藤井あきら |
「君は?」 そう声を掛けられて初めてもうその会議室から出てくる将校達の姿が途絶えていることに気が付いた。 慌てるように左右を見渡す木場に滝本は近づく。 「誰を待っている?」 目の前に立つ男は若かった。そして見知らぬ顔であった。 木場は一瞬躊躇したが正直に答えた。相手から威圧感は感じられない。 「関口隊長を待っております」 だが、一瞬にして滝本の目つきが変わった。 「君が関口の処の軍曹殿か?」 「木場と申します」 軽く敬礼をしてみる。 だが、答礼は帰ってこなかった。それどころか、木場を見る眼に憎しみが籠もってくるのを無視できなかった。 「何か?」 そう、聞いてしまった自分を少し後悔した。 「彼はお世辞にも強い人間ではない、君たち周りが力を合わせなくてどうする」 「失礼ですが」 唐突の発言でも、木場も青年将校が何を言おうとしているのか辛いことに分かる。 だが、例え相手が将校だろうと、内々のことまで口出しをされる筋合いはない。 「私は関口くんと同期の、腰抜けの学徒さ」 どこが腰抜けだ、木場の下から睨み付けるような視線から逃れることなく、滝本は挑んでくる。 だが一瞬にしてその視線が外れ、そして驚愕の表情に変わった。 後ろを振り返る。 そこには、小森と親しい違う部隊の兵士の姿があった。 木場には虫の好かぬ人物であったが、裏の情報を流してくれるよしみもあり、軽く手を挙げ挨拶を交わす。 「そう言うことか」 「え?」 独り言に近いその言葉に殺気を感じた。 殺意がこもった視線にさすがの木場も戸惑いを隠せない。 「何がそういう事なんだ?何を関口に愚痴られたか知らないが、俺に当たるのはお門違いだ。ヤツが弱いのは俺たちの責任じゃないぜ? 「はっ」 短く笑う、それが無性に勘に障った。 「お前らグルなんだろ?」 保谷が近づいてきた。 「よ、森田は元気か?」 たぶん森田も恐れ嫌っているであろう、この男は平気で男を買う。小森のお手つきだからこそ、身の危険から救われていることを、少年はきっと気づいているのであろう。 小森との関係を知ってから、色々な視点で合点が行くことが増えた。世界が広がったと言うには、言葉は良すぎるが。 それこそ、関口には会わせたくない人物である。 「お、新顔だな」 木場が慌ててその言葉を遮る。 「おい、保谷さんよ、こちらさんは曹長さんなんだよ」 「へえ?」 保谷は滝本を見上げしばし考え込むようにして黙った。 そしてにやりと笑った。 「見たことがある顔だと思ったら、滝本じゃないか、まだ生きていたか」 「あんたもな」 「へ?」 睨み合う二人に挟まれるように木場は立ちつくした。 「前橋の学校以来だな、坊や」 いやらしく、肩に手を置き二三度ぽんぽんと叩いた。 だが、滝本はきつくその手を叩き落とした。 「気を付けろ、俺たちはあの時とは違って見習いでも二等兵でもない将校だ、君の首が簡単に飛ぶぞ」 「お、怖い怖い!」 そう言って両手を慌てて上に上げる素振りを見せるが、顔は笑っていた。 無論、滝本も気づいている。 「貴様…」 滝本の手が腰のサーベルにいったとき、すかさず、木場の手をその手の上に重ねた。 滝本は睨み付けるが木場は保谷を見つめた。 「保谷さん、何か空気が良く分からないが悪いようだ。ここは退散する方が良いんじゃないか?」 「そうだな、俺もこんな処ではまだ死にたくないしな」 だがその場を去るとき、ワザと唇に手を持っていき舌なめずりをした。 「小僧の味を思い出したよ」 「何だと!」 「貴様!」 暴れ狂う滝本を木場が羽交い締めにしている中、保谷は笑いながら去っていった。 姿が見えなくなったとき、滝本は突如を力を抜き、床に崩れ落ちた。 「畜生!畜生!」 渾身の力で床に拳を叩きつけていた。 見捨てるわけにもいかず、木場はただ見ていたが、床の色が血色に染まり始めたとき、慌ててその手を押さえつきた。 「おい、滝本さんよ何やっているんだよ!」 「関口!関口!関口!」 そう唾を飛ばしながらも何度も叫ぶ。 「なんでお前は不幸なんだ」 「え?」 木場の手の力が一瞬弛んだ。 「畜生、触るなゲスどもめ!」 滝本に大きく手を祓われた。 「お前らは人間以下だ、畜生だ!」 その台詞、何処かで聞いたことのある台詞であった。 「お前は入ってくるな!」 滝本はそう短く言うと、一緒に入ってこようとした木場を外に追いやった。 撤収作業にざわついていた周囲が静まり返った。 そして、追い出されるような形になってしまった木場の周りに、今日の会議の結果を首を長くして待っていた他の兵士達が、不安そうな顔付きで囲む。 「どうした?」 内村が代表して一歩前に出た。 此処の誰よりも内部事情に通じてしまった事により不安のはずだが、それを健気にもおくびにも出していない。 そのちょっと後ろに森田もいる。 精気が失われつつあるその顔。 誰一人、ギリギリの処に今いる。 木場は周りの兵士達を見渡した。 「具合がまた悪くなったみたいだ、いつものことだ、心配するな」 「で、一緒に入った人は?」 「あぁ、関口と同期の将校だ」 「同期?」 「学徒か?」 意外そうな顔をみんなした。 「あぁ、どうやら学徒とは質を一括り出来ないらしいな」 「しかし体調の具合は…医者を呼んだ方が…」 そう誰かが心配そうに漏らした。 それはもっともな意見である。 今まで隊員の中で医者を必要とする物は誰一人と居なかった。 最後に呼んだのが、それこそ前の隊長の怪我の時ぐらいである。 しかし、関口が姿を二人の前にあらわしたときの状態は尋常ではなかった。 あれは精神的にで、ある。 滝本が発狂の寸前の処で、奥から関口は姿を現した。 「関口…」 「…滝本、僕は…」 関口は滝本の姿を認めた途端、糸が切れたかのように前に倒れてきた。 慌てて支えたのは木場であった。 だが、奪われる様にして関口の重みは滝本の腕にと移った。 「おい、てめぇ」 だが木場の文句すら耳に入らないように、滝本は関口の肩や背中をさすった。 何かを呟きながら、手を必死に動かしている。 余りにも小さな声で木場の耳には届かなかったが、口元はこう象っていた。 「大丈夫、もう大丈夫だ、大丈夫」 それを永遠に続けていた。 ふとそんな二人の一つの影が重なった。 木場はゆっくりと後ろ見る。 一瞬して緊張が過ぎり、慌てて背筋を正し、敬礼をした。 「おい、」 木場の声に滝本も気が付き、関口を無理矢理立たせ敬礼をしようとしたが、前に立ちはだかる権堂大佐は手でそれを止めた。 「無理をするな」 軽く、半分意識を失っている関口の肩を二三回叩くと権堂はそのまま立ち去っていった。 木場は呆然と立ち去るその後ろ姿を見送った。 そして滝本は強ばった顔付きでその姿を見送りつつ震えていた。 権堂に肩を叩かれたときの、瘧のような震えが走った関口。 「まさか…まさか」 そう二回言うと関口の顔を覗き込んだ。 「関口?関口?」 関口の大きな目から大粒の涙がボロボロ落ちていた。 木場は訳が分からず、ただ、二人の後をついてくるだけであった。 滝本の背中は頑なに木場を拒絶していた。 |
19990306 |