藤井あきら |
「久しぶりだな」 高熱のため、机に頭が付きそうであった関口に一人の青年が立っていた。 次の日、予想通り、幹部たちの全員徴集が掛かった。 昨日倒れた後、森田の献身の介護にも報われず、関口は高熱を出し続けた。 情けなかった。 自分がしっかりしなれればならないにも関わらず、この有様である。 外から聞こえる必要以上に大きな木場の掛け声が、心に鋭く突き刺さる。そして、心配そうに見守る内村の視線も辛かった。 「内村さん、どうしましょう」 森田の泣き声に近い声が聞こえてくる。 「熱が40度を越えてしまっています」 震える手で内村に体温計を差し出す。 「何だって!」 内村の叫びだけは記憶に残っていた。 だが、再び暗闇の中に関口は落ちていった。 そして次に意識を取り戻したときに、目の前に木場の顔があった。 関口の一瞬竦む体に木場は目を反らした。 「とにかく飲め」 ぶっきらぼうにそう言うと、彼の目の前に湯飲みを差し出す。 湯気にのって、言葉にも出来ないほどの異臭が届く。 覚えのある、草独特の臭いである。 吐き気がこみ上げてくる。要らないと言う前にその湯飲みは関口に口に付けられた。 「ほら」 その言葉と共に鼻をつまれて、無理矢理流し込まれた。 想像以上の、苦さと不味さの絶妙な混じり具合の味であった。 それが有無を言わさずに胃袋に流れ落ちていく。 「何をするんだ!」 我慢できず、鼻をつまむ木場の手を叩き落とし噎せった。 差し出された水を飲み干すぐらいでは、この味は消えなかった。 味の濃い食べ物を少し口に含み、再び即されるまま体を横たえた。 目を閉じると何故か、木場の顔が瞼の裏に浮かび上がってきた。 そして浅い眠りのまま朝を迎え、迎えてきた兵士によって本部に出向いた。 心配そうに木場と連れだって歩く関口の背を、内村と森田は見送る。 「俺は此処で待っているから」 木場が外の待合所に去っていった。 彼はこれより先に入る階級を持っていなかった。 一人になった瞬間、地面が揺れた。朦朧とする頭に何とか活を入れよと試みながら、席に着き、そして再会した。 「滝本?」 白い歯が関口に向かって笑いかける。 卒業式の時関口に笑いかけてくれた笑みと何一つ変わっていない。 「具合…悪いのか?」 関口が顔を上げて瞬間、滝本の顔も曇る。 「あぁ…ちょっと」 笑いかけるが滝本は手を伸ばし、額にあててしまう。 「おい」 「大丈夫だ、治り始めている」 「しかし…」 だが、滝本が不安を隠せず問いかけようとしたとき、大佐クラスの面々がみんなの前に姿を現した。 「しっかりしろよ」 その言葉を残して、何度も関口の方を振り返りながら、滝本は仲間が待つ方の席に戻っていった。 「では作戦の前の説明から入る」 壁に大きな地図が貼られた。 見慣れた、今いる島の全体の地図であった。 一つの湾に赤い印が集中している。 あの印目指して、関口たちは永遠に行軍しているのである。 思い返せば、その行軍は東京から始まっていた。長かった、終着駅まで。 途中、頼りにしていた海軍に守られずに回避回避で辿り着いた此処。 「おい、本当に大丈夫なのか?」 「え?」 気が付いたときには休憩に入っていた。 周りを見渡せば懐かしい面々が集まっている。 涙がこぼれ落ちそうになった、それを察知した滝本は関口の頭を抱え込んだ。 「熱だしている暇、俺達にはないぞ!」 彼の腕に涙を吸い取ってもらい、こくりと頷く。 「俺たちには泣いている暇なんかもないんだぞ」 そう誰かも続いた。 今度はさっきよりも強く頷く。熱は一向に下がらないが、心が満たされる力は強かった。 軽く滝本の腕を叩き、顔を上げた。 「ああ、これからが正念場だ」 そう言って、笑った。 他の将校達から明らかに浮いていたが、互いの近況報告に精を出した。 彼らもお互いの情報収集に余念がなかった。 上からの説明は大事なところがかなり省かれている、それを互いの情報で補うのが基本であった。 だが、学徒達は無駄なことをしなかった、結局結果は同じである。恐怖から忘れるために、部隊に移ってからの失敗談や、変な部下の話、自慢話と、談話室にいる感覚で盛り上がった。 だが、明るい話ばかりではなかった。 「神田、あの戦闘でやられたらしい」 誰かがぼそっと言った。 それがきっかけであった。 その言葉に、みんなは周りを見渡す。 「おい、相田は?」 「あぁ、あそこの部隊も全滅だった」 「まさか…あそこの部隊に配属されていたのか!」 気が付けば、ここにいない仲間はもっと多数いる。 そして関口一人が、取り残されたようにきょろきょろと首を回した。 「その…戦闘って?」 「え?」 「いや…その、戦闘って…」 「お前、知らないのか?」 「あの作戦を…」 「何かあったの?」 滝本の顔が真っ先に変わった。 「何も知らされていなかった?お前の部隊だけに?」 「だから何を?」 関口も他の同期たちの顔色も変わってきた。 「すでに一度、米軍と我々は闘っている」 「あぁ、総動員法で、正面からぶつかったんだ…死者が多数出た。俺の部隊からも、みんなの部隊からも出たはず。…でかい戦だったはず…だが…どうして」 「僕は何も聞かされていないし、僕だけじゃない、部隊全体も知らないはずだ。ずっと、待機命令で…それで結果は?」 興奮気味に関口は身を乗り出し、周りを見た。 無言であった。 結果など、先ほどの会話で十分知れていたはず。勝敗を気にする自分が、軍人に染まってきたことを知らせる。 嫌悪すべき事であった、しかし体に染みつく軍人の匂い。 滝本が軽く頭を叩く。不思議と癪には障らない。 「今回が本当に最終戦だ。背水の陣と言う言葉が聞いて呆れるよ」 「それじゃ、本当に…」 「死を覚悟しての最後の決戦になるはず」 滝本の言葉が重くのし掛かってくる。 「海軍の飛行部隊がもう始めている」 「何を?」 「何でも燃料を行きの分だけしか積まずに飛び立ち、相手の戦艦に飛行機をぶつけるらしい」 「何だよそれ!」 そう思ったのは関口だけではなかった。 他のみんなも身を乗り出してきた。 初耳の人も多いことが知れる。 「おい、どういう事だよ」 「なに考えているんだよ」 「しぃ、声が」 慌てて誰かが囁いたが遅かった。 「お前らなにを話している!」 かなり年輩の男は更に何かを言おうとしたが、隣に止められた。 「いつまでも学生気分でいるんじゃない、席に着け」 止めた中佐クラスの男に言われ、緊張したまま、各自席に戻っていった。 関口も猫背がちになる背筋をただした。 知らぬ間に起こっていた作戦、そして無謀という意味を通り越した海軍の作戦。いや、作戦と呼ぶのにはおこがましく感じる。 その後直ぐに、大佐クラスの面々が再び部屋に入ってきた。 再び地図を広げる。 それに伴い、窓を閉めそして暗幕を引く。 部屋が異様に蒸し暑くなる。 電球が前を照らす、それが一層熱さの拍車を掛ける。 そして蒸し暑いのにも関わらず、扇風機は4台しかなく、そして窓は閉め切られてしまった。 汗がにじみ出てくる。 だが関口にとっては冷や汗と化していた。 今広げられている地図は先ほどとはまるで違っていた。 細かく陣が張られている。そして敵の艦隊の数は倍に増えていた。 極度の緊張が伴ってきた。 本当の作戦会議はこれからであった。 「おい木場、久しぶりじゃないか!」 木の椅子に腰掛け物思いにふけっていた木場に、一人の青年が声を掛けてきた。 「良太!」 数少ない同期である。 何故か木場の同期達は、戦死者が多数出ている。 入営当初一番に大所帯を構えていたが、気が付いたら小隊並みの人数しか残っていなかった。 大規模に募集を、大雑把に教育を駆け足で叩き込まれ、そして各地の最前線に送りつけられてきた。 捨て石のようなモノだ、そう気が付いたときには、すでに戦没者が半数を超え、仲間に流す涙は枯れていた。 お互いの顔を見ると、まだ生きている、まずはその確認であった。 「相変わらず生きているな」 「お前こそ」 「お前に死なれたら、俺らも死ぬことになるからな」 「何だそれは」 「ゴキブリ並みの生命力が死んだら、ノミの心臓しか持ち合わせてない俺らは、敵にやられる前にショック死するってことさ」 「ふん、言ってろ」 後ろポケットに無造作に突っ込んであったスケッチブックを出し、鉛筆の芯を嘗めた。 「相変わらず、書いているのか?」 「まぁ、この頃平和だったからな」 妙に平和という言葉がこそばゆく感じた。 「何、寝ぼけたこと言っているんだよ。このご時世に平和と言ってのけるお前が羨ましいよ」 「ふん、体が鈍っているんだよ」 良太は短くなりつつも忙しく吸い続ける煙草の手を止めた。 「そう言えばお前の部隊…見かけなかったな」 「は?」 木場の鉛筆は止まらなかった。 木々が鬱蒼と白い紙の上に描かれていく。 「相変わらず上手いな」 「煙草はもう無いぞ」 「はっ、言ってろよ」 そう言いつつも、胸ポケットに手が伸び、よれよれの煙草を奪い取る。 木場はその煙草に火を付けてやる、そして自分も鉛筆を置き煙草を吸う。 「ちょっと見ても良いか?」 「勝手にしな」 良太はぺらぺらと木場の過去に描いた絵を見た。 見掛けに寄らず、細い線を幾重にも重ね物体を浮かびあがせている。 本気には口に出さないが、とても好きな絵であった。 本人も画家気取りでいつも右下に日付とサインを書いている。 苦笑混じりに捲っていく。 だが、あるページの所で手が止まった。 「どうした?気に入ったか?」 それは珍しくも人物が書かれているページであり、そこにはモノクロでも不健康そうな関口の顔が其処にはあった。 「俺の所の隊長だ」 「いや、そんなことはどうでも良い…」 「ひでぇ言い草だな…一体どうした良太」 「この日付だ…」 サインの上に習慣として日付が書かれている、別にこのページに限ったことではない。 「この日、お前は何をしていたんだ?」 「何って…何時もと変わらないよ」 スケッチブックを手に取り、その日を思いだそうとしたが1週間ほど前の出来事はもう思い出すことが出来なかった。 だが良太は顔を蒼白させる一方である。 「何時もって…この日は部隊全体で大掛かりな衝突があったんだ」 「は?」 思わず煙草を地面でもみ消す。 「衝突?アメ公とか?」 「当たり前だ…正面切って闘って…」 「闘って?」 「惨敗した」 「惨敗…」 「みんな死んでいった」 木場の持っていたスケッチブックが下に音を立てて落ちていった。 |
19981224 |