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シルキーハミング
(写真は2歳時)

平成10年3月26日生
牝/鹿毛
父:アジュディケーティング
母:グリンベルゼ






写真提供
シルクホースクラブ

初代持ち馬のシルキービートの状況が思わしくなかったこともあって、急遽購入を考えた二代目がシルキーハミングです。基本的に値段が安くてお買い得って所を探したつもりなんですが、今回は牝馬にしようってのも考慮に入れ早い時期にデビューできそうなこの娘に。ただ、デビューが3歳の7/15新潟1R、3歳未勝利ながら引退せずに障害練習。4歳の09/01新潟での障害デビュー9着後放牧に出されて、5歳になった02/09に障害2戦目を迎えるある意味非常に息の長い娘でした。


シルキーハミングのお話

同馬は平成13年7月15日の新潟競馬でデビューしました。レースはスタートで出遅れてしまい最後方からの競馬になると、勝負処でも差を詰めることが出来ないままタイムオーバーとなり、江田騎手は「オーロラビジョンを見て驚いた感じで馬が前に行こうとしなかった」と話し、調教師は「集中していなかったみたいであれが実力ではないと思う。1ヵ月間しっかり乗り込んで次は芝を試したい」とコメント。ところが芝を使われた9月2日の2戦目もスタートでまた後手を踏み見せ場なく後方に破れましたが、続く23日の中山では中団追走からジリジリ伸びて7着になると、10月7日の新潟はスタートから気合を付けられてハナを競り合い、続く24日も3番手以下を引き離して2番手で先行する積極的な競馬を披露。直線では共に失速したものの、使われつつレース振りには良化が窺える様になりました。

そして以後も順調で、毎週追い切りも行い福島での出走を目指しました。ところが3週連続除外で出走することが出来なかったものの、調教師は「なかなか使えないがいい馬っぷりで調教も動くしこのまま終わらせるにはもったいないので、一旦放牧して障害練習をやらせてみる」と話し、福島県の天栄ホースパークへ放牧されると、年が明けた1月下旬から障害練習を開始。その後障害担当の負傷で5月には栃木県の那須トレーニングファームへ場所を移し調教を続けましたが、当初見せていた気難しい麺も段々と解消し、牧場長は「最初は苦労したが今では素直になって飛越も上達している。自分で踏み切りを合わせようとするし、障害をよく見て無駄な飛びはしなくなった」と話すと、8月7日に美浦へ帰厩。

帰厩後の調整は順調に進み、調教を付けていた三浦騎手の要望で27日に新潟競馬場へ移動すると、調教師は「乗り役から新潟の方が障害も低くて簡単だと話があったので新潟で試験を受ける事にしたが、見込みがなければわざわざ移動させてこんなに早く受けると言わない筈だし素質があるのだろう」とコメント。そして29日に試験に合格し、9月1日の新潟で障害戦を迎えました。レースは無難に飛越をこなして集団後ろを追走したものの、2周目の向正面で離されてそのまま挽回できませんでしたが、三浦騎手は「初戦なので無理はしなかったが障害をよく見て飛んでいた。ただ休み明けだったし息がハァハァしていた。叩いた次はもっと良くなると思う」とコメント。しかしレース後には馬体がガレて飼い葉の食いも落ちるなど、状態が思わしくない為、立て直しを図る事が決まり再び天栄へ放牧。

以後馬体の回復に重点を置いてじっくり調教を積むと、年が明けた平成15年1月4日に帰厩し、2月9日の中山で約5ヵ月振りの出走が決まりましたが、厩務員は「獣医に診て貰ったら心臓の音がいいと言われたが今回は急仕上げになるし、やはり2、3度使ってからだろう」とコメント。レースでは序盤先行力を見せて3番手で追走したものの、やはり久々が響いて段々と後退し最後は11着に終わりましたが、調教師は「久々でバテはしたが、ズルズル離されず良く頑張っていた。体も回復していたし次はもっといい競馬になると思う」と話し、3月1日の中山で出走。

先頭に立ち逃げる勢いだったもののハナを譲ると3番手の一角でレースを進めましたが、前走同様、徐々に後退し14着でした。ただレース後も変わらず順調で、23日の中山で出走が決まると、大庭騎手は「ばったり止まってしまう理由が分からないから後ろから行ってみる走る気が出るかもしれない」と話し、レースはスタートから抑えて後方2、3番手を追走。ところが2周目の向正面を過ぎてペースが上がると付いていけなくなり12着に終わると、レース後、鼻出血を発症していることが判明して1ヵ月の出走停止となりました。

以後厩舎の馬房で休ませて様子を見ましたが、診察した獣医は「出血の程度を考えると当面運動を控えてゆっくりさせ、状態が落ち着くのを待つ必要があると思う」とコメント。それを踏まえて協議の結果、調教師から「復帰できるにしても先になりそうだし、再発する可能性もあるので、これまでの成績も考えてここで諦めることにしたい」と話しがあり、誠に残念ながら、このまま引退させる事が決まりました。平成15年4月1日に登録が抹消され、引退後については千葉県のオリンピッククラブで乗馬となる予定です。