”Swingin' Days”
−Lovers step−
『With a little help from our friends』
その日、陽が落ちてからとても寒くなったその日、
北川さんから二回電話があった。
部活を終えて帰ってきたときには、もうお姉ちゃんはいなかったから、
わたしは北川さんにそう告げた。
少しだけいつもより硬い声。
なにかあったのかな、とぼんやりと思った。
お姉ちゃんと北川さんがつき合いだしてから、どれくらいなんだろう?
もちろん、わたしには正確な時間なんてわからないんだけど。
それでも、ふたりがお互いのことを大事に思っているのはよくわかる。
まるで、ゆっくりと登る登山列車か何かのよう、
ガタン、ガタンッと不器用に、一本のケーブルに引っ張り上げられるように、
ゆっくりと、ゆっくりと、お互いの思いを深めてきたふたり。
わたしから見ても、はらはらするほどすれ違ったり、
ときには周りの人に面白いほど迷惑をかけたりしながら、
それでも、ゆっくりと、ひとつひとつのステップをこなしてきたふたり。
わたしはお姉ちゃんのそばにいるから、ずっと長い間、そばにいるから、
ずいぶんいろんなお姉ちゃんを見てきた。
でも、最近のお姉ちゃんは、今までにわたしが見たこともないような表情をすることがある。
わたしの手の届かないような表情。
ものごとの全ての面、明るい面も暗い面も、全てを受け容れようとするような表情。
とてもやさしい、満ち足りた表情。
うらやましいね、
ときどき、わたしはうらやましいよ。
そんな表情をできるお姉ちゃんが、
そんな表情をお姉ちゃんにあげられる北川さんが。
そして、わたしはとてもうれしい。
そんなお姉ちゃんを見ることが。
−−−−−−−−−−−−−−−
「栞、先にご飯にしましょうか」
ご飯ができてから、たっぷり三十分以上が経っていた。
お姉ちゃんはまだ帰ってこなかった。
「ま、そのうち帰ってくるだろう、子供じゃないんだから」
信用しているのか、無関心なのかわからないお父さんの言葉。
この人はいつもこういう物言いをする。
でも、わたしは知っている。
その、鷹揚な物言いの陰に隠された、やさしさを。
わたしの病気を治すために、お父さんがどれだけの力を注いでくれたのかを。
「そうだね」
わたしも食卓につく。
親子三人の食卓。
わたしの隣には、伏せられたお茶碗と、きれいに揃えられたお箸。
来年からは、もしかしたら、毎日こうなのかな?
ふと、そんなことを考える。
お姉ちゃんが家を出たら。
遠くの学校に行ってしまったら。
隣にお姉ちゃんのいない生活。
ちょっと想像もできない生活。
きっと、寂しいだろうけど、
きっと、笑顔で送り出せる。
お姉ちゃんがそれを望むなら、
きっと、笑顔で送り出せるよ。
−−−−−−−−−−−−−−−
その日の夜、九時を回った頃にお姉ちゃんが帰ってきた。
わたしがちょうどお風呂から出たところ。
廊下で、帰ってきたお姉ちゃんと出くわした。
すこし、青白い顔。
元気のない表情。
「おかえり」
「ただいま」
やっぱり元気がない。
「お姉ちゃんご飯食べた?」
問いかけたわたしにゆっくりと視線を向けて、
ゆっくりと首を横に振る。
「顔色良くないよ」
「外、寒かったから」
そう言って、ゆっくりと階段を上がる。
「北川さんから電話あったよ」
階段をあがるお姉ちゃんの後ろ姿を見上げて言う。
「うん、今、会ってきたから」
そうつぶやいた声は、ひどく小さかった。
−−−−−−−−−−−−−−−
ふうっー、とため息をひとつつく。
まだ半乾きの前髪をかき上げる。
受話器を握って、番号を押す。
クラスの名簿を見ながら。
”こんなにお節介だったか?俺”
そんな自問をしながら、呼び出し音を聞いている。
”妙にほっとけないんだよな、あの二人”
”ま、北川と美坂だから大丈夫とは思うがな”
数回の呼び出し音の間に、そんな思考の断片が浮かんでは消えてゆく。
「はい、北川ですが」
電話を通して聞くと声が硬いな。
「お、北川か?相沢だけど」
おう、どうした?と言った声は、まだ、どこかに硬さを残していた。
受話器を置きながら、会話を反芻する。
俺は、美坂に漏らしてしまった、自分の不用意な発言のことを謝った。
いいさ、と、拍子抜けするくらいにすぐ、あいつは答えた。
『先送りにしていた、俺が悪いんだからな』
そう言って、乾いた笑い声をたてた。
『やっと、気持ちが決まったよ、香里に背中を押してもらったようなもんだな』
そう言って、自嘲の笑いをこぼした。
『いつも、そうだな、俺は』
『自分で、情けないよ』
『何言ってんだ、美坂と離れるのを選べただけでも進歩だろうが』
そう言ったら、
『そうだといいんだがな』
と答えた。
電話越しということを割り引いても、とても、硬い声だった。
何かをこらえてるような声だった。
いつも わるいな 迷惑かけて
あいつは、最後にそう言った。
俺は返す言葉もなかった。
俺には何ができるだろう?
何と言って、あいつを励ませばいい?
何と言って、美坂を励ませばいい?
俺たちは、俺と名雪は、ふたりの為に何かをできるだろうか?
あいつらのそばにいて、ずっとふたりを見てきた友達として...。
−−−−−−−−−−−−−−−
「祐一、受話器握りしめてどうしたの?」
風呂から上がった名雪がリビングに入ってくる。
訝しげな表情。
俺は、ああっとか、おうっとかいう感じの曖昧な言葉を返す。
「誰と電話だったの?」
「秘密だ」
「女の子?」
「ああ、かわいい女の子だ」
ちょっと眠そうな目で俺の頭の上の空間を見ている名雪。
頬に右手をあてて、まるで、空間に書かれている文字を読みとろうとするかのように。
その仕草が、秋子さんにそっくりなのに思い当たって、俺は思わず笑みをこぼす。
「北川君でしょ?」
こいつは、ときどき、本当に鋭い。
「何だって?北川君」
沈黙を確認するように、ちょっとの間、俺を見つめて、
「今日、一緒に帰ったんだよ、北川君と」
視線を外して、そう切り出す。
「そうか」
名雪をぼんやりと見つめながら相槌を打つ。
「言いにくそうだったよ、学校の話」
「そうか」
「でも、早く言わないとダメだよね」
再び、俺に向けられる視線。
「今日、話したらしいぞ、美坂と」
「そうなんだ」
「ああ」
俺は、まだ自分が受話器を持ったままだったことに気づいて、それを電話機に戻す。
「俺たちはどうすればいいんだろうな」
「いつも通りでいいんだよ」
名雪がすぐに答えをくれる。
「いいのか?」
「いいと思うよ」
「わたしと祐一が笑っていれば、きっと香里も笑ってくれるよ」
「香里が笑えば、北川君も笑ってくれるよ」
そう言って、にっこりと笑う。
やっぱり、この笑顔には敵わない。
この笑顔があれば、現実は現実であり続けるようなそんな気分になる。
なぜそんな気分になるのか、その理由は説明できないけれど。
そんなことを思いながら、でも、俺は憎まれ口を叩く。
「名雪はお気楽でいいよな」
「ひどいよ、祐一〜」
−−−−−−−−−−−−−−−
隣の部屋のドアが開く音がして、
階段を降りる足音が続いた。
十分か十五分が経った頃、わたしの部屋にノックの音が響いた。
あれ、階段登る音が聞こえなかったな、と疑問に思いながら、はいっと応える。
そっと、ドアが開いて、お姉ちゃんが入ってくる。
きれいなブルーのチェックが入ったコットン地のパジャマ。
その上に厚手のグレイのパーカーを羽織っている。
まだ顔色が良くない。
「栞、ちょっといい?」
「いいよ」
「何してたの?」
ベッドに腰かけながらわたしの方に視線を向ける。
「宿題だよ」
ふーん、と言って視線を逸らす。
何かを言いたいけれど、言えないときのお姉ちゃんの癖。
すこし、落ち着きのない様子で、わたしのことをちらちらと見る。
ずっと、昔、子供の頃からこうだったよね。
なんか、懐かしくて、こんなに綺麗な女の人になった今でも、そんな癖が変わらないのが
おかしくて。
わたしは、思わず笑いそうになる。
「難しい?」
ほら、まだ切り出せない。
「なにが?」
わたしは少しだけいじわるをする。
「宿題よ」
「簡単だよ、二回目の一年生だからね」
そう言って、笑ったわたしにつられるように、お姉ちゃんも笑顔を見せる。
微笑みが消えるだけの時間が流れて、お姉ちゃんが口を開く。
「栞、私ね、推薦受けるんだよ」
ベッドの端にちょこんと座って、膝のあたりに両手を置いて。
「前から受けようと思ってた大学のね、推薦を受けないかって、担任が」
そう言ってお姉ちゃんが口にした学校の名前を、もちろん私は知っていた。
この街から電車で程近い、大きな街にある大学。
「さっき、母さんと父さんには話してきた」
「お姉ちゃん、この街を出たいんじゃなかったの?」
言ってしまって、”しまった”と思う。
それは、相沢さんがわたしに教えてくれたお姉ちゃんの言葉だったから、
あの寒い冬に、暗い場所にこころを囚われていたお姉ちゃんの言葉だったから。
「ううん、私はここにいたい」
「この場所で、もっといろんなことを考えたい」
「このままここを出たら、なにもかもが中途半端になる、そんな気がするから」
わたしの言葉に隠された事実、それに気づく様子もなく、お姉ちゃんが言う。
「北川さんも同じ大学受けるの?」
その学校にはどんな学科があったかな、そんなことを考えながら訊ねる。
静かに首を振る。
首を振ったあとも黙っている。
ずっと、右手を見つめている。
右手の薬指。
そこに輝く銀の指輪。
ゆっくりと進んできたふたり、お姉ちゃんと北川さん。
お互いのひとつひとつを確認し合うように、
お互いの”かたち”がしっかりとかみ合うために、少しずつ変わりながら。
それは、わたしにとってもうれしいことだったから、
これからも、ふたりはそういう風にゆっくりと進んでいくと思っていた。
ふたり並んで、しっかりと手を取り合って。
お姉ちゃんがここに残る意味、
それに思い当たらない訳ではない。
でも、そんなこだわりは捨ててしまって、
やっぱり北川さんの隣にいるのが、お姉ちゃんにとっては一番幸せなのではないだろうか。
そんな思考に沈む。
お姉ちゃんはまだ黙ったまま。
ぼんやりと自分の右手を見つめている。
「もしかしたら、私は間違ってるのかもしれない」
お姉ちゃんが再び口を開く。
「ふたりの間の距離、共有できない時間、
そういったものに結局は負けてしまうかもしれない」
「でもね」
「私はここにいたいと思う」
「お姉ちゃん、もし、わたしのことを心配してるなら...」
その言葉を途中で遮られる。
「違うよ、栞、これは私のために必要なの」
「私の罪に課せられた罰とか、そんなものじゃなくて」
「栞のそばにいなければ心配とか、そういう思いでもなくて」
「私はここにいて、考えなければいけないこと、自分の中で決着をつけなければいけないことが、たくさんあるの」
静かな声。
”大人の人”を感じさせるような声。
自分の意志に満ちている、確かな声だ。
「それをしないままだと、潤と一緒に歩いては行けないの」
とても弱々しい感じ。
ベッドの端にちょこんと座って、
それに縋るように右手の銀の指輪を見て、
でも、この上なく強い決断。
まぶしいね、
ねえ、お姉ちゃん。
お姉ちゃんが眩しいよ。
「なんだ、残念」
わたしは、言う、明るい声で。
お姉ちゃんがわたしを見る。
「せっかく、うるさいお姉ちゃんがいなくなって、のびのびできると思ったのに」
笑顔をつくる。
お姉ちゃんの表情も変わる、やさしい笑顔へと。
「ありがとう、栞」
−−−−−−−−−−−−−−−
「お姉ちゃんホントに大丈夫?」
真冬を想起させる透明度の高い空。
遙かな高みに刷毛で引かれたような白い雲。
わたしたちの呼吸も白い雲のように凝固して、
でも、冷たい空気が意識の覚醒を促してくれる、そんな初冬の朝。
わたしの好きな冬の朝。
昨日の夜よりはマシだけれど、でも、まだ少し顔色が悪い。
「大丈夫よ、ご飯もちゃんと食べたし」
小さく笑って言う。
「無理しないでね、一応受験生なんでしょ、推薦が決まるまでは」
「そうね、ありがと、栞」
いつものようにふたり並んで、学校に向かう。
そういえば...初冬の道をふたりで歩くのは初めてなんだ。
それぞれの季節を一巡り。
わたしとお姉ちゃんに与えられた機会。
でも、それで十分なんだ。
”お姉ちゃんと学校に行きたい”
その願いが叶ったこと、それぞれの季節を一回ずつ過ごせたこと、同じ学校の中で。
それは、わたしにとって十分すぎるしあわせ。
「よっ、栞、おはよっ」
「また、呼び捨てにする、一応、年上なんだからね、わたし」
途中で追いついた、背の高い同級生。
ひとつ年下の、でも、ずいぶん頼りになる男の子。
「おはよっ、藤井君、今日も背が高いわね」
「おはようございます、香里さん」
声が少しこわばってるかな、お姉ちゃんと話すときは、いくら藤井君でもすこしは緊張するらしい。
藤井君が一番右、真ん中にお姉ちゃん、わたしは、わざと左を歩く。
もうすぐ辿り着く曲がり角、その場所で合流するはずの誰かのために。
ちょっと、藤井君に目配せをする、気持ちは伝わったかな、
お姉ちゃんと話していてね、そんな、わたしの無言のお願い。
「よ、おはよう、香里、栞ちゃん」
いつもの場所で、いつものようなあいさつをくれる、北川さん。
わたしは内心ホッとする。
「なんだ、また、お前も一緒か?」
「おはよう、です、北川先輩」
北川さんの軽口を聞き流して、藤井君が笑ってる。
わたしは、少し歩調を緩める、北川さんの隣に並ぶように。
「そうなんすよ、俺、ずっと暑いところで育ったんで、ここの冬は地獄ですね」
「そう、でも、そのうち慣れると思うわよ」
「だと、いいんですけどね」
二、三歩前を歩くお姉ちゃんと藤井君の会話。
わたしの願いは通じたみたいだね。
照れたような笑顔で話す藤井君のことが、ちょっと気になるけど、それはまた別の問題。
黙ったまま歩いている北川さんに話しかける。
「ねえ、北川さん」
「なんだ?栞ちゃん」
にっこりと笑って言う。
「がんばってくださいね、受験、応援してますから」
小さく頷いて、ああ、と言う北川さん。
「もし、落ちたら、承知しませんよ」
わたしの顔を見て、そこに浮かぶ笑顔を見て、
何かに思い当たったように自分も笑顔を浮かべて、
北川さんがこう答える。
「姉妹揃って厳しいんだな」
「ありがとう」
「きっと大丈夫だと思うよ、俺は」
−−−−−−−−−−−−−−−
昼休みの職員室。
「じゃあ、すいません、そういうことなんで」
「ああ、また何かあったら相談してくれ」
俺は、石橋に軽く礼をして、出入り口に向かう。
手をかけようとしたところで、ガラッと扉が開く。
目の前には驚いた顔の美坂香里。
「どうした?」
「うん、石橋先生に用事があるんだ」
頭の中で何かがサインを発する。
「長くかかるのか?」
「そんなにかからないと思うけど」
「そうか、じゃあ、一緒に飯食おうぜ」
ちょっとの間俺を見つめる。
「待っててくれるの?」
「ああ、いつまででも」
少し笑って、じゃあお願い、と言って石橋の方に歩いていく。
背筋を真っ直ぐに伸ばして、しっかりと前を見て。
−−−−−−−−−−−−−−−
「香里、お昼どうする〜?」
昼休みを告げるチャイム、
授業の終わりの、起立と礼。
立ったままで、いつもと同じ調子で問いかける。
席に座って、教科書とノートを机の中にしまっていた香里が振り向く。
「ごめん、名雪、今日はちょっと用事があるんだ」
「そっか」
視線を移すと、もう祐一の姿は席にはなかった。
”今日の昼は一緒に食えないからな”
朝の通学路で聞いた、そんな言葉を思い出す。
香里が教室を出ていくのが視界に入った。
ふと隣を見る、机に突っ伏したままの北川君。
寝てる、わけじゃないよね、わたしじゃあるまいし。
そう考えて、自分の考えたことが少しおかしくなる。
ちょっとだけ笑ってしまう。
「北川君、お昼食べようよ」
そのままの姿勢で顔だけわたしに向ける。
「昼か?」
「昼だよ」
「食うか?」
「食べよう」
ゆっくり体を起こして、大きく伸びをして、
よしっと、言って、自分のネジを巻くようにそう言って、
勢いよく立ち上がる。
「学食だな?」
笑顔で言う。
「うん」
ふたり並んで廊下に出る。
「またAランチか?」
「だって、もうすぐ食べられなくなるんだよ」
「もう、普通の人の二生分ぐらい食べてる気もするけどな、水瀬は」
「二生分?」
「ああ、一生、二回分のことだな」
「北川君らしくない、つっこみだよ〜」
廊下を並んで歩きながら、いつものように軽口を叩きながら、わたしは笑う。
わたしは笑おう。
この人達とここに居ることができる間は、
みんなが、いつものみんなでいれるように、そのことを願って、
わたしは、いつもの自分で居続けよう。
わたしは笑いつづけよう。
−−−−−−−−−−−−−−−
「推薦の話か?」
ピークの時間を少し外れて、ちらほらと空席のある学食。
俺の向かいに座る美坂に訊く。
えっ?という表情を浮かべて。
「えっと、私、話してないよね推薦のこと」
「ああ、聞いてないけどな、でも、美坂の行きたい学校で行きたい学科に推薦があるだろ、
とすると、お前以上の適任はいないんじゃないか、と思ってな」
「鋭いね」
ふふっと笑って美坂が言う。
「受けたんだろ?推薦」
「どうして、そう思うの?」
「美坂だから」
じっと黙って俺を見て。
「私のことが全部わかるの?」
からかうような口調でそう訊いてくる。
「わかるわけないだろ、俺はお前じゃないからな、ただの類推だよ、今までの行動からの」
「ことわった、わ」
「えっ」
思わず驚きの言葉を漏らしてしまう。
また、うれしそうに笑って、
「くやしいけど、嘘ね、相沢君の推理が正解」
そう言う。
ふうーっと、息を吐いて、
ため息混じりに俺は言う。
「ホントに美坂って、負けず嫌いで、やせ我慢で、」
「かわいくない?」
また、からかうような口調。
「いや、いいよ、そういう美坂」
たぶん、俺の本気、少し俺と似てる部分を持った美坂。
似ているだけに、その中にある、かなしみや、さみしさや、そして、こだわりさえもわかる気がする。
少しだけなら、わかる気がする。
「でも、ダメよ、私のこと好きになったら」
「私には潤が居るからね」
にっこりと笑って言う。
「残念だな」
「そうね、残念ね」
−−−−−−−−−−−−−−−
「なあ、美坂」
教室へ戻る廊下の途中、
隣を歩く美坂に言う。
「大丈夫か?」
俺を見て、視線を移して、前を歩くどこかのクラスの誰かの背中を見て、
そして、もう一度俺を見る。
「うん、大丈夫」
今日、何度目だろう、素敵な笑顔でそう答える。
大丈夫じゃなくても、そう言うんだろう、きっと、美坂ならそう言うはず。
でも、今はその言葉を信じよう。
今は、ふたりの近くに、北川と美坂の近くには俺たちが居るから。
きっと、ふたりも俺たちが居ることをわかっていると思うから。
だから、今は、美坂のやせ我慢に騙されていよう。
いつでも力になれるように、近くでふたりを見ていきながら、
知らない振りをしていよう。
「やせ我慢女」
「何か言った?」
「いや、美坂は綺麗だなって」
ふーん、と言って。
「そう、名雪に言っちゃおう、相沢君が私を口説こうとしてるって」
「美坂はいいな、とか、綺麗だよ、とか言って迫ってくるって」
「いや、それだけは止めてくれ、洒落にならないから」
「やっぱり?」
「ああ、名雪、本気にするぞ」
「それはないと思うけど」
「いや、あり得る」
「あははっ、そうね、涙目になって言うかもね、”ひどいよ、祐一〜”って」
名雪の口調を真似て、美坂が言う。
あははと笑った笑顔がゆっくりと消えて、
真剣な表情で、ひと言つけ加える。
「ありがとう、相沢君」
なにがだ、そう言って、とぼけようかとも思った。
でも、俺は、黙って頷いた。
美坂の表情が真剣だったから、そして、礼を言ってくれる気持ちがうれしかったから。
俺の気持ちが伝わったことが、とても、とても、うれしかったから。
−−−−−−−−−−−−−−−
初冬の夕暮れ。
山の端にかかった雲が、少し暗いオレンジ色を反射している。
校門に向かう生徒達の数もまばらになった、そんな時間。
「ねえ、潤」
「なんだ?」
隣を歩く潤に言う。
「今日、”推薦受けます”って言った」
「そうか、いつだ、試験は」
「来月の中頃だって」
「ま、香里のことだから心配ないだろうけどな、一応、がんばれよ」
「うんっ、がんばるね」
笑う、大きく笑う、また笑えるよ、
みんなが居てくれるから、私たちのことを見てくれているから、
私のことをわかってくれるから。
もちろん、それはホントに本当の私ではないかもしれない、
みんなの作った私のイメージかもしれない。
でもね、私に向けられる気持ちだけは本当だから、
本当なのが伝わってくるから。
だから、私は笑顔になれる。
大好きな人にそれを見せられる。
ありがとう....
【初出】1999/8/27 Key SS掲示板
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