そこにはたぶん愛がある A



それはプリベンターの任務の最中のことであった。
「………」
「ヒイロ?」
「いや、何でもない」
唐突に立ち止まったヒイロにデュオがいぶかしげに顔を向ける。
けれどヒイロは軽く首を振ると、何事もなかったかのようにまた歩き出した。
ヒイロの見ていた方を見ると、どこにでもある平和な公園の風景。いつもと違うことと言えば休日なのでアベックが多め、という事くらいだった。
「?」
一体何がヒイロの意識に触れたのかわからないまま、デュオも少し遅れてヒイロの後を追ったのだった。


「相談?ヒイロが?オレに??」
その日の夜更け、唐突に部屋を訪ねて来たヒイロの来訪理由にデュオは目を丸くした。
ヒイロがデュオを訪ねるという事自体が稀である上に、理由がそれときた。天変地異でも起きるんだろうか、と真剣に考えたくらいだ。
そんなデュオの様子を気にもせず、ヒイロは「くだらないことはお前が一番詳しそうだ」とあっさりと言った。
まあそんなとこだろうと思っていたから、デュオもああそう、とだけ答える。
狭いアパートの物のない部屋だからイスなんて2コも3コもあるわけがない。仕方なく1つしかないイスにはヒイロを座らせて自分はベッドに腰掛けた。
安物でチャチなつくりのそれがデュオの体重を受けとめてギシリと音を立てる。
「それで、『オレが詳しそうな』相談って?」
「………」
「…ヒイロ?」
無言になって視線を逸らしたヒイロに、デュオがそっと伺うように声をかける。
言い難いことなんだろうか?
「……まず最初に言っておく。オレは幼い頃Dr.Jに拾われ、その頃から徹底的にエージェントとしての教育を施された。感情は必要ないものとされたし、余分な知識は排除されて育ってきたんだ」
「うん」
前振りが長いな、と思いつつも必要な話だろうと思い、とりあえず相槌だけうってみる。
「そうは言っても最低限のことは知っておかないと何かの際に怪しまれる恐れがある。会話としておかしくない程度のことは教えられたがな」
「うんうん」
「だから俺の知識は部分によってはかなり曖昧だ。それは特に、一般の人間なら知っているだろう常識的な部分に謙著だ。つまり検索をかけても出てこない、調べても自分で探し当てるのは難しいような内容こそ知識の範囲外となる」
「うんうんうん」
何が言いたいんだろう。そろそろそんな事を考えてきた頃、ヒイロが唐突に本題に入った。
「今日昼間見たあの男女は何をしていたんだ?」
「……は?」
いきなり飛躍した話にしばらく頭がついていかなかった。
昼間?男女?何してたか??
「……………………ちょっと待て」
思わず手を突き出して「待て」の構図を作ってしまいながら首を捻る。それでヒイロは大人しくデュオの答えを待った。
その素直さを不審に思うこともなく、デュオは自分の記憶を探った。
…昼間?
そういえばヒイロがいつにも増して変だったときがあった。
道端の公園、「男女」というのはあのアベックたちのことだろう。『何をしてたか』……別に普通にいちゃついてるようにしか見えなかったけど。
「別に何もしてなかった…と思うけど……」
ヒイロが聞きたいのは多分『いちゃついてる』なんて答えじゃないだろう、と思いながら記憶を探りつつ答えてみる。
案の定ヒイロは不満そうに鼻を鳴らした。
「何もしてない、ということはないだろう。口をつけていた」
「んー?……あー、そういえば熱烈で恥知らずなのがいたっけ」
確かにヒイロの言う通り、木の陰で真っ昼間っから本番突入しそうなのがいた。いやそこまではさすがにいかないだろうけどそういう雰囲気の、と言うか。そりゃもうでぃーぷなキスを繰り広げてるのが一組、確かにデュオの記憶にも残っている。
「あれはなんだ」
「はあ?!」
「あの行為を何と言うのか、と聞いている」
頓狂な声を上げたデュオに、重ねてヒイロが問いかけの言葉を繋げた。
その表情は真面目で、いつも通り真面目なヒイロで、デュオは続けそうになった呆れた声を飲みこんだ。
さっきまでのヒイロの話を反芻してみる。そういえば常識的な知識が、と言っていた。ヒイロも自分の知識が普通一般に考えた場合変な部分で欠けているという認識はあるらしい。始め口篭もっていたのはそのせいか。
………欠けているのは情操教育、とか?
ヒイロならそれも有り得そうな気がして、デュオは慎重に言葉を選んだ。
「うんと……キス、だけど。それは知ってる…?」
「キス…?ああ、用語だけなら知ってる。恋人同士と呼ばれる男女がする行為だ。そうか、あれが……」
重々しげに呟くヒイロの姿にデュオは頭の中でマジかよ、と呟いた。単語だけ知っててその内容を知らないというのもかなり凄い。
「…そうそう、あれがキス。…質問てのはそれだけかな?」
相談ていうより疑問だよな、と思いながらもにっこり笑う。内心ではこれ以上なんか言ってきたらどうしようとか叫んでいた。額には汗が浮かんでいたかもしれない。
そんなデュオをじっと見た後、ヒイロはまたも爆弾発言をした。
「実践してみていいか?」
「え…?」
ヒイロの言葉は多分問いかけというよりも確認だったのだろう、言葉と行動はほぼ同時だった。
デュオがハタと前を向いた時にはヒイロはもう目の前にいて、デュオが疑問の声を洩らすのとヒイロが顔を傾けるのもほぼ同時の事だった。
でもそれだけなら、ヒイロにキスされただけならデュオもそこまで驚かなかったかもしれない。
「………ん…っ」
いきなり突っ込まれた舌に、拒む暇もなかった。そのまま絡めとられ、吸い上げるように荒される。
思わず握ってしまったヒイロのシャツに皺を作りながら、押し退けようとした体はびくともしなかった。
座ったままのデュオに対し中腰のヒイロだからデュオは顔を上向けるような体勢になる。息継ぎの瞬間に邪魔になる唾液を飲み下してしまいながら、頭の中は真っ白だった。
「…ふっ……」
デュオからぐったり力が抜けてからようやく、ヒイロはその口唇を解放した。
けほ、とようやく大量に吸えた酸素に咳込んでしまいながらデュオはぐるぐるする頭で今起こった事を必死になって考えた。
でも記憶は普通に話をしていたところで途切れていて、その先に何が起こったかを正確に把握できない。ちょっと普通でない事が起こったような気はする。
見ると、ヒイロがぺろりと自分の口唇を舐めていた。味見をされたような気がして、デュオの頭に一気に血が上る。
「おま…!なっ…な………っ!!」
文句を綴ろうとした口は、感情が高ぶりすぎてて逆に上手く回らなかった。気を落ち付けてから改めて文句を言おうとデュオが深く息を吐いたとき、ヒイロが何を怒っているんだと言いたげにじろりとデュオを見た。
それでさらに頭に血が上ったデュオは、動かない口の替わりに行動で怒りを示すことにした。……のだが、繰り出した拳はあっさりとヒイロの手に止められた。
「物騒だな」
もう殴りかかってこないよう、掴んだ腕を引っ張ることでデュオを自分の方に倒れこませての第一声がこれである。
デュオはもう何から言っていいのかわからなくなって口をぱくぱくさせた。
とにかく、何か言ってやらねばならない気だけはしている。
「…………なんで、このオレが、お前とディープキスなんぞを、しなきゃいけないんだよ……!!」
一言一言区切って低い声で呟いたデュオに、ヒイロがなんだ?と言いたげにきょとんとデュオの顔を見た。
「いけなかったか?」
「いけないに決まってるだろ!!」
「……そうか、悪かった」
そうかいけなかったのか…と小声で繰り返すヒイロの姿にデュオの毒気が抜かれる。わざとなら凄いが、本気なんだろうからもっと凄い。
へなへなと力が抜けていくのを感じながら、倒れこんだままのヒイロの胸元でデュオは溜め息を吐いた。
「それで、一体何したかったわけ……」
「あれが何かわかったからしてみたくなっただけだ」
「………ああそう」
実験台なわけね、と心の中で毒づく。
そういえばヒイロが見たのはディープキスであって、普通のキスの方を知らないわけだ。いきなり舌を突っ込んできたのはそのせいか。
……………をい………それってもしかしなくてもやばいんじゃ…。
デュオはがばりと顔をあげた。
「ヒイロ、言っておくけどアレはキスといっても普通じゃないキスであって、普通のキスってのはもっと軽くてそりゃもう可愛らしいもんなんだからな、間違えるなよオレは別にそんなの教えてないからな?!」
責任転嫁でもされたらたまらない。
デュオは半ば本気でヒイロに教えていた。
「……普通のキス…」
「そうそう」
「どんなのだ?」
「………わかった。実践しろと言いたいんだな」
じっとこっちを見てくるヒイロに眉を寄せつつ、1回も2回も同じ、1回も2回も同じ、と念じながらデュオはほんのちょっとくっつける程度にヒイロへと口唇を寄せた。
軽く触れて離れたその感触にヒイロが物足りないような顔をする。
「……さっきの方が気持ち良かった」
「そりゃそうだろ」
あれは恋人たち専用の濃厚なやつなんだから、とは心の中でだけ付け加える。それをヒイロ相手にやられたのは思い出したくないし、突っ込まれたくもない。
「これがキス…か」
反芻するように呟くヒイロの顔に納得の色が浮かぶまでデュオは根気よく待った。
真夜中に、二人きりベッドで向かい合って男同士でキス。しかも一回はそりゃあもうディープなやつを。
状況としては最悪だな、と心の中で呟きながら。


復習は絶対にするな、他言するなとめいっぱいヒイロに言い聞かせて送り出し、ドアをぱたんと閉めてからデュオは深く息を吐いた。
なんとなく自己嫌悪。
それより何より困ってしまうのは、誰にも言うなと言った以上多分、これからのヒイロの情操教育担当が自分に振られているだろうことであった。
キスならともかくそれ以上。
背筋のぞっとしたデュオであった。

                                          end.



2001.11.20.
長らくお待たせしました、黒うさ城1周年記念小説です!!
でもAです、まだ続きます(爆)←出来た順発射…
裏は、1周年早々にデータを失うという悲惨な目にあって今だに1周年記念が出来ていないのが酷く気がかりでした。
同じものは黒うさの乏しい記憶力では書けないので、同じネタでもう1度…と思ったのですがやはり気に食わないのしか出来なくて(^^;
ずっといつか書こう、と思っていたものを1周年にもってくることにしました。
元になった話は確か1度表に1日限定で出した気もするのですが、他所のサイトさんに差し上げたものです。諸事情でつづきを書くわけにもいかず、けれど書きたい…という感じだったのでもう一度最初から書き直すことにしました。目論みとしてはCまでいきます。
裏はあいかわらず更新が遅いです。
それでも根気よくいらしてくれる皆様、本当にありがとうございます(*><*)
これまでの、そしてこれからの全てに感謝を込めて。
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