死ぬなら闘え、闘うなら生きろ!
第七章



「久しぶりだな」

高熱のため、机に頭が付きそうであった関口に一人の青年が立っていた。



次の日、予想通り、幹部たちの全員徴集が掛かった。
昨日倒れた後、森田の献身の介護にも報われず、関口は高熱を出し続けた。
情けなかった。
自分がしっかりしなれればならないにも関わらず、この有様である。
外から聞こえる必要以上に大きな木場の掛け声が、心に鋭く突き刺さる。そして、心配そうに見守る内村の視線も辛かった。
「内村さん、どうしましょう」
森田の泣き声に近い声が聞こえてくる。
「熱が40度を越えてしまっています」
震える手で内村に体温計を差し出す。

「何だって!」

内村の叫びだけは記憶に残っていた。
だが、再び暗闇の中に関口は落ちていった。
そして次に意識を取り戻したときに、目の前に木場の顔があった。
関口の一瞬竦む体に木場は目を反らした。
「とにかく飲め」
ぶっきらぼうにそう言うと、彼の目の前に湯飲みを差し出す。
湯気にのって、言葉にも出来ないほどの異臭が届く。
覚えのある、草独特の臭いである。
吐き気がこみ上げてくる。要らないと言う前にその湯飲みは関口に口に付けられた。
「ほら」
その言葉と共に鼻をつまれて、無理矢理流し込まれた。
想像以上の、苦さと不味さの絶妙な混じり具合の味であった。
それが有無を言わさずに胃袋に流れ落ちていく。
「何をするんだ!」
我慢できず、鼻をつまむ木場の手を叩き落とし噎せった。
差し出された水を飲み干すぐらいでは、この味は消えなかった。
味の濃い食べ物を少し口に含み、再び即されるまま体を横たえた。
目を閉じると何故か、木場の顔が瞼の裏に浮かび上がってきた。
そして浅い眠りのまま朝を迎え、迎えてきた兵士によって本部に出向いた。
心配そうに木場と連れだって歩く関口の背を、内村と森田は見送る。


「俺は此処で待っているから」
木場が外の待合所に去っていった。
彼はこれより先に入る階級を持っていなかった。
一人になった瞬間、地面が揺れた。朦朧とする頭に何とか活を入れよと試みながら、席に着き、そして再会した。
「滝本?」
白い歯が関口に向かって笑いかける。
卒業式の時関口に笑いかけてくれた笑みと何一つ変わっていない。
「具合…悪いのか?」
関口が顔を上げて瞬間、滝本の顔も曇る。
「あぁ…ちょっと」
笑いかけるが滝本は手を伸ばし、額にあててしまう。
「おい」
「大丈夫だ、治り始めている」
「しかし…」
だが、滝本が不安を隠せず問いかけようとしたとき、大佐クラスの面々がみんなの前に姿を現した。
「しっかりしろよ」
その言葉を残して、何度も関口の方を振り返りながら、滝本は仲間が待つ方の席に戻っていった。
「では作戦の前の説明から入る」
壁に大きな地図が貼られた。
見慣れた、今いる島の全体の地図であった。
一つの湾に赤い印が集中している。
あの印目指して、関口たちは永遠に行軍しているのである。
思い返せば、その行軍は東京から始まっていた。長かった、終着駅まで。
途中、頼りにしていた海軍に守られずに回避回避で辿り着いた此処。


「おい、本当に大丈夫なのか?」

「え?」
気が付いたときには休憩に入っていた。
周りを見渡せば懐かしい面々が集まっている。
涙がこぼれ落ちそうになった、それを察知した滝本は関口の頭を抱え込んだ。
「熱だしている暇、俺達にはないぞ!」
彼の腕に涙を吸い取ってもらい、こくりと頷く。
「俺たちには泣いている暇なんかもないんだぞ」
そう誰かも続いた。
今度はさっきよりも強く頷く。熱は一向に下がらないが、心が満たされる力は強かった。
軽く滝本の腕を叩き、顔を上げた。
「ああ、これからが正念場だ」
そう言って、笑った。
他の将校達から明らかに浮いていたが、互いの近況報告に精を出した。
彼らもお互いの情報収集に余念がなかった。
上からの説明は大事なところがかなり省かれている、それを互いの情報で補うのが基本であった。
だが、学徒達は無駄なことをしなかった、結局結果は同じである。恐怖から忘れるために、部隊に移ってからの失敗談や、変な部下の話、自慢話と、談話室にいる感覚で盛り上がった。
だが、明るい話ばかりではなかった。
「神田、あの戦闘でやられたらしい」
誰かがぼそっと言った。
それがきっかけであった。
その言葉に、みんなは周りを見渡す。
「おい、相田は?」
「あぁ、あそこの部隊も全滅だった」
「まさか…あそこの部隊に配属されていたのか!」
気が付けば、ここにいない仲間はもっと多数いる。
そして関口一人が、取り残されたようにきょろきょろと首を回した。
「その…戦闘って?」
「え?」
「いや…その、戦闘って…」
「お前、知らないのか?」
「あの作戦を…」
「何かあったの?」
滝本の顔が真っ先に変わった。
「何も知らされていなかった?お前の部隊だけに?」
「だから何を?」
関口も他の同期たちの顔色も変わってきた。
「すでに一度、米軍と我々は闘っている」
「あぁ、総動員法で、正面からぶつかったんだ…死者が多数出た。俺の部隊からも、みんなの部隊からも出たはず。…でかい戦だったはず…だが…どうして」
「僕は何も聞かされていないし、僕だけじゃない、部隊全体も知らないはずだ。ずっと、待機命令で…それで結果は?」
興奮気味に関口は身を乗り出し、周りを見た。
無言であった。
結果など、先ほどの会話で十分知れていたはず。勝敗を気にする自分が、軍人に染まってきたことを知らせる。
嫌悪すべき事であった、しかし体に染みつく軍人の匂い。
滝本が軽く頭を叩く。不思議と癪には障らない。
「今回が本当に最終戦だ。背水の陣と言う言葉が聞いて呆れるよ」
「それじゃ、本当に…」
「死を覚悟しての最後の決戦になるはず」
滝本の言葉が重くのし掛かってくる。
「海軍の飛行部隊がもう始めている」
「何を?」
「何でも燃料を行きの分だけしか積まずに飛び立ち、相手の戦艦に飛行機をぶつけるらしい」
「何だよそれ!」
そう思ったのは関口だけではなかった。
他のみんなも身を乗り出してきた。
初耳の人も多いことが知れる。
「おい、どういう事だよ」
「なに考えているんだよ」
「しぃ、声が」
慌てて誰かが囁いたが遅かった。
「お前らなにを話している!」
かなり年輩の男は更に何かを言おうとしたが、隣に止められた。
「いつまでも学生気分でいるんじゃない、席に着け」
止めた中佐クラスの男に言われ、緊張したまま、各自席に戻っていった。
関口も猫背がちになる背筋をただした。
知らぬ間に起こっていた作戦、そして無謀という意味を通り越した海軍の作戦。いや、作戦と呼ぶのにはおこがましく感じる。


その後直ぐに、大佐クラスの面々が再び部屋に入ってきた。
再び地図を広げる。
それに伴い、窓を閉めそして暗幕を引く。
部屋が異様に蒸し暑くなる。
電球が前を照らす、それが一層熱さの拍車を掛ける。
そして蒸し暑いのにも関わらず、扇風機は4台しかなく、そして窓は閉め切られてしまった。
汗がにじみ出てくる。
だが関口にとっては冷や汗と化していた。
今広げられている地図は先ほどとはまるで違っていた。
細かく陣が張られている。そして敵の艦隊の数は倍に増えていた。

極度の緊張が伴ってきた。
本当の作戦会議はこれからであった。



「おい木場、久しぶりじゃないか!」
木の椅子に腰掛け物思いにふけっていた木場に、一人の青年が声を掛けてきた。
「良太!」
数少ない同期である。
何故か木場の同期達は、戦死者が多数出ている。
入営当初一番に大所帯を構えていたが、気が付いたら小隊並みの人数しか残っていなかった。
大規模に募集を、大雑把に教育を駆け足で叩き込まれ、そして各地の最前線に送りつけられてきた。
捨て石のようなモノだ、そう気が付いたときには、すでに戦没者が半数を超え、仲間に流す涙は枯れていた。
お互いの顔を見ると、まだ生きている、まずはその確認であった。
「相変わらず生きているな」
「お前こそ」
「お前に死なれたら、俺らも死ぬことになるからな」
「何だそれは」
「ゴキブリ並みの生命力が死んだら、ノミの心臓しか持ち合わせてない俺らは、敵にやられる前にショック死するってことさ」
「ふん、言ってろ」
後ろポケットに無造作に突っ込んであったスケッチブックを出し、鉛筆の芯を嘗めた。
「相変わらず、書いているのか?」
「まぁ、この頃平和だったからな」
妙に平和という言葉がこそばゆく感じた。
「何、寝ぼけたこと言っているんだよ。このご時世に平和と言ってのけるお前が羨ましいよ」
「ふん、体が鈍っているんだよ」
良太は短くなりつつも忙しく吸い続ける煙草の手を止めた。
「そう言えばお前の部隊…見かけなかったな」
「は?」
木場の鉛筆は止まらなかった。
木々が鬱蒼と白い紙の上に描かれていく。
「相変わらず上手いな」
「煙草はもう無いぞ」
「はっ、言ってろよ」
そう言いつつも、胸ポケットに手が伸び、よれよれの煙草を奪い取る。
木場はその煙草に火を付けてやる、そして自分も鉛筆を置き煙草を吸う。
「ちょっと見ても良いか?」
「勝手にしな」
良太はぺらぺらと木場の過去に描いた絵を見た。
見掛けに寄らず、細い線を幾重にも重ね物体を浮かびあがせている。
本気には口に出さないが、とても好きな絵であった。
本人も画家気取りでいつも右下に日付とサインを書いている。
苦笑混じりに捲っていく。
だが、あるページの所で手が止まった。
「どうした?気に入ったか?」
それは珍しくも人物が書かれているページであり、そこにはモノクロでも不健康そうな関口の顔が其処にはあった。
「俺の所の隊長だ」
「いや、そんなことはどうでも良い…」
「ひでぇ言い草だな…一体どうした良太」
「この日付だ…」
サインの上に習慣として日付が書かれている、別にこのページに限ったことではない。
「この日、お前は何をしていたんだ?」
「何って…何時もと変わらないよ」
スケッチブックを手に取り、その日を思いだそうとしたが1週間ほど前の出来事はもう思い出すことが出来なかった。
だが良太は顔を蒼白させる一方である。
「何時もって…この日は部隊全体で大掛かりな衝突があったんだ」
「は?」
思わず煙草を地面でもみ消す。
「衝突?アメ公とか?」
「当たり前だ…正面切って闘って…」
「闘って?」
「惨敗した」
「惨敗…」
「みんな死んでいった」
木場の持っていたスケッチブックが下に音を立てて落ちていった。




19981224