第七十三話「死神・5」


「ずいぶん楽しそうじゃねえか。オイラも混ぜてくれよぅ……」

 その声は、頭上から降ってきた。
 鷹彦が声のしたほうへ目だけ動かすと、すぐそばにある大きな植樹の枝の上に、猿のようにうずくまる小さな影が見えた。細い月明かりの中、耳まで裂けそうな大きな口で、ニヤニヤ笑っている――強烈な獣臭と、黒珠の気配を放ちながら。

 新たな敵の出現に、鷹彦は内心で舌打ちした。両方の敵を、こちらにどうにかしてこちらに引きつけておかなければ、竜介たちが危ない。

 こういうダブルブッキングは、今夜が人生最初で最後にしたいもんだぜ。

 声には出さずにそんな軽口をたたくと、樹上の気配を探りながら、目の前の敵に目をやる。
「なあ、迦陵よう。何とか言えよう」
 樹上の影が、また言った。媚びるような猫なで声。「ガリョウ」とは、黒衣の少女の名前だろうか。
 と――
 月光の加減だろうか、少女の白い眉間が、ほんのわずかに、寄せられたように見えた。
 見過ごしてしまいそうなほど、極めてささやかな、嫌悪の相。

 こいつ――?

 鷹彦の小さな気づきは、しかし、ここで夜顔のささやきに遮られた。
「鷹彦さま」
夜顔は、敵を刺激しないよう、姿を見せず、彼の耳元でささやいた。
「なんだそりゃ?」
伝言の中身に仰天した鷹彦は思わず大声を出しそうになって、慌てて声をひそめた。
「それ、マジで言ってんの?」
「紅子さまは、大丈夫だと仰せです」
「いや、けどさあ、それって失敗したら……」
 だが、彼がその言葉を終えることはなかった。
 ガリョウと呼ばれた少女の白い顔が、突然、彼の目前に現れたからだ。
 ほんの一瞬の隙をついて、間合いを詰められた。

「何と話している?」

 しまった、と思ったときには、もうその声と刃が、同時に彼に肉迫していた。
 視界の端では、仲間の動きに遅れまいとしてか、樹上の影も、猿のような奇声とも雄叫びともつかない声とともにこちらに降ってくる。

 まずいなんてもんじゃない。万事休すだ。

「鷹彦さま」
 決断を促す、夜顔のおっとりした声。
 鷹彦はやけくそになって叫んだ。
「あーもう、好きにしてくれ!」

 彼がそう言い終わるのと、視界のすべてが真紅に染まるのとは、どちらが早かっただろう。
 猛烈な炎がすべてを包み込み、人のものならざる、おぞましい叫びが二つ聞こえた。

 竜介からの伝言の中身は、紅子を捕えている揮発油まみれの触手に引火させて、その火で残る二体の黒珠も仕留めるから、鷹彦は風の結界で炎から身を守れ、というものだった。そしてどうやら、二人の連携プレイはうまくいったらしい――もっとも、二人の無事を確かめるまでは、まだ成功とは言えないが。
 炎は時間にしてほんの数分で幻のように消えたが、今度はもうもうと立ち込める煙で何も見えない。
 どこからかうめき声が聞こえた気がして、鷹彦は急いで風を起こし、煙を吹き払った。

 黒珠の気配。

 煙が晴れたとき、彼の目の前にいたのは、黒焦げの地面にうずくまる、黒衣の少女の姿だった。
 どうやってあの炎をしのいだのか、少女はまったく無傷に見えた。そして、地面から焼けただれた大きめの土塊にしか見えない何かを抱き起こそうとしていた。うめき声は、その土塊から聞こえた。
 煙が吹き払われ、己の姿が敵の目にあらわになったと気づくと、少女姿の黒珠は急いで逃げる素振りを見せた。
「待て!」
 逃がすまいと、鷹彦はかまいたちを放ったが、それは少女の身体をすり抜けてしまった。
 まるで、その姿が実態のないただの虚像であるかのように。
 そして、鷹彦が当惑しているうちに、その虚像も空に溶けるようにしてかき消えたのだった。

2010.01.03一部改筆

2019.01.26改筆


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