第四話「破られたまどろみ・3」


 警備員に現場の引き継ぎを済ませて宿に戻ると、時計は夜の九時を指そうとしていた。
 給仕をする仲居には思い切りいやな顔をされてしまったが、旅館の夕食にぎりぎり間に合ったのは、虎光にとってこの日一番の幸運だったといえる。
 何しろ、午後三時頃、事務所兼用の休憩所に置いてあった誰かの差し入れらしい缶入りクッキーを食べたあとは、ペットボトルのウーロン茶以外口にしていなかったのだから。
「一日何も食わないと餓死する生き物って、何かいたよなぁ」
 着替えもせず、猛烈な勢いで空腹を満たしていく兄を眺めながら、とうに旅館の浴衣に着替えてくつろいでいた鷹彦がしみじみと言う。
 彼はこの二週間でずいぶんと日に焼けていた。
 虎光は吸い物で口の中の料理を食道へ流し込むと、弟を軽くにらんで、
「お前、ときどき失礼だね」
と言い返した。
 食事を終えて風呂に入り、のりの利いた浴衣に着替えると、ようやく人心地ついた気がした。
 井出との対決で思ったより自分は神経をすり減らしたのだと今頃になって気づく。肩に力が入ってがちがちだ。
「はー、頭いて……」
 食事のあとを仲居がきれいに片づけて行ったローテーブルに突っ伏し、思わずつぶやくと、布団に寝転がって携帯電話をいじっていた鷹彦がのんびりした口調で言った。
「なんかあったのか?」
 こいつには、話しておいたほうがいいだろうな。
 虎光は少し考えてから、
「実はさ……」
と、宵に入ってからあったことを弟に話した。

「へええ。学問以外興味ありませんって顔したあのセンセーがねえ」
ひと通り話を聞き終えると、鷹彦はそんな感想を口にした。
「今頃、あちこちの新聞社や雑誌社に電話かけまくってたりしてな」
「万一そうだとしても、親父がうまくやってくれるだろ」
虎光は肩をすくめた。
「俺たちは明日、あのブツを無事にうちの本宅に送り出すだけだ」
「明後日からまた大学かあ」
鷹彦はそう言って大きくのびをした。
「しっかし、よりによって俺たちの代で見つかるとはね。早いとこ実家に送ってお役御免となりたいぜ」
「怖いのか?」
 兄の質問に、彼はむっとした様子で口をとがらせた。
「虎兄はどうなんだよ」
 虎光は、「笑うなよ」と前置きしてから、
「怖い」
と、率直に感想を述べた。
「あの饕餮紋(とうてつもん)を見てると、足に震えがくる。……変だよな。俺はお前や兄貴みたいに魂縒(たまより)を受けてねえのに」
「俺らのDNAに刷り込まれてるんじゃねーの?あれに対する恐怖、ってやつがさ」
「かもしれんな」
虎光はテーブルに頬杖をつくと、ふーっと長いため息をついた。
「うちがなんで血眼になって五百年もあれを探し続けてきたか、頭ではわかってたつもりだったけど、実際にこの目で見てやっと実感できたぜ。よく今まで人目につかずに埋もれてたもんだ」
「もし何も知らないやつが見つけて、こじ開けでもしてたら……」
「想像したくもないね」
と、弟の言葉を引き継いで、彼は肩をすくめた。
 それを見た鷹彦が、感心したように「ふーん」と鼻を鳴らす。
「虎兄にも、そーゆーことってあるんだな」
「何だと?」
 虎光はいささかむっとして相手をにらみつけたが、鷹彦は慣れているせいか動じるふうもなく、
「いやさ、虎兄ってそのガタイだし、きっと脳みそまで筋肉なんだろうなぁなんて思ってたんだよね」
などと、この上なく失礼なことを言い出す。
「ごめん。俺、虎兄のこと見直した。あなたの脳みそにはちゃんと神経通って」
 ごん。
 鈍い音が鷹彦の脳天に炸裂し、目から火花が散った。
 虎光の鉄拳が下ったのだ。
「いってええええっ。首の骨折れた」
「折れるか、アホ!ちゃんと手加減しとるわ」
 と、そのとき。
 電子音が室内に鳴り響いた。携帯電話の着信音。二人のうち、どちらのものだろう。
 虎光は卓上に置いた自分の携帯を見たが、音はそこからではなかった。
 痛みで涙目の鷹彦が自分の荷物から携帯を取り出すと、果たして着信は彼のものだったらしい。フリップを開いたとたん、彼の表情がたちまち明るくなった。
 虎光が横から画面を覗き込むと、「りさでーす♪」というメールのタイトルが表示されている。
「りさ?誰?」
と、声に出して訊くと、弟から待ってましたとばかりに
「昨日まで東京からこの旅館に泊まりに来てた女子大生♪ナンパしたらメアド教えてくれたの♪」
という返事。
 いつの間に……というか、まめまめしいというか……。
 虎光はあきれかえって声も出ない。
 そんな兄の心中など知らない鷹彦は、
「さっきデートに誘ったから、その返事だぜ、きっと」
と、つい数分前まで深刻な話をしていたのが嘘のような浮き浮きとした表情でメールを開いた。
 ところが。
 次の瞬間、やにさがっていた彼の顔から笑みが消え、泣き顔に変わった。
 その劇的な変化は、虎光が別の意味でしばし言葉を失うほどだった。
「ど……どうかしたのか?」
 彼が尋ねると、弟はただ黙って携帯を差し出した。
 その画面には、こんなメッセージが表示されていた。
「Fromりさ Subりさでーす♪ ごっめーん。遊び行けないですぅ。今日、元彼からもとさやメール来ちゃった☆てへ☆
でも、紺野くんはいい人だから、お友達でいたいな(はぁと)」

 床についてから、虎光はなかなか眠れずに天井を見上げていた。
 隣からは、弟の軽いいびきが聞こえ、そこに時折、「ちくしょー」だの、「女がなんだぁ」というような寝言が混じる。
 平和なヤツ。
 虎光は苦笑して目を閉じた。が、石柩のことが頭を離れない。
 警備員に現場の引き継ぎを終えて事務所兼休憩所を出たときには、もう井出教授の姿はどこにもなかった。
 善後策を練るために宿に戻ったのだろう。
 兄貴にも来てもらったほうがよかったかな、と思うが、今更だ。
 彼は余計な心配を振り払うようにかぶりを振った。
 警備もつけてあるし、何も起こるはずがない――
 そう自分を安心させながらしばらく眠りの浅瀬(あさせ)を漂ったあと、ようやく深みに落ちようかという状態になった、そのとき。
 彼の眠りは、電話の呼び出し音によってあっけなく破られてしまった。
 鳴っているのは、携帯ではなく、床の間に置かれた旅館の電話だった。
 枕元に置いた腕時計を見ると、午前一時。
 いやな予感がした。
「こちらフロントですが、紺野(こんの)さまですね」
受話器を取ると、若い男の声が言った。
「警察から、お電話が入っています。おつなぎしてよろしいでしょうか?」


 虎光と鷹彦が駆けつけたとき、発掘現場は夜中にも関わらず、まるで白昼のような騒ぎだった。
 あたりはサーチライトで照らされ、あちこちでパトカーの赤色灯が瞬き、警察関係者がうろうろしている。
 石柩は、影も形もなかった。
 それがあったはずの場所は、一面血の海で、粉々になった柩のかけらが散乱していた。
 虎光は遺跡に三人の警備員をつけていたが、彼らは皆、休憩所の隅で、ガムテープで目と口をふさがれ、両手両足を縛られた状態で発見されていた。
 幸い、命に別状はなかったが、頭を鈍器のようなモノで(なぐ)られて気絶させられていたため、その後のことは何も覚えていなかった。
「彼らが言うには、ここの現場責任者の井出と大村が、急に調べたいことができたと言って来たので、あなたがたに念のため確認をとろうと、とりあえず休憩所に入れたところ、後ろから殴られたのだそうです」
担当の刑事が言った。
「現場からはほかに、こんなモノが見つかってます」
 そう言って、大型の懐中電灯、デジタルカメラ、それに、金属製の細長い板二枚を二人に見せた。
 懐中電灯はひびが入り、デジタルカメラは、それがかつてカメラだったと言われればそうかとわかる程度にしか形状をとどめていない。
 そして、最後の金属板は石柩のふたをこじ開けるには最適の形をしていた。
 井出と大村は、あの石柩とその中身をカメラにおさめるために来たのだ。
 自分たちが学界に提出する論文の証拠とするために。
 そして、虎光たちがやろうとしていたことを告発するために。

 石柩の中身がなんなのかも知らずに。

 警察の事情聴取が終わるとすぐに、虎光と鷹彦は父親の携帯に連絡を入れた。
 使えるかどうかさえわからず、彼らにとってはできることなら使いたくない「切り札」が必要になったことを、沈んだ声で告げた後、二人は現場に漂う、血なまぐさい臭いをかいだ。
 それはまるで、これから起こることを暗示するかのように、彼らを慄然(りつぜん)とさせたのだった。

2009.11.7改筆


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