2月12日(土)くもり 
     
 6:30起床。30分寝坊した。昨日、寝る前に「やっぱり太極拳を見たい!」と思い、急遽、人民公園へ行ってみることにした。そう決めたとき、てけてけさん&Y沢さんも誘おうかと思ったけど、もう寝てるだろうと思って電話はしなかった。O野さんも行かないというのでひとりで行った。 
  
 フロントのひとに最寄り駅までの道を尋ねたら「車で5分、歩くと30分」と言われた。地図でみると歩いて10〜15分くらいの距離なのに。うーん…あまり時間がないし、道に迷っている暇もないのでタクシーに乗ることにした。ホテル前から最寄りの地下鉄の駅≪徐家匯≫まで料金は初乗りの10元(133円)で3分くらいで着いた。徐家匯駅周辺は最近開発が進んでいるらしく、デパートがいくつかあった。東京でいうと八王子といった感じかな。手持ちのコインがなかったため、自動販売機(お札は使えない)ではなく窓口で(人民広場。中国語ではこう書く。)と見せて切符(3元、39円)を買ってから、どっちの電車に乗ればいいのかを路線図で確認してホームへ降りた。路線はひとつしかなくて≪人民広場≫までは乗り換えもない。ホームは全体的にきれいだし、日本の地下鉄の駅とまったくといっていいほど変わらない。降りた途端、どっちに乗ればいいのか忘れてしまい、近くにいた男性にと書いて見せて「どっち?」とボディランゲージで尋ねた。始めは「なんだ?」とびっくりしていたけど指を指して「こっち」と教えてくれた。地下鉄はシルバーボディに赤い横線でまるで丸の内線。みんな顔つきが同じなんで上海にいることをふと忘れてしまいそう。もしO野さんなんかと一緒に乗っていて日本語で話しをしていたらジロジロ見られるんだろうなぁ…なんて考えているうちに人民公園に着いた。 
  
 人民公園に入ろうとしたら門が閉まっていた。他の門に行ったら開いていて入ろうとしたらおじさんに止められ入場料を2元払った。ここはイギリス租界時代は競馬場だったらしい。中は木やベンチや売店なんかあったけど、公園というより…空き地といった感じの部分もあった。4つくらいのグループがそれぞれの音楽を流して太極拳をしていた。私はいちばん人数の多い(20人くらい)チームの太極拳をずっと見ていた。その中でもトビキリ動きが美しく、思わず見とれてしまうおじさんがいた。太極拳は動きがゆっくりで、足がプルプルしてしまうようなポーズでもみんな顔色ひとつ変えずにソロリソロリと滑らかに体を動かしていた。振り付け(?)はものすごく難しい。ひとつのフレーズの最後にキメのポーズがあるみたいなんだけど、次のフレーズの動きにそのまま続くように見えた。日本の盆踊りのように一定の動きの繰り返しではないみたい。でも音楽と体の動きはひとによって少しずれていて、自分のペースを守って各々の太極拳を舞っていた。私も参加したかったけど、ひとりだとどうも恥ずかしい。「おいで、おいで」ってしてくれるほどフレンドリーでもなかったので、ウズウズしながらじっと見ていた。そうこうしているうちに、ホテルに戻らなくちゃならない時間になってしまった。もっと早起きしてくれば良かったと後悔した。隣の夫人団体が赤やピンクのリレーのバトンみたいなのの先っちょにピラピラがついた棒を両手に持って太極拳をしていた。「おっ!」と引き寄せられるものがありしばらく見ていると「バサッ」と棒を振り棒は扇子になった。それをヒラヒラさせて無表情で舞っている姿は…(^^;)。まぁ、笑顔でも怖いけど。曲が終わったので帰ろうとしたら、またすぐに次の曲が流れ始めた。今度は両手に剣を持っている。ご夫人方は通路で舞っていたけど、通行人はご夫人方の間を何事もないように歩いていた。剣を振り回していても上手い具合に通り抜けるのには感心した。出口のところではリズミカルな足踏み太極拳をしているグループもいた。太極拳は有酸素運動で全身の筋肉を使うみたいなので、ダイエットにはもってこいだと思う。頭のてっぺんからつま先まですべての神経、筋肉を集中させているようで、気温はたぶん3℃くらいだったと思うけど、激しい運動ではないのにみんな汗をかいていた。私は増え続ける体重をどうにかせねば…とスポーツジムに通おうとずっと思っていたけど、それよりカルチャーセンターなんかの太極拳教室に通いたくなった。精神統一にもなりそうだし楽しそう。まさかこんなに太極拳に夢中になるとは思ってもいなかった。早起きして来て良かった! 
 
  
 帰りは自動販売機で切符を買ってみた。お金を何回入れても戻ってきてしまう。通りがかりのお兄さんが「先にボタンを押すんだよ」と身振りで教えてくれた。自動販売機から出てきた切符はテレフォンカードのようなもので出るときの自動改札で回収される。そしてまたそのカードを再利用するみたい。行きの切符はきれいだったけど、帰りの切符はかなり擦れて緑のカードが白っぽくなっていた。コストの面などのことはよく分からないけど、これはごみがでなくていいなと思った。 
  
ホームに降りて…さて、どっちに乗るんだっけ?確かこっちだよな…と来た電車に乗って車内の路線図を見たらホテルとは逆方面だった。ドアが閉まる直前に飛び降りたら、中の人たちが驚いていた。ホームにいた駅員さんに≪徐家匯≫の字を見せたら「こっちこっち」と笑顔で教えてくれた。車内で日記を書いていたら、隣にいたおじさんが目をパチクリして覗き込んでいた。ぷぷっ(^^)。ふと前を見ると車内広告で「これは三菱レイヨン株式会社の登録商標です。」みたいなことが日本語で書いてある透明なプラスチックの板が貼ってあった。 
  
 徐家匯駅からタクシーを拾ってホテルに戻り、朝食を食べているO野さんと合流した。約束の時間を20分くらい過ぎてしまってごめんなさい。今日はピータン粥はなくてコーン粥だった。やっぱりピータン粥の方がおいしいな…。 
  
 今日はもう日本に帰る日。集合時間まで徐家匯駅近くのデパートへ歩いて行くことにした。ホテルを出てすぐローソンがあった。まるで日本のローソンと外観も店内の商品の配列も同じ。もちろんおでんや肉まん、揚げ物類が入っているケースもあった。ここは地元のひとは利用しているのかなぁ?
  
 途中からY沢さんはデパートへは行かず別行動をすることになっていた。私たちと別れてすぐ物乞いのおじさんにY沢さんは後をつけられていた。Y沢さんは気づいていないようだったので横断歩道の反対側から私たちはY沢さんを呼んだ。でもY沢さんは気づかない。「大丈夫かなぁ」と不安に思っていたら、物乞いのおじさんは他の人に声をかけていた。別にY沢さんの後をつけていたのではなく、たまたま行く方向が一緒だったみたい…。ホッとして私たちはデパートへ向かった。 
  
 徐家匯駅周辺の道路は車道と歩道の間に自転車道がある。さすが自転車の国だ。デパートの中にはコインロッカーに荷物を預けないと入れない。よくみると地元のひとはカバンを持っていなくて、みんな手ぶらお財布くらいしか入らないような小さなカバンを持っていた。そしてこのコインロッカーがハイテクなのだ。見た目は水色の扉で日本にあるものとあまり変わりない。ところがカギがない!ドアを開ける取っ手もない!このハイテクコインロッカーはコインを入れると数字が書かれた紙が出てきてコインが戻ってくる。その数字を入力するとドアが開く。荷物を入れてドアを閉める。これで身軽にお買い物が出来るのだ。どうも万引き防止対策らしい。サンフランシスコのチャイナタウンの中国人のことを思い浮かべるとなんだかなっとくしてしまう。荷物を出すときも番号を入力するとドアが開く。 
  
 食品売り場でビーフンを買おうと思ったけどなんとなくやめて、嘉緑仙(クロレッツ)3箱で5元(66.5円)、荷氏(ホールズ)3つで4.5元(60円)、ドリトス3D(ドリトスがおっとっとみたいに立体的になっている)1袋3.5元(47円)を買った。杏露酒も買おうと思ったけど見当たらなかった。ぷらぷら見てたらあっという間に30分経ってしまってCD売り場を見ることができなかった。O野さんはスヌーピーのバースデーカードを買っていた。もちろん中国語でメッセージが書いてあってとってもかわいかった。私も買えばよかった…。 
  
 帰りにハイテクコインロッカーから荷物を出し、タクシーでホテルへ戻った。タクシーの運転手に漢字のホテル名を見せたけど分からないみたい。住所を見ながらホテルに着いた。降り際に「シェーシェー」と言ったら、ちょっと笑いながら「シェーシェー」と言ってくれた。そうか!上海ではありがとうは「シェーシェー」ではなくて「シャヤ」と地球の歩き方に載っていたのを思いだした。「中国には北京語、広東語、福建語、潮州語、雲南語など数多くの方言が存在し、互いにほとんど通じない」そうだ。 

 チェックアウトして黄さんと合流し、浦東国際空港へ向った。黄さんに歳を聞いたら「今年、50歳になりました」と言ってい。私は35〜37歳くらいだと思っていたのでものすごくびっくりした。歳を聞いて、ほーんのほーんのほーーーんのちょっびっとだけうまれていた私の淡い気持ちは一気に冷めた。だってお母さんと同じくらいなんだもん…。黄さんは中国語を話しているとき1オクターブ声が低くなってちょっとかっこよかった。ちょっとだけダウンタウンの浜ちゃん似の黄さんは日本へ行ったことは一度もないのに日本語がとっても堪能だった。学生の時に専攻していただけなんだそう。「私は英語を8年も勉強したのに話せない。黄さんはどうしてそんなに日本語を話せるの?」って聞いたら「いつも使っていないとダメです。」と言っていた。そりゃそうだ。私はカナダに1ヶ月半いたとき、話せるまでにはまったくならなかったけどヒアリングは良くなっていたと思う。黄さんに「仕事は何ですか?」と聞かれ「製薬会社で働いています。」と言ったら「三交代ですか?」と言われた。その言葉がものすごく≪中国≫って感じがした。黄さんに「ぜひ日本へ来て!」と言ったら「すごく行ってみたいです。でもホテルに1泊したら1ヶ月分の月給がなくなります」と言っていた。日本に来ている中国語を話している観光客は中国人ではなく台湾人なのだそう。私はずっと中国人だと思っていた。中国人はシンガポールとかマレーシアとかそのあたりへ行くのだそう。私は黄さんになんだか申し訳ないことを言ってしまったような気がした。空港に着いてとうとう黄さんとお別れするときが来てしまった。黄さんに日本から写真を送ろう!…でも黄さんは日本語を読めるのだろうか?
 
 浦東国際空港(右下)は香港の空港と同じ規模を誇るそうだ。でも古い虹橋空港から全部の航空会社が移ってないせいか閑散としていた。搭乗までかなり時間があるので買い物したりして時間をつぶした。ショッピングエリアに「ここは代官山か?」と思わせるくらいおしゃれな喫茶店(左下)があり、そこでお茶した。上海で飲んだ炭酸類はすこし気が抜けていて、てけてけさんとO野さんは「シュワシュワの炭酸ジュースが飲みたい!」と言っていた。そのおしゃれな喫茶店で頼んだコーラは缶ごと出されて間違いなく炭酸が効いていた。私がてけてけさんとO野さんに「いい感じ?」と聞いたらウエイトレスの女の子が「イイ…カン…ジ?」と首をかしげた。この女の子は≪ケガレを知らない素直な子≫といった感じでとっても好感が持てた(ばばあちっくな言い方だわネ…)。「かわいいね」と女の子に言ったら「カワ…イイ…?(←かわいいという意味を考えている)…オー!アリガト!」と言っていた。
 

  
 飛行機に乗って水平飛行になると、またすぐに機内食と飲み物のサービスが始まった。食べている途中で「ただいま福岡上空を飛んでいます。これから松山、和歌山上空を飛び成田へ向います」という機長の放送が入った。食後、うたた寝をしていたら2時間10分の飛行で成田に着いてしまった。あっという間の3日間だったけど毎日すごく充実していてとっても楽しかった!そういえば私はチャイナタウンだ大好きで、海外へ行ったら必ずといっていいほど行っていた。ということは街全体が本場チャイナタウンの中国を気に入らないわけがない!またぜひ中国に行きたい!でも上海は都会の部分もあり、中国らしいところもあったから良かったのかも…なんて思ったりもした。 
  
 帰りの電車の中でO野さんは熟睡していた。私は今日の日記を書いていたけど、ん?なんか匂う。くんくんくん…なんだ?この匂いは。右を向くと匂わない。左を向くと…あ!韓国帰りのおじさんが「キムチ」と書いてあるおっきい袋を持っていた。犯人はアレだ!!途中でおじさんが降りたらキムチの匂いはしなくなった。間違いない。 
  
 去年の11月にオーストラリアへ行ったときは空港から会社へ直行で午後から仕事をした(といっても半分ぼーっとしてたケド)。今日は土曜日だから明日も休みだ。きゃっほぉーっ!! 
  
 
 *** おまけ * 中国の漢字 ***
 
華… 観… 門…
難…
龍…
際…
   
   難しい漢字は略されている。そりゃそうだよね。漢字ばっかりの表記だとやんなっちゃうよね。 
   日本語だってひらがなもカタカナも昔は漢字だったわけだし…。 
   中国でおもしろいなーと思ったのは、草書の字体が楷書で書かれていること。 
   看板を見るのが楽しかった! 
 
   ♪♪♪ 中国語講座は「クリック中国語」が楽しいです ♪♪♪
 
  
 *** おまけ2 * 私のおじいちゃん ***
   
私のお父さんは1945年1月1日に満州で生まれた。戦後すぐにおばあちゃんとお父さんのお兄さんと3人で日本に引き上げてきた。このときお父さんは中国に置いてこられていたかもしれなくて、中国残留孤児のニュースをテレビでやっていると「お父さんもあの中にいたかも…」といつも話している。もし中国人の誰かに引き取られていたら、今、日本に親兄弟を捜しに来ても1歳になっていないお父さんの手がかりはほとんどなかったと思う。お父さんたちが日本へ引き上げたとき、おじいちゃんは日本へ帰らず、上海へ移動して精米工場で働いていたんだそう。そしてお父さんが8歳のときにおじいちゃんは日本へ帰ってきた。お父さんは15歳で上京しているので7年間しかおじいちゃんと一緒に暮らしていない。だからあまり「お父さん」といった感覚がないんだそうだ。この話は私が上海から帰ってきてからお父さんに聞いた。なんだかとってもせつなくなった。私は生まれてから28年以上も親に甘えっぱなしだ。お母さんも若い頃はずっと苦労してきたと聞いたことがある。これからはお父さんとお母さんを大切にしようと強く心に誓った。そしておばあちゃんがお父さんを連れて帰ってきてくれたから私が存在するのだ。おばあちゃん、ありがとう。
  
 
 *** ラァ〜ブレタァ フロォ〜ム シャンハァイ〜(字余り) *** 
  
 帰国して一週間後、O野さんから葉書が届きました。
 とってもうれしかったです!ありがとうございました!
 
― 完 ―
 
最後まで読んでくれたあなた!すごい!ありがとう!(^*^)ちゅっ