戯れ言
色々思った事とかを日記代わりに書いてみる。 7月31日 いつもの様に一人で残業中。器具の清掃などしていると、くら、と立ち眩みに似た眩みを覚える。その一瞬、見るとは無しに視界に入っていた部屋の隅に、三毛猫に似たナニカが蠢いていた。 ま、普通に考えたら、眩んだ時に脳の血流がどうこうとか、偏頭痛予兆の閃輝暗点(視界にチカチカとした光が見える)の様な感じで見えた幻覚なのだろう。 しかし、もし、ソイツが普段見えていないだけで日常からソコに居る物として、眩んだ時に脳と目の回路がそのズレた世界にチャンネルが合ったのだとしたら…。 そう考えると、世界はますます面白い。 7月26日 久しぶりの週末の青空。 今更云うまでも無いが、出掛けるには十分な理由である。まぁ一応、ウェブマネー買いに行くのと、ゲーセンに新作ゲームを拝みに行くと云う理由もあるのだが。 と云う事で、目的地まで遠回りしつつ(人生には寄り道ってもんが必要だ。そうだろ?)初めて通る幹線道路でチャリを漕いでいると、T字路に突き当たる。どうやらそこから先はまだ工事中らしい。 しかし、今日は工事もやっていない様だし、普通に入れる様だし、これはもう行ってみるしか!? と、中に入って、ひたすら真っ直ぐ続く未舗装の砂利道を、時速30キロ越(最大時速36キロ)でかっ飛ばす。うひゃ〜、気持ち良いー。 せっかくクロスバイク(自動車で云う所の、一昔前に流行ったなんちゃってRV車みたいな物)に乗ってんだから、たまにはこう云うでこぼこ道も走らないと。スピード出すとコケそうで怖いけど。 で、2.5キロ程走った所で道も途切れていたので(直線距離だと2.5キロなんてあっと云う間だ)、そこから小さい普通の道に降りて、また大体の目的地の方向に向けて走り出す。 更に川沿いの道を走っていてふと気づく。鍵がねぇ。 どうやらカゴに引っ掛けていたワイヤー錠が振動で落ちたらしいのだが、一体どこで落ちたのやら。恐らくは工事中の道路であろうが、それ以後に落ちた可能性も無い訳では無い。 ワイヤー錠とは云っても、鍵にはキーホルダー代わりにLEDライトとダヤンのストラップ(の一部)を付けていたので、鍵自体の値段を合わせると3500円くらいになり、結構痛い損失だ。それに、鍵が無いとおちおちゲーセンにも行けないではないか。 と云う事で、今まで来た道を引き返す事に。全く、同じ道を引き返すなんて、なんとつまらない事か。しかもずっと地面を睨みながら。 そんな感じに全く陰鬱な気持ちで、先程とは打って変わって重いペダルを漕いで行くが、なかなか見つからない。もう工事現場もかなり戻って、半分諦め掛けた頃に漸く見つかった。あー疲れた。 その後、無事目的も果たして帰宅。本日の走行距離は約30キロ。目的地までの距離は片道約5キロ。 …まぁなんだ、人生には寄り道ってもんが必要だろ?(寄り道の方が長いのもどうか?) 7月24日 ここ2日ほどごそごそやって、調子が悪くていつ逝ってもおかしくないパソに別れを告げるべく、新パソ組立。 実はパソを一人で組み立てるのは初めてだったりするので、少し不安ではあったが、本を見ながらやってみるとなんとか完成。凄いぞ俺。いや何が凄いって、
7月12日 長崎で起きた男児誘拐殺人事件の犯人が12歳の少年であった事に対して、やたら世間が騒いでいるが、それほど騒ぐ程の物なのだろうか。 確かにやった事は許されるべき物では無いが、中学生くらいなら十分起こしうる事だと思うのだが。中高生って性的な欲求に対して尤も馬鹿な時期でもあるのだし(この際に、犯人が幼児愛者であった事を議論するのは意味がない。性癖に貴賤など無いのだから。ただ、憐れむべきは、幼児愛者が欲求を満たす事自体が犯罪になってしまう事であろう)。果たして世間は、幾つの者が犯人なら納得していたのだろうか。 そしてお約束の文集暴露に、それを元にした精神分析にうんざりする。将来こういう家族構成にしたいと書いていた事に対して 「家族愛に餓え、それに対する憧憬が感じられる(うろ覚えだがこの様な内容であったと思う)」 などと、平気な顔をしてのたまうどこぞの大学教授の方の気が知れない。 それから担当大臣の 「親なんか市中引き回しの上、打ち首にすればいい」 と云う発言。後に 「あれは例えだよ。東映なんかで良くやってるだろう?」 などと釈明していたが、果たして、娯楽メディアの悪しき影響と云うのは、確かにあるのだなと実感。 「信賞必罰、勧善懲悪の思想が戦後教育の中に欠落している」 などと平気で云っているし。戦前戦中にそんな思想がまかり通っていたとも思えないし、勧善懲悪などと、あんたの基準で計られたらたまったもんじゃない。 更には福島の中学教師が、ネットに出回っていた犯人の画像を授業で回覧し 「新聞では名前が伏せられている少年の顔写真がインターネットで公開された人権侵害の例として見せた」 などと云っていたり、なんだか今回の事件では、大人ばかりが醜態を晒している様な気がするなぁ。 ついでに最近 「キレる若者」 増えているとされるのは、単にマスコミの間で 「キレる」 と云う言葉を使うのが流行っているだけであろう。「カッとなって刺した」 となどと云う供述は、昔から良くあったではないか(今でも、犯人が若者でなければ使われているが)。 7月7日 七夕である。どうにもこの時期になると 「♪たーなーばーたーバータバタ〜」 などと云う、食中毒患者が続出してる様な嘘ソングが頭から離れない上に、ホントの歌詞は 「♪たーなーばーたー…」 の後は何だっけ? と悩んでしまいながらも、たった今、歌い出しが 「♪ささのはさらさら」 であった事に気づいたりして、しょっぱなから合ってねぇやん! と、いつにも増して文章が支離滅裂でアンニュイな今日。 今日は七夕にしては珍しく晴れたのであるが、こんな年に限って、毎年嫌な思いをしながら書かされている短冊をはじめとする竹飾りが、商店街の意向か不況の煽りかで無かったと云うのは何の皮肉か。ふ、お星様はちゃあんと見てるのさ(何を?)。見てるだけで何かやってくれる訳でもないが。 そんな事とは全然関係無いが、せっかくの天気だと云うのに、朝から何だかもんやりとした浮かない心境ではあった。まぁ人生において、たまにはそんな日もある。 そして昼休み。いつもの如く自宅に帰ってもったりと過ごしていると、激しい雨音が。せっかく晴れていたと云うのに、結局雨か。再出勤する時に傘さして行かないかんのが面倒だ。 と思っていたが、どうやらにわか雨だったらしく、気が付いたらすっかり止んでいた。 そしてまた職場へと赴く為に玄関のドアを開けたら、ひんやりとした空気が風で運ばれてくる。にわか雨でいい感じに地面が冷やされたらしい。それに加えて、雨上がりの匂いが心地よい。 夏独特でありながらも心地よい空気に、あんにゅーいな気分も少し和らぐ。珍しく陰鬱な日に、このような気候が重なると云う偶然に感謝。 さあって、天の岩戸はどう開くかな(七夕なのに古事記で締めか) トップへ 03年8月の戯れ言へ 03年6月の戯れ言へ その他の戯れ言へ |