戯れ言

色々思った事とかを日記代わりに書いてみる。
実はここのメイン。と云うか他に更新するトコ無いし。
日付の横に(ミクシィ)と書いてあるものはミクシィからの転載なので
ミクシィの方も見ている方は読み飛ばして良し。


1月29日(ミクシィ)
 今日の予定。昼過ぎに外に出て色々捜し物。のち、8時50分上映の『三丁目の夕日』を観に行く。
 てな感じで外出。捜し物と云っても自分の物じゃ無く、人の探している物だけど。それも頼まれもしないのに勝手に探しているだけなのだけど。人の為と云っても嫌がらせの為の品も混じっているけど。
 理由はどうあれ、探す物があると云うのは外出する動機に繋がるので俺にとっては良いこと。
 しかし結果は芳しく無く。一つは何とか目処は立ち。日を変えて行けば運次第でなんとかなりそう。
 一つは本屋を8軒ほど回ったけど見つからず。意味は違えど、文字通り八方ふさがり。どうやら対象の状況をはき違えていたのが敗因らしく。「入荷してそうな店(コミックスが充実してる店)」を探すのでは無く、「売れ残ってそうな店(コミックス目当ての客が少ない店)」を探すべきであった。
 一つは、確か此処に置いてあった筈だと云う店に行ったが置いて無く。記憶違いであったか、売り切れてしまったのか。もう少し探索の幅を広げる必要がありそうだ。

 チャリで移動している途中で、いつもは素通りしている場所がちょっと気になった。昔は商店街のようになっていたのだろうかと思わせる裏路地だ。入ったら通り抜け出来るのか行き止まりなのかも解らず、妙に足を踏み入れにくい雰囲気が漂っている。他人の家の庭に入ってしまうような感覚か。某魔法使いを知っていると、これも一種の結界かと思わせる。
 意を決して入ってみると「なんだ此処は?」と思わせる。良く、ショッピングモールなどで昭和初期の町並みを演出している所があるが、それが天然物なのだ。しかも、殆どの建物がシャッターが降りている中、営業している店もあるのだ(雑貨屋だった模様)。もう少し詳しく見たかったが、ガキが一人居て、こっちの方を見ていたので退散する事にした。
 今回は携帯のカメラしか無かったが、今度デジカメを持っていこうかと思う。良い写真が撮れそうだ。


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奥の縦に書いてある看板には「国際繊維 入り口」と書かれている
なんや国際繊維って?


 もう一枚は、別の場所で撮った物。捜し物をしていると、捜している物以外にもこういうネタが落ちているので面白い。



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何が根性なんだろう?
ガッツのタカさんでも出てきそうだ


 さて、映画の時間が8時50分。昼過ぎに出たらそれまで6時間以上ある。それまで延々とさまよって、最後に本日初めての飯を喰い、時間調整もばっちり。しかしかなり疲れているので、映画観ながら寝てしまいそうだ。
 と云う心配をしつつ窓口へ。
「あの、『三丁目の夕日』は3時15分の回のみの上映となっております」
 ……はい?
 良く見ると、先週調べた時点では8時50分の回はあったのだが、その後調整されて一日一回の上映に変わったらしい。うわー、一日掛けて時間調整した意味が全く無し。これでこの作品を劇場で観る機会は完全に絶たれた。

 なんか、もの凄く精神的にも疲れたので、つい衝動的にニンテンドーDSの『ブリーチ』とPSの『テイルコンチェルト』買ってしまいました。『ブリーチ』はキャラ物だけど、トレジャー制作だし。『テイルコンチェルト』は、何を今更と思われるだろうが、280円だったんだもん。

 充実してんだかしてないんだか良く解らない一日でした。


1月20日(ミクシィ)
 今日は思いの外仕事が早く終わったので夕方から街に出る。今週末に北九州に行くので、そのチケットを買いに金券ショップに行くためだ。
 乗り物が苦手で、なるべく乗っている時間を短くしたいので、贅沢に特急、新幹線を使って往復7720円(所要時間は片道約2時間)。結構な値段だ。普通に駅で往復券買うのと比べてどのくらい安いのか良く解らん。
 費用優先で行くならバスの往復券5500円が一番安いが、所要時間が約2時間43分。往復では1時間半ほどの差。日帰りでこの差は大きい。それにバスだとJRに比べて本数が少なく、更に時間的束縛を受ける。
 時間は金で買える!


 街に出たついでに、映画がメンズデーで1000円でもある事だし、映画を観ていく事にした。
 好調の『男たちの大和』……のあおりを受けて、日本での興行成績が可哀想な事になっている『キングコング』を。『有頂天ホテル』も観たかったのだが、これはまだ人が多いだろうし、『キングコング』は明日で終わると云う事なので。
 感想。長い! 何も知らずに映画館に入ったけど、終わってみたら3時間くらい経っていたよ。
 話としては、「あれ? 原住民どうなったん?」など、投げっぱなしのところもあるが、アクション、恐怖、笑い、ラブなど、色んな要素がこれでもかと云うほどてんこ盛り、迫力ある素晴らしい動き、映像と、実に正しい娯楽作品でした。
 観た後に何か心に残る物があるかと云えば、あまり無いのだが、それで良いのです。だって娯楽作品だもん! と云い切る事の出来る作品。
 しかし、劇中の映画監督や脚本家って、あんであんなに行動力があるんだろうなぁ……。

 ところで、斜め前に座っていたバカップルが、と云うかその男がマナー悪くてムカツクー。映画館でスナック菓子ポリポリさせて喰うな! せめて静かなシーンでは喰うな! 袋ガサガサ云わせるな! たいして可笑しくもないシーンで声に出して笑うな! 痛そうなシーンで「うわ……」とか声に出して云うな! いちいち彼女に話し掛けるな! ここはテメェの部屋じゃねぇんだぞ!
 と、座った状態のまま、ちょっと後頭部に蹴りを入れたい気分になってしまいましたよ。

 スタッフロールに入ってしばらくすると、俺以外の客がみんな居なくなったので、館内に俺一人のみに。なーんか贅沢な空間。
 どうにも、邦画の単館上映の物やマイナーな物は最後まで観る人が多くて、ハリウッド大作系を観る人は本編終わったらとっとと帰る人が多い印象があるなぁ。


1月19日(ミクシィ)
 ただそれだけの事に宿る魔法

 チャットモンチーのCDの帯に書いてあった文の一節なんだけど、良いフレーズだなぁ、と。
 日常のちょっとした事を書いて、最後にこれをつけるだけで、素敵な詩になりそうやん?

 サマンサが鼻をひくひくさせる
 ただ、それだけのことに宿る魔法

 …………(失敗したらしい)

 ちなみに、帯に書いてあった全文。書いたのはサウンドプロデュースのいしわたり淳治氏(元SUPERCAR)

普通の女の子が普通に音楽をつくって鳴らしている。
ただそれだけのことに宿る魔法。
彼女たちはそれを体現している。


 音楽繋がりで。
 この前レンタルCD見に行った時、ランキングに並べてあるCDの多くにCCCD(レーベルゲートCDだったかも)のマークがあり、良く見るとそれら全部エイベックスのCDだった。エイベックスって未だにこんなん使ってのか。まぁ、俺には関係無いから良いけど。

 で、レミオロメンの前のアルバム、『朝顔』借りてきました。
 聴こうとパソに入れてみる。……おや? なんか勝手な挙動起こしてますよ? あれ? なんか変なプレイヤーが立ち上がってますよ?
 まさか?! と思ってCD取り出して良く見ると、CDの縁に小さく「CCCD」の文字が。こんなん気付くかーっ!
 見たところ、歌詞カードにもCCCDである事や注意事項は一切書いてないし、
「酷いよシンちゃんそりゃないよー!」
 と、屈伸運動しながら叫びたい気分(色んな人を置いてけぼり)。あー、俺には縁がないと思っていたCCCDの被害に遭うとはなぁ。
 悔しいんで、コピーガード部分をのかして音源だけリッピングしてみました。
 ……CDドライブにバンドルされたライディングソフトで普通にリッピング出来るのって、CCCDの意味が全く無いんじゃないか? これじゃ、単にウイルスまがいのプレイヤーが入っているだけのCDやん。噂以上に訳の分かんない規格だなぁ。


1月17日(ミクシィ)
 誰の助けも得られない事よりも
 誰の助けにもなれない事の方が
 きっと、辛い


 まぁ、俺は助けが必要な時なんて滅多に無いし、必要な時はこっちから行ってるんでこんな事が云えるのかも知れんけど。
しかし、云ってる当人に全然そんな気は無くても、良いタイミングで楽になる事云ってくれる人って居るんだよね。有り難い。


 正月に帰省した際、いつも友人夫婦の家にお邪魔している。この前お邪魔した時に、友人の弟のプレステ2が壊れていた。初期型でDVDが読み込めなくなったと云うから、例のDVDのレーザー出力がヘタっている症状だろう。
 友人の弟に「これもう要らんなら、ちょっといじってみるけど完全に壊れても良いか?」と尋ねると、「どうせ棄てるつもりだから良い」と云う事。
 夜中、友人の奥さんと雑談しながらバラしにかかる(友人は横で寝入っている)。流石に3度目だから、何も見なくても作業はスムーズに進行。友人の奥さんの「へー、こうなってるんだぁ」とか「良くこんな事出来るねぇ」など、感嘆半分呆れ半分の声を聞きながら、一番肝の部分を適当に調整。
 半分ほど組み立て、試しに起動。直るか即死するか二択の乱暴な修理だが、なんとか上手くいったようだ。

 その後、帰る時になって友人の奥さんから
「あれ? これ(プレステ2)持っていかないの?」
 と訊かれる。どうやら「もう要らないか?」と訊いていたのを、俺が自分で持って帰るために訊いていたのと思っていたらしい。
「へ? 持っていきませんよ? 俺ん家にもあるし」
 と答えると
「じゃあ、何のために直したの?」
 と返ってきた。むう、まさかそんな事を訊かれるとは。
「いやだって、直すと○○(弟の名)が新しいの買わんで済むでしょ?」
 と云うと
「はぁ〜、そんなことで」
 と、奇特な人を見る目で見られる。
 いや、別に「困ってる人が居る。それを何とか出来る力が俺にある。他に理由が要るかい?」などと云うつもりは無い。
 俺だって別に聖人君主じゃ無いんだから、私欲無しと云う訳じゃない。単純に自分の手で直ると満足感があるし、それを他人に「凄い」と云ってもらいたいと云う欲求はあるし(男は、女性が開けられなかった瓶の蓋を放っておけない生き物なのだ)、先に云ったように直すと友人の弟が余計な金使わずに済むし、それで感謝して貰ったら嬉しいし、それでいつも世話んなってる恩を返せた事にならんかなぁ、とちょっと浅ましい考えもあったりするし。
 みんなが幸せになれるやん、なったやん?
 と云う自己満足。全ては巡って自分の為。それで良いと思っている。


1月15日(ミクシィ)
「良い事は他人のお陰、悪い事は自分のせい」

 あなたが常にこの言葉を心がけているのならば。

 やめなさい。あなたは自分を責め過ぎる。



 いやまぁ、この言葉が良い言葉って事は解ってるんだけどね。実際、この言葉で考えが前向きになった人も多いんだろうけど、決して万人にとって良い方向に働くものでも無いと思う。
 言葉が薬になるのなら、そしてその効果が大きいものなら、合わない人が使った場合は副作用もまた大きいのではないかと。
 そして、普段から自分を責める人ほど、この言葉をまともに受け止めるような気がする。逆に、この言葉を真摯に受け止めて欲しい人ほど、聞き流すのではないか(まぁ、俺自身も当てはまるのだが)。


 感謝の気持ちを忘れないのは大事だし、そういう人は俺も尊敬するけど、何か良い事があったとき、それが自分の働きによるものならば、ちゃんと自分を誉めてあげようよ。他人も誉める。自分も誉める。それで良いやん。
 自己満足だって、善行をするに十分な原動力だよ。良いことは自分で起こせ。

 何でもかんでも自分のせいにすると、ネガ思考がどんどん悪循環していくだけだと思う。そもそも、周囲で起こる悪い事が全て自分のせいならば、自分さえ間違わなければ悪い事は起きないと云う事になる。そんな馬鹿な。一個人にそんな力がある訳が無い。自惚れるな。


 そんな俺が日頃思っている言葉は
「無様でええやん、俺だもの」
 所詮俺様。失敗も無くスマートに生きようってのが間違っている。失敗しても後悔しない(その代わり、フォローに注力)。凹むのは、誰かを傷つけてしまった時だけでええねん。そんな時は凹んでええねん。
 誰かを傷つけて平気な顔をしている君よりも、誰かを傷つけてしまった事に落ち込む君の方が、ずっと良い。ゴメンナサイって謝って、暫く凹んで、それからまた元気になればええねん。


 ところで、冒頭で書いた「良い事は他人のお陰、悪い事は自分のせい」と云う言葉は、相田みつをの言葉らしいと聞いたが、正確には相田みつをが云ったのは

   いいことは
   おかげさま
   悪いことは
   身から出たさび     

 と云う言葉らしい。微妙にニュアンスが違う。俺は相田みつをと云う人の事は殆ど知らないのだけど(故人である事も今まで知らなかった)、流石に本家の云う事はちょっと違うなぁと思ったのでした。


1月5日
 下で書いた、親と揉めた内容。
 今回姉一家はみんな風邪でダウンして、遅れて帰省すると云う事なので、顔あわさないから姪へのお年玉はあげなくてもいっかなー、なんて考えていたのだが、具合が良くなったのか、今から来るそうで。
 で、親が俺の分のポチ袋を用意していてくれたのは良いのだが、そこに入っている金額が多い。去年の倍だ。ただでさえ去年、姪へのお年玉の金額で親と揉めたと云うのに、そんな事はすっぱり忘れているのか。
 そもそも、その辺の金銭感覚は自分の子供時代の経験からくるものが大きいと思う。「子供にそんな大金持たせちゃいかん」 と云う感覚を植え付けたのは、かつての親であった筈なのに。
 それなのに 「あんたの時代に比べて物価が上がった(それでも、俺がその年に親から貰った金額の3倍はある。そこまで物価が上がっていない。それに、おもちゃに関してはそんなに上がっていない。むしろ、おもちゃの性能に対する費用効果が上がっていると云って良い)」 だの 「あんたも自分で稼ぐようになったんだから(社会人10年以上やっている人間に今更この云い方は失礼だ)」 だの、ぐだぐだ云いやがる。
 それに加えて、生後一年にも満たない甥の分まで用意してある。本人が使う事の出来ない、親のためのお年玉なぞ必要無い。
 勿論、単に俺自身がケチだと云われたら、それは否定しない。哀しいかな、お年玉に色をつけてあげられる程には稼いでいないのだ。それに、お年玉の金額は一度上げると、もう次から下げられないので、おいそれと上げるべきでは無いのだ。ご利用は計画的に。

 そんな口論をしていたのだが埒が明かないと思い、こちらが妥協。せめてもの怒りの意思表示の為に、財布からその合計金額の札を出して投げつけてやる。
「なんねこれは?」
 と聞く親に
「解らんや? これの中身足したらこの金額やろう?」
 と答えると、「そんなものはいらん。金はこちらから出すから良いじゃないか」 と云うような事を云う。……ぶちっ。
「……はぁ? ふざけんなっ! どこまで人を馬鹿にすれば気が済むとや!!」
 何で人から施しを受けた金でお年玉をやらんといかんのか? 先ほど 「あんたも自分で稼ぐようになったんだから」 と失礼な事を云ったのは何処の誰だったか。
 確かに俺はケチではあるが、他人から貰った金を平気な顔でお年玉として(しかも自分の基準より色を付けて)あげるほど、面の皮は厚くはない。

 全く、ウチの親は、俺を怒らせる事に関しては世界一才能を持っていると思う。


1月4日
 明けました。めでたいかどうかはあなたの心持ち次第。

 さて年末年始。今回もまた色々ありました。友人の娘っ子(7歳くらい)に、訳も無く指さされて笑われたり、帽子姿に 「あやしぃー。なにか企んでる人みたい」 などと云われたり。
 去年に引き続いて何故か友人の親戚宅で年を越す際に、人見知りするわんこ(ダックスフンド)を数時間掛けて徐々に慣れさせていったり、初詣に行って相変わらず参らなかったり。おみくじは大吉でした。

 元旦の朝、家に戻るが、戻っていきなり親がむかつく事を云い出すので、腹を立てて10分ほどでまた家を出てしまう。……が、暫くして着替えなどの荷物を置きっぱなしだったのに気付いて取りに帰る辺りが情けない。
 家を出て、このままアパートに戻ってしまおうかとも思ったが、夕方から友人との約束があるのでそうも行かず。適当に車を走らせて時間を潰す事にする。

 どこに行く道かも知らず、適当に走らせていると、離合も出来ないような山に入る。普段の生活圏とは掛け離れた環境だが、こういう所でもバスが通ったり、元旦早々から部活の練習をしている学生が居たりして、当たり前の事に少し驚いたりする。


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 そうやって進んでいると、「日本一の水車」 とやらがあったので寄ってみた。普段は売店などが開いているのだろうが、元旦なのでお休み。かえって人も少なく、気楽に見る事が出来た。


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下から見上げる

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全景
中に入って体を固定すると絶叫マシーンになると思う


 近くに寄ると、ガタンガタンと水車の回る音が聞こえる。どこかで聞いた事のある音だなと思ったら、『ICO』 でこんな効果音があった気がする。そうなると気分はもう 『ICO』  きっと色んな仕掛けがあるに違いないと妄想。
 奥の方には、小さい止まっている水車があった。


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 あとで案内板を見たら、この水車の名は 「メロディ水車」  どうやら、動かすと右の小屋の装置が、オルゴールのように鳴りそうだ。動かすと音が鳴るなど、まさに 『ICO』 っぽいではないか。
 さらに奥には、飼育小屋のような物があった。


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「増殖小屋」と云うネーミングはどうか?

 看板を見ると、ホタルやカエルの飼育小屋らしい。しかし、


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 すっかり朽ち果てていて、水もよどみ、とてもホタルが育ちそうには無い。とても残念な結果です。
 後で調べて知ったのだが、この水車が日本一だったのは作った当時の事で、現在では余所に倍以上の大きさの水車がある。これが作られた以後、不毛な日本一競争が行われた結果らしい。

 水車を後にして暫く行くと、下田温泉と云う温泉街に着く。どうせ今夜は風呂に入れそうにないし、せっかくなので温泉センターでひとっ風呂浴びてくる事にする。
 ここは 『白鷺の湯』 と云う名で、昔、一羽の白サギがここで傷を癒していたところを掘ったところ、温泉が出たと云う逸話があるそうだ。
 温泉センターを出てみると、建物の横に小さな神社がある。見ると、手水屋にもサギがかたどってある。


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口から温泉を吐くサギ


 裏に回ると川があり、ちょうど入っていた温泉の裏あたりに一羽のサギが。


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 先ほどの逸話を見た後であったので、思わず写真に撮ってしまったが、後で知り合いに 「サギなんてどこにでも居るじゃないか」 と云われる。まぁ、そうなんだけどさ。
 あと、調べてみたら写真のサギはアオサギで、白サギとはちょっと違った。正に詐欺に遭った気分。

 その後、小さな温泉街を一歩き。


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 温泉街のお猫様。目つきは悪いが鳴き声がか細くて可愛い。


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 ファミリー酒場。何やら矛盾した感じ。


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 ……これ、点が消えかけているけど、二文字目は明らかに 「玉」 だよなぁ……。


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 温泉街全景。20分もあれば一回り出来る程度だが、ネタには事欠かない町であった。


 温泉街を出て車を走らせていると、ある小学校の看板が目にとまる。


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 良くある 「あいうえお作文」 の様な標語だが、最後の 「さあ、今日も元気で頑張ろう」 と云うのはどうだろう? 「さあ」 で始めるなら、後のは何だって成り立ってしまうやん。
 あと、「くらしは仲良く」 もかなり無理があると思う。

 あと、山間にあるスーパーとコンビニの中間くらいのお店にあった張り紙。



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「本の付録は忘れずに持っていって下さい! 夜露死苦 店主」


 ……夜露死苦て……。妙なはっちゃけ方をしている店主である。

 さて、途中で夕日が綺麗なスポットがあったので、夕方になってまた寄ってみる事にした。喫茶店兼土産物屋みたいなお店で、海岸まで降りていく階段がある。海岸まで降りて、でかい岩に座り込んでいると、俺の他にも一眼レフに三脚と云った、本気モードの人が二人ほど現れる。俺だけ型遅れのデジカメ。
 そのデジカメで撮った初日の入り。


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 元日から、なかなか良い夕日が見られたんじゃないだろうか。
 日も沈んでしまった後に車に戻るが、世話になったんだし、喫茶店でなんか飲んでいく事にする。
 中に入ると客は誰も居らず、奥に行くと 「あれ?」 と云う表情のウェイトレスのおねーさんと目が合う。む、なんか場違いな感じか。それとも日が沈んだ後に客が来るのは珍しいのか。もう閉店時間かとも思ったが、時間は5時40分くらいなので、それも中途半端だ。とは云え、そのままでもしょうがないので、微妙な空気の中、
「コーヒーありますか?」
 と先制。
「あ、はい。ありますよ」
「じゃあホットで。お願いします」
「はい」
 うーむ、初めて入る店でメニューも見ずに注文したのは初めてだ。案内される前に勝手に席に座る。テーブルにはワイン(?)が置いてあり、喫茶店と云うよりはちょっと洒落たレストランといった感じ。やはり場違いな感は否めないが、観光地なので俺みたいに垢抜けない客も多いだろうから気にしない。


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 喫茶店を後にし、さすがに疲れたので戻る事に。友人の所に行く前に親戚の家に寄ったのだが、もう晩飯は済んで片づけてあって、俺もあまり食欲は無いと云ったのに、わざわざ用意して喰え喰え攻撃。ありがたいやら苦しいやら。でも旨かったです。

 そして友人宅へ行くと、惣菜を頼みすぎて余っていたので、また喰え喰え攻撃。もう喰えんわー。
 そこに、1〜2年ぶりくらいに会う友人夫婦も来ていたので久しぶりに話し込む。夫婦揃って同級生で顔見知りなので、奥さんに気を使う事もなく。
 そこで今日行った所などを写真を見せながら話していると、奥さんから
「あんたは一人でも楽しそうだねぇ」
 うん。一人でもみんなでも楽しいです。人生ってスバらしい。

 その友人夫婦が帰る時に見送ると、奥さんの方から
「うちも私ら二人しか居ないからさ、いつでも遊びに来て良いよ」
 と云われる。ありがたいなぁ。旦那の方から云われると、奥さんに遠慮して行きづらいが、奥さんの方から云われると行きやすい。実際行く事があるかは解らんが、ちょっと嬉しかったりする。

 その後、みんな寝る事になったので俺もお暇してアパートに帰る。帰り着いた頃はもう朝方で、そのまま爆睡。

 今年は元旦早々ネタに事欠かない年です。


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