第五十三話「光のかけら」


 まぶたに降り注ぐまぶしい光が、彼の意識を、深い眠りから引き上げた。
 夢を見ていたような気がするが、定かではない。
 ゆっくり目を開けてみると、窓の遮光カーテンにわずかだが隙間ができていて、そこから差し込んだ光がまともに彼の枕頭を照らしていた。
 すそに房飾りのある、見覚えのないカーテン。
 仰向けになり、天井を見上げてみると、思ったより高い天井とアール・ヌーヴォ調のしゃれた照明器具が目にとまった。

 ここはどこだろう?

 今は朝?――それとも昼?
 まだ眠気の覚めやらぬ頭でそんなことを考えながら、彼は最後に、窓とは反対側へ頭をめぐらせてみた。
 そこからなら、身体を横にしたままでも、薄明かりに照らされた室内がある程度見渡せる――はずだった。
 が。
 彼の目に飛び込んできたのは、よく見知った少女の寝顔だった。
 目の前にあるのが何なのか理解した瞬間、今までの眠気もどこへやら、彼はぎょっとして起きあがろうとしたのだが、次の瞬間、左肩の激痛に加えてひどいめまいと吐き気に襲われ、また元通りベッドに身を沈めるはめにおちいってしまった。
 しかし、痛みのおかげで完全に記憶がよみがえった。

 そうだ、俺は彼女をかばって――

 そこから先の記憶がないところをみると、ずっと意識を失っていたのだろう。
 ……とすると、さしずめここは白鷺邸の客用寝室といったところか?
 そんなことを考えながら、呼吸を整え、吐き気が治まるのを待つ。
 落ち着いてから状況を確かめてみると、少女はベッド脇の椅子に腰かけた状態で、自分の腕を枕代わりに、ベッドに突っ伏すようにして眠っているのがわかり、彼はさっきの自分の混乱がなんだか馬鹿馬鹿しいものに思えて苦笑した。
 右手であごをなでて、手のひらに当たるひげのザラっとした感触を確かめる。
 この感じからすると、眠っていたのはだいたい一、二日くらいか。
 二日経っているとして、それでもまだこんなに痛むということは、左肩の傷は相当深かったのだろうが、意識がもどった今、傷を痛むまま放っておく理由はなくなった。
 彼が傷に意識を集中すると、青い光が彼を包み、傷の痛みを、吐き気を、取り除いていく。
 ふぅ、と深い息を吐いてから、次に彼は少女の寝顔に視線を戻した。

 ――よく眠ってる。

 カーテンの隙間からあふれる光に照らされたその寝顔は年相応にあどけなく、彼は気持ちがなごむのを感じた。
 ただ、左の頬に貼られた白い絆創膏が痛々しい。
 それに、両の目頭にたまった小さな光のかけらも、気にかかった。

 何か、悲しい夢でも見ているのだろうか?

 彼は静かに、絆創膏の下の傷に触れた。青く輝く指先で。
 治り具合を目で確認することはできないが、あの時にちらっと見た傷の状態から推測して、一分くらいで充分だろう。
 たしか、足もけがをしていたと思うが、それはまた、彼女が目を覚ましてからにしよう、と彼は考えた。
 今、この状況で足の治療中に彼女が目を覚ましたら、鷹彦のように足蹴にされかねない。それはちょっと御免こうむる。
 彼はふっと思い出し笑いをしながら、治療を終えて光輝を消した指先でそっと二つの光をすくい取った。

 その小さな輝きは、彼の指先をわずかに湿らせて――消えた。

 ちょうどそのとき、彼女のまぶたがゆっくりと開いた。
 まるで、消えた光が彼女の夢そのものだったかのように。
 まつげに縁取られた大きな黒い瞳に彼の顔を写しながら、しかし彼女はまだ眠りと覚醒の狭間をさまよっているような面持ちで、少し充血した目を何度かしばたたかせ、それからやっと、彼の名前を口にした。
「竜……介?」
「おはよう、紅子ちゃん」
彼は紅子の目をのぞき込むようにして、言った。
「よく眠れたかい?」
 その声を聞き、さらには、鼻がくっつきそうな距離に相手の顔があることに気づいた瞬間、紅子は真っ赤になってがばっと上体を起こしざま、椅子の背もたれに背中を張り付かせた。
「おっ、起きてたのっ!?」
 その慌てふためきぶりに、竜介はわいてくる笑いをかみころした。
「今さっきね。きみがあんまりよく眠ってるから、起こそうかどうしようか迷ってた」
 彼はそう言いながら紅子が座っている椅子の位置とは反対側からベッドを出ると、カーテンをいきおいよく開けた。日がかなり高いところを見ると、もう昼が近いに違いない。
 自分の姿をあらためると、鷹彦か志乃武が着替えさせてくれたのだろう、Tシャツとニットパンツの上下に変わっていた。
 いきなり起き上がって歩き回っている竜介を見て、紅子が慌てた様子で言った。
「えっ、ちょっ、起き上がって大丈夫なの?傷は……あ、そっか」
彼女は彼の治癒能力を思い出したらしく、いったん浮かせかけた腰をまた椅子にもどすと、天井を仰いで長いため息をついた。
「そっか。もう心配しなくていいんだ……」
 独り言のようなつぶやき。
 竜介は窓のそばに置かれたサイドボードから水差しとグラスをとると、乾ききっていたのどを潤しながら、それを聞いていた。
「ずいぶん心配かけたみたいだな」
 そう言って、いつも通りの「心配なんかしてないっ!」という反論を待ち構える。
 ところが、このときの彼女の反応は彼の予想を完全に裏切った。
 紅子は天井を見たまま、
「……うん」
と、消えそうな声で言った。
「志乃武さんと日可理さんが来てくれなかったら……どうなってたかわかんない」
 竜介はグラスに満たした二杯目の水を飲むことを忘れて、紅子を見た。
 ベッドの向こう側にいるため、上を向いたままの彼女の表情はわからない。
 わからないが――
 竜介はグラスを置くと、ベッドに手をついてそれを一気に跳び越えた。
 すると紅子は慌てた様子で片手でぐいと両目をぬぐうと、彼から視線をそらしたまま、
「あの、あたし、鷹彦や志乃武さんたちに竜介が起きたって知らせて来るね」
と言って椅子から立ち上がろうとした。
 が、その動作は明らかに右足をかばっていて、竜介はたやすく彼女の腕をとらえて椅子に引き戻すことができた。
「なっ……!?」
 紅子が抗議の声をあげるのを無視して、その足元にかがみ込むと、素早く右足首をつかむ。
「やっぱりまだ腫れてる」
 竜介はそう言って彼女の足首をつかむ手に意識を集中させようとした。が。
「えっとっ、それ、ほっといてくれて大丈夫だから!」
という、焦った声が頭上から降ってきた。
「もう二日目だし、湿布もしてるから、見た目ほど痛くないしっ!」
 いや、これだけ腫れていて痛くないわけないだろう、と竜介は内心で苦笑する。
 心配してくれていたと思ったのは錯覚だったのか?なんだかちょっと傷つく。
「……そんなに俺に触られるのがいや?」
 腹いせに、足首をつかんだ手は意地悪く放さないまま、彼は上目遣いに紅子の顔を見上げた。
 もちろん、彼女が本気でいやがっているなら、解放してやるつもりだったのだが、
「そういう意味じゃなくてっ」
と、紅子は顔を真っ赤にして否定した。
「竜介がどうとかいうんじゃなくて、……あの……えーと、どう説明したら……」
 やがて彼女は言葉を探しながらこう続けた。
「あたしはその、スキンシップが苦手で……と、父さん以外の男の人に触られたこともないし……だから、こういうのが、慣れないっていうか、その」
 竜介はほっとして言った。
「なんだ」
いやがられてるわけじゃないのか。
「それじゃ、これから慣れていけばいいじゃないか」
 そう言って、彼は視線を紅子の傷めた足にもどすと、青い光を出現させた。
 まだ何か反論しようとしていたらしい紅子は、しかし、観念したようにそれきり静かになった。

 実際には、引いていく痛みや治療の心地よさや恥ずかしさで頭の中が混乱して何も言えなくなっただけなのだが――
 そのときの竜介は、紅子のそんな心中など知るよしもなかったのだった。

2009.4.2 改筆

2015.10.15加筆修正


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