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阪神大震災モニュメントマップ
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神戸市北区 
(番号は「2000年版震災モニュメントマップ」と同じ番号です)
107 鵯越墓園/無縁慰霊碑 神戸市北区山田町下谷上中一里山12
鵯越墓園の地図鵯越墓園の写真 阪神大震災でいまだに身元が判明していない遺骨が9体ある。その遺骨は、ここの広場に建てられた「阪神・淡路大震災 無縁慰霊碑」の下で、静かに眠っている。
 鵯越墓園は、神戸電鉄鵯越駅の北西側に広がる約208ヘクタールの丘陵地。約4万7000基のお墓がある。今年のお盆前後には、1週間で約14万人が墓参した。
 「身元が分からず身寄りがないはずなのに、お盆期間中、慰霊碑に手を合わせる人や供養の花が絶えることはありませんでした」と、墓園を管理する財団法人「神戸市斎園管理協会」の田中幸蔵総務部長は話す。
 慰霊碑に安置されている遺骨は、1995年1月19〜23日、神戸市兵庫区、長田区、須磨区のアパートの焼け跡などから見つかった。
 「遺骨といっても焼骨か骨片。震災直後の大火で焼かれ、損傷が激しい。DNA鑑定も出来ず、個人の特定が全く出来なかった」と身元確認に当たった兵庫県警。別の犠牲者の遺骨の一部という可能性もあるが、それぞれ「1体」として、神戸市垂水区の市立舞子墓園の納骨堂に保管された。以来、有力な手がかりは全くつかめていない。
 神戸市は、震災4年の今年1月17日、「安らかに眠ってもらうように」と慰霊碑を建立、遺骨を安置した。
 慰霊碑のすぐ近くには、無縁仏を祭る「無縁供養塔」(高さ約10メートル)がある。
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最寄り駅神戸電鉄鵯越駅から歩いて5分。詳しくは「マップ」と「震災モニュメントめぐり」を
108  鵯越墓園の地蔵 神戸市北区山田町下谷上中一里山12
「ひよどりごえ」と読む。
市民有志が建てたもので、「やすらぎ地蔵」の名前がつけられている。
最寄り駅神戸電鉄鵯越駅から徒歩5分。詳しくは「マップ」と「震災モニュメントめぐり」を
109 金剛寺/慰霊之碑、歌碑 神戸市北区山田町西下
北区金剛寺の碑六甲山の北側の山あいにあるお寺。その境内の入り口に慰霊碑が建つ。高さ4・5メートルのヒノキの四角柱。そばに「建立の由来」と「鎮魂のことば」の句が、黒御影石に刻まれている。住職の吉田長生さんは「「毎週土、日曜日には北区の自宅から通い、お花を供え、お経をあげて供養しています。生きているものの1人として、これからもずっと続けます。私どもの記憶を風化させないためにも、いずれ慰霊碑は永久に残る石碑にしたい」と話す。
 碑は神戸山田霊苑を経営する墓石会社が震災翌年の1996年の8月に建てた。この会社の会長、大澤秀行さんも震災直後、ボランティア活動をした1人だ。
 「鎮魂のことば」には、身内や友人を亡くした人たちの10句を記す。
 あの顔 あの声 あの姿 心に生きて 今日も励まん(堀きく子さん)
 神戸市北区に住む堀さんは「震災前日に遊びにきていた、娘の嫁ぎ先の親類の1歳半の男の子が、西宮市の家で亡くなりました。言葉に言いあらわせない悲しみを感じました」と話す。
 あわす手に まぶたに浮かぶ 父のかげ ほのかな香り 昨日のごとく(谷生靖寛さん)
 震災時、北区の市営住宅4階にいた谷生さんは「友人7人を亡くしました。同じ市住の2階にいた95歳の父親は、地震の起きた時、掃除をしていて着ていた着物のすそを踏んで転び、足の骨を折りました。その後、入院し、7月21日に亡くなりました」。
 胸を揺り動かされる碑文ばかりだ。      
この碑に載っている将君(当時1歳6カ月)のご遺族が作ったホームページは、ここ
最寄り駅神戸電鉄箕谷駅からバス15分。詳しくは「マップ」と「震災モニュメントめぐり」を

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