君にもできる?日本縦断自転車旅行(4)
                               体力について(4)

 さて、琵琶湖一周旅行ですっかり自信をつけた私は、その後2週間まったくトレーニングすることなく、日本縦断旅行出発の日を迎えてしまった。よく考えてみると、琵琶湖一周の時はコースも平坦だったし、荷物も軽かったし、天気も良かった。しかし、これから走る日本縦断のコースの中にはたくさんの峠がある。そして、荷物も倍以上の量になってしまった。はたして大丈夫だろうか。出発の直前になって再び不安がおそってきた。しかし、ここはもう出発するしかない。今ないものは、旅の間はなんとかすればいいのだ。というわけで、不安を振り切り1998年9月11日、京都府八幡市の自宅から旅立った。


 そして、初日からいきなり試練が訪れる。
 自宅を出発して4時間後、とっぷりと日の暮れた山の中で私は道ばたに座り込み、途方に暮れていた。この日は、自宅から40kmほどの所にある知人の家に宿泊する予定であった。「楽勝楽勝」と思って昼過ぎに家を出たのだが、ちょっとした地図の読み違いで私はとんでもない山道に入り込み、抜けるに抜けられなくなってしまったのだ。行けども行けども終わらない登り坂に嫌気がさして、ついに地べたにへたりこんだのだ。
 「ああ、もう帰ろうかな」
しかし、家に帰るにも今越えてきたばかりの峠をもう一度越え直さなくてはならなかった。どうせ峠を越えるなら、これから先にある峠を越えた方がいいに決まっている。再び自転車を起こし、街灯もない真っ暗な山道を、自転車を押してのろのろと進んだ。暗闇の中でなんとか道を見つけ、知人の家に着いたのは、予定の時間を3時間以上すぎた夜8時半であった。
 私は後悔した。
「やっぱりもっと体力を養っておくべきだった・・・」
しかし、今ここでごちゃごちゃ言っても始まらない。もう私は旅の第一歩を踏み出してしまったのだ。本当に力つきた時は、自転車をたたんで家に帰ればすむことだ。誰に迷惑がかかるわけでもない。幸いなことに、今はまだ気力が十分に残っているのだから、とりあえず前に進もう。そう考え、翌朝、知人の家を出発し、北を目指した。

 その後、私は舞鶴へ向かい、船で北海道へ渡り、約3ヶ月かけて鹿児島まで走った。走行距離は3800km。体力なし、根性なし、金なしの私がよくここまで走ったものだ。で、体力のことであるが、結局その後の旅の中で、体力が問題となるような場面はほとんどなかった。地図を慎重に読んで、できるだけ平坦な道を選んだし、走っているうちに徐々に体力が付いてきて、少々の坂道なら苦にならなくなってしまったのだ。

 ということで、日本を縦断するにあたって、体力はそれほどなくても走ることはできる。(世界ともなれば話は別であるが)。もちろん、体力がないゆえの様々な制限はある。たとえば、とてもよい景色の場所がその先にあるとわかっていても、そこへ行くまでに峠があるという理由で行くことをあきらめてしまったことも一度ではなかった。コースもある程度限られてくる。体力があれば、また違う旅ができただろうなと思うこともあった。しかし、それはないものねだりというものだ。結局は、現在自分が持っている力を十分に知り、それに合わせた旅のスタイルを自分自身で考えればよいのだ。そう考えると、初日の失敗は自分の力を知るよい機会であったと思える。あの日の苦労がなかったら、自分は最後まで走れたかどうか・・・。

 問題は体力のあるなしではない。自分自身の力を知り、自分に合った旅をすること。これが私が日本縦断の旅で得た旅の極意なのであった。

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