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掲示板のログ。
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今更ですが その3(^^ゞ
 投稿日 2009年9月5日(土)00時47分 投稿者 桃子
とんでもないドジをして臨んだイベント・コンサートでしたが、そんなドジなんか
忘れさせる素晴らしいコンサートでした!
オーケストラの伴奏で歌う陣さんの衣装も、私好みで素敵!

素敵な照明と舞台装置で彩られた上質の音楽は、美味しいご馳走を食べた時のように
幸せな気持ちになれ、満足しました。

ただ、私もイベントの趣旨は分かっていなかったし、関係者が多くて内輪で盛り上がって
いる感じがしました。
特に、隣席の男性のマニアックな時のマニアックな笑い声には閉口したですよ(苦笑)

バラエティに富んだ曲と演奏と歌で、時間を忘れるほど楽しみました。
「ささやき系」は、バラエティに富んだ中の何曲かだったから聴いていられましたが、
ソロ・コンサートだったら、私には辛いな〜!(苦笑)
(お好きな人、ごめんなさい!)

>「Shape of My Heart」と「When You Believe」は、別の機会にまた聞けるとうれしいですね。
 激しく同意ですね〜〜〜!!^^
 歌詞を忘れてしまわないうちに、是非とも歌っていただきたいものです。

今更ですが、わたしも
 投稿日 2009年9月4日(金)10時25分 投稿者 まつとも。
久しぶりにコンサートホールに行ったら、なんだか疲れて1週間余←回復遅すぎ←誇張。
フォワイエでサンドイッチを食べたら紙おしぼりの袋にChez Matsuoと書いてあったので、ちょっと優雅な気分に。そういえばホールの外にカフェがありました。なるほどただのサンドイッチではありませんでした。
それはともかく、コンサートは充実してました。感想はちょんこさんとほぼ同じです。
若い人たちも含め、みんな歌も演奏も上手くて、もちろん曲も楽しめました。
ただどういう人を対象にした何を趣旨としたイベントなのか、最後までよくわかりませんでした。
曲数が多かったので、しゃべる時間が限られてたみたいですが、『主催/企画/制作: 日本作編曲家協会』ということならば、もっと作編曲についてのコメントが聞きたかったです。

おおたえみりさんは若い頃(まだ二重あごじゃなかった頃)のケイト・ブッシュに似てました。
手嶌葵さんは、むかし「ささやき系」と呼ばれていたフランスの歌手を思わせました。クロディーヌ・ロンジェとか、清水ミチコの「イェル・ケ・クク」(元歌は フランソワーズ・アルディ)を思い出しました。清水ミチコは天才!
陣内さんは最後のUnder the Seaでのノリが一番良かったです。
「Shape of My Heart」と「When You Believe」は、別の機会にまた聞けるとうれしいですね。
譜面無しで。

今更ですが、ちょっと感想
 投稿日 2009年9月2日(水)01時46分 投稿者 ちょんこ
8月26日(水)。社会人には“平日”ですが、目黒パーシモンホールへ行ってきました。
複数人の出演者があると、つい“出演者が順番に登場して数曲歌って退場”という、
ジョイント形式のイベントを思い浮かべてしまうのですが、このイベントは全くの
“イベント主体”。つまりは、本当に楽曲が主体で歌い手はボーカリストとして登場、
というイベントでした。
なにしろ、ステージに演奏者が鎮座してます。えぇ。
“ピアノにキーボードにドラムにパーカッション。ギター、ベースとアコギ”な編成の
下手と、“20人程のストリングスとハープ”な上手が。
“こ…こういうイベントだったのか…”
よく理解していませんでした。(ごめん)
プログラムは、15分の休憩を挟んで、メドレーを含む10曲が前半と後半で全20曲。
知ってる曲もあり、知らない曲もあり、って感じで。
ここで気が付く。
原曲を知らなければ、どうアレンジされたかが分からない…!(爆)
…と、ともあれ。

高校2年生(おおたえみり)と卒業したばかり(舞花)、というプロデビュー前の女性ヴォーカル。
それぞれ曲のイメージに合わせて、ドレス(「Teach Me Tonight」)とオーバーオール(「Stand By Me」)。
可愛いし、上手かった。
アマリア・ネクラエシュの「サウンド・オブ・ミュージック」メドレー(「私のお気に入り」,
「すべての山に登れ」)なんて、本当にミュージカルを目の前で観ている気分に。
女性4人組のアンサンブル・プラネタ「ダッタン人の踊り」の素晴らしいハーモニー。
山瀬理桜&リオンミュージックのハルダンゲル・ヴァイオリン(形はヴァイオリンだけど、ノルウェイの
民族楽器。九弦(通常の弦の下に共鳴用の弦がある)。ボディやネックに彫り物や螺鈿の細工がある)の
演奏。司会進行も務めた藤田麻衣子さんもいい歌声。手嶌葵さんの「テルーの唄」。
少し書き出しただけでも、多様な歌い手と演奏家だったのです。
な、なんだか、宣伝不足というか、説明不足というか…。
ちょっと勿体ない気が。

陣内さんはフルが2曲。
「Shape of My Heart」(レオン)と「When You Believe」(プリンス・オブ・エジプト)。
最後にみんなで「Under the sea」(リトル・マーメイド)。
いや〜、すんげ〜良かったんだけど、譜面なんとかならんかったかね。1曲でも。
って、相変わらずケチ付けてスマン。
でもホント、良かっただけに、あー勿体ないって思うのよ。
あのステージ思い返すにつけ、あー勿体ないって。あぁ…(TーT)

手嶌葵さんの歌を聴くと、歌の根本というものを考えてしまいます。
歌い上げるだけが歌じゃないんだ、とか。
「テルーの唄」に代表されるように、消え入りそうな声も歌になるんだな、とか。

ところで、寺嶋さんとはポプコンからの知り合いだそうです。陣内さんが中国地方代表で、
寺嶋さんが九州代表。寺嶋さんのメンバーにさつくさん(佐藤邦治さん)がいたそうです。
なるほど。
それにしても、寺嶋さん。ジーンズはどうかと…(^^;みんな、そりゃー素晴らしいドレスだったのに〜。

お疲れさま  でした〜
 投稿日 2009年8月27日(木)00時23分 投稿者 agamo
今日  涼しくてよかったですね〜
で  今日  めぐろパーシモンホール
みなさま ほんとに お疲れさまでした〜
無事に終わってよかったですね〜〜
うち  ついて  ぼけぼけしてま
ではでは

夏 雨 暑さ ひと息
 投稿日 2009年8月25日(火)03時23分 投稿者 agamo
雨 降って
すこし 涼しくなりましたね〜
…処暑 らしく なってきたんですかね……??
 まだまだ ま〜〜だまだ 昼間 暑そうですし
 くれっぐれも 夏バテなどなど お気をつけくださいね〜

……高校野球 終わっちゃいましたね〜……
 夏が終わってくなあ と しみじみ しみじみ…・

>ちょんこさ〜〜〜ん
 お
  お疲れ様 です・・
   ひと月
    初志貫徹
     と
        思う です ハイ
        まらそん 完走 みたいだなあ と 思います…・
            ………お疲れ様 でした〜〜〜

ええと
雑学ノススメ(笑)
 この二週間 PSW(精神保健福祉士)実習 で
 生活訓練施設(援護寮)とか病院の精神科デイケアとか地域活動支援センターとか
 いくつか お世話になってきたです ハイ
(今年までは90時間分でいいんですけど 来年度から倍の時間数 かも)
 …身体的介護とかじゃあないんで
 要は 利用者さんとくっちゃべってこい ってぇ 半分ナゾな実習なんですけど(をいをい)
 …なんて申しますか……ひとことじゃあ言えないんですけど
 まあ あの〜〜〜〜〜〜
 いろんなかた いらした です ハイ 面白かったっす(ただし 課題がなきゃ ただ楽しいのになあ)
 …・んで
 そのなかに 若手の女性の利用者さんがいらして
 何のきっかけだったか忘れましたが
 好きなアーティストさんって 話になって
 他のひとはSMAPだ〜 スピッツだ〜 って 話だったんですけど
 中にひとり マニアックなひとが
「中尾諭介さんって知ってます?龍之介さんって知ってます??」 って かたがいらして
 あ〜〜 中尾さんってゆーと インザスープですね〜
 龍之介さんって 一回何かのイベントでオープニングアクトやってましたね〜
 (…すっかり忘れてましたが 
 5.6年前の 春先のクラブチッタのイベントで
  インパクトあるオープニングのひとだったなあ と ぼんやり想い出したり…)
 …とりあえず 見たことありますよ〜 と 言ったら
 それだけで 彼女にとっては 超〜嬉しい ってことだった らしく
 そのあと えんえん 大興奮 されてました ハイ
(いままで 誰ひとり 知ってるひとがいなかったそ〜な〜)
 …ま あの〜〜 雑学 って 妬くに立つときもあるな と(^^ゞ
 ……んで 一方
 全然別なとこで 50代くらいの 男性の利用者さんのお話をうかがってみると
 カトリックの教会似通われてるそーで
 ロザリオとかいろいろ見せていただいて
 シスターさんとかとのお話とか えんえん えんえん えんえん 聴かせていただきました ハイ
 (あ 別に今回 お世話になった施設は 宗教関係 関係ないとこ)
 …ま あの〜 えんえん 長かったんですけど
 自分のほうも 教会とか 聖書とか まるきり何も存じ上げないとき よりは
 ちょっとは こう 相づちを打てることもあるな〜 と
……雑学って大事やな〜〜〜〜〜
 …と 改めて しみじみ です ハイ

…なので たぶん いろんなことに興味持つって ええと思いますです
…どこで何が役にたつかわからないですしね〜
……実習 終わってよかった〜(ほっ)

明日から通常営業に戻りますm(_ _)m
 投稿日 2009年8月25日(火)02時13分 投稿者 ちょんこ
どんな思いも言葉にしてしまった時点で、それはもう“正確に”なんて表せるものではなく、
ましてや文章のそれがカバーする範囲なんて知れたものではなく。
だから返って、隙間だらけの文章を書く。
その隙間を埋めるのは受け手側で、そうした時点でその文章はその人のものであり。
どんな解釈でも、その解釈は間違いではない。
考えること自体も一つの意図なのだから。

この位置にいる意味を考えた事がある。
個別のものであって決して代表するものではなく、しかしそれでも、
全体の中のひとつであるのは確かなはずで。
そのただ中にある。
意識して引いて見ることもあるが、俯瞰も達観も出来はしない。

珍しい植物や美しい風景に心奪われ、ひたすら登っていたら辿り着いてしまった険峻な頂。
下り口を忘れてしまったかのように、空を見上げる。
それは危うさを隠しながら青く青く美しい。
ただ
どんなに頂を積み上げようと、その空を渡るものには届かないのだ、と。
それでも、見上げずにはいられないのだろう。


一ヵ月、結局何も書けなかった気が…、あぁ、“過ぎたるは及ばざるがごとし”だな。
ごーまんな自負にお付き合い頂き、ありがとうございましたm(_ _)m
明日から通常営業に戻ります。
これから朝晩思わぬ冷え込みにあったりしますから、体調を崩されませんように。
インフルには、手洗いとうがいですぞ。予防第一でお願いします。

100%
 投稿日 2009年8月24日(月)01時31分 投稿者 ちょんこ
陣内さんを教えてくれた友達がいて、でも彼女はどちらかというと“発掘人”。
ここ何年かはロックフェスにハマっていて、この時期は毎週末、東京にいない。
その彼女が最近言っていた言葉。
「昔は、あっちも好き、こっちも好き、でそれぞれ100%のパワーが注げると思ってたけど、
やっぱり、片方の“好き”ゲージが上がると、片方は下がるのよね〜」
それを改めて自覚した、と。
この時期、フェスに行きまくっている彼女をみると、“体力的に限界が”という理由は当たら
ないように思う。それに確かに昔は、あれもこれも、というのはあったように思う。
その時は、120%とか150%とか軽く言ってたりしたけど、
瞬間的に力を注いでいたのを、あっちもこっちも100%、と言っていたのかも。
考えてみると、瞬間的に盛り上がる力と、恒常的に使っている力とは別の物のように思う。
いや、速筋とか遅筋とかって話じゃないよ(^^;h
例えば作家なら、新作はまだかな、とか、前の作品も読んでみようかな、とか、
例えば歌い手なら、ライブはいつかな、とか、新譜はまだかな、とか…。
いつもどこかで気に掛けている“力”。
そうすると人によっては「それじゃ、その場を100%楽しめないじゃない」と言われたり。
「そうだよね」と自嘲いつつ、それでも心を離れない。
つまりは、常に揺れ惑う“心”の中を占める、ひとつの“割合”。

時間は、(相対的に)使う者に与えられるけど、
それでも、(絶対的に)1日は24時間。
心も、その場で瞬間的に気持を注ぐことは出来るけど、
恒常的に、心を砕くモノが多ければそれだけひとつに対する割合は落ちていく。

それはきちんと自覚すべきだったなぁ、とわが身を振り返る。



処暑というだけあってか、ここ何日か続いた強烈な湿度が少し和らいだ感がある。
近所の小学校は火曜日から新学期が始まると聞いた。
9月にもまた残暑があると思うが、8月も終わりだな、と過ぎる季節を少し惜しむ。

私信
 投稿日 2009年8月23日(日)00時42分 投稿者 ちょんこ
掲示板を再開しようと思った理由のひとつに、人に“失礼な事をしてしまったな…”と
思った事があって。手紙やメールで詫びを入れる、という感じでもないな…と思いつつ、
すっかりタイミングを逸してしまった、というか。
昨年の20周年記念ツアーの表参道FAB。
入場の列に知った方がいらして、でも連れの方も一緒だし後で挨拶しようかな、とそのままで。
なんかそのまま、挨拶を逃してしまって。終了後も気がついたらもういらっしゃらなくて…。
ホントに後悔先に立たずで。
非礼をお詫びいたします。済みませんでした。m(_ _)m


ちゃんと向き合っていかないと、
『時』も『音』も、どうしようもなくすり抜けて逃げていく。
分かっているよ。
すべてのものは、有限だって事。
“限りある××”
さぁ、何を入れよう。
せめて、
生きたいと思える人が生きれる世の中であって欲しい。


そして、“あ!またやってもーた(~~;”、の「閑話休題」。
意味は「本筋からはずれて語られていた話やむだ話をやめにすること。話を本筋にもどすときに用いる。
それはさておき。さて。」。
私の使い方は逆だ、逆ぅーっ!!
前、注意されたのにまた使ってしまいました(T_T)ダメだ〜

「只今、5列目と6列目のお席がご用意できます」
 投稿日 2009年8月22日(土)01時49分 投稿者 ちょんこ
8月26日『Trick Trip Trap』の事務所分(?)チケットを出すようだよ〜。
申し込みは、公式メールで。24日いっぱいまで!
会場窓口にて取り置き、という形になるようだ。
センターだったら、その位の方がいいかもなぁ〜。
役者の顔を見に行くんじゃないから、適度に距離があった方が音が綺麗だ。
以前この会場に行った時は2階の端だったので、観るだけで精いっぱいだったけど、
今回はやっぱり、ちゃんと聴きたいなぁ。

しかし、何故ヤギ…。

ふと思い出す
 投稿日 2009年8月21日(金)01時53分 投稿者 ちょんこ
私にとっての陣内大蔵は、『私と小鳥と鈴と』よりも『大漁』なんだと思う。
え?
暗いって意味じゃないよ(^^;
視点の切り方が、鰮(いわし)だけに目から鱗。

『私と小鳥と鈴と』は、以前1フレーズだけキャッチコピー的に取り上げられて
妙にご都合主義的に扱われてたなぁ…。
“みんなちがって、みんないい”は、“やるべき事をやらなくてもいい”って事じゃないんだよ。
点数主義に走るのもどうかと思うけど、勉強でも運動でも、頑張った人がちゃんと認められて、
初めて“みんなちがって、みんないい”になると思うんだ。
理想主義だけど、「評価」とかとは別にね。
違いを知って、認める。
それだけなんだけど、遠いねぇ…。

記憶の中の
 投稿日 2009年8月20日(木)02時11分 投稿者 ちょんこ
トーキョーで黒いアゲハチョウといえばクロアゲハなんだけど、
物っ凄い久し振りに、カラスアゲハを見かけ、つい“うわーっ、まだいたんだー(>▽<)”と、
フワフワと飛ぶ大型のチョウに見入ってしまって。
これまた久し振りに見たシオカラトンボは、思ってたより少し青みががった灰色で、意外なほど綺麗で。
もちろん、時期や状況によって見え方は違ってくるんだろうけど、人の記憶の曖昧さを考えたり。
色あせたり、鮮やかになったり、忘れたり、繰り返し思い出したり…。
これから、思い返せる幾つの日々を過ごせるだろうか、とか思ったり。

絶望って罪なんだろうか
 投稿日 2009年8月19日(水)02時25分 投稿者 ちょんこ
もちろん、あの歌がそんな事を言っている訳ではない事ぐらい分かっているつもりだが…。
そう言われてしまうと、絶望する前に、断罪してしまう。

深淵の前に立つ扉。
その扉を開けてしまったら、もう飛び込むしかないのだろうけど、
そのわずかな時間でも、生きているじゃないか。
そのわずかな、わずかなクッションに、更にわずかな、消える寸前の線香花火のような
わずかな希望を探してしまう、弱い人間なのだ。

『自由なんてもう十分』
 投稿日 2009年8月18日(火)02時18分 投稿者 ちょんこ
自由のその向こう。

表現の自由、言動の自由、思想の自由…。
しかし、自由は手段であり、目的ではない。
その向こうへ。
それはまるで、学生を卒業しそれぞれの道を行くような、
ひとつとして同じものがない混沌とした道程。
その向こうへ…。

ちなみに、自由と自分勝手は異なる。
自由にしていい、なんて実は物凄くしんどい。
そのしんどさの底から見上げる空に、歌があってもいいのだが…。
歌に最小公倍数的な意味がある限り、それは難しいのかもしれない。

『今日も一日ごまかせたかい』
 投稿日 2009年8月17日(月)02時01分 投稿者 ちょんこ
と、問うものがある。
内からの、声。
確信犯であれば、自嘲しながらうつむく事もなく。
しかし確信犯であれば、その事実に気付く事もない。
周りをごまかし、自分をあざむき。
今日も、今日も、今日も。
そこから一歩抜け出す、なんて話じゃない。
どうしてそこにいるか、考えることだ。
何かが悪い、という話じゃない。
なぜそれをするのか、考えることだ。
答えは、足もとに落ちている。
拾うのは、本当の意味での“自由”だ。

閑話休題・虫の音
 投稿日 2009年8月16日(日)02時13分 投稿者 ちょんこ
この場合、音は“おと”ではなく“ね”。
最近夜になると、コオロギ等の秋の夜長に鳴く虫の音を聞く。
代わってセミはとんと聞かれない。半ばを越えたとはいえまだ残暑も続く夏。
息絶えた訳ではないようだセミたちは、まさしく鳴りをひそめている。
この時期のコオロギは、「リ、リ、リ、リ、リ」と短い間隔で鳴く。
これがもっと寒くなると、「リー、リー、リー、リー、リー」となる。
気温が下がれば下がるほど、この間隔は長くなる。

前にTVでサカナくんが、「お魚は、周りの水の温度によって体温が変化してしまうので
1度の違いでも、気温の10度の違いぐらいに感じるんですよ」と話していた。
「人間だって、1度体温が違っちゃうと、具合が悪くなっちゃうでしょー」と。
虫も変温生物なので、気温の変化には敏感だ。
温暖化とか言われて久しく、CO2削減と言いながら、その言葉に鈍感になっていたのかも
しれない。
気温が1度違ってしまったら、生物の環境はガラッと変わってしまうかもしれないのだ。
外来種の交雑どころではない、根本的な絶滅が、もしかしたら起きてしまうかもしれない。

そんな事を、幾種類かの虫の音を聞きながら、思った。

傍(はた)
 投稿日 2009年8月15日(土)00時35分 投稿者 ちょんこ
自分にそのつもりがなくても、傍から見て“そう”だと思われたら、それはもう
“そう”なのだ。
人は、“思う”だけで、“言って”くれる事は少ない。
そして、意外にも、想定以上の事が伝わってしまう事が多い。
人は、自分を認識する他人がいて初めて人になるのだと、何かの哲学だかにあるが、
他の人が認識する自分は、そのアウトプットで判断されることが大半だ。
外見、言動…。それらで判断し、しかしそれが自分に返ってくることはほとんど無い、
と言っていい。
だから、修正出来る機会も少ない。
“自分を良く見せる”。
“良い”かどうかはさておき、その“努力”は認められるだろう。
“本音はこうだけど、ああ言っておこう”。
大抵バレる。
が、言われた方も“こう”だろうと思いつつ、“ああ”取った、と見せかけるだろう。
どこまで読むかは、人次第。
ゆめゆめ疑う事なかれ。
人は直感的に核心を察知する。

あくがれいずる
 投稿日 2009年8月14日(金)01時12分 投稿者 ちょんこ
新聞のエッセイだかのタイトルになってたような。
まぁ、傍から見たらそう変わらないわけですよ。ぷらぷらといずこかへ…。

セミの抜け殻話は「クマゼミの抜け殻はやっぱり大きいんだろうな」と繋がるはずだったのに
すっかり抜け落ちてました。バタバタ書くといかんな。

趣味で週一、絵のサークルに行ってます。数えると、もう6年に。
先生には教えて頂いてますが、学校ではないのでひたすら“描きに”行ってるって感じで、
その上自分なりの描き方があったりするので、「上達したんじゃない?」と訊かれても
「い、今ちょっと頭打ちで…(^^;ゞ」…って状態なんですが。ぉぅ
先生によくご指導頂くのは、「うまい絵ではなく、いい絵を」。
“上手く見せよう”とかそういう意識はしないで、自分の目指す絵をひたすら描く。
私の場合は大体無心なのですが、たまに邪念が…。いやいや、ちゃんと“ああしよう”と
目指すのであって、無心じゃホントはいかんのよ(^^;
でもプロは、ちゃんと「うまくて、いい絵を」描かなくちゃならないのだそうです。
それ故に、プロ。
なんとなく、どこの“プロ”にも通じるものがありますよね。

東京生まれの私も、今夜の湿度には流石に参ったのでこの辺で。

空蝉→うつせみ (あ 私もそこ読んでないなあ(^^ゞ)
 投稿日 2009年8月13日(木)06時45分 投稿者 agamo
こんにちは〜
日々 日々 蒸しますねえ
夏バテなどなど お気をつけくださいね〜〜

さて
“あこがれ”って 言葉 は
古典だと“あくがる”で
“魂が抜け出る”って意味もあるそーで
あんまし 良い意味で使われてたわけじゃないらしいです
(源氏物語で 六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)が 夕顔の君 を
 生きながらにして 魂が抜け出て 呪い殺しちゃうくだりがあるわけですが
 そーいうときみたいに 魂が抜けちゃうとこで“あくがる”となったらしいです
 …女のひとって怖いな〜 と 痛感させられるくだりだったり……(^^ゞ)
…で え〜〜とう〜〜んと
私 が 陣内大蔵 って ひとの曲に対して 想ったこと が
“あこがれ”って 感じ だったり するわけですが
…まあ 別に 魂が抜け出ちゃようなもんでもないしな〜
 執念深く ひとさまを 呪い殺しちゃうもんでもないしな〜〜
……そう想うと 現代の“あこがれ”って 言葉のほうが
意味 さっぱりしてて 良いのかもな〜〜〜
……そんなこと 想うのでした ハイ
 ……個人的には 源氏物語 より 枕草子のほうが どっちかというと共感できるです
 …でもどっちも 女の怖い部分ばっかり出てる気が……(^^ゞ
 ではでは

空蝉
 投稿日 2009年8月13日(木)01時12分 投稿者 ちょんこ
いくつか前の夏に、甥っ子がセミの抜け殻を集めて種類別に分けでカウントするような
夏休みの宿題をやってて、ほとんどがアブラゼミの中に少し小さくて泥だらけの殻が…。
調べるとニイニイゼミでした。本体も小さいから全体に灰褐色っぽい色に見えます。
遠目だったからなぁ。あんまり近くで見る機会はありませんね(^^;
空蝉というと、源氏物語? よ、読んでないなぁ。
“この世”とか“この世に生きている人”という意味もあるんだそうな。
ちょっとイメージが違うけど、魂の抜け殻(抜け殻を置いていく世=この世)って感じなのかな。
いや、セミの場合、本体が飛んでいく方だから(^^;
そう考えると、飛んでいく魂の方が“本体”なんだね。うーん、確かに。

あまりこちらの話はしないのですが、10/3の鎌倉恩寵教会のチケットの受付が始まっています。
会費は一般\1500で中高生\500。ここはとっても!しっかり!至れり尽くせりのサイト運営を
しているので、管理人はちゃんと“知っている”人なんだろうな、と思います。
ウチではとーっての分かり辛く作ってあるので、こちらをコピペして行って下さい。
→ http://kamakuraoncho.com/
ところで内緒話ですが、無料なのと有料なのがあるのはそこの運営方針が違うから、とかかな?
足を運ぶ方は、やはり有料なら…とか、無料だから…とか思うけど、それって正しいような
正しくないような。いや、私は正しいと思いますけどね、足を運ぶ方だから。
でもどうなんだろうね。三者三様の立場で、それぞれの思いはあるだろうけど。
まぁ、内緒話なんで、レスなしで(^^;h

そのままで終わった…。
 投稿日 2009年8月12日(水)01時49分 投稿者 ちょんこ
台風一過しなかったので、天気もぼんやりで湿度が高いままだー(~~;ぁっ〜
東北の梅雨も明けないままになったし、温暖化とかそんな言葉じゃ済まないようなこの夏だ。

昨日からちょい息抜きモードだなぁ。
クマゼミ、でかっ!! 黒くて重量級というと、SLに通じるものが…。
東京も、お台場辺りには来てるハズ。今年はどうかな。自宅近くでもチラッと聞いたけど、
それきりだったな。
ツクツクボウシは先週末から時々聞けます。朝夕にヒグラシ。午前中にミンミンゼミ。
真昼と夜にアブラゼミの蝉時雨。一体何匹いるんだろう、と思います。
この時期になると、室内にいながらセミ取りしますよ。ハンター(ネコ)がベランダで取った虫を
得意げに持ってくるので。
セミやら小型の甲虫はまだいいんですが、ガとか飛んで捕まえ辛いのはちょっと…。
一番困るのは当然、ゴ…G様ですが(T_T) ←それでも新聞丸めて取る。

最近思うのは、規制緩和とかで生きた甲虫がペットとして輸入されている事。
やはり子供には人気なんだよね。
でも飼ってたのが逃げたり、逃がしたりして、日本に昔からいる虫と交雑が起きたりしています。
カブトムシ類よりクワガタ類の方がそういう現象が見られるようですが、雑種化が酷くなると、
本来いた虫が絶滅したりします。
外来種に限らず、日本国内で捕まえた虫も“現地でキャッチ&リリース”でお願いします。

飼うって事は、“死ぬまで飼う”って責任を持つことだよ。それを有耶無耶にしちゃ、ダメ。

嵐の前の静けさ@トーキョー
 投稿日 2009年8月11日(火)00時23分 投稿者 ちょんこ
この静けさのまま終わって欲しいけど、そうもいかないだろうから雨戸くらいは閉めて寝よう。
…って、この部屋雨戸ないやん!('_')
ウチに限りませんが、最近の建物は雨戸はオプションのようです。
雨戸のレールがないとヨシズも掛けられないし…(無理に掛けているので、網戸が閉まりません)
日本の家屋には、やはり雨戸は必要ではないかと思う今日この頃。
ウチの区でも床下浸水あったしなぁ…。これ以上、被害が広がりませんように。

さてちょい補足。
歌の内容と、アーティストである陣内と、個人である陣内は混同しないように。
って、当たり前の事を言ってみる。
歌はともかく、仕事が多くてどうも本人すら怪しく感じることがあるが…。
でもね。
多分矛盾はしてると思うんだけど、
歌う陣内大蔵に相対して、そのファンが観ているって事は、
それだけで、“アーティストとファン”って構造が成り立つと思うんだよ。
難しいとは思うんだけど、
「それはない」にしてしまったら、私は尻尾を巻いて退散しなくてはならないから。

究極、個人がすんげーダメで嫌なヤツでも、出てくるパフォーマンスがすんげー良ければ、
アーティストとしてはOKなのよね〜。
ある意味、カリスマ?(^^;ぁ今ちょっと「サウザーさーん」という台詞が…。←観てないのに〜。

『イメージ』
 投稿日 2009年8月10日(月)00時36分 投稿者 ちょんこ
人が人に対し抱くイメージなんて、実は実に様々だ。
よくニュース番組で犯人の人柄を尋ねるインタビューを耳にするが、訊く相手によって
その答えは随分違ってくるもんなんだろうな、と思う。
それでもその人の一面を表しているだけまだましで、芸能人相手だとそれすらも当て
嵌らない時がある。
先ず、基本的に相手を『知らない』という事だ。
日常的に“近く”にいる友達や親兄弟。本当に“知っている”のか?などとは問わない。
接する回数が多い分、各人との付き合い方を“知る”。
反対に、相手の一人一人の中に、自分との“付き合い方”がある。
(だからよくいう、“相手の数だけ自分がある”に繋がったりするが)
日常的に接する事が出来ない相手に対しては、少ない情報を元に、あとは自分の想像。
いや、空想。
そして、その少ない情報は『作られている』という事に注意が必要だ。
俗に言う、イメージ戦略。
そのイメージが強固であればあるほど押しつけられた個人は堪らないだろうが、
それに乗って商売をしている(していた)のは、事実だということだ。
その殻を打ち破るのは、対する努力と気力が必要なはずだが、それをせずに、
周りを自分すらもだまし続けたのは論ずるに値しない。

麻薬類は論外だが、それにしても何で大学にまで大麻が蔓延してるんだか。
種が手に入りやすくなった最近の話なのか、昔からあってバレてなかっただけの話なのか…。
人は快楽に溺れやすい生き物だということか。
あるいは、生き物が快楽に溺れやすいのか。
でも、マタタビの木に居続けるネコ、というのを見た事はないな…。

一度、自分の固定概念を疑う事だ。
それは、自分を守るために必要である。

『 風 』
 投稿日 2009年8月9日(日)00時47分 投稿者 ちょんこ
多いといえば『月』の曲の方が多い位だが、代表的な曲に『風』が使われている。
でも実は、邦楽の歌詞で一番使われている単語が『風』らしいのだ。
もう随分前の記憶だから今はどうか分からないが、日本人は『風』が好きらしい。
ところで、“風”は現象の名称。
土とか水は物体、つまり目に見える物。
空気は目に見えないけど、“ある”だけで空気は空気。
それに対して“風”は、気体が動いている“状態”。
風圧で感じることも出来るし、過ぎれば災厄をもたらす物になるけど、
山崩れや洪水と違って実体がない。
それは、“ある速さを持って移動している空気”。

「常に動き続けていなくちゃ、風は風じゃなくなっちゃうの」
そんな台詞があった芝居を観た事がある。
風は、止まってしまった途端に風ではなくなってしまう。
でもその方が、災厄は無いかもしれない。
さぁ。
どっちがいい?

“空気が移動する”と考えると、“深呼吸”も風の一種。
海を攪拌するのも風。
ジェット気流。季節風。偏西風。
立ち止まっては、
いられないだろう。
止まったらそこに、風はない。

閑話休題・視力
 投稿日 2009年8月8日(土)01時02分 投稿者 ちょんこ
「はなせば分かる」というキャッチコピーのCMがあった。
遠近両用メガネとかそんなCMだったと思うが、40も半ばを過ぎると、
男女ともにだんだんと老眼の話を聞くことになるらしい。
今までは、細かい字も目を近付ければ見えていたものを、そこまで近づけて
焦点を合わすのについ遠ざけてしまったら、それが老眼。ぅぉぉぉ…(沈)
男性は女性に比べて早いらしいよ。大丈夫かな?

これは老化現象だけど、それとは別にちょっと前に問題になっていたレーシック手術。
これは、“近視を治す”って題目で、角膜に傷をつけて水晶体に膨らみを持たせ焦点
距離を伸ばすって代物だね。
今回は、“不衛生な環境で施術して感染症になった”、という話じゃなくて、
友達から聞いた、“レーシック手術を考える前に”って話。

眼科医界に、盲目的に信じられているらしい“視力1.2”伝説。
視力1.2とか1.0とかあると“目がいい”って事になるけど、
それって、“学生が黒板を見る”のに必要な(あったらいい)視力らしいのだ。
レーシック手術をすると、大体その辺に視力を“設定”されてしまうそうで。
でも、社会人に必要なのはパソコンを見たり、デスクワークをしたりする距離。
それに必要な視力は、0.9とか0.8辺りらしい。
“黒板の距離”というとプレゼンや会議があるけど、手元に資料が配布されるから、
あまりホワイトボードやプロジェクターを注視する必要は無いって事なんだね。
“視力を良く”と1.2まで伸ばしてしまうと、日常の仕事で常に目の焦点距離を
短くする=常に目を使っている状態になって、肩こりや頭痛とかの諸症状が出たり
するらしいのだ。
眼科の先生に「目を良くすることは出来るけど、悪くすることは出来ないから」と
言われたそうだ。生活の場面に応じて、メガネを変えたりするのがいいらしいよ。

大人になると、焦点をきっちり合わせなくても何となく“字の形”で読めちゃうから
“面倒だからいいや”とばかりに焦点を合わす努力を怠った時があって…
一気に視力が落ちました。マジです。気をつけましょう(~~;h
視力を調整してるのも、目の筋肉(毛様体筋)だからね。
サボると筋肉が弱っちゃうのは、どこの筋肉も一緒だったのだな。(反省)

春の季語だが、朧月
 投稿日 2009年8月7日(金)01時26分 投稿者 ちょんこ
満月だろうか。朧月に金星らしき星が寄り添っている。
随分前だが三日月の金星食があった。丁度欠けた月の先端に星が来て、そのままアクセサリーに
したい位のデザインだった。

コンピレーションアルバムが出るほど、月が登場する曲は多い。
本人にも、どちらかと言われれば、月のイメージがある。ステージでそういうMCをした事も
ある。
フツウ、その位置は太陽だろ(^^;
華やかなステージに立つ月のボーカリスト。
奢ることなく媚びることなく、真摯に歌に向きあい。
深く、楽しく。
そんな言葉を掲げ。
陣内を知ったのは、そういう頃だった。

綱渡り
 投稿日 2009年8月6日(木)01時19分 投稿者 ちょんこ
…的な移動が増えたな、と思うのだ。
最たるものは、“宮崎空港 ⇒ 大阪空港 ⇒ 松本空港”。
な、なんとも、凄まじい。
勿論、本人が移動出来るんだから、他の人が出来ない事はないけど…。
そもそも、行ける人が行けばいいんだよ、ライブとかイベントとか。
と、うそぶいてみる。
そういえば、昔ツアーで「二時間以内で来れる人、来て下さい」って言ってたなぁ。
何で時間を区切るんだよ(苦笑)
フルライブでも、“なんだかなぁ〜”と帰る日もあるし、
たった1曲に、“無理しても来て良かった”と帰る日もある。
こんな感想なんて、ホント十人十色。
同じステージを観ても、人によって随分違ってくるだろう。
同じ座席に座る人はひとりとしていず、同じ心を持つ人はひとりとしていないのだから。
それでも、意見はどちらかに片寄る。
何とは言えないが、ステージから伝わるものは、ある。
というか多分、ダイレクトに伝わるものが。
そして、
そこまでやらないと、バレる。
まぁ、これも、“私の”感想だ。サンプルにはならないだろう。
でも、羊の群れの中の黒い毛の羊のように、目安にはなるかもしれない。
例えそれが、正しい数値じゃなくても。

昨晩よりセミがじゃんじゃん鳴いているのは何故だ〜(~~;

火のない所に…
 投稿日 2009年8月5日(水)00時55分 投稿者 ちょんこ
50m先を走ってる自転車が煙い…。意外に拡散しないものなのだよ。

熱帯夜、何日か振りかな?
つけっ放しだったTVを消したら、耳からの刺激がないせいか幾分か涼しく感じられる。
人体の神秘?
そろそろ寝不足だけど、これが原因というよりスパイダソリティア(Win系にバンドル
されているゲーム)の所為かも。←意志弱し
夏は暑いと朝早めに目が覚めるので、夜更かし+早起きだと確実に睡眠時間が足りない。
…いや、早く寝よう(--;
熱帯夜かと覚悟していたのだが、何となく気温が下がってエアコンの送風で済んでいる。

「ぼくのなつやすみ」は「瀬戸内少年探偵団」という副題が付いていて、瀬戸内の海賊の
お宝を探すらしい。…と山手線車内のインフォメーション画面で知る。あの画面も多分
正式名称があるんだろうなぁ、と、タモリ倶楽部を見ながら思ったり。
PSPを買うと、どこからともなく「モンハンやろうぜ」とお声が掛るかも。
男の子は何故かモンスターハンター。
面白そうだけど、ゲーム機、新しく買ってないんで何とも言えない。
今の話題はやはりDQ9かな。
ちょい前に某夏フェスに行ったら、ステージ替えの時に主催メンバーが少しトークで繋いだり
して、「DSでDQやってたら、通りがかりの人とすれ違い通信してしまいました」とか。
今のゲーム機はすごいのう。
モンハンだって、仲間とハント、だもんな。
その後のステージ替えの時に、スクリーンを映しているカメラマンが、客席でDSしてる
人を次々と映したりして。はにかむ人とか、手を振る人とか、気がつかない人とか…。
“時間つぶしにゲーム機持ってきてる人もいるんだなぁ”、という思うと同時に、
“薄暗い客席のその人を、よく見つけるなぁ”、とカメラマンの腕に感心したり。
いや、すごい時代だのう。

ネットで動画かぁ。それが当り前の世界になってるけど、当たり前じゃない所もあるのだ。ぅぅ
しかし、探すと色々あるもんだのう。
それが入ってるサーバがどうなってるか驚異だけど、ブルーレイの25倍の容量を持つ光ディスクも
開発されるらしい。1T(テラ)B。20年前はKBの時代だったんだけどなぁ。
1T=1,000G=1,000,000M=1,000,000,000K。ぬぉぉ

…と、今日は一休み。
あ。ヒグラシが鳴いてる。やっぱり今夜は暑いのね。

煙に巻く
 投稿日 2009年8月4日(火)13時48分 投稿者 最近ライブに行ってないまつとも。
管理人様、毎日午前2時過ぎに書き込み、お疲れさまです。
体内時計が狂わないようにご注意ください。

かく言う私も、仕事のピークが過ぎたので、YouTubeでつい夜更かししてしまいます。
林田健司さんの最近のライブ動画は楽しめました。陣内氏と同い年で、今年デビュー20周年です。かつて草野球の試合もしましたね。最近、陣内氏は野球はしてないのかな?
仰天したのは、スウェーデンのバンドOpethのMikaelとイギリスのバンドPorcupine TreeのSteven Wilsonの二人が、プログレに関するマニアックなクイズに答えている動画。スティーブン・ウィルソンのヲタぶりには感動さえ覚えます。
そういえばむか〜し某イベント会場で「陣内大蔵」に関するクイズ大会があったときは、最前列の(たぶん富山からの)御一行が勝ち残っていました。

>11月2日
平日月曜日ですが、翌日が祝日休みなので、催し物の多い日だろうと思います。学校の文化祭も多いですね。ラジオは特番かな。   ・・・それとも秋の改編か

タバコを吸うのが「カッコいい」とみなされていた昔ならまだしも、社会的にこれだけ非難され排除されている現在、それでも吸おうとする人のメンタリティーが私には理解できません。
しかしこういう非合理や矛盾をすべて抱えて成り立っているのが人間というものなのかも。
これこそジンノウチノセカイ・・・?

11月2日
 投稿日 2009年8月4日(火)02時37分 投稿者 ちょんこ
「今、僕たちが出来ること」
…といった感じかな。
でも、確かに会場の都合はあると思うけど、
何で、月曜日?
確かに出演時間を逆算するとそうなるかもしれないけど、
何で、平日の18時半始まり?

ノブレスオブリージって、日本には定着しにくいよね
と、毎回思うのだ。

ちなみに、チケット申し込みサイトのURLは、PC・携帯共通で使えます。

喫煙者
 投稿日 2009年8月3日(月)21時13分 投稿者 dear moon
子を持つ親の自覚もおありなのなら何故? と思います。
ほんと
何故だろう・・・

月は東に、日は西に
 投稿日 2009年8月3日(月)00時51分 投稿者 ちょんこ
この頃あった二極性を、思想とかの見地で考えることもできるけど、
そういう観点を持ちえたアーティストだと考える方が、私は好きだ。
ベタなグレーや、白か黒のどちらかに偏ったアーティストは沢山いたけど
(勿論それらも、彼らのカラーである)
両方が混じり合わずに存在し、やじろべえの様に危うい均衡を保ちながら綱渡りをする
(やや言い過ぎ)
なんだか、そんなイメージを持っていた。
まぁ、そういう事を聞きたいんじゃないと思うけど。
ひとつ夢がないことを言うと、どこかに出典があるかもよ。

勉強は、学ぶ者の特権だ。
与えられたにせよ、選択し勝ち得たにせよ、その時間は“今”しかない。
ちなみに、要点はまとめろ。時間も紙面も有限だ。

もひとつ、ちなみに。
『歌声』は有限だそうだよ。
もういい加減、タバコは止めよーーーーーよーーーーーーーーーーーーーぃ
あぁ、MOTTAINAI(泣)

右と 左と
 投稿日 2009年8月2日(日)12時21分 投稿者 agamo
『深呼吸』と 言うと

右手 左手
‥・ どうして こう
わりあてられてる言葉が この 並び なんだろ‥‥・??
最初に(たぶんCMで)聴いたときの印象が いまでもナゾのまんま です
ごろあわせ?とか言われてしまったら それまで かもしれないけれど
でも やっぱり
これを書かれたときの 作り手の思いが 
こういう並び(と 裏表?) なのかなあ‥‥・??
ず〜〜〜〜〜っと 今でも ナゾなような
 ナゾはナゾのまんまのほうが良いような‥‥‥
 そんな感じ

『深呼吸』のアルバム だと タイトル曲より
『君をつれて行こう』とかのほうが 何処かしら痛々しい感じ あるかなあ
その分 逆に 印象深いな と 想うのでした

今週いっぱい テストうぃーく
資料の山に埋もれております
‥‥ほんとに ちゃんと 越えられるのやらどうなのやら(を〜〜〜〜い)
もっと時間あったら キリなく話してそう‥(をいをい)
早く無罪方面になりたいぞ〜〜〜〜〜〜〜〜い

『深呼吸』
 投稿日 2009年8月2日(日)02時22分 投稿者 ちょんこ
同じような理屈かもしれない。
『深呼吸』の作成エピソードに、アルバムの1,2枚目を出した後、暗いだの内省的だの
言われて、「俺にだってこういう歌、作れるんだぞ」的な、ややヤケクソ的に作って、
それがすごく評価されて、アルバムタイトルにもなって…。
「この曲、好きです」と言われ、
どう思い、どう考えただろうか、と。
その後のインタビュー記事でか、『深呼吸』について「みんなで一緒に盛り上がれるから
好き」というような事を答えていたので、拘りはないのかもしれない。
しかし、そう聞かれ、そう答えてしまう辺りに、何かありはしないだろうか…。
それでも、
今となっては、演奏回数で数えると五本の指に入る楽曲となっている。

※)助詞が気になる場合があるので。
 「声が好き」と書いたけど、楽曲が好きなのは大前提なので。
 「じゃあ歌詞は?」とか「じゃあ曲は?」とか、突っ込まんでくだサイ(^^;

私も声が好き
 投稿日 2009年8月1日(土)22時13分 投稿者 dear moon
「声が好き」でいいと思います。
ききてに届く声は
充分な手入れも気遣いも工夫も含まれているから、と思うので。
声質が、まっすぐに届けることもありますけれど。
20年を経ても、やっぱり私は「声が好き」です。

「声が好き」
 投稿日 2009年8月1日(土)02時05分 投稿者 ちょんこ
…と言ってしまう。
「どうしてファン続けているの?」と訊かれて。
でも、そう言ってしまうのは卑怯な気がして、一瞬言葉に詰まる。
勿論、“歌声”は程度の差はあれ“作られるもの”であって全くの“生れながらのもの”では
ないけど、楽曲やらパフォーマンスやらとは違って論議の余地が無い分、そこに“逃げ込む”
気がして。
しかしそれでも、あまりにも確固としたものとしてそこにあるので、
冗談でもそれを否定することは出来ない。
でも、どうよ? と思う。
“それを言われた方は、どうよ?”
基本、“出したもの”で判断して欲しいのでは?
“声”は、表現するための手段や道具であって、それを褒めたからとて
「いやいやそんな、元からあるもの褒められても…」
ってな具合にならないかと。

あの声で、歌い手として歌っていること自体が、実はすごいんだけどなぁ。

自分の背中を自分の目で直接見れないように、
自分の生の声を自分の耳でそのまま聞くことは出来ないのだな(自分の声は耳骨や頭蓋を
伝わっても聞こえるので、他の人が聴く声より低めの音になる)と、
ふと思った。
どうしても、生の声が聞きたくて、ステージ上の“業務連絡”に耳を澄ましていたあの頃を、
ちょっと思い出す。

※)“いい声”なのは千里さんのお墨付きなのだ。(at TFMホール) 千ちゃん、いい人だ〜。

あぁ…、どうだろう
 投稿日 2009年7月31日(金)02時18分 投稿者 ちょんこ
改めて考えてみて…。多分自分がすごく自己中的で、
だから、「全て“の人”に」というより、「全て“の日々”に」って感じで。
それぞれの人の、それぞれの日々に。
意味、一緒か(苦笑)
光景としては、夜景の中に浮かぶそれぞれの窓。
いろんな窓があって、勿論、個人宅ばかりでなくビルの窓もあり。
夜中なのに明るい窓、留守なのか暗い窓、灯りの色や窓辺の様子もそれぞれで。
だから、「全て“の人”に」が合っているんだと思うけど、
でも、わーっと俯瞰して“全ての人に”というより、
“ひとりひとりの全ての日々に”ってイメージかな…。

陣内の歌は“個人的”な歌だと思う。
…いや、個人的な歌の方が陣内の個性が表れやすい、というべきか?
みんなでカラオケで楽しむような曲より、ひとりでじっと浸って聴くような曲。
それは、良し悪しではなく
個人の好み、といったような問題であるにも関わらず、
そんな物が除外されるような時代だったなぁ、と思うのだ。
明るく外交的なものを良しとし、闇は無きがごとくに隅々まで照らされ。
全てが白ければ、それは闇と一緒なのに。
そんな中にあって、ただひたすら個人の傍らにあった。そんな曲だったよ。

来てしまう
 投稿日 2009年7月30日(木)22時51分 投稿者 dear moon
淡々と繰り返される事実の大きさを感じ、
苦い夜を、必要以上の闇にしてしまう人間の小ささを感じ。
その小ささを、愛すべきものと感じ。
私はそんな風に感じていました。

ちょっと安心した、のは
全てに同じ様に、と加えられているから、
・・・でもありませんか?



解釈1
 投稿日 2009年7月30日(木)01時21分 投稿者 ちょんこ
解釈、というか、好きな部分。
ちなみに、好まざるデータを遠ざけるのも、ネット上では必要な知恵である。
自分は自分で守る。人の所為にはしない。(犯罪は論外)

『All night long』で
“明日という日は来てしまう”
という箇所が凄く、いい、と思って、
でも、人には言葉では説明しきれなかったなぁ、と。

向こうの世界では、不遜とも言えるだろうこの言葉。
“来てしまう”とは何事かと。
夜は闇、朝は光。
“どんなに辛い夜を過ごしても、必ず朝はやってくる”
そんな歌ばかりの中で。
希望の朝を、“来てしまう”とは何事か、と。

でも、と思うのだ。
この夜がずっと続けばいいと歓喜する、有頂天な夜もあろう。
もう朝は来ないと打ちひしがれ、絶望の中を歩く夜もあろう。
それでも、如何ようもなく明日は来てしまう、のだ。
自分が何をしていようと、或いは何もしてなくても、
心配しなくても、ちゃんと明日は来てしまうのだ、と。

ちょっと、安心した。

嵐、ではない。暗闇、でもない。それを照らす強烈なサーチライトではない。
薄暗い濃霧の中の、ひとつのカンテラである。
それを、指標と呼ぶ。

薄暮に照る半月。
見上げながら、もうこんなに離れてしまったのかと、沈んだ太陽との距離を測り
少し切なく思った。

あぁ、ちょっと分かり辛いな
 投稿日 2009年7月29日(水)01時40分 投稿者 ちょんこ
“インターネット上にある情報に、入れ込まない”ってことだなぁ。
ってか多分、本人からすると自分が入れ込んでるかどうかなんて分からないかもしれないけど、
そうなった時点で“入れ込んでる”から。気が付くことが、大切。

例えば『占い』でも、信じるとか信じないとは別として、一歩引いて見る感覚を持ってないと
振り回されてしまうのは、ちょっと考えればすぐ分かる事で。
ただ、
パソコンの前やらケータイの画面やらを見ていると、つい、限られた人を相手にしている感覚
に陥るけど、“公開されているサイト及び掲示板”は“全世界から見られる”から。
と書くと、話が大きすぎてなんとなく実感がつかめないけど、
ネットにつながっている日本中の人が見れるんだよ、と。
言ってしまえば、学生時代の旧友とか、遠い知り合いとか、近所の人から親戚縁者。
好意を持っている人だけじゃなくて、悪意やら害意を持つ輩も読んでいるかもしれない。
というか、“いろんな人が読んでるんだ”という事を念頭においといてくれ。
ちなみに。
一度出してしまったデータは、この世から完全に削除することは不可能だから。
それも、念頭においといてくれ。

#「LOVE LOVE ALL STARS」、ちょっと懐かしいなぁ。今考えるとメンバーが凄いけど(^^;

No Falsehood, No Truth
 投稿日 2009年7月28日(火)01時35分 投稿者 ちょんこ
微妙にリンクしている話。『インターネットの暗黙の了解』。
書込みするよりも先ず、ネット上の情報(データ)との付き合い方。

ネット上の情報は慎重に検討し、最終的にはネット以外の方法で自分で確認するのが鉄則。

大学での論文とかでも、情報源は二か所以上から求めなければならないらしいが、
ネット上ではそれ以上、出来れば数か所以上で確認する必要がある。
こんな簡単な例がある。
以前、市区町村の統廃合が進んだ時期があったが、それ故に旧住所で記載してるサイトが
あった。引っ越し先が書かれていなかったもの。旧サイトが削除されず残っているもの…。
これらは、意図せずにだが嘘の情報を載せてしまっている事になる。
意図し、意図せず、嘘の情報はバラまかれる。
確認できない情報は、信じるべきではない。
また、それらを信じるのなら、それなりのリスクと責任が生ずる。
そして、そのリスクと責任を自分が抱え込めるものか、考える必要がある。
…本当ならば。

ネット上は嘘で溢れている。
その中から、正しい事を慎重に拾い出せ。
真実の無いところに嘘は無いが、嘘が無いところにも真実はない。

ヲタ話
 投稿日 2009年7月27日(月)01時51分 投稿者 ちょんこ
ヨタではなくて、ヲタ、つまりオタク話だ。←そんな解説しなくても(^^;

過去『新世紀エヴァンゲリオン』というTVアニメがあり、今、新劇場版として映画が
公開されてたりする。(映画のタイトル表記は“ヱヴァンゲリヲン”)
本放送はテレビ東京だったのだが、丸ごと日テレに買われてしまったらしく、
今深夜帯にTVシリーズの再放送をしているが、
(ここからが本題)
その第六話に各地の様子を伝えるニュースのシーンがあるのだが、『第2新東京市』→
『鹿児島県 新枕崎市』→『北海道 別海市』と、ありそうでなさそうな地名が続いた後、
『山口県 宇部市』。(爆)
本放送時には全然気が付かなかった…。
NHK教育の「課外授業 ようこそ先輩」でも取り上げられたが(…もう10年前だ)
庵野監督の出身地なんだよね(^^;
もうひとつ。
8月1日から公開の映画『サマーウォーズ』。
この中の大家族の姓が、陣内。それも“じんのうち”なのだ。
“な、なんでや…。もしかして佐賀県での話か?”と動揺。←なぜ
とか思ったら、長野県上田市でのお話。それも室町時代から続く旧家という設定。
TVでやってた映画の解説のような番組で「じんのうちけ」「じんのうちけ」と
連呼されると、やはり身体のどこかの細胞が反応してたり。←そりゃ脳細胞だな
“な、なんでやぁ〜〜”(~~;

『サマーウォーズ』はともかく、つい再放送の『エヴァ』を観てしまうのは、
あの頃はただ感覚に巻き込まれよく分からなかった事が、もしかしたら今観たら
分かるかもしれない、と思うからで。
反対に、あの頃だったらから感じることが出来た事も、今はどうしてあの頃そう
考えられたのか分からないかもしれない、と。
『今』しか書けない事、
『今』だから書ける事、
『今』必要とされている事…。
この年代になってしまうと、本当に人それぞれでみんな違った生き方をしているけど、
それでもどこかに、『今、必要な歌』、があるように思うのだが…。
まぁ、理想論かもしれない。

>パーシモンホール
座席の背もたれも、微妙にリクライニングする感じで。
それにしても、4〜8列目は…。というか、なんで3列目だけ…。

>唾液の飛ぶ距離
やばい。誰かが新インフルのキャリアだったら…(暗転)

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