倉沢鍾乳洞




切り立った石灰岩の露頭岩壁に洞口があり、 総延長約1400メートル,三層構造の洞内は支洞や枝支洞が無数に広がり、 乳石,石灰華,断層,地底湖などがあって 変化に富んでいます。

警告
25年以上前には入り口付近に小屋があり、観光洞として公開されていましたが、 現在では入洞が禁止されています。

交通
秩父・奥多摩鍾乳洞MAP

車で、青梅街道から日原街道へ。 倉沢橋(日原トンネルの少し手前)を渡ってすぐに右折し、倉沢谷の砂利道を登って行きます。







煤(すす)け
[Brief Note]

倉沢鍾乳洞は 古くから霊場として知られ、 江戸時代には 倉沢山大権現として上野寛永寺の支配を受けていました。 その際に焚かれた護摩(火)の為に洞内は煤け、やがて、壁面を薄っすらと流れる地下水流により 煤は離散集合して、現在のような白と黒の衝撃的なコントラストを呈しています。

'82.5


行ってきたよメール
1970年代後半から何回か遊びに行っていました。 最後に行ったのは1983年の夏です。 当時私が持っていた地図やガイドブックでは、駅名はまだ奥多摩ではなくて、氷川だったと思います。 日原鍾乳洞も何回か行きましたが、日原は当時でも既に観光化され過ぎていたように思います。 私は、倉沢鍾乳洞の入り口付近の東屋にいる坂和さんが大変ぼくとつで、親しみのある感じで好きでした。 坂和さんには、私も何回かお茶をごちそうになりました。 大変懐かしいです。 今は入洞禁止というのは大変残念です。
[2014.7.26 k1200rs99さんより
私が、倉沢鍾乳洞を訪ねたのは、1982年の5月で、その数年前までは営業していたのを知っていたので残念でなりませんでした。 微妙な時間差で、お茶がごちそうになれたりなれなかっらりが別れてしまった時代なんですね。 奥多摩駅は、1971年の改称で、こちらも私が初めて降り立った高1の冬には既に奥多摩駅で、今でも青梅街道沿いから見える、廃線となったダム工事用の小河内線の線路と共に、数年前までは氷川駅だったという話を聞いた記憶があります。 ...昔話に、血が騒ぐとは、私も年をとったのかな。

もう十四・五年前になりますか。 登山を始めたばかりの学生の頃、山道具を担いで、ひとりでよく訪れてました。 アシはいつも、奥多摩駅から歩きか、早稲田のアパートから自転車。 少し下の堰堤上の河原に一週間もテントを張って、周りの山を歩き回ったりしてました。 金は無くとも時間ばかりはいくらでもあった頃です。

洞内の、確か「剣の峰」とかいう階段状の横穴で、蝋燭の灯を継ぎながら一晩過ごした時には、持ち込んだ本を開くでもなく、鼻歌も憚られる静寂に息をひそめながら、何度も腕時計を見ては酒を飲んでおりました。 本洞奥の縦穴の縁で、岩仲間4人と互いの登山観を2時間以上も語りあった事もあります。 懐かしい思い出です。

3年前に車で訪れてみると、林道はかなり手前で封鎖され、堰堤の河原もなくなっていました。
[2006.10.2 タカバネ丸さんより
14,5年前、倉沢にはまだまだ入ることができたんですよね。 私にとっても懐かしい想い出の鍾乳洞で、結構レアな生活?送られていたようで、洞窟の楽しみ方も、人それぞれなんだなってあらためて感心させられました。 倉沢あたりだと、色んな所から穴好きが集まっていましたから、何度も訪れていると、同じ穴のxxx同士で、話が弾むことも多かったのではないでしょうか。

今は53歳の女性です。 倉沢鍾乳洞で遊んだのはもう30年以上前になります。 渓流沿いに建っていた東屋でおじさんが焚き火をたき、湧き水でお茶を入れてくれました。 美味しいお茶でした。 おじさんがその東屋で泊まっていってもいいというので、泊りがけで倉沢鍾乳洞で遊ばせてもらった事もありました。 ケービングとか言うほどのものではなく、洞窟遊び程度。 洞窟が楽しくて楽しくて。 ヘルメットとヘッドライトとつなぎの服と。 遊び疲れて洞窟が怖くなるまで中にいて。 崖の中ほどに開いた入り口まで階段が着いていて、中は真っ暗で。 ライトを貸してくれたような記憶もあるのですが。 よく覚えてはいません。

入り口は結構大きくて、入ると少し、1−2メートル平らになっていて、それから階段状のところを何段か降りると大きな回廊になっていて、右に胎内といったようなフロアがあって。 記憶は定かではないのですが、今でも忘れられない場所がたくさんあります。 回廊は左に伸びていて、右に細くて人一人が横になってやっと通れるか?という穴があって、その穴は上下には結構幅があって。 そこはひょうたん池へ続くという噂があって。 回廊から先はまだ段を少し上ると右に洞窟は延びていきます。 細くて楽しい道を少し進むと右に下に行くと水のある、ひょうたん池といっていたと思いますが、ひょうたん池への道がある。 ひょうたん池への道を選ばずに真っ直ぐ行くと、木の杭で塞いである道。 その先へ行くと、行ったのですが、縦穴になっていて、ちょっと降りる勇気は無かった。 左の人が入れないような穴に入り込んで(お腹をすりながらですが)、先にちょっと素敵な洞窟が展開していそうだったのですが、危ないと思ってそれ以上は行かなかった事とか。

友人と4−5人で、いつも行っていました。 友人に聞けば、もっと詳しく思い出せるかもしれません。
[2006.7.17 かびさんより
自分もあと10年早く生まれていたら、観光洞としての倉沢鍾乳洞に足を運ぶことができたんですね。 私が鍾乳洞の魅力に取り憑つかれた頃には、既に閉鎖されていて、早すぎるの! の気持ちでいっぱいなんですが 何度も足を運ばれて、ひょうたん池までご覧になっていらしたなんてうらやましい限りです。

多分30年近く前に2回行った事があります。 管理人のおじさんに数百円の料金を払い懐中電灯を貸してもらいひんやりした洞内へ、 番線をたよりに下っていくと地底湖(綺麗な水溜り)、 懐中電灯の色が反映されてかやや黄色味を帯びた石灰岩の湖底の色が印象に残っています。 また狭い洞内を出たあと肘や膝に泥が付き管理された日原の鍾乳洞とは違う充実感も感じました。
[2005.9.30 小林宏美さんより
観光洞として営業していた時代も懐中電灯だったんですね。 倉沢鍾乳洞で地底湖体験だなんて素敵な思い出でありがとうございます。 私が訪ねた時には既に営業を打ち切っていましたので、同じように懐中電灯を持参したとは言え、 あまり奥まで入ることをためらい地底湖までたどり着くことが出来ませんでした。

久々に倉沢鍾乳洞で検索してみたところ、HPを発見して驚いています。 倉沢鍾乳洞には、高校生の夏に一人で行った事があります。 暗過ぎて内部へは入れませんでしたが・・・。 白いモヤが洞窟入り口から湧き出ており、一人はちょっと怖かったですね。 1986年頃の夏だと記憶していますが、まだ入洞規制はされておらず、外部の階段等は崩壊が始まっておりました。 「個人の所有物なので・・・」と言う看板や、洞の入り口に何かを祭った小さな社?みたいなのがあった記憶があります。 元々は、ある雑誌でトレジャーハンティング、お賽銭の古銭が洞内から見つかるといった記事を見て、夏休みの課題用ネタで訪れました。 入り口をスケッチ、小さな社?にお守りをぶら下げ、受験祈願をして帰ってきました。

私の母は、「中学校の遠足で行った。 凄く暗くて狭かった」らしいですけれど・・・凄いの一言です。 規制後?にも一度訪れたのですが、立ち入り禁止、ロッククライミングのメッカ?になってしまったようで、時代の変化を感じます。
[2005.8.2 いち洞窟ファンさんより
親子2代で倉沢を訪れているんですね。 お母さんが中学生の頃ってやっぱり、2,30年以上昔...?  倉沢鍾乳洞に続いて養沢鍾乳洞も営業をやめてしまって、東京の観光洞が衰退していくのが懸念されてなりません。
そうですね〜私の母ですから40年以上前だと思います。 前回のメールには書かなかったのですが、倉沢に行った時にショックだったのが、例のトレジャーハンターの残していった大量の「ゴミ」です。 電池、ビニール袋その他・・・何か、神聖な場所が汚されてしまった気がして、とりあえず片付けた覚えがあります。 何年か前までは、そこらの沢沿いでキャンプなどしていたのですけど、又行ってみたいですね。 山の空気は澄んでいて好きですし、東京の数少ない自然を保って行きたいものです。
[2005.8.10 いち洞窟ファンさんより

今日はPCCによる活動で、閉鎖されていた観光洞窟を特別許可により入洞することが出来ました。
普通は滅多に入れない洞窟なのでもちろん参加することに(他のメンバーも結構参加していた)。

洞窟へ行くには駐車場からおりて、そこから川を越えると簡易的な金網ゲートで封鎖しています。 ゲートをも越えると急斜面が現れ、そこから足場のやや悪い崖場を越える必要があります。 そこには第2の頑丈な金属製のゲートで封鎖されています(今回は特別許可により、開けてもらいました)。 洞口は結構大きく、中にはいると急斜面になっていたりして、クライミングの要領で進んだり、匍匐前進で進まなければならない場面も多かったでした。 さらに地面の岩はツルツルになっており滑りやすかったでした(それだけ、来ていた人も多かったと思われます)。 倉沢鍾乳洞は全く手つかずの洞窟と変わらないという感じでした(壁に傷つける落書きとかは多かったのですが)。 ただ、現在は手つかずの洞窟になっているため、探検するには洞窟探検家でないと危険だと思います(崖とかあり、クライミングといった洞窟探検の技術が要求されます)。

また、内部の写真も撮影してきました。 探検に夢中になっていたので少ししか撮影できませんでしたが・・・  僕のホームページに写真コーナーが設置してあります。
[2005.6.28 ロックさんより
倉沢鍾乳洞、フェンスで閉鎖されてからもう7年になるんですね。 ロックさんのページの写真を拝見させていただきました。 内部の階段等は、7年くらいでは朽ち果てるというようなことは無かったようですが、 生き物たちは、人の入らなくなった鍾乳洞の中で、のびのびと暮らしているようですね。

今から11年前(90年),高校生の時に友人と二人で倉沢鍾乳洞に入ってきました. 当時既に入洞が規制されていたように思いますが,とくにフェンス等で塞がれていた訳ではないので,懐中電灯さえあれば自由に出入りすることができました. 中は木製の階段や歩道が設置されていましたが,ところどころ崩壊していて岩にかじり付いて進んでいったのを覚えています. 狭い支洞の最奥にある小さな地底湖(確か「ひょうたん池」と命名されていたような)はひっそりと静まり返っていて神秘的でさえありました. また,この鍾乳洞には支洞が多く興味半分で歩道を外れて奥に進んでいき,途中で恐くなって引き返してきたりと,二人で探検家気分になって楽しんできました. この日はどこかの洞窟探検隊(?)が来ており,「池がよかった」などと感想を言ったところ 「洞内の別のところにはもっと大きな池がある」といわれ,いつか自分もその池を見てみたいと思っていました. その後,散策がてら再び倉沢鍾乳洞を訪れたことがあったのですが, その時は既に入り口に向かう遊歩道がフェンスで塞がれてしまい,洞窟に近付けないようになってしまっていました. ここの鍾乳洞は関東でも三番目の総延長を誇る鍾乳洞であり,周辺の自然も豊かな場所であるだけに,完全閉鎖はとても残念な気がします.
[2001.9.9 Muranoさんより
わたしが訪ねた20年前には、既に、入洞禁止の看板がありましたが、毎年多くのケイバーが訪ねていた様です。 そんなこともあってか、1998年7月に、林道から倉沢鍾乳洞への山道 及び 入り口がフェンスで閉鎖されてしまいました。 それだけ、魅力的な鍾乳洞だったということで、Muranoさんがおっしゃる通り、残念の限りです。


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- 1997.12