2002 ドイツ公演日記
本文へジャンプ 1月17日〜25日 



1月18日(金) 会場下見


いつもの海外公演のようにかなり早くに目が覚めた。
時差ぼけがこういう形で出るようで、いつも極端に睡眠時間の短い生活になる。
朝はゆっくりしようという事だったので、9時頃に2階のレストランに都んぼ君と行くと、
マルコはすでに部屋にもどるところで、マイケルが食事中だった。
ホテルからメールを送る場合は1階ロビーにある
ビジネスセンターと言うところを利用するらしい。
朝食後僕は部屋でメールを書いたりホームページの更新のための作業を、
マイケルは別の翻訳の仕事をそれぞれ部屋でし、
マルコと都んぼ君は街を散策に出かけた。
途中部屋に21日公演するケルンの日本文化会館の清田さんから電話があり、
無事に着かれてホッとしたと言う。
聞くとmaulhelden事務局から派遣された運転手が昨日テーゲル空港に迎えに行ったが、
桂さん達が出てこなかったと清田さんの所に電話があって心配していたそう。
日本大使館の四ッ谷さんと言う方も別に迎えに来てくれてたそう。
事務局からは迎えの事も聞いてなかったので、
荷物を受け取りさっさとタクシーに乗り込んでホテルまで来てしまった。
運転手は2時間ほど待っていたそう。
悪いことをしてしまったが、迎えを寄こすくせに宿泊予定を間違ってたりちょっとちぐはぐ。
昼からホテル横のテレビ塔に登り、
ベルリンの街を一望してから会場に下見しに行こうとなった。
12時半にロビーに集合。
それまでにロビー横のビジネスセンターでメールとHPの更新をしようと、
フロントに行ってビジネスセンターを使いたいと言う。
電話回線のコネクターはあるかと聞くので、ちゃんと持ってると答えると
ブースに案内してくれた。
デスクトップが1台置いてあるデスクの反対側にラップトップ用のデスクがあって、
同時に2人だけ使用できる小さなブース。
回線を一応モデムセーバーでチェック。
大丈夫なようでPCにつなぎ海外ローミングの設定にかかる。
ベルリンのアクセスポイントなので電話代もそれほどかからない。
しかしこの設定がくせ者で、毎回すんなり繋がった試しがない。
何度も失敗しあれやこれや設定をいじってるうちに何とか繋がった。
マルコもメールを送りたいというのでまずはマルコからメール送信し、
続いて僕もメールの送信とHPの更新をする。
メーラーのアドレス帳を開くとエラーが出たり、ウインドウズがちゃんと終了しなくて
バッテリーをはずして無理に終わらせたりと、こっちに来てから調子が悪い。
家ではデスクトップを使っていて、このノートPCは海外でしか使ってないので
あまりトラブルはなかったが、字幕に必要なパソコンなので少し心配。
何とかもってくれるといいが。
昼からホテル横のテレビ塔に登り街の全貌を確認してからタクシーで
会場のtempodromへ。
大きなとんがったテントがかぶさったようなコンベンション・ホールで。
大ホールは4000人ほど収容できるが、そんなところでは落語をしにくいので
400人収容の小ホールにしてもらった。
円形の会場に舞台が作られ、今夜公演するコロンビアのパフォーマー達が
照明などの調節をしていた。
昨年夏にエジンバラまでわざわざ見に来てくれたシモンさんと再会。
高座や舞台袖のセッティングやプロジェクター・スクリーンの位置などを確認する。
安全のため一応PCをつないでみようと言うことになり、
もう一度ホテルに取りにもどることになった。
ホテルにもどる前に日本大使館に寄り、文化担当の書記官四ッ谷さんに会う。
日本大使館は最近新しいく出来た建物らしくて立派な建物。
セキュリティーもかなり厳重。
四ッ谷さんとしばらく談笑してホテルにもどりPCを持って会場へ。
結局スタッフがPCのコネクターを見てOKを出し、プロジェクターにつなぐことはなかった。
ホテルにもどって夕食中にマイケルの友人のローナさんがロンドンから来てくれた。
ローナは去年エジンバラもロンドンも公演を見に来てくれて、
ロンドンではレバノン料理屋を紹介してくれた。
夕食後四ッ谷さんに教えてもらったベルリンで一番おしゃれなスポットと
言われている所に出かけてみる。
ホテルから一駅なので歩いていくと、しゃれたレストランやブティックが並ぶ
南船場のような地帯。
アート系の大きな椅子のある店で一杯飲む。
ここは寿司も出す。
ほどほどに飲んでホテルに戻った。
明日はいよいよ本番。



京都タワーの展望部分が球形になったようなテレビ塔が
ホテルの部屋から見える。


街を走るおしゃれな市電。


公演会場tempodromのKleine Arena。



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