第百七話「心の迷宮・8」


 暗殺された天帝から数えて三代目のことである。百年余りが経とうとしていた。
 二代目が天寿を全うし、彼女は新たに炎珠の神女から選ばれ、任を負ったばかりだった。
 奇しくも黒珠の血を遠戚に持つこの新しい女帝は、代々の天帝同様いさかいを好まぬがゆえに、穏便に事を収める努力を惜しまなかった。
 彼女は炎珠の一族には中立を守らせ、評議会には御前会議を開くよう求めた。
 天帝の膝元である都城を追われ、自領に閉居している黒珠の首長を召喚し、直接くわしい事情を聴くためである。
 温厚で公明正大な彼女は、良い支配者となっただろう――平時であれば。
 はかりごとをめぐらせることに暗く、宮廷に立ちこめるきな臭さにも気づかぬまま天帝となったことは、ただ彼女一人の、というよりは、御珠の一族全体の不運といえた。

 時は立ち止まらず、現実は正義を行わんとする者たちに残酷であった。
 機に乗じて覇権を握らんと画策する黄珠の者たちが、黒珠に申し開きの場などくれてやるはずもない。
 彼らは白珠・碧珠とともにはかり、天帝からの勅命(ちょくめい)に応じて宮廷に現れた黒珠の首長を捕らえ、審判を待たずにその命を奪おうとした。
 暗殺者はその数、二十余名。
 対する黒珠の首長は随伴を連れず、単身。
 明らかに多勢に無勢である。
 だが、黒珠の長の霊力は圧倒的であった。
 彼は卑劣な暗殺者どもとその首魁(しゅかい)に話し合いの余地がないことを知るや、彼らを半死半生に討ち取る。
 しかし。
 次いで彼がしたことは、暴挙というよりほかにない。
 彼は宮廷内に網の目のように張り巡らされた強力な護法――あるいは結界――を突破し、あろうことか天帝を拘束してその居室に立てこもったのである。

 炎珠の中でも一二を争う霊力の持ち主を拘束するなど、そうたやすいことではない。
 彼の力が彼女に匹敵していたということもあろうが、それ以上に、彼の誇りと、評議会への不信、それに何よりも、ただ己と己が民たちの潔白を主上にじかに訴えたいという、その一念がこの行為を可能にしたのだろう。
 だが、冷静に考えれば、一時の屈辱を堪え忍んでも彼は自領へ戻るべきだった。
 たとえ天帝を害する意志がなかったとしても、彼女を捕らえるということは炎珠を敵にまわすことと同義だからである。
 状況は、炎珠にまったくの中立でいることを難しくさせていく。
 とはいえ、天帝を輩出する一族は無益な争いを避けるすべを心得ていた。
 天帝の居室を封鎖する黒珠の護法をどうにかできる者がいないため、助力を仰いできた三支族に対し、彼らは神女を一人しか貸さなかったのである。
 介入を必要最小限に抑え、黒珠との全面対決を避けるために。
 混乱を極める宮廷へ送り込まれた神女がたった一人であることについて、三支族の者たちは落胆しなかった。
 護法を破るに充分な人数であることがわかっていたから、ということもあるが、何より、彼らにとってもそのほうが都合が良かったのである。

 真実を知る者が少なければ少ないほど、それを消す手間もまた、少なくて済む。

 彼らは黒珠の長とともに、天帝をも亡き者とするつもりだった。
 天帝は黒き王から、彼の命を狙ったのが誰であるかを聞いただろう。
 なぜ三支族が彼を殺そうとしたのか、その理由について考えを巡らせるかもしれない。
 知ってしまったという事実と、そこから生まれる疑念は簡単に消えない。
 それは将来、三支族の立場をあやうくするだろう。
 もしも、助け手として護法を破った神女が、天帝や黒珠の長と意志の疎通をはかっていたら。
 黄珠の陰謀に気づいたとしたら。
 彼ら三人の、否、御珠の一族全体の未来は大きく変わっていただろう。
 だが、現実は彼らにそうするすべも、時間も、与えなかった。

 何も知らない神女は、腰に帯びた長剣をさやから引き抜こうとする黒珠の長の動きを術で封じることに意識を傾けた。
 捕縛の後、彼は評議会で審問にかけられるのだろうと信じて疑わずに。
 自分を救出に来たはずの三支族の者たちに対して天帝が護法を立ち上げようとしていることに気づくことなく。
 神女が三支族の真意を知ったとき、すべては手遅れだった。
 治癒を禁じる呪法のかけられた長剣が天帝を、次いで黒珠の長を襲う。
 神女は混乱の内に背後から重い衝撃を受け、己が胸から突き出す剣の、血にまみれた切っ先を見た。
 目の前で、そして自分の身に起こったことを彼女がすべて了解して事切れたのか否かはわからない。
 意識を手放す直前、彼女は同胞たちへ感応を飛ばしていた――もっとも、それが届くことはなかったのだが。
 感応を断つことは護法を破るよりもはるかにたやすい。
 謀反人たちは狡猾で、抜け目がなかった。

 真実は葬り去られた。
 天帝と彼女を助けようとした神女は黒珠の首長によって殺害され、黒珠の首長は反逆者としてその場で三支族に処刑された。
 少なくとも、そういうことになってしまった。

 三支族は炎珠と黒珠の対立をあおることで、(いくさ)を起こそうとしていた。
 力の強い者は、同じく力の強い者とつぶし合いをさせ、互いに疲弊させる。
 霊力の高い者同士が戦になれば、雌雄を決するのは難しい。
 戦は長引き、国土は荒廃するだろう。
 だが、権勢と支配欲に目のくらんだ者たちにとって、それは問題ではなかった。
 時間はかかっても、荒れたものはまた元に戻る。
 彼らは安易にそう思っていた。

 しかし。
 争いが長引くにつれ、冬でさえ雪など珍しかった温暖な気候は変わり、緑なす豊かな大地は雪と氷に閉ざされ、疲れ切った人々を冷たく拒絶し始める。
 それは、御珠の一族が初めて経験する天変であった。
 誰もが停戦を待ち望んだが、一度崩れた信頼は容易に戻らない。
 かてて加えて、黒珠は当然ながら天帝と神女の殺害も、謀反の意志も認めようとしない。
 停戦交渉が座礁するのは時間の問題だった。
 そんなとき、戦を終わらせるある方法を、黄珠の長が提示する。

 それは、炎珠の神女のみに伝わる忌まわしい封禁の術を黒珠に対して使うことだった。

 いまだいかなる者の手も触れざる禁断の術。
 その正体は、時空をもゆがめ、一度この世に生まれ出た存在を原初の「力」に戻して御珠の中へ封じてしまうという大術だった。
 神女一人で立ち上げることは不可能で、法円の中心で術の起動を行う神女のほかに、「伺候者(しこうしゃ)」と呼ばれる四人のバックアップを必要とする。
 複雑な術ゆえに、術のメインとなる神女の霊力がものをいうことは無論だが、伺候者の霊力の高さもまた重視される。
 なぜなら、彼らの霊力が足りなければ術が起動しきらず、神女が術の負荷に耐えきれずに命を落とすこともあるからだ。
 その場合、伺候者も無事ではすまない。
 文字通り命を賭して行う術である。
 しかも黒珠封印後は、炎珠の者たちは残る四つの御珠からしか魂縒を受けられなくなり、これまでと同等の力を維持することが難しくなることは必至。
 天帝を始めとする炎珠の神女たちが二の足を踏んだのも当然であった。
 しかし、座礁したまま進まない停戦交渉と、国土と人心の荒廃と疲弊をくい止めるためという評議会の説得が、炎珠の者たちに苦渋に満ちた、忌むべき決断をさせる。

 それが、天なる力を与えられた誇り高き一族を、地におとしめることになるとも知らずに。

2009.7.15


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