山口『秋の陣』その2。
1999年10月11日。10日体育の日の振替休日の今日、山口県萩市で
『南日本海音楽祭』が開催されました。この中で陣内さんのゲストライブが行われました。
1999 南日本海音楽祭 アコースティックロックライブ 山口県萩市 萩市民会館大ホール 10/11(月・祝)17:30〜 19:20〜20:45 【メンバー】
陣内大蔵(Vo/Key)
為山五朗(AG)
佐藤邦治(Per)
【演奏曲目】
1. 僕は風 君は空
2. 遠ざかる夕焼け
3. I never forget you
4. Dreamers
5. Praying Night
6. 心の扉
7. 新しい風
8. 旅に出ようじゃないか
9. 空よ
(encore)
10. 深呼吸
『これからもね、ホントにあの、こーゆうイベントが根付いて、僕も山口県出身なんで、山口県出身の人達がですね、どんどんどんどんインスパイアされていろんないいものが出来ればいいな、と僕も心から願ってます』
【旅行記部】
“宇部に宿泊した私と友達は、宇部新川駅から小郡駅へ行き、そこからバスに乗る予定で出発した。宇部の朝は気持ちの良い秋晴れだった”
小郡行き電車の車内には、秋口の柔らかな日が差し込んでいる。のどかな風景の中を、とことこと電車は行く。
しかし、車窓の風景には台風18号の爪跡を残す田や水路も見受けられた。
そういえば、昨日降り立った山口宇部空港も、機能はしていたが壁のそこここに水没の痕跡があった。大変な災害だったのだ。
刈り込まれた水田を後に、電車は小郡駅へ。そこから11:30発のJRバス『はぎ号』に乗り込む。
小郡がある瀬戸内側から萩がある日本海側へ、バスは山越えをする。
山口の山は思ったより高い。思えば秋吉台も山の上に広がる高原だ。
うねうねした峠道をバスは快調に走る。ススキが風にそよいでいるのを見ながら、「実は陣内さんは雨男なんじゃなくて、風男なんじゃないかなぁ」なんて話をする。
それでも、峠あたりでの天候は危なかった。雨こそは降らなかったが、黒い雲がどんどんやってくる。(^^;)
山を越え、萩に近づく。天気も持ち直して、お日様も射している。“よしよし”。
萩市のバス停でバスを降りる。
萩バスセンター近くにある予約した宿で荷物を預かってもらい、会場となっている萩市民館へと向かう。
萩市民館は、萩市市役所の隣にある建物。当日は萩市美術展も開かれ、館内には絵画や書、写真などが展示されていた。
受付で予約してあったチケットを受け取り、時間まで近くの明倫小学校を覗いたりしてちょっと観光気分を味わう。
日向は眩しい程の良い天気だった。
【ここからレポ】
17:30開演予定を15分ほど押して、南日本海音楽祭ゲストライブが始まった。
最初は梅尾泰厳さん。地元の放送局FM萩のパーソナリティも勤めるソロギタリスト&ボーカリスト。
映画の話を交えながら、ジャズのスタンダードナンバーや映画音楽を演奏し、ぐっと渋めに決める。
次は中村光志(KOXI)さん。アフリカン音楽だとパンフレットにあったので、どんな音楽が来るのだろうかと始まるのを待つ。楽曲は、アフリカのパーカッションのリズム感を取り入れた、非常に聴きやすいナンバーであった。
(音楽的な知識がないので、あまり突っ込まないで下さい。(^^;))
来年の1月にはマキシシングルのリリース予定もあるので、チェックされるのも面白いと思う。
ここで休憩が入る。しかし、時間は既に19時を過ぎている。
陣内さんのライブ始まったのは19:20頃からである。
司会の方に紹介されて、佐藤さん、為さん、陣内さんが下手(向かって左手)から登場。
ステージ上の配置は、いつものアコースティックバージョン。中央に陣内さん(Key)、上手に佐藤さん(Par)、下手に為さん(AG)。今回のキーボードは、T2 KORG。いつものT3ではない。
「こんにちは陣内大蔵ですぅ、どうもー。えー、ということで萩にやってまいりましたぁ」
今日は黒のパンツに、黒のTシャツの上に前身ごろが茶色の黒のシャツ。
この前身ごろが毛皮っぽい面白い光沢のある茶色で、ぱっと見には短毛のベストでも着ているように見えてしまう。こんなこと書くと怒られそうだが、つい“マタギ(猟師)”という言葉が浮かんでしまった。う〜ん。それは置いといて…。
午前中にリハーサルをして、それから時間があったので萩市内をレンタサイクルで観光したと話す陣内さん。
「自転車2時間借りました。1時間300円(笑)。でね、これ自転車に乗るのもホントに久しぶりだったんでもー、いまこのやっと治りましたけどね、お尻が痛い痛い」自転車、こぎまくったそうだ。
よろしくお願いしまぁーす。ということで1曲目は『僕は風 君は空』。
『僕は風 君は空』
不謹慎ながらこんなことを思い出しながら歌っていましたと、近くにある萩市民球場での夏の高校野球の思い出を語る。続いて、他のメンバーは笠山(日本一小さな火山:死火山です)に行ってイカ焼きを食ったけど、僕は食えてないんでちょっと悔しいとか、自転車で萩を見て周ってただの観光客になってしまったとか…。強い向かい風の中での自転車は気持ち良かったそうだ。いいなぁ。
そしてメンバー紹介。
「どうでしたか?今日の萩は?」の問いに、“今日は、あまりにチャリンコが似合わない3人組(陣さん・為さん・マネージャーさん)に衝撃を受けて思わずビデオ撮りしてしまった”ことを話す『ギター為五朗』。
そして、日本の歴史に造詣が深く、“毛利輝元”と語らってきたという『ドラムス&パーカッション佐藤邦治』。
「今日僕達は準備であの綺麗な夕焼けを見れなかったんですけれども」ということで、次の曲は『遠ざかる夕焼け』
『遠ざかる夕焼け』
※※※ 今回のテーマ『絶対にウニ丼を食べる』 ※※※ こんな感じでしょうか、陣内さん。
この話があってから楽しみにしていたそうだ
前日にがんばって宇部から萩に入って、先に来ていた為さん達と合流し、予約してあった“ウニ丼発祥の老舗の和風レストラン「なかむら」”に行き、ビールで乾杯してっ。
陣内:「じゃウニ丼4つお願いします!」 店員:「すいません今日もう終わりましたぁ」(爆)
萩の海は小学生の頃から馴染みがあって自慢にしていたのに空振りに終わる。その雪辱をお昼ご飯をウニ丼にしてもらうことで晴らしたのに、“B級グルメ隊”隊長の為さんはいまいち反応が悪い。
為:「ていうか高すぎて量が少なすぎるんですよー」
陣:「ははははは。でもすばらしいことなんです、美味しかったでしょう」
為:「うん、美味かった」
黙っていただけたところで、次の曲。この曲がかかると番組が終わるなーって雰囲気がいまだに残っているということで、『I never forget you』。
『I never forget you』
曲が終わったところで、妙な間が…。
陣内さんが、1曲飛ばして演奏してしまったことを白状する。いや、陣内さんはいいけど、為さんや佐藤さんはどうしたんだろう。多分曲の始まる直前の“業務連絡”はそれだったに違いない。(^^;)
と言うことで、チューニングの間陣内さんの“山口の思い出話”。
萩のゆや湾の外側に大浜海岸といってなーんにもない海岸があって、毎年夏休みになると高校生の悪ガキチームで行って泳いでいたのに、だんだん駐車場や売店や海の家なんて出来てって、この間覗いたらびっくりした話。
それから、東京に行って砂浜の砂が黒いのでがっかりした話。
うーん、確かに…。日本海側の砂は得てして白っぽい。ベージュっていうのかな。で、太平洋側は黒っぽい。グレー系ですよね。基本的には地質の関係なのかな。
それからすっぱい思い出のある長門峡。なんで思い出っていうのは、時間が経つといいものになって行くんですかね。と話しながら、陣内さんらしい台詞。
「辛いことはなかなか年月かかって忘れられなかったり、随分傷がのこってたりするんですけれども、なんかね、それがプラス方向に何年か立つと変わって行くので、なんかそういうシステムがもうDNAにあるのかなっと思ったりしますけれどもね」
さて、明日に向かう歌を、ここでもう一回1ページ戻って(笑)『Dreamers』。
『Dreamers』
「実はですね」と、ここで昨日宇部で行われた極真カラテの大会で歌った話を「参っちゃいました。ハズカシかったです」と言いながら披露する。「なかなかね出来ない経験が出来たんで、とてもうれしかったんですけどね」
次の曲に行こうとしたところで、為さんから質問。
為:「どこ向いて歌ったのかな?って、その辺が疑問なんですけど」
陣:「(爆笑)すっごくですね、迷いましたよ」
あっちこっち向きながら歌いました、と笑いながら話す。そして、これにまつわる思い出をひとつ。陣内さんが高校生の頃ARBが後楽園ホールのリングの上でライブをした事を雑誌で読んだんだけど、その時もやっぱり為さんと同じような疑問を持って、石橋凌さんが夕方音楽にゲストでいらしたときにそのことを訊いてみたら…。
「そんときはリングが回ってたらしいんですよ。(笑)ゆっくり。すごいですねー」
次の曲は、“もう在庫がないかもしれないぐらい”古いアルバム『PRAYING NIGHT』から。“10年ぐらい前の曲なんですけどいまだに好きで時々歌い始めております”曲、『Praying Night』。
『Praying Night』
(いつも佐藤さんが曲の始めにリズムを取るのですが、この曲では“ONE,TWO,ONE,TWO,THREE,FOUR…”。あぁ、変拍子なんだと改めて認識しました)
「『Pray(祈る)』がよく『Play(遊ぶ)』とよく間違われるんですけど、まったく逆の意味ですから」とMC。私もレンタルCD店でラベルが『PLAYING NIGHT』となっているのを見たことがある。音(プレイング)から入ってしまうとどうしてもね…。
次も割と古い曲で、カラオケに入っている曲。宇部とかに住んでる陣内さんのお友達が電話をかけてきては“歌ってるよ”と言ってくれる歌で、『心の扉』。
『心の扉』
さて、陣内さんは『夕方音楽』が始まって以来初めて、一週間休みをもらうことになった。
陣:「“ありがとうございます”」(笑)
為:「それ誰に言ってるんです?」
陣:「いや、みなさんに」(笑)
お休みを使って、屋久島に行くお話。でも登山に5、6時間。ゆっくり行くと10時間という、“体力がないミュージシャン(笑)”には厳しい行程。「つくつく、つくつく行っても5時間かかる」。
この旅行の計画を立てる為に、「何回飲んだことか。(笑)ホント」。ある飲み屋に集合して、持ち寄った本を見せっこしてるだけで終わってしまい全然計画が進まない。何回かやっている内に何とか計画を立てて、陣内さんが生まれて初めて“旅行の行程表”をワープロで作ったそうだ。「あの表、がーって書いて楽しかったぁー」。
「あれはびっくりしましたね」と為さん。
為:「いつもね、ライブの前に曲順早く出そうよって。いつも僕が催促するんだけど。今回は何もゆってないのに行程表がいきなりばーって。もう、曲順がまだ決まってないのに、そんなことばっかし先に決まってるってゆーね」
陣:「不謹慎でしたね」
為:「なかなか、ね」
行程表のタイトルは『第一回探検隊創立記念旅行 屋久島への旅』。為さん、すかさず「漢字が多い」と突っ込む。ちゃんと『テーマ:心のリセット』とか細かく書いてあるそうだ。
屋久島話も落ち着いたところで、次の曲。
「アップテンポの曲が増えてきますから、皆さんも一緒に楽しんでくださぁい。『新しい風』よろしく」。
『新しい風』
「ずーっとここに座っているのもしゃくなんで、ちょっと立っちゃいます」キーボードから立つ陣内さん。
次の曲は、“毎日毎日ラジオ局通って、週末は曲作りとかレコーディングとか、そんなんばっかりで、‘あぁ〜っ旅に行きてーっみたいな。旅に行きてーっ’って思いながら作った”『旅に出ようじゃないか』。
陣内さんに、「これは結構踊れるので、良かったら一緒に踊りませんか?」って言われたら立つしかない。私はちょーっと尾てい骨が痛かったもんで…。(^^;)立ったけどね。
『旅に出ようじゃないか』(打ちこみなのかな。だからT2なの?)
「いやー奥のほうまでみんな踊ってもらって、すっげい腰ふってるお兄さんがいてくれて嬉しかったです」。
次は歌ってもらおうかなってことで『空よ』。学校の先生みたいにキーボードを弾きながら、いつもの説明。「一緒に歌ってくださいね。よろしくです!」。
『空よ』
「今日はほんとにありがとうございましたー」とお礼を述べて退場する陣内さん。
曲が終わって、為さんと佐藤さんも退場。
(アンコール)
「アンコールどうもありがとー!」と再登場の御三人。
最後の曲は“僕の指示通りに動いて欲しいです。”ということで、『深呼吸』。
当日は、実行委員の方達が宣伝カーでライブの宣伝して周っていた。街中で陣内さんの曲を耳にするとどきどきしてしまうのは何故だろう。陣内さんが聞いたときにはこの『深呼吸』だったらしいけど、私達が聞いたのは『心の扉』。他にも色々流していたのかな。
「このイベントにね、携わって一生懸命汗流してくれた、スタッフの皆さんにぜひみなさんも拍手を」(拍手)
そして【最初の言葉】。
「これからもね、ホントにあの、こーゆうイベントが根付いて、僕も山口県出身なんで、山口県出身の人達がですね、どんどんどんどんインスパイアされていろんないいものが出来ればいいな、と僕も心から願ってます。またいつでも駆けつけますんで、応援させてください」と結ぶ。
最後にいつもの、『深呼吸』の右手左手の説明。
陣:「よくね間違って僕がこう挙げるとそっち左側あげる人がいるんですけど、自分の右でいいですからね。自分の右を上げてください」
為:「それ、つられるよ」
陣:「つられちゃうのかもしれないけど。自分の右手、がーっあげてくださいね。よし。じゃいきましょうか。『深呼吸』最後に一緒にいきましょーぅ」
『深呼吸』
「どうもありがとうございましたー、またお会いしましょうー。ギター為五朗でしたー。そして、パーカッション佐藤邦治でしたぁー」
3人あいさつしながら下手(しもて)に退場。
ライブが終わったのは、20:45くらいであった。1時間半ほど過ごしたホールを後にすると、外は小雨。
しかし、そんな雨も気にならないほどの良いライブの余韻に浸りながら、私達は宿まで歩いて帰った。
【感想】
今回久しぶりのホールです。陣内さんの声も綺麗に出ていました。
ディレイエコーがものすごく綺麗で、素人耳にもはっきり解るほど機材も良い物を揃えていました。
今回は『第1回』。萩に新しい大学も出来たことにより、若い人達が音楽で活躍する場を作りたいとのことで、この音楽祭を開催する運びとなったそうです。スタッフの方もボランティアでがんばっていただきました。
これから毎年続けて行って、どんどん大きな音楽祭にしたいそうです。がんばってください。