僕たちのそばに腰掛けた。いくらも空いている席があるというのに、そこに座ったということは、そこが男の定席であるらしい。
 そうして店の親父がかけたからすうりを目ざとく見つけると、相好を崩した。
「今夜は冷えると思ったら、秋が来てたんだな、親父さん」
 ジョッキを受け取るとそういった。
「たった今ね。お客さんは、これがなにに見えるんでしたっけ?」
「銀杏だよ。匂いもするな。私にとっての秋は、まさにそれだ」
 それを聞いて、親父は僕に目配せする。
 男もこちらを見た。青年との間で会釈が交わされる。
「もしかして、恒例の疑り屋さんかい?」
「そうそう。とても疑り深いんですよ」
 青年がいう。
「おやおや、君もかたなしだね。それで、そちらの方は、なにに見えるんです?」
 僕は渋々、「からすうりです」といった。
「ほほう。それが私には、どう見たって、銀杏ですよ。……私の銀杏の思い出は、近所に銀杏並木がありましてね、秋になると、銀杏がなって、それが地面に落ちる。すると、あの独特の臭いが充満するんですな」
「確かに、秋の風物のひとつですね」
「でしょう? あなたはなぜからすうりなんです?」
 なぜ、からすうりなのか? そう改めて問われると言葉が出ない。
「それは、あなたが一番秋を感じるのが、からすうりだからなんですよ」
 言葉を失っていると、青年が言葉を挟んだ。
 それは、そうなのかも知れない。子供頃、からすうりで遊んだ思い出、秋になると、ふと目でからすうりの実を探す自分がいることは確かだ。そういえば、この店を見つけたのだって、町中では今時珍しいからすうりが店先に茂っていたからではなかったか。
 これが「秋の素」だ云々という事が大事なのではないのだ。
「……ああ、なんとなくわかってきましたよ。僕は確かにからすうりには秋を感じます」
「そうそう。そうじゃなきゃ、君にはこれがからすうりに見えるはずがないのさ」
 それから僕たちは、新しいジョッキで乾杯し、秋の思い出を語り合った。



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