大日如来

真言(胎蔵界)
オン アビラウンケン

真言(金剛界)
オン バサラダトバン


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発菩提心真言
おん ぼうじしった ぼだはだやみ

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光明真言
おん あぼきゃ べいろしゃ のう まかぼだら  まに
はんどま じんばら はら ばりたや うん


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阿弥陀如来根本陀羅尼

ノウボウ アラタンノウ タラヤ−ヤ− ノウマク アリヤ−ミタバ−ヤ−
タタギャ タヤ− アラカテイ サンミャクサンボダヤ− タニャタ オン
アミリテイ アミリトドバンベイ アミリタサンバンベイ アミリタギャラベイ 
アミリタシッデイ アミリタテイゼイ アミリタビキランテイ アミリタビキランタ

ギャミネイ アミリタギャギャノウキチキャレイ アミリタドンドビソバレイ 
サラバアラタサダネイサラバキャラマキレイシャ キャシャヨウキャレイソワカ


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延命十句観音経

観世音 南無仏 
かんぜおん  なむぶつ
 
与仏有因 与仏有縁   
よぶつういん よぶつうえん    

仏法僧縁 常楽我浄  
ぶっぽうそうえん じょうらくがじょう
朝念観世音 暮念観世音

ちょうねんかんぜおん ぼねんかんぜおん

念念従心起 念念不離心

ねんねんじゅうしんき ねんねんふりしん


(三返唱える)

この経は病とか延命にとても霊験新たかなお経です。一心不乱に唱えましょう。

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般若心経
ぶっせつ ま か はんにゃは ら  みつ た しんぎょう
正式には「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」となります。

かん  じ  ざい  ぼ  さつ    ぎょう じん はん  にゃ  は  ら  みっ  た  じ   しょう けん  ご  うん  かい  くう
観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。
 ど  いっ  さい  く  やく    しゃ  り  し      しき  ふ  い  くう      くう  ふ  い  しき      しき  そく  ぜ  くう
度一切苦厄。舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。
 くう そく ぜ  しき     じゅ  そう ぎょう しき  やく  ぶ  にょ  ぜ      しゃ  り  し      ぜ  しょ ほう  くう そう
空即是色。受想行識亦復如是。舎利子。是諸法空相。
 ふ  しょう ふ  めつ    ふ  く   ふ じょう     ふ  ぞう  ふ  げん    ぜ  こ  くう ちゅう
不生不滅。不垢不浄。不増不減。是故空中。
 む  しき    む  じゅ そう ぎょう しき   む  げん  に  び  ぜっ  しん  い     む  しき しょう こう  み  そく  ほう
無色 無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。
 む  げん かい   ない  し   む  い  しき  かい   む   む みょう やく     む  む みょう じん
無眼界 乃至無意識界。無無明亦 無無明尽。
 ない  し  む  ろう  し   やく  む  ろう  し  じん     む  く しゅう めつ どう     む  ち  やく  む  とく
乃至無老死 亦無老死尽。無苦集滅道。無智亦無得。
 い   む  しょ とく  こ     ぼ  だい さつ  た     え  はん  にゃ は  ら  みっ  た  こ
以無所得故。菩提薩。依般若波羅蜜多故。
 しん  む  けい  げ  む  けい  げ  こ      む  う  く  ふ     おん  り  いっ  さい てん  どう  む  そう
心無礙 無礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。
 くう ぎょう ね  はん   さん  ぜ  しょ  ぶつ    え  はん  にゃ  は  ら  みっ  た   こ
究竟涅槃。三世諸仏。依般若波羅蜜多故。
 とく あの  く  た   ら  さん みゃく さん  ぼ  だい   こ  ち  はん  にゃ     は  ら  みっ  た
得阿耨多羅三藐三菩提。故知般若 波羅蜜多。
 ぜ  だい  じん しゅ   ぜ  だい みょう しゅ    ぜ  む  じょう しゅ   ぜ  む  とう どう  しゅ
是大神呪。是大明呪。是無上呪。是無等等呪。
 のう  じょ いっ  さい  く     しん  じつ  ふ  こ     こ  せつ  はん  にゃ  は  ら  みっ  た  しゅ
能除一切苦。真実不虚。故説般若波羅蜜多呪。
 そく  せつ  しゅ わっ   ぎゃ  てい   ぎゃ てい    は  ら  ぎゃ てい    は  ら  そう ぎゃ てい
即説呪日。羯諦 羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。
 ぼ  じ   そ  わ  か    はん  にゃ しん ぎょう
菩提薩婆訶。般若心経。



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【般若心経の現代語訳】

観音さま(観自在菩薩)は深遠なる「智慧による悟りの修行」という行をなされていた時、この世はすべて「空(くう)」すなわち一切の存在は目には見えないものであることを見極めました。そしてあらゆる苦しみの災いから、救われる道を示されたのです。

お釈迦さまの弟子の舎利子に語りかけます。
「舎利子よ、あらゆる形あるものは、すべて空であり、空が形あるものを構成しているのです。すなわち、形あるものは空であり、空は形あるものです。したがって、心の動きも、すべて空なのです。」

「舎利子よ、この世のすべての存在は空であり、実体のないものです。それは生まれることもなく、消えたりすることもなく、汚れることもなく、きれいでもありません。増えることも減ることもありません。すべては空がもたらしているのです。」

空の世界は、形あるものは何もなく、感覚も、想いも、意思も、認識もありません。眼も、耳も、鼻も、舌も、身体も、心もありません。また、形も、音も、香りも、味も、感覚も、心に感じることもありません。迷いもなく、さらに老いることも死ぬこともなく、苦しみや、苦しみの原因もないのです。

悟りを求める人は、やすらぎに達する智慧をよりどころとしているから、心にわだかまりがないのです。とらわれることもありません。したがって恐れることもありません。すべての迷いからも遠く離れているから、心は永遠に安らかなのです。仏さまは、やすらぎの境地に達する智慧の完成をしたが故に、この上なき、悟りを得ることができたのです。

したがって安らぎの境地に至る知恵の実践こそは真実の言葉であり、悟りの言葉であり、最高の言葉なのです。だから一切の苦しみや虚しさを取り除いてくれるのです。そこで、この安らぎの境地に至るための、真の言葉を授けましょう。

その言葉とは
「ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボードヒ スヴァーハー」

この部分は仏の尊い呪文ですので訳さないのですがあえて訳してみると
「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に完全に往ける者よ、悟りよ、幸あれ。」ということです。



在家の合掌の行い方


合掌のやり方には蓮華合掌と金剛合掌があり合掌したまま三礼する。 丁寧にするなら五体投地の礼拝の仕方もある。

 真言宗では数珠を念珠と呼び左右の中指にかけて手の中で包み三度擦る。            

真の言葉

真実を語りえることばは まことのことばである。 

根本を語りえないことばは 偽りのことばである。 

偽りのことばは 無明の長夜に苦しみを受け。  

   まことのことばは苦しみを抜き安楽を与える力である。

               実義を知るをばすなわち真言と名づけ、根源を知らざるをば妄語と名づく。

            妄語はすなわち長夜に苦を受け、真言はすなわち苦を抜き楽を与う。





(弘法大師空海全集第二巻思想篇278頁)
-------  真実と言うものは、解りにくくとらえがたいものである。これが真実だと思っても、他人から批判されたり、多くの反対にあうと疑ってしまうものである。  また、真実はどちらかと言えば、この世では通らず、現実肯定のみの考えが正当なものおだやかな意見として認められてしまう。  いつも妥協することを前提として考えるようにならされると、真実を見失っていってしまうものである。  如何なることにも屈せず、とらわれず、妥協を前提としないで、真実をとらえていくならば、正しい生き方を見出し、真実のことばを語ることができる。  しかし、いつも人の顔をうかがい、ごきげんとりを考えると、根本を見失ってしまう。あたりさわりのないことのみを語っていれば、楽しいかも知れないが、それでは根本を知らずに、あさはかに生きていくことにすぎなくなってしまう。  根本を見失ったことばは、いつわりのことばでしかない。私達の日常生活の多くは、このいつわりのことばのなかにしか、いないとも言える。  いつわりのことばでは、真実も根本も解らなくなるので、まよい、まどわされ、いつまでも苦しまねばならない。  つまらないことに、いつまでも悩まされることは、私達の日常生活にままあることである。そのことがいつわりであればあるほどにそのまよいからぬけ出しにくいものである。  単純ないつわりには、すぐ気づくけれども、複雑ないつわりになるとなかなか解き明かすことができない。  世の中が複雑になってきているだけに、そのような解き明かしにくいものが数多くある。  特に、権力によって、金の力によっていつわりを真実の如くに、とりつくろっているものも少なくないからである。  いつわりを強行している者も、そのために苦しまなければならないのである。  それに比して真実を語ることばは、苦しみの原因をとりのぞき、本当の安心と楽しみを与える力を持っている。 「ペンは剣よりも強し」ということわざがあるが「真実は偽りを明らかにする」ということもできる。  私達が日常生活の中で、どうしてもうまくいかないことに出合ったり、いつわりのなかに苦しいんでいるのではないかと反省して真実をみい出だしていくことが必要でしょう。  若し、真実であれば苦しみをとりのぞいてくれるはずであるからである。 しかし、そうは言っても現実は逆で、いつわりの方が楽で真実に生きることの方が苦しみである場合が多い。それにしても、本来はそうではないのだ!勇気を出してしっかり生きなさい!とお大師様が私達に語りかけてくれている言葉です。