恋愛未満 2



 その時、MO−Uは終戦の歓びに沸いていた。



誰が敵だったのか、憎む相手は誰なのか。それは後になって甦るものであったのかもしれなかったが、ただその時ばかりは皆が肩を叩き合って生き残った幸運に感謝していた。
祭のムードに流されて狂騒的なその場から離れ、一人プライベートエリアへと踏み込む。
腹部に傷を負ったカトルはトロワに付き添われ、今も休んでいる。
護衛に関してはマグアナックがあれだけ厳重にしているから安心だとしても、彼らとトロワという組み合わせではきっと退屈しているに違いない。
なんとも言えない沈黙がある部屋を思って、自然と口許がほころんだ。
カトルの話し相手になりに行こう、と思ってようやくデスサイズの傍を離れることに踏ん切りをつけた。実際、なんとなくきっかけがないと離れずらかったのだ。
「何にも無くなっちゃったよなぁ」
今までの全て。
それで生き方を見失うとかこれからどうしようと悩むとか、そういう不安はない。
これからについてはレディから協力要請を受けているし、それを蹴って自由な道へ進むも自由だと言われている。
ただ、戦中に顔を公開されてしまった身としてはある程度の庇護を求めて新政府に協力した方がいい。少なくとも、世情が落ち付くまでは。
さらに言えばまだ不安要素の多いこの世界を全く関係ないものとして離れるのもちょっと怖いというのもあるし。
トロワはサーカスに戻ると言っていたし、カトルにも帰る場所がある。そういう風に「戻れる場所」をもつ人をこれ以上面倒事に巻き込まないために自分の時間を使うことに途惑いはなかった。何年か、あるいは何十年かもしれなかったが、特に目的もない。
拘束性をもたないレディの誘いはデュオのこころを捉えるに充分なものがあった。
「そういえば、五飛とヒイロはどうすんのかなぁ」
どちらも頑固そうな顔が浮かぶ。あの二人が選ぶ「これから」…ちょっと首をかしげてしまった。
「まあ、他人の意見は聞きそうにないよな」
あの二人を動かせるのは、あの二人の意志以外にありそうにない。
「ヒイロってば、学校好きだったから。もしかしたら意外に普通の生活を選ぶかもな」
自分の想像にくすくすと笑みがこぼれる。
バルジから助け出された直後頃、「情報収拾だ」と言って教材を腕に抱えて出ていった姿が思い出される。
時間の無駄としか思えない課題をちゃんとこなしていたのも記憶に新しい。
平和に一番馴染まなそうで、実は結構馴染む少年。
「やっぱり、何にも無くなっちゃったよなぁ」
これまでの目的も。彼と一緒にいられる理由も。
何一つ。
それは喜ばしいことなのに、何故こんなにも空虚な気持ちになるのだろうか。まるでこころのどこかに穴が開いたよう。
―――幸せになって欲しいと思う。
初めて会った頃、奇妙に無機質な瞳をしていたヒイロ。こころまでそうなのかと思ったら、意外に激しい内面を隠していた。
そのミスマッチが面白くてついついちょっかいをかけて、しばらく暇つぶしみたいな気持ちで彼で遊んで。遊んでたつもりで、いつのまにか自分の内にその存在を受け入れてしまっていた。
ヒイロが自爆した時喪失感を感じた。ヤバイと思った。
だから彼が生きていることを知った時嬉しかったけれど、もう関わるのはよそうと思った。
よそうと思っていたのに、そんな時に限って自分はドジを踏んで捕まって。それを助けに来たヒイロとその後しばらくの時間を共にした。
コロニーに見捨てられて。何にも期待なんかしてなかったはずなのに、傷ついてしまった崩れそうな精神がヒイロを『特別』にするのに時間はかからなかった。
彼を大事だと思う。幸せになって欲しいと思う。
「いつの間にか、オレってばあいつに甘くなっちゃったよな」
それは、いいことなのか悪いことなのか。今となってはもうわからないけれど。
ただわかっているのは、自分はヒイロの為になら命だってかけてしまうかもしれないということ。
そのくらいの執着は持ってしまったのだ。


プライベートエリアを抜け、さらに奥へと進むと要人のための区画へと入る。
警護のためとしてセキュリティがほどこされているので、コンソールにパスワードを打ち込んでロックを解除した。
ピッという電子音と共に軽い空気音がする。スライドしたドアをくぐり、ようやく騒ぎとは無縁の空気に触れる。
そうして、何時の間にか緊張で強張っていたらしい身体から力を抜いた。
100%安全とは言い難いが、それでも一般区画よりは危険度ははるかに低い。
憎しみの対象にされるかもしれないという理由からガンダムパイロットはここにいることを義務付けられている。
それを愛機の様子が見たいと言って出ていくのは、デュオくらいなものだった。
だから、他の全員がそこに揃っているのは当然のことで、そこでたまたまそんな光景を見てしまったのも偶然とは言い難かったのだ。
「嬉しいわ、ヒイロ」
角を曲がったとき、少女の声が聞こえた。戦争の最中平和を訴えつづけた数奇な運命を持つ少女の。
「あなたが護ってくれるのなら私、がんばれるような気がするの」
そう楽しげに笑うリリーナ。後ろを向いているヒイロの表情はわからない。何か答えたようだが、少し距離があるためそれも聞き取れなかった。
「約束よ。私の傍にいなさいね」
そうして重なっていく二つの影。
それを見た瞬間思考が止まった。けれど次の瞬間には我に返って慌ててその場を後にした。他人が見ていい光景とも思えなかったので。
でも、その瞬間気付いてしまった。
自分がヒイロに抱いていた好意と執着の正体。
「……忘れなきゃ」
言葉は無意識の内に口を突いて出た。
「彼女がいるならヒイロは幸せになれる……だから」
気付かなかったことにする。
自分の中にこんな感情があったことも悟られてはいけない。
ヒイロにも、リリーナにも。
このまま、今ここで全てを無かった事にする。



「……触るな」
「あら、本当にキスされると思った?私、そんなに安くはなくてよ」
直前まで近づいた口唇を押し留めつつ呟いたセリフはあっさりと一蹴された。
「ついでに言えばあなたに護ってもらえなくても大丈夫。死なない限りはがんばれるわ。私、心は強いつもりなの」
「……一体さっきのセリフはなんだったんだ」
「かわいかったでしょ?」
「気色悪い」
「まあ、ひどい」
ちょっと言ってみたかっただけよ、と。
やけに可愛らしげにころころと笑う少女から目を離し、ヒイロはうんざりしたように溜め息を吐いた。

 だからその時もヒイロは気付かなかった。
 先程までデュオが立っていた位置を見つめる、リリーナの意味ありげな微笑みに。





シャワーの湯は熱くて、緊張を解きほぐしてくれる。
始めこそ頭を冷やそうと水を浴びていたのだが、身体が冷え切ってしまったのでしょうがなく温度を上げた。
気持ち的には冷えた方がいいのだが、哀しいかな、身についた自己管理能力はここで風邪を引き込むのをよしとしない。
無駄な葛藤が沸いた時点で諦めて温まることにした。
身体を洗って、長い髪を洗って。それだけで結構な時間がかかる。
でもだからと言ってヒイロが待ち構えているだろう部屋に戻る気にもなれない。
しょうがなく、いつもは使わないバスタブに湯を張って浸かることにした。
………なんでなんだろう。
なんでヒイロは自分をこんなところまで引っ張ってきたんだろう。なんでこっちをじっと見つめてくるんだろう。
キス、したんだろう。
そこまで考えてばふっと音がしそうなほど一気に頭に血が上る。
誰にも見られやしないのだが思わず真っ赤になっているだろう頬を押さえて縮こまってしまう。
「あーもぉ相変わらずわけわかんねー…」
ヒイロという人間はなんだかデュオの思考とはかけ離れた行動を起こす。それはヒイロから見たデュオも同じなのだが、未知の思考回路は果てしなくやっかいだというのは二人共通の思いであった。
諦めたいのに、それが出来そうになった絶妙のタイミングでもって会いに来た。
すべてを忘れてしまおうと思ったのに、じっと見つめてくる。
彼女がいるくせに、キスをした。
単純に考えれば不実なオトコ。その浮気相手にでも選ばれたというところか。
だがヒイロという人間の性格からしてそんなことはあり得なさそうだ。どちらかというと惚れたたった一人の為に生身で大気圏突入したという話を聞くほうがよっぽど納得出来る気がする。
考えなくちゃいけない。
今はまだ彼の前に出られない。いかに理解し難い存在だとしても、今何も考えずにヒイロの前に立ったら自分がどうするかがわからない。
ヒイロの眼差しの意味に気付かない程デュオは鈍くは無かった。
あれが欲望を含んだものであることも、それが自分に向けられていることもわかる。
その理由まではわからないものの。
そもそもリリーナは知っているんだろうか?
本来なら今頃行動を共にしているはずだった少女の顔が浮かんだ。芯のしっかりし た、あたたかい少女。戦争が終わってから彼女と共にあった時間は少なくはない。
コロニーを駆け回る彼女の警護をしていた時間は、むしろヒイロよりも多いくらいだっただろう。
外務次官として忙しくする傍ら、デュオのこともいろいろと気遣ってくれた優しい人。
ヒイロに会いたいだろうに、そんなことおくびにも出さずに楽しげに自分に対していた。
罪悪感めいたものが浮かんだ。
今、ヒイロと一緒にいること。どうやら彼に求められているような状況に。
「うぅ……逃げてぇ…………」
なんなんだぁ、としか言いようがない。
もういいかげん先延ばしに出来ないこともわかっている。風呂場に立てこもるわけにもいかないし、どうせ真実なんてヒイロに聞かなければわからないのだ。
そう、いくらここで考えていても時間稼ぎにしかならないことなんて、本当はわかっていた。ただどうしても踏ん切りがつかなかっただけで。
憂鬱気に上げた視線の先にその場にそぐわないものが見つかった。
「………?」
まさかと思いつつ近づいて手に取って、やはり自分の予想が正しかったと知る。
「ヒイロの奴だな、絶対」
それでさっきあんなに時間がかかったのか。
そう呟くデュオの手元には、中身が半分ほど減った日本酒の一升瓶。ヒイロなりに勢いをつけたかったという意気込みの顕れとおぼしきモノは、にっこりと笑ったデュオによって有効活用されることとなった。
「少しアルコール入ればなんとか話出来るかな」
ヒイロも飲んでるみたいだしー、と。逃げ道に近いものをその中に見出したデュオはそれを一気に煽った。



……………………………バタン!!!


背後で上がった派手な音に、ようやく出てきたのかとバスルームを振り返ったヒイロはそこに仁王立ちするデュオの姿を見た。
小1時間ほど前に別れた時とは全く雰囲気を異にしたデュオは、そのままずかずかとヒイロに近寄ってくるといきなり胸ぐらを掴み上げる。
「ヒイロ、お前なーリリーナお嬢さんはどうしたんだよっ」
「デュオ?」
「オレはお前のオモチャじゃないんだからな。カノジョいるくせにこのオレ様で遊ぼうとはいい度胸じゃねーか」
「デュオ、お前もしかして…」
「うるさーーーいっ!お前に口答えする権利はなし!!」
やけに大声で怒鳴りながらもデュオの手からはすぐに力が抜けていってそのままヒイロに抱き付いてくる。ごろごろと喉でも鳴らしそうに気持ちよさげに擦り寄る。
「……飲んだな、これは」
ヒイロは頭が痛くなった。片付けるのを忘れたのが敗因である。
風呂上りだから、と言いきれないほのかに上気した肌。わずかに赤く染まった頬。何より普段なら絶対しないだろうこの甘えた仕種。
敢えて確認するまでもなく、酔っ払いだった。
デュオは結構酒に強い。酔わないというわけではなくてほろ酔いの長いタイプとでも言おうか、相当量を飲むのである。
ただし、こと日本酒になると何故かべろんべろんになってしまう。後には引かないタチらしく二日酔いになるということはないし、記憶が飛ぶこともそうはない。
ただ絡み上戸に泣き上戸、抱き付きぐせまで出るというタチの悪さがあるのだった。
逆にヒイロは日本酒ならほぼザル。洋酒に対してはデュオとそう変わらないが、顔や態度に全く出ず、限界を越えると突然ぱったりといくので回りはあまり飲ませようとしない。まあ、これは余談である。
それにしても普段ならどうということはないのだが、今回ばかりは酔わせたくなかったというのが本音であった。ヒイロとしては今回に賭けている部分が多々あるわけで、デュオが出てきてからが正念場だと覚悟を決めてさえいたのである。
なのに、出てきたデュオは酒が回って現状認識しているのかすら定かではなくなっている。
ヒイロは本日何度目かの溜め息をついた。
やっぱり、相性が悪いのだろうか。デュオと自分のこの間の悪さはなんなのだろう。
デュオがなおもヒイロに擦り寄った。
通常だったら考えられない仕種だったが、今のデュオには何のてらいもないらしく
遠慮無くヒイロへと身体を預けている。これが意識がまともな状態であったらヒイロとしては嬉しいことなのだが、あいにく今の状態でされても蛇の生殺しである。
「ほら、デュオ…寝るならベッドで寝ろ。風邪をひく」
「やだ」
ぎゅうとしがみついていやいやをする仕種は欲目を抜いても可愛いのだが、今は悪魔のようにしか見えない。
ヒイロは無言でその酔っ払いを担ぎ上げると、ベッドへ向けて放り投げた。
スプリングのよく効いたでかいベッドはしっかりとデュオの体重を受けとめたけれど、それで着地時の痛みが消えるわけでもなく。カエルのつぶれたような声がした。
「痛い……………」
途端にめそめそと泣きが入る。こんなところが酔っ払いの鬱陶しいところだ。
普段なら真っ赤になって怒鳴り付けてくるタイプの人間がそうもしおらしいと返って調子が狂うというものである。
「ほら、ちゃんとシーツをかけろ。本気で風邪ひくぞ」
「……………」
返事がないのでしょうがなくその傍に近づいた。シーツをかけてやろうと手を置いたとき、突然肘を押されてバランスを崩した身体がベッドへと倒れ込む。
現状を認識して起き上がろうとした時には、素早い動きでデュオが上に乗っかっていた。伸しかかっていた、ではなく文字通り乗っかっているのである。多分手をついて身体を支える労力を省いたのだろうが、はっきり言って重い。
「デュオ、どけ………諦められなくなるだろ」
多分本人には自覚がないのだろうけど。
こんな行動はヒイロを刺激することにしかならない。酔っ払い相手に不埒な真似に及ぶほど悪趣味ではないけれど、ものごとには限度が存在するのだ。
けれど、その一言にデュオが反応した。
「『諦める』?なにを?」
そのままもそもそとヒイロの上で移動して、首を持ち上げる。それだけで二人の視線が合う。少しぼんやりした、けれど先程とは違って少し理性の色のかいま見える青い瞳がヒイロを見つめる。
「ヒイロ、教えて。なんでオレなの?」
少し舌ったらずの声。無邪気な様子で、けれど先程からデュオが思い悩んでいた言葉がするりと口を出る。
酒の勢いだろうと、このことを言い出したかったデュオの目論見は見事達成されたと言っていい。それはヒイロの預かり知らぬことだったけれど。
「お前にはお嬢さんがいるだろ。なんでオレ?」
「……なんでリリーナがそこで出るんだ」
「だってお前のカノジョじゃん」
自分の言いたいことは言うが、話は聞かない。
デュオは見事と言っていいほどに酔っ払いのパターンを踏んでいた。
「お嬢さんいるのにオレに手ぇ出そうとしてんだろー。この浮気モン」
話の内容こそ核心に迫るものだったが、それを語るデュオは緊張感のカケラもなく当のヒイロに懐いている。
「リリーナは関係ない。俺とあいつはそんな関係だったことなど一度もない。俺が好きなのは…」
「うっそだー。オレ見たもんね、お前がお嬢さんとキスしてんの。浮気モンー」
「お前の勘違いだ。いいか、俺は…」
「ヒイロの体温って気持ちいいー」
全く話を聞かない。
苛立ったヒイロはいきなり身体の位置を変えた。ひっくり返されて上下の立場が逆になったことにデュオがきょとんとヒイロを見上げる。
「俺が好きなのはお前だ」
「オレもヒイロのことだーい好き♪」
ヒイロは無言になった。いつぞや、同じ会話をしたような……。
嫌ぁな記憶が甦りそうになって頭を振る。もう一度視線を合わせようと見下ろした先には、すでに気持ち良さそうにすうすうと寝息を立てるデュオの姿があった。
「…………酒が入った時の会話はちゃんと覚えているんだったな」
ならこの会話もちゃんと覚えているといいのだけれど。
溜め息どころか泣きが入ってきたヒイロは、とりあえず明日に希みを繋いで今日はもう寝ることにした。

腕に納めたぬくもりは、哀しいぐらいに温かかった。




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