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2007年 ニューヨーク公演日記
2007年8月1日(水)〜8日(水)
8月3日(金)NY公演初日
8時過ぎに朝食をとって部屋に戻るエレベーターで乗り合わせた日本人が
「公演はいつからですか」と聞いてきた。
観光客がなぜ公演を知ってるのだろうとびっくりすると、「僕も大阪です。新聞見ました」という。
今日からですと答えると「今日帰るので」と残念そうだった。
朝9時40分にロビーに集合して、タクシーに鳴り物などの道具を積み込み3台に分乗して会場のフローレンス・グールド劇場へ。
10時から設営開始。
備え付けのスクリーンは場所が悪く使えないので、発注していたスクリーンを組み立て式のフレームに付け、
舞台中程のバトンに吊し、これまた発注していた高座を組み立て、毛せんを巻き、ビデオプロジェクターをセットする。
いつもの海外公演の作業を黙々とこなす。
7月初めに準備のため1度来て、設営段取りの打ち合わせもしてるし、スタッフも非常によく働くので作業はテキパキ進む。
鳴り物方達を隠す屏風状の衝立をセットし終わったところで12時。昼食タイムにする。
こちらのスタッフは12時になると作業途中でも休憩に入るらしいが、ちょうどキレのいいタイミングだったので、我々もランチにする。
グリーンルームという舞台横の控え室にみんな集まり中華弁当をいただく。
昼食後作業再開。
照明をセットし、音響チェック。高座と下座の音量を調節して舞台周りはOK。
ところが字幕がうまく表示されない。
劇場備え付けの日本製のいいプロジェクターだが、コンピューター画面がそのまま表示されず、
自然にズームされ字幕の端が切れる。
少し文字が欠けてしまっている。
スタッフがあれこれやって何とかスクリーンにPC画面がちゃんと表示されるようになった。
3時から一度通しでリハをやり、5時過ぎからプレス用の写真撮影。
朝日新聞の篠塚さんが日本からわざわざ取材に来てて3日間僕の公演を取材する。
そのほか地元フリーペーパーや日本テレビの現地クルーも来てる。
紋付き袴に着替え、高座に座り写真撮影。
その後楽屋で日テレのインタビューを受け、後は7時半の開演まで休憩時間となった。
7時過ぎから着替え、7時20分スタンバイOK。
少し押して開演。
ところが最初の鳴り物解説の字幕が妙に間延びして表示される。
おかしいなと思っていたら福矢のインカムにマイケルから字幕の文字の端が切れてるという連絡が入った。
昼間同じ症状があったが改善されてたはず。
どうやら機械を少し休めるため開演前に電源を落としたため、設定がリセットされたよう。
マイケルも表紙の字幕では気づかなかった。
プロデューサーの武部さんが舞台に出て事情を説明し、お客さんに少し待ってもらうことにした。
一時中断して復旧作業。
ところがその作業までスクリーンに映し出されているため、お客さんも作業結果に喜んだり落胆したり一喜一憂。いちいち反応する。
プロジェクターへの信号を切って作業するように伝え、その間鳴り物班に何か演奏して繋ぐように指示。
演奏してる間マイケルがすべての字幕文字を小さくして画面に何とか収めた。
出囃子の解説からリスタート。鳴り物解説が終わりいよいよ僕の出番。
トラブルがあったものの逆に一体感が出たようで、すごくノリのいいお客さん。
アメリカ人もゲラゲラ笑ってる。300人を超える客席で、アメリカ人率は2割と言ったところか。
2月に来たときのデモンストレーションでもそうだったが、「お玉牛」のお玉の唾をなめるところ
、牛のおしりに指を入れるところなど、「ウェッ!」とアメリカ人は確実に声に出してリアクションするのですぐわかる。
字幕のタイミングもいいようで笑いのズレもない。
中入り後の「皿屋敷」も、怪談部分の後のギャグもすぐノッてくる。
おかげで細かな仕草も入念にできた。
反応のいいお客さんにこちらもノセられて大満足の高座を終えられた。
トラブルで一時中断したので終演は10時前になってしまった。
撤収して劇場を出たのは10時半頃。
10時までに出ないと追加料金を請求されるが、トラブルの責任は向こうにあるので追加は取られないよう。
鳴り物や衣装を楽屋に置いてそのまま近所の日本居酒屋でスタッフも含め15人ほどで初日打ち上げ。
いいお客さんとスタッフのおかげで、いい初日を迎えられた。
あと2回もがんばらねば。
高座に毛せんを巻く鳴り物班の喬若・福矢・ひろば。(右から)
太鼓類だけでなく毛せん・座布団も持参。
楽屋で日本テレビのインタビュー。
ほぼ満席の客席。字幕を小さくしたので何とかスクリーンに収まった。
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