2002 ドイツ公演日記
本文へジャンプ 1月17日〜25日 



1月19日(土) 言葉の芸術祭


今日はいよいよ言葉の芸術祭出演の日。
しかし、前日持ち時間が30分しかないことが判明した。
45分と言ってあったのにパンフに30分と書かれ、僕のあとすぐに次の出番の人間もいる。
聞いてないことだらけ。
公式サイトにもあとの出番など書いてないし、持ち時間も1時間ぐらい書いてあった。
とにかく時間を短くしないといけないよう。
我々のリハーサル時間は4:30なので、午前中は少し観光することにした。
8:30頃レストランに行くと、いつも客が少ないレストランはごった返していた。
週末は宿泊費が安くなるので観光客が多いらしい。
それにしても広々したレストランにおびただしい客がビュッフェコーナーから
料理を運んでいたり、席を探していたりしている。
マイケルの言うのにはドイツ人は規則正しいから
みんな同じ時間に同じ行動をとるという。
やっと食事を済ませ、ビジネスセンターでHPの更新とメールの送受信をする。
10時頃ホテルをタクシーで出発し、ブランデンブルグ門に向かう。
ベルリンの象徴的な建物だが近くに来ると工事中で門全体が囲いで覆われていた。
仕方がないので目的地をジーゲスゾイレに変更する。
ジーゲスゾイレは戦勝記念塔で、映画「ベルリン 天使の詩」に登場して
一躍有名になった。
てっぺんに金色の女神像が輝いている。
大きなサークル交差点の真ん中に立つこの塔に登れるよう。
入場料を払いヒーヒー言いながら50mほどの階段を上る。
女神の足下まで来ると改めて像の大きさがわかる。
見晴らしはいいが寒い。
すぐに下に降りた。
次の目標はポツダム広場のソニーセンター。
とても近代的なおしゃれな建物らしい。
歩いて行こうと公園の中に入ると道が凍結していた。
ツルツル滑って危ないので落ち葉の積もってる所を選んで歩いて行く。
途中、完全に凍結した小川にマイケルが降りていき、
氷の上を渡ろうとする。
薄い部分もあるからやめとけと言うのに、マルコにおだてられ
恐る恐る進んでいく。
今にも氷が割れるんじゃないかと冷や冷やしたが最後まで渡りきってしまった。
ヤッターと喜んでいるマイケルだが、通りがかりのおばさんにひどくしかられた。
ソニーセンターは、広場を囲むように建てられたいくつかのモダンなビル群の上に
大きな傘をさしたようなおしゃれなスポットだった。
ここのカフェでお茶を飲んでベルリンの壁を見に行く。
ほとんどが壊されたが一部残っている。
壁のあった所は延々と線がひかれてあるが、実に不思議な線切りで分断されてたよう。
雨が降り出したので観光をそこそこに繰り上げ、ホテルに戻って食事。
昼食後僕の部屋に集まってミーティング。
持ち時間が30分になったので、どこかをはしょらないといけない。
マクラとネタはそのままで鳴り物解説の部分を短くして
開演前にやることにした。
一番太鼓や二番太鼓、出囃子の石段などを口三味線、太鼓で時間を計る。
3:30ごろmaulhelden会場のtempodromに到着。
入りが早すぎたようで会場内の「野菜畑」と漢字で書かれた喫茶室で
しばらく時間をつぶすが、僕らの前に公演するコロンビア人たちのリハが押しているらしい。
5時頃になってやっと我々のリハの番になった。
高座を組みスクリーンとプロジェクターの位置をあれやこれやと言いながら何とか決める。
鳴り物を隠す舞台袖作り、照明の調節等もしてもらう。
照明も出演者が雑多なのでいちいちセッティングを変えないといけない。
特に我々はスクリーンに字幕を映すので舞台全体が明るければいいと言うものでもないし、
客席が明るくないとやりにくい。
全てのセットをするのにかなりの時間がかかる。
次のラップのグループのリハ時間が迫ったので何とかセッティングを終える。
あとは開演の21:30まで時間がある。
3畳ぐらいの個室の楽屋があてがわれ、控え室前には軽食や飲み物が用意されている。
開場してしばらくしてスタッフが客とプレスが来ていると呼びに来た。
NHK国際放送のスタッフが取材に来てくれた。
小平唄さんというその女性は外見は全くのドイツ人だったがハーフらしい。
もう一組のお客さんは落語作家、小佐田定雄さんの娘さんのさだかさんだった。
フランクフルトに留学しているそうで、小佐田さんからこの公演を聞いて
友達とベルリンまで見に来てくれた。
ところがチケットがソールドアウトで中に入れないと、受付で足止めを食らわされていた。
ディレクターのシモンさんに頼んで3人を中に入れてもらう。
控え室でNHKのインタビューを受けた後、大ホールの方を見に行く。
ドイツ語を喋るパキスタン人のスタンダップ・コメディアンが
4000人の観客の前で笑いをとっていた。
落語の場合は表情や仕草があるし、字幕なのでこんな大きな所はやりにくいが
これだけ大勢の客の前でウケたら気持ちいいだろうなぁと思う。
前日も出演して15分押してたと聞いていたコロンビア人達が意外と早く終わった。
転換時間は30分。高座に毛せんをかけ鳴り物をセットする。
ところが舞台裏の楽屋でコロンビア人がダラダラと片付けをしていつまでも楽屋を空けない。
おまけに一人が飲み物をひっくり返して僕の衣装カバンにかかった。
イライラして「マイ・ドレッシングタイム、ユー・ノウ?」と言うが
英語があまり通じないのか意に介さない。
あまりイライラすると高座に響くので努めて気を静める。
やっと演出家らしい男が外で片づけるように言ってくれた。
21:40頃開演。
入りは75%ぐらいだったけど、マクラの最初のドイツ車とフランス車の
名前比較のギャグなど反応がよく、マクラでネタを飛ばしてしまって
字幕も慌てて進んだ所もあったが、マクラ・「お玉牛」ともよく受けた。
ドイツでも落語がウケる事が実証された。
バタバタとセッティングして高座に上がったので汗だくになり、
ひどく疲れたけど控え室で飲んだビールはうまかった。
ビールのうまい国で一際うまいビールが飲めた。
控え室でほっこりしているとイタリアのコメディー関係の人がたずねて来て、
とてもすばらしかった、イタリアでもコメディーフェスティバルをやりたいので
その時は是非と、マイケルと連絡先を交換していた。
ホテルに荷物を置きに帰り、「ベルリンの南船場」と名付けたエリアで
イタリア料理を食べ、部屋に戻った。
その夜は爆睡した。



ベルリンの壁。細かく砕いた「壁」がキーホルダーになっていたので
土産に買った。


maulhelden会場のtempodrom。


控え室前で。前列左が小佐田定雄さんの娘さんのさだかさん。
真ん中がNHKの小平唄さん。後ろはさだかさんの友人。



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