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02


 「ガソ」
 その日の放課後、家に帰ろうとして昇降口を出た僕は、職員室の窓からロクシオ先生に手招きされた。「アーイーを、知らないか」
 「知りません」僕は即答しつつ、いかに先生から逃れるかを算段していた。
 誰がアーイーに近寄らないといって、いちばん疎(うと)んじていたのは先生たちだった。転校生たる彼女に誰も気を回す様子はなく、そのくせ遠巻きから、あんなに頭がいいのに惜しいなぁ惜しいなぁとぶつぶつ言っていた。
 そんな先生が、アーイーに何か用があるというなら、そこそこ重要かつ緊急の用件なんだろう。そこで生徒を巻き込む神経が信じがたいけれども。
 「困ったなぁ、帰ったのかなぁ」先生はわざとらしく言った。「町の中学が、優秀生徒の資料を送ってほしいって言ってきてるんだけどさぁ。ほら、アーイーは転校してきたから、前の学校の資料が要(い)るんだけどねぇ」
 「はぁ」
 「先生は書類を書き上げなきゃいけないんで、忙しいんだ」
 「はぁ」
 「だれか、もらってきてくんないかなぁ」
 わざとらし過ぎて、あきれてものが言えなかった。最上級生ともなれば、クラス委員というのは教師の手抜きの始末までやるのかと嘆息した。
 この谷あいの村は、人口はそこそこいてさびれているというほどではないが、やっぱり谷あいの村だ。わずかな平地にひっそりと軒を並べていて、狭苦しい。いきおい、住民はみんな顔見知りで、自分より後に生まれた人間のことはたいがい知っている。ロクシオ先生のナサケナサに関する大人たちの統一見解が、子供の頃からさっぱり変わんねぇなぁ何しろ一二歳まで寝小便をしていた奴だからなぁといった具合だ。僕もいま一二歳だけれど、さすがにこの歳で寝小便は芸当だと思う。
 そんな所帯じみた村に、なぜだかふらりと現れたアーイーはあまりに謎めいていて、先生たちが一様に煙たがるのもムリはなかった。もっとも、変人で挙動不明な彼女は、普段はとても無口で授業の邪魔をすることはあまりなかったんで、先生はこれ幸い、アーイーは無視するものと決め込んでいた。
 僕があきれ果てた顔で先生を見ていたら、どうやらロクシオのしょんべんたれは、拒絶しない=OKという勝手きわまりない結論を、そのしょんべんたれな脳みそでさくさく組み上げたらしい。
 「ガソ」
 「はぁ」
 「これが地図だ」
 押し問答になってロクシオ先生の拝み倒し泣き落としを見るのもいやだったので(拝み倒すときの先生ときたら、明日この世が終わるかってくらいのナサケナイ面構えをするのだ)、僕は渋々地図を受け取った。
 地図は手描きで、アーイー本人が作ったものらしかった。受け取ったとたんに顔を背けて忙しそうなフリをする先生の背中を見るにつけ、彼女から地図を渡されたというだけで家庭訪問したためしなどないことは容易に見て取れた。

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