死ぬなら闘え、闘うなら生きろ!
第八章



カタカタと関口に耳障りな音となって飛び込んでくる。
それは会議とは言わなかった。
結果報告でしかなかった。すでに作戦は決まっており、どの隊が何処に配置されるかそれだけの話し合いであった。
カタカタとなる扇風機のプロペラが鬱陶しく感じる。
だが、緊迫ムードに拍子抜けしつつも、全員の視線はある一点に注がれていた。
正面に垂れ下がる地図。
密集する赤い戦艦たち。
その戦艦たちに対する、峠を越えた海岸に広がるその狭い山間の要塞。
そこから上陸する兵士を迎え撃つし、敵もそこを狙って上陸を果たす。
そんな空気を無視して各陣の重点を淡々と述べていく。
そして最後、明日までに何処の陣を希望するか決めてくるように、それで締めくくった。
ざわめきが起こった。
要は本部は志願を請うているのである。
志願すれば勇者であり、その武勇は誇りである。
血気盛んな下士官たちは喜んでその大役を申し出るであろう。
だがここは一瞬のざわめきの後、緊迫した静けさが漂っている。
先程の海軍の話を聞いたばかりである、上に行けば行くほど生への執着と、義理と、国家と、責任と、あらゆるしがらみがまとわりついてくる。
だが関口は楽であった。
今さら誇りはない。
責任として、隊員を死なせない事、ただ一つであった。
答えはもう決まっている、だから、楽であった。
好き好んで先陣を切るつもりは毛頭無く、むしろシンガリを希望である。
ただどう彼らに説得するか、それだけが問題であった。
昨日の木場の行動や仕打ちを思い出す。
闘い敵を倒すことを美とし、そして死ぬことを誇りと思っている。
その為になら何でもする。

傷が疼く。

その事を身を持って知らされた。
木場とはその事について未だ話し合っていない、何処かそれを避ける伏しすら感じる。そして関口にも更に論争をする気力が無くなっていた。身に染み込まされた恐怖がそれに拍車を掛けさせる。
だがゆっくり首を左右に振る。
傷は過去のモノとして関口は受け止め、そして判断し無くてはならない、今後の自分の行動を。
成長したのか、精神が麻痺を始めたのか、それともただの高熱のせいか?だがそこを通り過ぎて目的地に到達している。
彼らを説得する、嘘をついても良い。
血気盛んで我こそはと、戦地に駆け込んでいきそうな彼らをどう治めるか、治められないなら虚偽の情報を流せばいい。
本部の面々が去っろうとした瞬間、誰かが挙手した。
「私は第×部隊の近藤少尉であります。この大役、是非とも、総司令官よりご決断願いたい!」
誰かが拍手したきっかけで、みんな、立ち上がりそれに続いた。
本部の面々は去りたくても去れない状況であった。
暑さが思い出したようにぶり返してきた。
プロペラが出す風は、生温い空気を無闇にかき回しているだけである。
気分が悪くなってきた。
関口に関係なく、拍手が止み重苦しい空気が漂う。
すでに外からは、最後の集結場所に向かって兵達は行軍を開始している。
かけ声や装甲車の音が慌ただしく聞こえてくる。

「権堂大佐」

答えを促すように一人が呼びかけた。
髭にてが伸び、だが目をつぶったままであった。
まさか、ここで答えを出すのか?
関口の手には汗がにじみ始めていた。そうなると話は変わってくる。今この部屋に集まっている中でその役を任される確率が非常に高いのが自分の隊。そして隣に座る同じ学徒率いる隊である。
慌てて後ろを振り返る、彼の顔にも緊張が走る。
「明日、発表する、いや、志願を待つ」
権堂大佐は目を開けそう告げた。
「それまで各自予定通りA地区にたどり着くよう指揮を頼む。そこに本営を引く。以上解散!」
慌ただしく席を立つ士官に紛れ、自分も急いで隊に戻ろうとしたとき、声がかかった。
少佐が顎で来いとしゃくる。
そしてその後ろに立つ権堂大佐の射るような目つきが、関口の姿を捕らえた。
「関口曹長ちょっと残ってくれるか?」

関口の時だけが止まった。




「なぁ何処の部隊が先鋒を切るんだろうな」
「全滅に違いない」

木場の耳に不吉な会話が飛び込んでくる。
自分の計り知れないところで、何かが狂い始めている、しかも関口という若造が来たことによってそれは拍車を掛けている。
作戦に外された我が部隊。
木場は控え室にじっとすることが出来ず、我慢しきれずに作戦室の前まで出向いていた。
ちょうど会議が終了したところであった。
ぽつりぽつりと中から将校達が出てきている。
入口に立つでかい男に数人は不審な顔つきを示したが、ほとんどが、木場に気づかないほど何か思い詰めたような顔つきで素通りしていった。
また会話と交わしている将校達もいるが、聞いてはいけないような内容であった。
会議に参加していない木場の顔も険しくなっていく。
とうとう、決戦の時か。
血が騒ぐのか、恐怖が沸き上がるのか、ぞくぞくっと背筋に何かが走った。
武者震い、その言葉がここには当てはまるのであろうか?
しかし人が途絶え始めたのにも関わらず、関口の姿はなかなか見付からなかった。



「失礼します」

二回ノックをした後、扉をあけた。
通された部屋は私室であった。自分の部屋とは比べものならぬ程の立派さがそこにはあった。まず机がありランプが置かれそしてベットも頑丈そうであった。
そして机に向かっていた背中が、ゆっくりと関口の方に向けられた。
権堂大佐は見据えるように関口を見る。
「何で呼ばれたか検討はついているか?」
関口は無言のまま、静かに扉を閉めた。
重い扉は、外との世界から遮断する。
「だいたいは」
不安に駆られながらも、蚊の鳴くような声でそう答えた。
「明後日の決戦だと思います」
覇気のない絶望的な声であった。
もう、分かっていた。
あの谷間の狭い道を行く部隊、それは予め決められているに違いない。
確信である。

それが自分の率いる部隊である。

この前の異様なまでの寛容な態度、そして仲間外れにされていた前回の作戦。
このための布石と考えれば、すべて合点が行く。
汗ばんだ拳を強く握りしめる。
「しかし…しかし、そのような大役は我が隊では無理です」
「ほう」
口ひげを軽く手で撫でる。
目は何故か笑っていた。
「ですからそのお役を…お役を…辞退…」
ノドが乾き言葉もろくに繋げない。
武士としての考えを未だ引きつぐ兵士にとって、本来なら先鋒という役目、名誉ある大役なのである。
それを関口は断ろうとする。軍法会議に掛けられ、処罰、いや処刑される事を今、口にしているのだ。
もし普通の事態であったら、関口も煮え湯を飲まされてつもりで受けていたと思う。
だが、すでに背水の陣、これ以上事態が悪くなることは最早ない。
犬死としか思えないほどのがむしゃらの態度を持つ、部下たち。
それでしか軍隊での生き方を知らない、兵士たち。
だがそうさせたくない、そう切に思う。
自分の命を引き替えにしてでも、食い止めたかった。
国のために死ぬことが、どれだけ無意味なことなのか教えたかった。
過去何度も自らの命を絶とうとしている自分自身にも、教えたかった。
一人でも自分の帰りを待っている人が居る限り…諦めるなと。

中禅寺…。

だが自分一人の命と引き替えに部隊が助かるなら、自分の死は無駄ではない。
それなら中禅寺も許してくれるはずである。
きっと、エノさんも誉めてくれるはずである。
覚悟を決めて権堂大佐の目を見つめた。
「君は本当に訓練を積んできたのか?」
そう言うと、声を上げて笑い始めた。
純粋に笑っているわけではない、決心を付け見つめた関口の目はすでに不安色に変わっていた。
異常なほどの笑い方であった。
「本当なら君はいま直ぐ軍法会議だ」
そう叫んだ瞬間、笑いは止まった。
そして椅子から立ち上がった。
「君は馬鹿だな…本当に大学に行っていたのか?教授は何も言わなかったのか?」
「……」
大佐の目は徐々に本性を現すように狂気の色に染まってきた。
「出る杭は打たれる、そう言われなかったか?」
首を左右に振った。だが、近い言葉は聞いていた。ひたすら流されろ、しかし最後には自分で自分の道を選びなさいと、それが今だと思った。
「そんなにあの隊が好きか?」
躊躇いつつ、好きですと答えた。
笑いが再び漏れる。
「あんなに馬鹿にされている部隊を好きな訳無いな。いや、部隊も嫌いだ、戦争が嫌いであろう?」
答えることは出来なかった。
当初の話がどんどんと違う方に填っていく。
ただ誘導尋問で、自分が有り地獄に堕ちていくのと何処も違わない。
此処に訪れた目的も達成できないまま、自爆してしまう。
関口に焦りが見え始める。
「いえ、違います。ただ我が隊は非常に優秀であります。それは過去の実戦で我が隊は証明されているはずです。是非大佐もとい、本営を守らせて下さい!」
「確かにあそこの部隊には一目置いている」
「なら!」
「だが、それは君が就任する前までの話だ」
「え?」
「もう一度言おうか?」
「いえ、結構です」
首を小さく左右に振る、何を言いたいのか辛いほど分かった。
自分が駄目な人間だという事は、他人以上に自分が良く知っている。
だがどうして大佐がそう言う結論になるのか、理解はできない。
まだ、一度も実戦をしていな…
その瞬間、関口は全てを悟った。
そう、実戦としていない将校は自分だけなのだという事を。
関口の大きく見開いた目を大佐は満足げに見る。
微笑みは悪魔の笑いであった。
「どうして…どうして…」

「君が憎いと言ったら?」

権堂大佐は立ち上がると、関口に近寄った。
「まぁ楽にしたまえ」
椅子を勧められ緊張しながらもそこに腰をかけた。
「私が…憎い?」
不安に胸が裂けそうになり聞いてしまう。
人の視線の前に立たぬよう、とにかく目立たぬよう、そればかりを考えて生きてきた関口は、直接的に憎まれそしてその感情を突きつけられた記憶は余りない。
「あぁ、そうだ。だが、あの部隊は確かに君の言うとおり、実践力に長けている。だからこそこの大役に適任と私は思っている」
光栄でありますとは即答できなかった。これは捨駒だ。
「相変わらず不安そうな顔をしているな」
一瞬心臓が止まりそうになった。
権堂大佐の手が関口の頬に触れたからだ。
「だがそうだな…君には別の辞令を下そう、私の直属になりなさい」
「それは…」
「そうだ、君は先陣をしなくても良いと言っている」
それは自分の部隊を見捨てるということか?
「さすがに学徒は頭の回転が速い。あんな部隊に君を巻き込ませたくない、私の世話をしなさい」
「何を…」
「おや、察しが悪いな」
「先ほど私が憎いと…」
「あぁ憎いよ?確か君、本国では前橋予備士官学校出であったな?」
「それが…」
「いろいろ、聞いたよ。そこ出身の兵士も此処には沢山いてね。大変だったそうだな?」
そう言うと、今まで信頼していた上官の顔がこの世のものとも思えぬ程、醜くゆがんだ。
察しが悪いのではない、信じたくないだけなのだ。
関口は立ち上がるとき足に引っかかりがたりと椅子を倒した。
「大佐…」
「何処に行く?」
「急用を思い出しまして…失礼させていただきます」
敬礼もそこそこに出口に飛びついた関口は血の気が引いた。
開けられた扉の先に護衛に付いている兵士が立ちふさがっていた。
「ご苦労、曹長を室内に戻しなさい」
絶望の色に塗り替えられた瞳は呆然と大佐とその兵士を見比べた。
「な…なにを…」

「君は今、駕籠の中の小鳥だよ」




19990201