デュオによる事情の説明が行われた後の各自の行動は迅速だった。
まず、カトルがしばらくの間落ち付けるだろう屋敷を提供した。
プリベンターでは見つけてくれと言っているようなものだし、なまじっかな場所では不安が残る。提供された屋敷はウィナー家の隠れ家のようなもので、優れた情報網を持つ者でも当分は見つけられないだろうというくらいに秘された場所だった。
行動派の五飛は当面の敵と思しき連中の人数の把握等調査を始め、トロワがそれのサポートに入った。
カトル自身はウィナー家当主としての責務を放棄するわけにもいかず、とりあえず本家の方へ戻っている。自分のところの情報網で何か掴めたら連絡すると言い残していた。
自分も何かすると言って最後まで文句を言っていたデュオは待機の姿勢。ソロと共にただ家に篭もることになった。
それのガードに入るのがヒイロの役目。彼には情報収集などの外に出なくても出来ることを割り当てられている。ヒイロ一人いればまず大抵の侵入者は撃退できるだろうとの判断からである。
まあ、見事なまでの協力体勢。
一頃の彼らを知るサリィなどはその取り決めをにこにこと微笑ましげに見ていたほどだ。
ちなみに、サリィはもちろんプリベンターに勤務なのでこちらには来ていない。
最初の集まりの際に、強行軍を通してきたソロの健康状態をチェックした縁で彼に何かあった場合はすぐ連絡することになってはいる。
地球の、緑に囲まれた、空気と水のきれいな高原地帯。
迫る危険はあるものの、なんだか妙にのほほんとした空気のその場所に彼らはとりあえずの拠点を移したのだった。
危険は少ないはずだった…………少なくとも、今のところは。
カタカタ、カタカタ。
静かな室内には規則的なキィを叩く音が響き、凄まじいスピードで移りゆく画面が様々な情報を映しては消えていく。
やわらかい日差しが差し込むリビングは趣味のいい古風な家具で統一されており、それだけなら物語のように暖かい雰囲気をかもし出すはずなのだが、今はそこにいる人物のせいか妙に張り詰めた空気が室内を覆っていた。
カタカタ、カタカタ。
刻まれるその音は一定のリズムを崩すことなく続く。
指示されるままに画面はその内容を変えていくが、いつのまにかそれが意識を上滑りしていることに気づいてヒイロは手を止めた。
使いつづけた手を慣らすように一度手首を回し、ふいと外を見やる。パソコンを立ち上げた時よりも陽は大分落ちていて、経過した時間が相当なものであったことを理解する。
これ以上の作業は非効率と、ヒイロは画面を一旦落として酷使したパソコンを休ませてやることにした。どうせ急ぐ仕事でもない。
すっかり冷めてしまったコーヒーを眺めて諦めたように立ちあがると、カップをもってキッチンへと足を向ける。
湯の沸くのを待つ間、ぼんやりとそれを眺めながら浮かぶ思考はとりとめのないようでいて、デュオのことばかりだった。
『護るんだ、絶対に』
何気なく、けれど決意を込めたあの響きが何度も甦るのは何故だろうか。
あの話の最中洩らされた数々の言葉がふいに甦っては心を乱す。一つ甦れば連鎖的にすべてが思い出されて、結局はあの時の話を何度も自分の中で繰り返していることに気付く。
そうして、いつも同じ感情が沸くのだ。
何度も、何度でも。話の途中から感じ始める奇妙な苛立ち。
それは必ず最後にはあのソロという子供に対する憎しみのようなものへ辿り付く。
苛立ち…いや、その言葉も相応しいわけではない。けれど、他の言葉が見つからない。
自分の中の何かをひっかくようなもどかしい腹立たしさ。それを、なんと呼ぶべきなのか。
あの子供はどう考えても悪くない。
その生まれのせいで妙な奴らに付けまわされる運命となったのは同情に値するはずだし、それ以外で特に自分に関わりがあるわけでもない。
護りたいというデュオの言葉にも従おうと決めた。
なのに、会ったばかりのあの子供へ自分はこんなにも嫌悪を抱いているのだ。
―――おかしい。
何かが、狂っている。
人間の感情とは理解しがたく、本人でさえも抑制の効かないものだから厄介なのだ。そうして、それを自身の意志で統制してきたからこそヒイロは兵士として完璧だった。
気付けばいつのまにかそれがどこかで狂いを生じている。
始まりは、多分あの夢。
デュオに会った今でも見るその夢は、むしろ以前より頻繁になってきていてヒイロを惑わせる。
夢から覚めれば現実に女性としての身体を持つデュオが目の前にいて、ヒイロはだんだん夢と現実の区別が失われつつあった。
……まるで、彼女を組み敷いたのが、現実であるかのような。
それは錯覚だと首を振っても、自分を律するために並べようとする否定材料すら何もない。
途惑いは自然表面へと現れ、ヒイロはデュオに対してことさら冷たく応対するようになった。
それを受けて、最近ではデュオもあまりヒイロに声をかけてこない。
あまり部屋から出てこず、ソロと二人きりで過ごしているだろう時間。
別に親子なのだからおかしいわけでもないその状況が腹立たしい。
そう思う自分はやはりおかしいし、留守がちな五飛とトロワの不在によりこの屋敷の空気までもが気詰まりな風になってきている。
3人だけの生活。息の詰まる。
珍しく他者を必要とするような、早く他の二人が帰ってこないだろうかといった思考を抱きながら、ふとヒイロはデュオの部屋へと足を向けた。
自分のことで手一杯で気付くのが遅れたが、朝から姿を見ていない。
食事のこともあるし、赤ん坊を放置するわけにもいかず様子を見てこようと思ったのだ。仕方なくではあったのだが。
そうして、ヒイロはデュオの部屋へ向かう自分の足取りが重いのか軽いのか、それすらもすでにあやふやな自分に気付いた。
重症だ。
漠然と浮かんだ感想はそれである。
「…………」
部屋に一歩踏み込んでヒイロは沈黙した。
別に二人の身に何かあったと心配してきたわけでもないが、だからといって部屋からなぜ出てこないのだろうと疑問に思ったことは確かなのである。
ノックにも反応がなく、開いたままの鍵にドアを押し開けてみればそこにはデュオとソロが揃って床で寝こけていたのだ。
床。
フローリングにそのまんまである。
デュオはともかく年端のいかぬ子供にとってこれはどうだろう。しかし当のソロはそれはもう気持ちよさそうにすやすや寝息をたてている。
そんなものなのだろうか…それともやはり「あの」デュオ・マックスウェルの子供だから普通じゃなく頑丈なのだろうか。
ヒイロは今度サリィに確認を取ってみようかなどと考えつつとりあえずデュオを起こしにかかった。
暖かくなってきたとはいえ、まだ夜は冷える。
「おい…」
軽く揺さぶっても起きる気配はない。
「………」
―――鈍い。
これが追われている人間なのだろうか?いや、実際に追われているのは子供のほうなのだが、これまでその子を護ってきたのはデュオのはずである。
ましてや彼…彼女、は自分と同じガンダムのパイロットなのだ。怪我でもして昏睡状態というのならともかく、こんなに無防備に眠るなんて信じられない光景だ。
ヒイロがこの部屋に近づいてきた時点で目覚めているのが当然なのに。
「………」
もう一度強く揺さぶる。
デュオは起きない。ヒイロは呆れるのを通り越して腹が立ってきた。
何かの際のガードを請け負ってはいるが、当の本人がこれではヒイロの負担は計り知れないものになる。出来ることをやらない、というのは卑怯だ。
「おい、デュ…」
「う、ん……」
さらに強く揺さぶろうと肩に手をかけたとき、ようやくデュオが反応を返した。
目覚める、というわけではなくてただ身を捻っただけのその動きに、とろんとした声が漏れる。
とくん、とヒイロの心臓が跳ねた。
覗き込むようなその態勢―――夢と現実が交差する。
ほぼ無意識のうちに、ヒイロはその顔に口唇を寄せていた。
頬に手をあてる。ゆっくりと近づいてゆき、そのままそれを重ね合わせようとしたその時に、背後から唐突に泣き声が響き渡った。
「……ッ」
はっと我に返ったようにヒイロが身を起こす。
その下でデュオがぱちっと目を開いた。そのままがばりと一息で起き上がって呆然としているヒイロを無視し、さっと部屋に視線を巡らせた後、すぐ近くで転がっているソロを抱き上げる。
「どーした?何かあったのか??」
寝ぼけた様子のないデュオは、やはり特に鈍っているとかそういうことでもないようだった。覚醒した瞬間に行動が開始できるのはパイロットとしての技術の一つだ。
まあ、ヒイロがそれに気づいたのは後になっての話。
今は、ただ何も考えられずに目の前の光景を見つめていた。
始め凄まじい泣き声をあげたソロは、今はもう半ば以上落ち着いてきている。しゃくりあげるような微かな声が聞こえていた。
「ソロ?」
どうしたんだろう、と疑問を顕にした表情で困ったようにデュオはソロをあやした。ぐすぐす言っていた子供がその温もりに縋りつく。
その光景をヒイロはただ呆然と見守っていた。
―――俺は、一体何を……………。
早鐘のように打つ心臓の音が頭にがんがんと響く。痛みであろうその感覚すらどこか遠く、ただ体が冷えていくような錯覚が全身を覆っている。
「………」
「ヒイロ?」
困ったような表情のまま、何か理由を知らないかというようにデュオがヒイロを見つめた。
疑いのない眼差しに酷い罪悪感が沸いた。
「………」
ヒイロは何も答えず視線を逸らすと、座り込んだような体勢から一息で立ち上がり、そのまま無言で部屋を出た。
驚いたようにデュオがその背中を見つめ…でも何も言えずにそのまま見送った。
俯いた視線の先に、今はもう泣き止んでじっとデュオを見つめる無垢な眼差しがある。
「………っ」
それにデュオは哀しげに息を詰め、瞳を歪めた。
ぎゅうっと、腕の中のぬくもりを胸に抱きしめる。
「やっぱり、ダメだよなぁ……」
苦しげな溜め息が、深く、深く部屋へと落ちた。
早足でリビングへと戻りソファへと座り込む。
混乱状態にある思考は、まだ落ち着きをみせそうになかった。
「俺は、何を………」
理解不能だ。
自分という存在に、その行動に。これほど不安を覚えたことはかつてない。
次の自分の行動が、予測出来ない。
きつく目を閉じ、邪魔な前髪をかきあげた手をそのままに頭を落とす。
「くそ………っ!!」
何もわからない、どうしたらいいのかも。
不安が苛立ちをよび、やり場のないもどかしさだけがさらに落ち着きを奪っていく。
……いや違う、ただ一つだけわかっていることが。
デュオ・マックスウェル。
―――全ての真実は、そこにある。
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