1902-15年のドイツと日本の出来事
1902年
・新関税法可決(穀物関税50%引き上げ)
・ドイツ語正書法規則実施
・三国同盟更新
(シベリア鉄道開通)
明治
35年
・日英同盟
1903年
・児童保護法案可決(家内工業にも児童就労禁止)
明治
36年
・国定教科書制度採用
1904年
・ドイツ領南西アフリカで大規模な蜂起(ヘレロ族の抵抗)
・国債濫発、30億マルクに
(英仏協商成立)
明治
37年
・日露戦争
・事務用はがき発行
・軍事はがき発行
1905年
・ドイツ領東アフリカで大規模な蜂起(マジマジ闘争)
・ヴィルヘルム2世、モロッコに示威的訪問(第1次モロッコ事件)
・シュリーフェン=プラン考案(二正面戦争の作戦計画)
明治
38年
・ポーツマス条約
・日比谷焼き討ち事件
・初のオーケストラ演奏
・以後ストライキ増加
1906年
・アルヘシラス会議(モロッコ事件解決)でドイツ孤立
・初の大衆ストライキ
・第2次艦隊法修正案可決、財政改革法案可決
・ドイツ領南西アフリカ駐留軍維持の追加予算否決で議会解散
・シュタンゲルの改革、毎年5億マルクの財政赤字に効果なし
明治
39年
・菊枠なしはがき発行
・切手帳(菊切手)発行
・鉄道国有法公布
・文芸協会設立(新劇研究)
1907年
・労働者階級、人口の1/3に(1870年頃は1/5)
・ヴァイオリニスト ヨーゼフ=ヨアヒム没
(英露協商成立)
明治
40年
・第1次日露協約
・1907年経済恐慌
・足尾銅山で待遇改善暴動
・義務教育を6年に延長
・第1回文展(文部省美術展覧会)
1908年
・デイリー=テレグラフ事件(皇帝の親英発言が各国に波紋)
(オーストリー、ボスニア・ヘルツェゴビナを併合)
明治
41年
・旧高額切手(すかしなし)発行
・都市人口550万人
・「アララギ」刊行
1909年
・ドイツ農民同盟結成
・ユースホステルの建設
明治
42年
・自由劇場落成
1910年
・選挙法改正案(直接選挙導入)提出、選挙法改正運動のピーク
・ベルリンの炭鉱労働者デモ、市街戦に発展
明治
43年
・軍事加刷切手(菊切手)発行
・在外局で加刷はがき発行
・「白樺」創刊
1911年
・帝国保険法案可決
・フランスのモロッコへの軍事介入に砲艦を派遣(第2次モロッコ事件)
・モロッコ=コンゴ条約締結(フランスのモロッコ保護を容認)
・カイザー=ヴィルヘルム学術振興財団設立(自然科学助成)
・リヒャルト・シュトラウス、オペラ「薔薇の騎士」初演
明治
44年
・分銅はがき(銘あり)発行
・関税自主権回復
・東京市電全線ストライキ
・義務教育普及98%
1912年
・ルール炭鉱で25万人のストライキ(労働時間短縮を求める)
・艦隊法可決(海軍力強化)
明治
45年
・外信はがき(桜連合)発行
・封緘はがき(印面丸形)発行
・第1次護憲運動
・オリンピック ストックホルム大会参加
1913年
・人口7000万人に
・労働者賃金、1871年の150%の水準
・石炭生産量2億7900万トン、世界2位
・労組化進む、メンバー300万人に
・陸軍大増強案可決、陸軍75万人に
・オスカー・バルナック、ライツ社で35ミリ映画用フィルムを利用したウル・ライカを試作。後のライカの原型となる
大正
2年
田沢切手(大正白紙)発行
1914年
・アインシュタイン、学術振興財団物理学部門研究所長に
・第一次世界大戦勃発(ドイツ、ロシアとフランスに宣戦布告)
・参謀総長モルトケ、シュリーフェン=プランを修正
・タンネンベルクの会戦
・西部戦線硬直化
大正
3年
・田沢切手(旧大正毛紙)発行
・旧高額切手すかし入り発行
・シーメンス事件
・貿易の飛躍的発展(〜1919)
・二科会結成
・日本美術院再興
・ドイツ領青島占領
1915年
・各地で飢餓暴動発生
・青年と婦人による、平和とパンを議会に求める2万人規模のデモ
大正
4年
・大正大礼
・好景気到来(戦争による特需)

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1902-1915年に発行されたドイツ切手

1902.4.1 (火曜 Dienstag, Tuesday)

1.ゲルマニア DEUTSCHES REICH図案 すかしなしシリーズ

 ゲルマニア図案の下にあった「REICHSPOST」が「DEUTSCHES REICH」に改められたシリーズです。刷色は、基本的にREICHSPOST図案シリーズと同じですが、両者を比較すると若干の違いが見られます。3年半程度の発行期間にそのほとんどが使われ、未使用の残存数が少なく、ヒンジ跡のない未使用が大変高価です。

2Pfennig
市内用葉書、50gまでの市内用印刷物
3Pfennig
50gまでの市外用印刷物、50gを超え100gまでの市内用印刷物
5Pfennig
市外用葉書、250gまでの市内用書状、50gを超え100gまでの市外用印刷物、100gを超え250gまでの市内用印刷物、50gまでの外信印刷物
10Pfennig
20gまでの市外用書状、外信葉書、100gを超え250gまでの市外用印刷物、250gを超え500gまでの市内用印刷物
20Pfennig
20gを超え250gまでの市外用書状、15gまでの外信書状、書留料、配達証明料、250gを超え500gまでの市外用印刷物
25Pfennig
速達料、市外用書留葉書、気送管葉書、10マイル(=74.2km)までの距離で5kgまでの小包
30Pfennig
20gまでの市外用書留書状、市外用速達葉書、500gを超え1kgまでの市外用印刷物
40Pfennig
20gを超え30gまでの外信書状、15gまでの外信書留書状、小包、価格表記、等
50Pfennig
10マイル(=74.2km)を超える距離で5kgまでの小包、価格表記、等
80Pfennig
45gを超え60gまでの外信書状、小包、価格表記、等

・一部の額面に無目打ちがあります。
・3Pfennig切手に、「DEUTSCHES」が「DFUTSCHES」になったエラーがあります。
・有効期限は、1922年10月31日です。


1902.4.1 (火曜 Dienstag, Tuesday)

2.DEUTSCHES REICH 高額図案 すかしなしシリーズ

 1Mark以上の高額図案シリーズも、ゲルマニア図案と同様の改訂が行われました。こちらも刷色は、基本的にREICHSPOST図案 高額図案シリーズと同じですが、両者を比較すると若干の違いが見られます。用途は、小包、電信、価格表記等です。

1Mark ベルリン帝国郵政局
2Mark 北ドイツと南ドイツの統一の象徴
3Mark ヴィルヘルム1世記念像除幕式
5Mark 帝国創建記念式典

・各額面とも20面シートです。
・2Markを除いて、各額面に色違いが2種類ずつあります。
・2Markを除いて、目打ち違いが2種類ずつあります。
・2Markを除いて、無目打ち切手があります。
・有効期限は、1922年10月31日です。


1902.5.

3.DEUTSCHES REICH 高額図案 すかしなしシリーズ 改訂

 2Markのみ、図案が変更されました。よく見ると、いろいろな違いがあることがわかります。

・光線に輪郭なし
・2の足が曲線
・人物の手の上にある羽先が長い
・人物の背中に見える島が小さい
・光線に輪郭あり
・2の足がやや平ら
・人物の手の上にある羽先が短い
・人物の背中に見える島が大きい

ゴシック文字

印刷体文字

 他にも細かい違いがありますが、単に切手を区別するだけであれば、光線の輪郭の違いか書体の違いだけ覚えておけば十分です。

2Mark


1905.-06.

4.ゲルマニア DEUTSCHES REICH図案 すかしありシリーズ (平時版)

5.DEUTSCHES REICH 高額図案 すかしありシリーズ (平時版)

 1905年10月下旬から翌1906年にかけて、全額面の用紙に菱形を繰り返して並べたようなすかしが入れられるようになりました。以下に切手の裏から見たすかしの模様を示します。

すかしありシリーズの初日について

 すかしありシリーズは、特に通達もなく、在庫が少ない額面から徐々に切り替えられました。従って、初日は最初期使用例として知られているものになります。
 以下に、5Mark切手の初日(最初期)使用例として知られている1906年1月24日の使用例を示します。

5Mark切手の初日(最初期)使用例


1911.10.1 (日曜 Sonntag,Sunday)

6.ゲルマニア DEUTSCHES REICH図案 すかしありシリーズ 追加

 中額面の60Pfennigが新たに追加されました。他の中額面が2色刷であったのに、これだけは1色刷です。

60Pfennig
小包、80gを超え100gまでの外信書状、地方宛の速達料、等


1914.-15.

7.ゲルマニア DEUTSCHES REICH図案 すかしありシリーズ (戦時版)

8.DEUTSCHES REICH 高額図案 すかしありシリーズ (戦時版)

 第一次世界大戦で物資が不足し、その影響により用紙や印刷インクが粗悪になり、すかしも不鮮明になりました。ただ、粗悪とか不鮮明とかいう言葉からくる印象で切手を区別することは、現実的ではありません。実物を見てみると、印刷が粗悪なのにすかしが鮮明であったり、あるいはその逆であったり、と判断に迷うものをよく見かけます。一目で区別が付くには、長年の経験が必要です。

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