第九十話「黄根朋徳」


 紅子の母・日奈は、祖母である一色八千代と、黄根朋徳(きね とものり)という男の間に、一人娘として生まれた。
 この朋徳という人物について、泰蔵は、八千代から聞いた話のほかは、うわさ程度のことしか知らない、と紅子に告げた。
 その理由としては、元々、朋徳自身があまり社交的な人物ではなかったということに加えて、彼の掌中の玉であった日奈と、泰蔵の息子である玄蔵の婚姻に、彼が激しい難色を示したことが大きく関係していた。

 朋徳が生まれた黄根家は、名前からも分かる通り、黄珠の流れを汲む者であり、四国で代々、小さな社を祭る、神主の家柄であった。
 祭神の名は後世に付されたものであり、実際に彼らが祭ってきたご神体は、当然ながら、黄珠そのものであった。

 朋徳は大変に聡明な子供として、幼少から生家近隣では評判だったようだ。
 と同時に、「奇妙な子供」ともうわさされていた。
 曰く、遠くで起こった出来事を、まるでその場にいたかのように語る。
 曰く、顔見知りの誰彼の死期を言い当てる――などなど。
 俗に「天は二物を与えず」などと言うが、彼には、その神的なまでの聡明さのほかにも、人ならざる異質な才能――千里眼と未来視――が備わっていたのである。
 その異能の力は強大で、ときに朋徳の両親でさえ彼を恐れたほどであったようだ。
 とはいえ、彼らの息子に対する期待もまた大きく、朋徳は地元の高校を卒業すると、東京の大学へ進んだ。
 このとき、下宿先として朋徳自身が強く希望したのは、他でもない、同じ御珠の守り人として縁浅からぬ一色家であった。
 当時の一色家は、当主が財閥系金融企業の重役を務めていて、そこそこ裕福であったから、知人の息子一人を預かるくらいどうということもなかったし、何より、大学への入学手続きの折、手みやげ付きであいさつに訪れた朋徳少年の聡明さを家主自身が大変気に入っていたため、話はすんなりまとまった。

 こうして、朋徳は、一色家当主の一人娘であり未来の妻となる八千代と「出逢う」こととなった。
 もっとも、この「出逢い」が、果たして本当に偶発的なものだったのかは疑わしい。
 なぜならば、朋徳の未来眼の前には、いかなる未来も「未だ来ざるもの」ではありえなかったはずだからだ――つまり、すべてが彼の描いた「シナリオ」通りだったとしても、何ら不思議はない。
 そして、これもまた彼の「シナリオ」だったのか、彼は一色家での下宿生活を始めてから一ヶ月を待たず、突如として八千代に求婚している。

 八千代は朋徳よりも四歳年上で、当時、二十二歳。
 両親も「そろそろ結婚を」と勧めてはいた。
 しかし、彼らの考えていた娘の結婚相手とは、少なくとも定職ある社会人であり、大学生活を始めたばかりの青二才ではありえない。
 しかも、同じ屋根の下に暮らしているとはいえ、出逢ってまだ一ヶ月足らずである。
 傍目にも、それは無理な求婚と思われた。
 若い頃の八千代がかなりの美人であったことは、孫である紅子も写真などで知っている。
 が、「絶世の美女」というほどではない。では、朋徳少年は、彼女の何を見て、恋に落ちたのだろう?――出逢ってたかだかひと月で、断られるのが目に見えているような求婚をしてしまうほどに。
 驚くべきは、果たしてこの求婚が受け入れられたということである。
 二人は婚約し、朋徳の大学卒業を待って式を挙げた。

「私は生きながら死んでいたの。あの人に出逢うまで」
朋徳からの求婚を受けた理由について泰蔵が尋ねたとき、八千代は言ったという。
「次の世代へこの血統をつなぐための、単なる楔(くさび)。それが、一色家のただ一人の後継として生まれた私の使命……ずっとそう思って生きてきたわ。そんな私に、彼はこう言ったの。『この世界を救う、「鍵」を産んでくれないか』って」
 朋徳は、すべてを知っていた。
 まもなく黒珠が復活すること。
 それを再び封印するための「鍵」が必要となること。
 そして、彼は八千代に言った。自分たちの娘こそが、封印の「鍵」である炎珠の神女となるのだと。
「彼の未来眼のことは知っていたけど、そのときの私には、彼の言っていることが真実かどうかなんて、どうでもよかった。ただ、今までの死にそうに退屈な毎日にさよならできる、単なる「楔」ではない何かになれる、そう思ったの。
 私は、自分のことしか見てなかった。彼が未来しか見ていなかったのと同じように」

 そう、朋徳が八千代に求婚したのは、恋愛などという甘ったるい感情がそこにあったからではなかった。
 彼は黒珠の復活を予見し、それを阻止できる炎珠の神女の誕生を確固としたものにせんがため、ただそのためだけに、一色家の婿となり、娘の日奈をもうけたのだった。
 だが、ありとあらゆる事象を見通す千里眼と未来眼の持ち主であるはずの彼にも、見通せなかったことがあった――日奈には、封印の「鍵」となるに足るだけの力が、なかったのである。

2008.3.9


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