夢をみる。
繰り返し夢を。何度も、おなじ夢を。

何も掴めずに。

理由すらわからないままに。

ただ、みつづけている。



暗闇の中何度も寝返りをうつ。
醒めそうで醒めない眠りの中、夢が忍び込んでくる。
どこかで他人を見ているような現実味のない感覚の中、それでも抗おうと振り払うように腕を伸ばした。

そのとき視界がひらけた。

まぶしい青い空が広がった。
波の音が耳を掠めた。
そうして、意識せぬままにいつもとは違う夢へと堕ちていく。
過去の、記憶へと。



「……ロ、ヒイロ!!」
「……ッ」
「どうしたんだよ、ぼーっとして。珍しいな」
目の前でひらひらと動く手が見える。
認識した瞬間、ヒイロはそれを叩き落した。
そんな行動も予想していたのか、全く気にした風もなく乗りだし気味だった体が引かれた。
視界を明るい色の長い三つ編みが翻る。
「ほら、次の授業始まるぜ優等生!」
からかうよう笑ったデュオがくるりと方向転換した。
先程のヒイロの行動を責めるでもなくあっという間に去ってしまった彼のその素早さに、一体なんだったんだ、と眉を顰めつつ思わず見送ってしまってからヒイロは身を預けていたベンチの背もたれに寄りかかった。
あのおせっかいで世話焼きなガンダムパイロットは、振り払っても振り払ってもなにかと構ってくるので鬱陶しいことこの上ない。
近くにもうその気配が存在しないことを確認してから、体に入っていた力を抜く。
夢を見ていた気がする。
その中で感じたのは海の青だった。そして目を開けたらそれよりも明るい青が視界を覆っていて、らしくもなく動揺してしまった。
目を閉じれば耳に届くのは遠くの喧騒、そしてすぐ近くで響きつづける波の音。
見晴らしのいいこの広場は、潮風が強くあまり生徒の人気はない。
さらに障害物のない海という場所が目の前に開けているだけあって、その先にある基地の偵察にはもってこいだった。
特に角に設置されたこのベンチは、基地の方を眺めていようとも傍から見ればくつろいでいる風にしか見えないという絶好のポジションにあった。
この場所にはヒイロが。あるいはデュオがその動きを監視するためにたびたび陣取っている。
お互いの領域に踏み込まない適度な距離。
片方がその場にいるときにはもう片方は近寄らないというのは暗黙の了解のようなもので、そういえば先程のデュオの行動は珍しいものだった。意外に彼は他人との距離の取り方というものが上手いから。
普段なら、他人のテリトリーに無理矢理踏み込むような真似はしないのに。
ぼんやりとそんな事を考えて、ヒイロは首を振った。
指摘された通り確かに呆けてるかもしれない。
余計なことに気を取られる、らしくない自分に嫌気がさした。

目の前にそびえるあの基地を落とすこと。
それが、今与えられているただ一つの任務だというのに。

ニューエドワーズ。
シャトルを分断した。その瞬間に確かな手応えを感じた。
手に馴染んだ機体の操作管を握り、意図した通りにビームサーベルで一撃を見舞う。
これで倒したのだと思った。俺は、勝ったのだと。
―――だがもたらされた結果は最悪だった。


脳裏に浮かんだ炎に、目の前の光景が色褪せていく。
それはそう遠くない過去に現実に見たものだ。
俺は、何をやっているんだろう。
ただ与えられた任務をこなせばいいんだろうか。このまま、何事もなかったように?
ミスの清算は一刻も早くこのオペレーションを終了させることしかないのだろうか。
何も、出来ないんだろうか。
兵器がそんな事を考えるのは馬鹿げているとどこかで自分の声がする。
別の場所で自らの失態によって全てが起こったのならこのままではいけないという声がする。
無理矢理折り合いをつけるように、このままでは任務に集中出来ないから何かしらの手を打つべきだという声がする。
「………」
仮面の下の葛藤。
誰にも見せられない、己自身からも隠さなくてはいけない躊躇いと自責の念。
完璧なエージェントであるために捨てたものはなんだったのだろう?
これからも捨てなくてはならないものは。
「………」
何時の間にか伏せていた顔を上げると、まず視界に映ったのは広がる海の青。
そしてその先の…
「……あの要塞を、叩く。それが、俺の、任務だ…」
一言一言噛みしめるように呟いた。
瞳に切れるような鋭さが宿る。
―――俯く暇はない。
―――俺は、兵器だ。
言い聞かせるように己の内で囁く。何度も繰り返してきた自己暗示。
瞳を開ければ世界が変わる。
そう、変わる必要などない。完璧な兵士たる自分から。
そう訓練し、そう生きてきたのだから。
拳を握り締めて立ち上がったその表情にすでに感情と呼べるものは浮かんでいない。
全てを押し込めて前方を睨みすえるヒイロは、結局最後まで自分を見詰める眼差しに気づかなかった。
「無茶するなぁ……」
ぽつりとこぼされた呟きにすらも。



「お邪魔さまー」
真夜中の訪問者は、窓からという無礼も気にした風もなくするりと部屋に侵入してきた。
「………」
「怒るなよ。ちゃんと手土産つきだ」
ほら、と指に挟んだディスクをこれみよがしに振ってみせる。
中身の価値がどうであれ、少なくとも任務に関することであるのならヒイロが即座に追い払いにかかることはないだろうとの算段だ。
「普通にドアから来たって開けてくれないだろ?珍しく窓の鍵開いてるの見えたから、これは入れるなーって」
ヒイロはちっと舌打ちをした。
多分数分前に押しかけてきた寮長とやらが点検の際に閉め忘れたのだろう。
彼を送り出して振り返ったらデュオが侵入してきたのだからチェックの暇もなかった。
「何の用だ」
ちらりとディスクへと視線を投げ、どうせ大した内容はないだろうと判断しそれを視界の外へと追いやる。
不機嫌そうな視線をデュオはさらりと受け流した。
「ん、これは部屋に無理矢理入っちゃった代金代わりな。お前も持ってるだろうけどあそこのデータの一部。まあ、データ確認くらいにはなるさ」
予想に違わずというか、本当にどうでもいい内容のものらしい。
ヒイロはさらに不機嫌気に眉を顰めた。
だったら、こいつはそれを口実に何の用でここに入り込んだのだろう。
「………」
「怒るなよ。ケンカしにきたわけじゃないから」
デュオが苦笑する。
いつもと変わらない笑顔にヒイロは苛々としていることを隠しもせずにきつく睨み付けた。
「……やっぱ前よか余裕ないな」
「何だ」
「んにゃ、独り言」
ぽそりと呟いた言葉は聞き取れなかったらしい。
読まれるほど口唇も動いてなかったはずだから、本当にヒイロにはわからなかっただろう。
何か言いたげなヒイロを無視してデュオはぐるりと室内を見渡した。
デュオの部屋と変わらない、シンプルで殺風景な部屋である。
「……どうしても一個だけお前に言っときたいことがあってさ」
目を合わせないままに洩らされた呟きは小さかったけれど今度ははっきりと耳に届いた。
「……何だ」
「オレは、お前の味方になってやる」
「………」
あっさりと簡単に呟き出された言葉の意図を測りかねて眉を顰めたヒイロへと、今度はしっかりと視線が合わされた。
真摯な眼差しがその突然の言葉が本気であることを知らしめてくる。
「これから先、お前が何をやっても。誰を敵にしても。例え世界中がお前の敵に回ってもお前の傍にいてやる」
微笑みすら浮かべて堂々とされる宣言。
「口だけならなんとでも言えるな。何が目的だ?」
言葉の意味を取れば、単純だが果てしなく嘘くさいものでしかない。
信じろなどと言う方が馬鹿としか言い様のないほどの。
「別に。ああ、見返りにお前にオレの味方になれっていうわけでもないからな。お前はオレを裏切っても構わない。ただ覚えとけ。オレは、最後の一人になってもお前の味方だ」
「………」
ヒイロはデュオの顔をじっと見詰めた。
一体、何が目的なのか。
だから信用しろとでも言うのか?この言葉を根拠に。
…………馬鹿馬鹿しい。
「用件はそれだけか?」
「ああ」
「なら、出て行け」
「了―解―」
本当に言われたままに、そのまますたすたとドアへ向かって歩いていく後姿にヒイロは苛立ちを感じた。
一体、何が目的だ?
デュオ・マックスウェルという人間はどうにも図り難い。この言葉にも、何か自分の計り知れない裏がありそうな気がした。
ドアの前でデュオが振り返る。
「ああ、理由を言ってなかったな。オレは、お前が好きだから。だから、そう言うわけだ」
からかうような声で残された言葉は不審を煽る材料にしかならなかった。


ドアが閉まって気配が遠ざかっても、ヒイロはじっとドアを睨み付けていた。
『お前の傍にいてやる』
根拠のない、不審だらけの唐突な言葉。
腹立たしいのに、どこかで受け入れた自分に気がついた。
額を、冷や汗が伝う。
―――弱くなっている?
そしてそれを見抜かれたか。
ぎりっと奥歯がきしんだ。
自分を宥めるために、口先だけの慰めを与えたのだろうか。あれしきのパイロットが、この自分に?
腹立たしいと思った。
そして、憎いとも。
「デュオ・マックスウェル……」
以前とは違った認識を以って再びその名前を刻み込む。

ただのガンダムのパイロットではなく、敵として。




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