2002 ドイツ公演日記
本文へジャンプ 1月17日〜25日 



1月23日(水) ミュンヘン公演


朝食後、10:30にロビーに集合して少し散策をする事にした。
マイケルは仕事が残っていたので、僕と都んぼ君、マルコで市の中心部へ。
新市庁舎にからくり時計が付いていて毎日11時に人形が動くらしい。
市庁舎前の広場には観光客が集まっていた。
「新」市庁舎と言っても100年以上経つ建物で
一目ではとても市役所に見えない重厚な作り。
11時少し前から鐘が鳴り出し、等身大の人形達が動き出したが、
動きは単純で鐘の音もなんか音痴。
それにダラダラしつこく鳴る。
途中で飽きてその場を立ち去る。
続いて近所の聖母教会に向かう。
丸屋根の塔がそびえるミュンヘンの象徴とも言えるゴシック様式の教会らしい。
中に入ると、確かに大きな教会だがケルン大聖堂を見たあとでは
どんな大きな教会もかすんでしまう。
続いてレジデンツ宮殿。
中は博物館になっていて宮殿内が見られる。
ベルリンのテレビ塔に登ったとき、チケット売り場で都んぼ君が
「子供か?」と聞かれたので、切符売り場で「2アダルト、1ボーイ」と言ってみる。
「アンダー18?」と聞くので、即座に「イエス」と答える。
都んぼ君はタダになった。
ドイツ人には10歳以上も若く見えるらしい。
あまり時間がないので駆け足で見学、タクシーでホテルに戻る。
昼は独日協会主催の昼食会。
ロビーには独日協会のツェルセンさんがすでに来ていた。
ツェルセンさんはドイツ人男性と結婚して30数年前にこちらに来た日本人女性。
ホテルの近所のレストラン「マリアンネン・ホーフ」で昼食。
ケルン日本文化会館のレーゼさんもプロジェクターを持って駆けつけてくれて、
一緒に食事をした。
やはりまずはビール。
ケルンのビールは「ケルシュ」と呼ばれ細長いグラスに注がれるが、
ミュンヘンのビールは「ヴァイツ・ビール」と呼ばれ、
少し口の開いた大きなグラスで飲むスタイル。
乾杯の仕方も違って、ケルンではグラスの口をカツンとあてて乾杯するが、
ミュンヘンではグラスの分厚い底をぶつける。
やってみるといい音がする。
昼食後、会場に行くまで自由時間。
HPの更新をしようとするがやはり部屋の回線は繋がらない。
19日分のベルリン公演をアップしたままストップしてしまった。
とりあえず文面だけ書き溜める。
4時、ホテルから鳴り物などを持って徒歩で並びの民俗学博物館へ。
領事館の伊吹さんがすでに来ていてホールで設営を始める。
アラブ人らしきスタッフが我々の注文にてきぱき応えてくれたおかげで
設営は1時間もかからずに終了した。
マイケルとレーゼさんはミキサールームで字幕の手直しを開演直前までしていた。
開演前、中根総領事が楽屋に挨拶に来てくれて、満席ですという。
高座に上がると約250席が埋まっていた。
日本人が40%ほど。ドイツ人の方が多い。
ケルンと同じく字幕での鳴り物解説の後「お玉牛」、中入り後「皿屋敷」を演じた。
ここもまた反応は上々で、笑いが静まるまで待たないといけないところが何度もあった。
日本人とドイツ人が同時に「落語」を楽しんでいる。
高座を降りてからもいつまでも拍手が鳴りやまなかった。感激。
終演後ホテルの近所の日本料理屋「赤坂」で中根総領事主催の夕食会。
僕たち4人にレーゼさん、日本領事館からは中根総領事に稲村さん、伊吹さんの8人。
夕食後、僕の部屋に集まってルームサービスで赤ワインを注文し、ドイツ打ち上げをした。
1時間ほどで強烈に睡魔がおそってきたので解散し、そのままベッドに潜り込んだ。



マリエン広場のミュンヘン新市庁舎前で。
毎日11時にからくり時計の人形が動く。


民族学博物館のホール。舞台設営は着々と進む。


終演後の夕食会。左側は我々4人。右側奥からレーゼさん、
中根総領事、稲村副領事、伊吹さん。



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