最近になって気付いたことは、実はヒイロは下手くそだったと言うことだ。
何がって?
キスが。
最初にやられた時かなりこちらの息が上がったから上手いような気がしていたけど、今になって冷静に考えればヘタだった。
まあ、あの時はいきなりでびっくりしていたし。
あとヒイロが初めて(多分)だったものだから加減がわからずとにかく吸いついてきたせいだろう。何の意図もなく力任せに口内を荒され、貪られたから。
予測のつかない動きがデュオの慌てぶりとの相乗効果で快楽を生み出していた、ただそれだけだ。
あの時のヒイロなんてかわいいものだった。
そう、今となっては。
「んっ……」
壁に押さえこまれ、真正面に向き合う体勢で口付けられる。
狭い室内に声は異様なほど響くように感じた。
顔を逸らせばかわせるはずなのに無言の圧迫がそれを許さない。最初触れるだけだった口唇はもうとっくに内へと侵入を果たしていた。
「…っふ……」
けれど深追いされることはなくて、デュオが苦しくなる直前で解放される。そして呼吸すればまた再び重ねられ、同じことが繰り返される。
やわらかいはずの抱擁、やわらかいはずの口付け。
あの時のような激しいものではなく、拒もうと思えばすぐ撥ね退けられそうなのに不思議な拘束感がデュオを縛っている。
何度も何度も繰り返されるそれがいっそ強烈なのを1回やられた方がマシだと思うくらい抵抗を奪っていた。
自然ヒイロの肩にすがる指に力が篭っていく。シャツに皺が刻まれても、それがだんだんと深くなっていっても、デュオがそれに気付くことはなかった。
最初にキスしたのは2ヶ月前。
あの瞬間までデュオはまさかヒイロにキスの仕方を教えるとは思ってもいなかったし、ましてやその場で実践されるとはさらに思ってなかった。
初めてのキスが濃厚なディープキス。そして2度目がフレンチキス。
当然のことながらそれで終わりにするつもりだった。無かった事にしよう、と。
2度と男なんぞとキスをすまいとの固い固い決意は、しかし僅か1ヶ月で破られた。
まさかの3度目、そして4度目はそれからそう時を経ずして。
1ヶ月だった空白は1週間に、そして3日、1日とどんどんとその間隔を短くしていく。
気付けば、隙をみせれば日に何度となくヒイロに口唇を奪われるようになっていた。恋人でもないのになまじっかな恋人同士より熱のある関係。
「…ぅ、…んっ」
そしてヒイロのキスが上手くなってることに気付いたのはここ数日だ。
気のせいじゃない、絶対に。始めは違和感のようなものだったけれど今はもう確信に変わっている。
多分デュオに合わせているのだ、呼吸のタイミングも貪る舌の動きも。
ヒイロのやりたいように、ではなくデュオの性感帯をくすぐる動き、デュオの反応を引き出せることにポイントが置かれた攻め方。それは明らかに作為の含まれた愛撫。
でもそれは矛盾してる。
以前追い掛け回され何故と問うたデュオに言ったのだ、ヒイロは。「気持ちがいいからキスするのだ」と。
それは誰が?
もちろん自分が、に決まっている。他人を楽しませるだけなんて、ヒイロにそんな奉仕精神あるわけない。
だったらデュオに合わせたそのキスはおかしい。
おかしい筈………なのに。
「……っ」
「何を考えている?」
いきなり舌に噛みつかれてデュオは思考の海から急速に呼び戻された。
目の前でヒイロが不機嫌そうに眉を顰めている。
「…噛むなよ。お前『やらせてもらってる』って立場わかってんだろうな」
デュオが僅かに目を細め、低く押し殺した声で囁いた。
けれどヒイロはそれをキレイに無視して無言でデュオの瞳を覗きこんでくる。その瞳の色の深さにどきりとしてデュオは動きを止めた。
こんなことをしているのにヒイロの瞳には真摯な光があって、それがデュオの抵抗をいつも弱めさせていた。
もしもヒイロが完璧なるホモだったりとか、或いはノーマルだったとしても助平根性丸だしみたいな奴だったらどんな状況だろうと、どんなにキスが上手かろうと流されることなんてなかっただろうに。
「…………はいはい」
釈然としないものを感じながらも、やっぱり今日も流されてしまってしぶしぶデュオは目を閉じた。
どうして自分が、とかそういう基本的な事を考えることもすでに諦めている。
これは多分通り魔のようなものなのだ。
出会ってしまったのがデュオの不運、あの時話を聞かなければきっとこんな状況に陥ることもなかった。
でもキスくらいなら、しかも分別はあるらしくけして人前で…人目につくような場所ではしないから、それだからデュオも多少の妥協はすることにしていた。
そう、今更。
もう今更なのだ。
1回も2回も同じ、1回も2回も同じ……もう何度も自分に言い聞かせた言葉をまた繰り返す。
いずれヒイロが飽きるときまで、もの珍しさが薄れるその時までの辛抱だ。
触れ合うほど間近にいるから、目を閉じていてもヒイロの動きはわかる。肩にかけられていた手が頬を滑るように移動して、顎にかかった。
ヒイロの吐息がかかって、その独特の間にももう慣れてしまったデュオは体から力を抜いた。触れ合う一瞬をただ待つように。
その時。
「…………………アレ?」
本当にまさに口唇が重なる直前、といった一瞬にデュオがぱちっと目を開いた。
ヒイロがいぶかしげに動きを止めて、問うような視線をデュオに向けた。
でもデュオはヒイロのそんな様子には全く気付く素振りもなくて、何かを気にするように目を眇め瞬きを繰り返した。
少し目を伏せて、口を噤む。
「……………」
眉を顰めていたデュオの顔から、ざっと音をたてそうに血の気が引いた。
同時にヒイロの腕の中から逃れようともがいたが、その動きはあっさりと封じられる。接近戦での力勝負はヒイロに分がある。
「おま…っ、おま、おま、お前……ッ」
「暴れるな、なんだ」
抵抗封じにしっかりと抱き込まれた状態で、デュオは諦め悪くわたわたもがいた。顔から引いた筈の血は今度は上昇しているらしく顔が真っ赤になっている。
「お前、ヒイロ!」
「だからなんだと聞いている」
真っ赤な顔のまま必死でヒイロから逃れようとしているデュオの様子は真剣そのものなものの、どうにも危機感に欠けるような感じだった。
そう、逃れることが主目的と言うよりもパニックに陥っている感じだ。
「ぅわっ……ぎゃあぁああああっ」
とりあえず落ちつかせることが先かと判断し、背中でもさすってやろうかとデュオをさらに抱き込んだ瞬間、ヒイロの耳元で悲鳴が上がった。
さすがに間近で叫ばれるのはかなりうるさく、ヒイロが諦めて手を離すとデュオはずざっ、と音をたてそうな程一気にヒイロから距離をとった。
そのままふーふーと息を整えている様子は臨戦体勢の猫のようで、ヒイロは呆れたようにデュオが落ち付くのを待ってやることにした。
デュオがヒイロの理解の範疇を超えているのはいつものことなので、これしきのことでは動じない。
「………」
「…それで、どうした?」
「………」
警戒するような気配は変わらないものの、とりあえず冷静さを取り戻したらしいデュオの様子にヒイロが改めて声をかけた。
デュオはそれに答えることなくまじまじとヒイロの様子を伺っている。
眉が困ったように落ちているのは気のせいではないだろう。任務に関すること以外ならデュオは表情に出るから、そこから予測をたてていくのがデュオとコンビを組んでいく上でのヒイロの常だった。
「デュオ」
「…………まさかお前さ…自分で気付いてないとか?」
少しきつめの口調での呼びかけが…しかも滅多に呼ばない名前を呼んで、のそれがさすがに効いたのかデュオがようやく口を開いた。
なんのことだと言うようにヒイロが瞳を細める。その不機嫌そうな様子にデュオがやっぱり、と言いたげに溜め息を吐いた。
「まあキス知らなかったくらいだもんな…うん」
「なんの話だ」
ぶつぶつと独り言を洩らすデュオにヒイロが苛々と言った。
そんなヒイロを困ったように見て、デュオはうーんと唸った。
一瞬確認の為に聞こうか聞くまいか悩んだものの、ムダなことかと思う。
マスターベーションの経験があるなら現在の自分の状況くらいわかったっていいはずだから。逆に用語説明を求められたりしたらどうしたらいいものか。
でもだったらどう話したらいいのかわからない。
「はっきり言っちゃうとさ…勃っちゃってるのお前」
仕方なく事実だけを多少早口に小声で言ったデュオに、ヒイロが何かを口にしようとした。それに気付いてデュオが慌てたように「オレは教えないからな!!」と先手を打つように叫ぶ。
実際、さすがにシャレにならない状況だ。
いやここまでがシャレになるかと言うとかなりきわどい気がするが、その辺は置いとくにしてもこれはやばい。
「教えろ」なんて言われたくないし、やってみせるなんて言語道断。手だって絶対に貸したくない。
1回の我慢、なんて言えるような類のことではないのださすがに。
同じような身長、同じような体格。向き合えばちょうど正面にお互いの顔がくる自分たち。だけどまさか足の間にヒイロの熱を感じちゃう日が来るなんて思ってもいなかった。
寄せられた体に違和感を感じて、なんだろう、と思って……考えがいきついた瞬間のあの恐ろしさったらなかった。
だってヒイロが。
「あの」ヒイロ・ユイが。
状況から考えて何がヒイロのそこをそんなにしたかなんて考えるまでもなくて、だからデュオは錯乱状態に陥ったのだ。
確かにヒイロとのキスはデュオも気持ちよかったけど、デュオがそんな状態になったことは一度もなかった。だってそれはデュオの中で直接的には性的なものではなかったから。多分どこかでセーブをかけていた。
でもヒイロは、ヒイロの中ではそれは欲望に直結していたということだ。つまりはそういうこと。
デュオに口付けて、息を乱させて、そこにヒイロは欲望を見出した。それは本能に根ざした感覚、彼の中にはその時デュオへの征服欲が確かに存在したのだ。
―――やばい。本当にやばい。
まさか状況がそこまで切迫してるなんて考えていなかった。
どうやってこの場を切り抜けるか、追求を逃れるかで頭をフル回転させていたデュオの足元に影が落ちた。
顔を上げると問題のヒイロが不機嫌そうな顔をして立っている。
「……なんだよ」
「別にお前に教えろとは言っていない」
警戒を顕にするデュオに対して話を聞け、とばかりに紡がれたヒイロの言葉にデュオは「は?」と小さく呟いた。
「偏った知識だ、と最初に言っただろう…これは知っている」
「あ、そうなの?そう、か……そうかぁ、良かったあぁ。お前もマトモなオトコノコだったわけかぁ、うん。そうだよな、この年で経験ないのはさすがに問題だよなぁ、うんうん」
ほっとしたのか一気に力が抜けたデュオがへへっと照れたように笑った。
何故そういう状況に陥ったのかという辺りは解決してないものの「教える」とか「やってやる」とかそういう可能性が消えたことはかなり大きい。
「あ、じゃあオレ邪魔だよな…ってここオレの部屋じゃん。お前とっとと自分の部屋戻って始末つけてこいよ」
「嫌だ」
「そうそう、素直に……って、え?」
なんだか今この場にそぐわない言葉が聞こえた気がして、デュオは気分も軽くドアを開けてやろうと移動しかけていた体勢から振り返った。
ヒイロは先程と同じ位置に腕を組んで立っている。
「ここにお前がいるのに、何故戻らなければならないんだ」
「………は?」
一度は去りかけていた危機感がデュオの中で急速に甦る。どくどくと脈打ち始めた心臓を落ち付かせようとデュオは一度深く息を吐いた。
「………言っとくけどオレの手は貸さないからな?」
「まあ、やってくれても構わないが嫌なら特に必要ない」
言葉ではそう言いながらも近づいてくるヒイロに、デュオが一歩下がった。
頭の中では何がどうなってるやらわからずぐるぐる思考が空回りして、次にどういった行動をとるべきか決めあぐねていた。
そのデュオの隙をついてヒイロが一気に距離を詰め腕を掴む。
さすがに利き腕は許さないものの、それでも掴まれた腕にデュオが攻撃体勢に移行するその一瞬の間にヒイロがデュオを投げ飛ばした。
「いっ……!!」
衝撃を予想したのに着地点はベッドで、ギシッという鈍い音と共に体重が受けとめられる。安物のベッドはスプリングが利いているというわけでもないから結構痛かったが、この際それはどうでもいいことだ。
デュオが状況を理解して起き上がるよりもヒイロが伸しかかってくる方が早くて、組み伏せられた体勢に気付きデュオは言葉を無くした。
急展開に頭はついていっていなくて、ただ「やばい」という一言だけが頭に警鐘のように響いている。
ヒイロの知識がどの辺りまで及んでいて、何をしようとしているかによって今の危機的状況の危険度は大分変わる。
もしいわゆる本番まで知ってたらそりゃもうどうしようってな状況だ。
「ひ、ヒイロ…待て、落ち付け、早まるなっ」
「うるさい」
「いやそうじゃなくて…ってベルト外すな!何する気だお前オレは嫌だからな嫌だからな!!」
じたばたと暴れるデュオを肩で押さえてヒイロが黙々と作業を進める。
「本人がいるんだ、何も想像で済ます必要はないだろう」
「それはお前の理屈だっ!!」
チャックが下ろされるジジッという小さな音にデュオははっと息を飲んだ。そこから先はズボンの腰周りが緩んでいくので何をされているのかわかる。
ヒイロの手はそのままデュオの腰へ滑って、ラインをなぞるように下着の中にまで侵入してきた。
もうデュオは声もなく、次に何をされるかと思いびくびくしていた。
あいにく今は枕の下に銃はないし、ズボンのポケットからナイフを取り出そうにもそこはもはやヒイロの領域と化している。
あとは隙を見て逃げるしかないからとりあえず大人しくしているが、果たしてヒイロに隙が出来るか、という時点で賭けに近かった。
ばくばく言う心臓の音が耳に痛い。
現実は現実感がなくて、いっそ本当に夢だったらどんなにか楽だったことだろう。
ヒイロの手が下着を引き摺り下ろす。ああやっぱりそう来たか、とデュオはあまりのことにぎゅっと目を瞑った。
どうやってヒイロに一矢報いてこの状況から逃げ出すか、そのことだけを考える。
そもそも『本人がいるから想像で済ます必要がない』とは何事だろう?まさか自分は今までこいつにオカズにされてたとか。………それは寒い。寒過ぎる。
しかも寒いだけじゃなくて本格的にやばいのでは。いや今までがやばくなかったかと言えばそうじゃないけれど、それでもそれはさらに危険度を跳ね上げるということだ。それも格段に。
怯える身体は普段以上に敏感になっていて、ヒイロの冷たい、骨ばった指の感触なんかがやたらリアルだ。
その手は何か目的を持っているというより、確かめるようにデュオの肌を辿っている。気付けば首筋にあたるヒイロの息が熱い。そりゃ勃ってるんだからそういう状態なのも当たり前だな、と頭では思うのだが理解と実際の感覚は違う。
その吐息が耳の裏辺りをくすぐるたびに言いようのないぞくぞく感がデュオを襲っていた。
「うーーーっ……」
密着させられた肌が熱い。抱き込まれて触れる部分からヒイロの熱が伝染してくるみたいだ。
もしかしたらこのぞくぞく感を、この熱を、快感とか快楽とか呼ぶのかもしれないけれど。
それはとても肯定出来る類の情報ではなかった。
「………嫌か?」
目を固く瞑り歯を食いしばって唸るデュオにさすがに罪悪感でも芽生えたのか、ヒイロが今更のようなことを囁いてきた。
けれど嫌に決まってるだろ、とか早く手をどけろ、とか瞬時に浮かんで言い掛けた言葉は直後のヒイロの手の動きに消える。
「え?……あ…っ」
ただ触ることに飽きたのか、急に手の位置を変えてデュオのものを握りこんだヒイロは、もう一度顔を近づけて先程と同じ問いを放った。
「嫌か?デュオ」
「……お前…っ」
―――わざとだ。
薄く目を開け、ヒイロにきつくしがみ付いたデュオは嘘だろ、と心の中で呟いた。
今目の前にいるこれがキスすら知らなかった奴とは思えない。微かに笑んで少し細めた目でデュオの反応を見ながら、明らかに動きには作為が込められている。
言葉も、同じ。答えられないようにデュオが何か言いかければそれだけで指が動かされる。答えを求めていない、デュオの反応を引き出すためだけのそれ。
デュオに触れるヒイロは明らかに楽しそうで。もしかしたら今までのことは全部はったりだったんだろうか?騙されてたのかもしれない。
―――でも、何の為に……………。
「ん……っ…」
例え声を噛み殺そうと努力しても予期せぬ動きにはさすがに対応出来ない。
時折洩れてしまう自分の声に舌打ちしながら、デュオはヒイロを睨みつけた。
まさか、自分を抱くことが目的?このシチュエーションだとそうとしか言いようがない。
そんなブラフをかましてヒイロが得た事と言えば、デュオとのキスとこの状況だけだ。事実彼がデュオの油断につけこみ無理矢理コトに持ちこもうとしている以上、他の目的があるようには思えない。
―――オレの、身体目当て?ヒイロが??
「それこそ、嘘だ…っ」
「何がだ」
思わず声に出してしまったデュオにヒイロがいぶかしげに問いかけた。力ずくで押さえこんで行為を強要している人間とは思えないほど眼差しはまっすぐでクリアだ。
ヒイロの口唇は何時の間にか首筋に移動していて、そう言えばデュオは下肢への刺激に意識が集中していたからあまり気付かなかったけれど痕をつけられていたようだ。
認識に至ってなかっただけで身体の方は刺激として受け取っていたのだろう、その噛みつかれた鈍い感覚が何時の間にか全身に熱を及ぼしている。
襟元だけボタンのはずされたシャツ、何も身につけていない下半身。押さえつけた男にいいように扱われる育ち切らない身体…まるで三流のポルノビデオだ。
でもこれ以上ポルノな展開になるわけにはいかない。
デュオは大人しくやられるような性格ではないし、男に抱かれるなんて真っ平だった。
「……っ…」
でも哀しいかな、今のデュオはそこを握りこまれている以上抵抗のほとんどはヒイロに奪われたも同然だった。
如何にデュオの気力が充実していようと、すでにかなり煽られてしまった身体の方がいうことをきいてくれない。いや、動くのかもしれないけれど…ようやっと力を入れかけた身体をヒイロが簡単に突き崩す。
力が入らない、視界が霞む。
別にこの身体が特別に敏感だとかは思わない。多分ヒイロが上手いんだ。だってそうとしか説明できない。
きっとコイツはむっつりスケベで実はこういうことに手馴れてるんだ、絶対オレのせいじゃない、とデュオは頭の中で叫んだ。
頭の中でそんなことを考えていようと、実際のデュオはヒイロのシャツにすがり付き頭を摺り寄せながら熱い息を吐いていた。時折抵抗するようにヒイロを押し離そうとするのだが、それさえも刺激に喘いでるようにしか見えない。
ヒイロの機嫌を限りなく上昇させる程度にはデュオは反応を返していた。
その辺りは本人の認識とか都合とは全くの別問題だったのだ。
「…デュオ」
「…っ」
鎖骨の辺りを舐めていたヒイロが、ふいにデュオの上気した頬に口付けた。その感触はやさしくて、デュオは驚いたように閉じていた瞳を開いた。
間近い位置でヒイロと視線が絡む。
さっき視線があった時と同じ、ヒイロの瞳はひどく澄んでいた。罪に手を染める人間特有の曇りはそこにない。
深い深い青の色は間近で見ると本当に吸いこまれそうで、思わずデュオは状況を忘れてそれに見惚れた。
ヒイロがゆっくりと顔を傾ける。口唇が触れて、一瞬噛んでやろうかと思ったデュオは少し考えてから静かに瞳を閉じた。
―――抵抗、しなくちゃ…。
ずっと考えていたことが遠くなる。
なんでだろう、と考えてヒイロの瞳のせいだな、と気がついた。
だってあんまり綺麗だから。あんまり澄んでいるから、真摯な光があるから。
―――どうしよう。
犯されたくなんか、ない。当然だ、でもなんだか抵抗出来ない。力が入らないという物理的側面以外に、精神的にも。
―――こいつホントに超タチ悪ぃよ……。
抵抗出来ない状況を作り出しておいて段階を踏んでデュオを陥落しにかかっている。それに完全に嵌まりこんでる自分がバカなんだろうか…。
本当に、この全てが嘘ならヒイロはかなりの役者に違いない。
やさしく重ねられるだけの口付けは妙に安心感をもたらすもので、キスの合間にデュオはゆっくりと息を吐き出した。身体から余分な緊張が抜けて行く。
キスの間デュオの身体に触れる手を止めていたヒイロが、すっと動いた。
キスは止まない。デュオを落ち着かせるようにやわらかく重ねられるそれの合間に、小さくチャックを下ろす音が混じった。
何の音か悟ったデュオがびくっ、と身体を竦ませる。今デュオはもうズボンを履いていない以上それが誰のものかなんて考えるまでもなかった。
キスは止まない。デュオは迷った末、指に触れたシーツを握りこむことで怯えかけた意識を逸らした。
だってもうしょうがない。抱かれるのは嫌だし同意を与えることも出来ないけれど、ここでヒイロを撥ね退けることももう出来なかった。
キスの合間に覗きこむヒイロの瞳は変わらずデュオだけを見ていて、表情は変わってない筈なのに妙にえろっちい。こいつにも欲望なんてあったんだ、とどうでもいいことがぼんやりと浮かんだ。
「ん…っ!」
ふいに重ねられるだけだった口唇から舌が侵入してくる。もう慣れてしまったヒイロの熱、ヒイロとのキス。
でもシチュエーションの問題というか、さすがにヒイロの動きも余裕がない。どちらかというと初めてした時に近いような感じで、ただでさえ追い詰められていたデュオは頭が真っ白になった。
しかも同時に絡められるヒイロの指。先程までより作為のある動き、煽る目的でもって動かされるそれにデュオの意識が白に染まる。
「…ぅん……っ」
息継ぎの度に洩れかける声。でもそれもヒイロの口に消えてくぐもった響きしか生み出さなかった。もう食いしばろうとかそんな見栄もプライドもない、ただヒイロの動きにだけ集中していた。
「は、あ…………っ!!」
ヒイロが顔を離すのと、そこが強く握りこまれたのは同時だった。意識する間もなく声は洩れたし、促されるままに吐き出した。
多分顔を見られていたとか、そんなことにも最後までデュオは気付くことはなかった。
解放と同時の強烈な脱力感、それに身を任せて荒い息を吐くデュオに、ヒイロはまた重ねるだけのキスをした。
それでヒイロの存在に意識を向けたデュオは、この先の展開に少しの怯えを見せかけたのだけれど…その先のヒイロの行動が、デュオの予想とは少し違った。
てっきり足を持ち上げられるとか後ろに指を突っ込まれるとか、まあそういう体勢に持ちこまれるに違いない!と思っていたのに反し、ヒイロはデュオに体重を預けるようにして(つまり伸しかかって)いるだけだ。それ以上の動きがない。いや、ちょっとなんか動いてはいるようだけど。
「…?」
「……くっ…」
さすがにデュオが疑問を抱き始めた頃耳元でくぐもった声が聞こえた。
え?と思うと同時に強張ったヒイロの身体から、何事が起こったのかを察する。その後で耳に触れる荒い息も、ついさっき自分の身に起こったことだからどういった状況なのかすぐ判断がついた。
「…え…あれ?」
デュオの上にヒイロが乗っかってて視界は実質閉ざされているから、実際のところはどうなのかはわからないけれど。状況からすると、ヒイロは自分で始末をつけたようだった。
無理矢理押し倒しといて?勝手に人のモノを煽ってイかせといて?しかもここまで状況が揃ってて自分で??
デュオの頭で疑問符が飛びかう中、何事もなかったかのように…まだちょっと息は荒いけど、とりあえず大分落ち付けたヒイロが顔を上げてまたデュオの顔に口付けを落としてきた。
なんだかいわゆる事後の接触のようで、デュオはその場の空気がもつ妙な倦怠感というか甘ったるいというか、いわゆる恋人モードの雰囲気にうろたえた。
結構覚悟つけていたのだ、実際。
「ヒイロ……?」
「?なんだ」
途惑ったような声音で呼ばれた名前に、ヒイロがゆるく微笑んで(この辺りがまた怖い)デュオの額にくちづけた。
さっきから顔中、身体中ヒイロにキスされてる気がする。実際には似たようなところを何回もされてるだけなのだが回数の勝利とこれも呼ぶべきなのだろうか?なんか感覚がそんな風になっていた。
「やんねぇの……?」
「……何をだ」
いぶかしげな表情のヒイロがデュオの前髪をかきあげる。くすぐったくて身をよじったデュオを追いかけてまた口唇が重ねられた。さすがにデュオももうこの程度では動じなかった。
「………」
触れるヒイロの口唇はやさしい。
―――もしかして、この先知らなかったりとか?
最初に押し倒された時に「どこまで知ってるんだろう」と思ったには思ったが。途中今までのヒイロの言動というものを果てしなく疑ったのだが。
本当に、純粋に、お触りまでしか知らなかったとか?
「は、はは……」
それはかなり幸せな想像だ。しかもなんか可能性高し……もし本当ならデュオの身の安全は最低限のラインで保障されたことになる。
「あははははっ」
「…なんだ、いきなり」
突如として笑い出したデュオをヒイロが不気味そうに見た。
張りつめていた意識の糸が切れたデュオとしてはもう笑うしかリアクションのとりようがない。安心してちょっと涙までにじみそうな感じだった。
「……変な奴だな」
狭いベッドの、デュオの隣にずりずり移動したヒイロが呟く。緊張が解けてしまえばヒイロのぬくもりはそう悪いものでもない。
デュオは笑いを止めないままヒイロを見た。
なんだかいつもよりやわらかい表情をしたヒイロは、やっぱりどうにも「騙してた」とかそういう雰囲気がない。
しかも何故かデュオの髪に触れる手つきが異常なほどやさしい。和んだ瞳はいつもの彼と同じ人物とは思えないくらいにやわらかい色をしている。
間違いなくデュオを大切に扱っている仕種。壊れ物に対するそれではなくて、大切なものだから大切にするのだとその手つきが言う。
―――なんだかなぁ。
どうやらヒイロはこのままここで寝てしまう心づもりのようで、デュオを抱き込むようにして居心地のいい位置を探していた。
デュオの方もまあ、余韻と言うかなんというかで眠気はあるのだが…だが。さすがにこの状況をこのままにして寝れるほどの楽天的思考はしていなかった。
さらに何故ヒイロの横で甘々しく寝なくてはならないのだという疑問も多分にある。
「……ヒイロ?」
「なんだ」
声をかけると、耳元から後ろにかきあげるように髪を撫でられた。
なんだか本当にコトの後の恋人同士みたいな仕種で、気色悪いような気持ちを味わいつつもとりあえずデュオは黙認した。今はそんなこと気にしてる場合じゃない。
この状況は、何かが変だ。
もう問題をおざなりにしておける事態ではない。聞かなくちゃ、いけない。
「お前さぁ…いや、聞きたくない気はするんだけど。お前、さっきオレの喘いでるのオカズにして楽しんだとかさ…、そういうわけ、だよなぁ?」
言い難いことを口にするように少し声を低くしてしまいながら、確認するように言ったデュオにヒイロが何を言ってるんだこいつは、と言いたげに眉を寄せた。まあ普通会話にするネタではないことはデュオとて承知しているのだ。
ヒイロの視線にめげずに…いや内心は結構めげてたのだが気力を振り絞り、デュオは言葉を続けた。
「お前さ。なんでオレ相手にキスなんかするわけ、こういうことするわけ。まさか本気でオレ限定でしたくてやってるのか?」
「…何を今更」
ずっと気にしつつ、避けてきた問いを勇気を振り絞り言い放ったデュオに、対するヒイロはあっさりと答えた。
「したいからやるんだろう」
「………なんでオレ相手に」
予想はしてたものの肯定されるとやっぱり怖いものがある。
底をついている気力をさらに振り絞ったデュオは重ねて問いを放った。
それに、またもヒイロは当然のことのようにあっさりと答えた。
「恋人だからに決まってる」
「――――――――は?!」
「何妙な顔してるんだ…あいかわらず、変な奴だな」
呆然としているデュオを。言葉の出ないデュオを。抱き込んでいるヒイロは、いつになくやわらかい表情をしていた。
固まってしまった思考に、必死の思いで発破をかけながら現状理解しようとしてるデュオに気付く様子はない。
苦笑するような口元がゆるく傾けられ、なだめるよう額に口付けられてもデュオは言葉が出なかった。
―――いつの間に?
―――どうして?
―――何がどうなってそんな事になってるんだ?!
ようやく形にすることの出来た心の叫びは、誰に聞き遂げられることもなかったのである。
そう、あの時のヒイロなんて、ヘタなキスだけしてたヒイロなんてかわいいものだった。
今と、なっては。
end.
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