真言宗の仏事作法

仏事の作法は色々有り、宗派によっても変わるので間違わない様に注意が必要です。



一般的な仏壇の祀り方図


真言宗の仏壇の祀り方
先ず、仏壇の構造は段段になっており、一番奥が高くなっております。仏壇の大小によって段段の数も違うかもしれませんが、普通は三段〜四段ぐらいになっているでしょう。その一番奥の高いところが仏様を安置する場所です。中央が本尊、その左右が脇侍(わきじ)の尊です。因みに脇侍の尊は、
本尊から見て右側(仏壇に向かって見て左側)の方が位が上です。よく「右に出る者はいない」などと言われるゆえんです。一般的に、真言宗の仏壇では中央に大日如来を安置します。仏像は掛け軸でも尊像でも構いませんが、出来る範囲で良い御像を調えましょう。次に、向かって左側には不動尊、右側には弘法大師を安置します。【 もちろん、ご自分の尊崇する仏様を本尊として安置しても何ら差し支えはございません。例えば、不動尊を信仰なさっている方なら不動尊を、地蔵尊を信仰なさっている方なら地蔵尊を、観音様を信仰なさっている方なら観音様を本尊として中央に安置されても構いません。 】さて、その仏様を安置してある、一番高い段の所には、何か手すりのような物が設置してありますね。これは俗に「結界」と言い、聖なる世界と俗なる世界を分けている物であります。真言宗のお寺などにお参りした経験のある方ならご存知だと思いますが、その本堂に入ってみると、一番奥の御本尊を安置してある壇(須弥壇)や坊さんが拝む為の壇がある区域と、一般参詣人が参拝する場所は、手すりのような物や帷、または格子状の扉などによって分けられているはずです。この手すりや格子状の扉のような物も結界と言い、その内側を内陣(ないじん)、外側を外陣(げじん)と言います。結界によって仕切られた内陣は聖なる世界であり、外陣より外は俗世と言うことになると思います。という訳で、結界の内側は仏様の聖なる世界と言うことになりますから、仏壇でも、一番上の段の結界より内側は、仏様の領域になります。一般には、先祖に供える物と仏様に供える物がいっしょくたになってしまっている場合が多い様ですが、出来れば、仏様に供える佛飯とお茶湯、先祖に供えるご飯とお茶湯は分別してお供えした方が良いと思います。(なお、ご飯とお茶湯の位置は左右どちらでも良いです。気にしなくても大丈夫です。)と言っても、仏壇のスペースは限られたものですから、供物を完全に分ける事は不可能です。
出来れば、仏様にお供えする佛飯やお茶湯などはこの結界の内側に置き、その他の果物や菓子などは、結界の外にお供えする時に心の中でこれは仏様に、これはご先祖様にと念じてお供えすればそれで良いと思います。また、ご先祖などの位牌は当然結界の外に安置し、その付近ににご飯やお茶湯を置けば良いでしょう。さて、花やローソク立て、香炉(線香立て)等の配置ですが、上図の如く置いていただければそれでいいです。また、スペースが足らなくて花とローソク立てを一つづつ置きたい時には左燈右華(さとううけ)と言いまして、本尊様の方から見て左側に灯火を右側に花を置く事になっております。(向かっては逆になります。当然の事ですが…。)【 余談ですが、この様に仏壇などを飾り付ける事を「荘厳」(しょうごん)と言います。 】また、打ち鳴らしの金等をよく仏壇の中においてあるのを見ますが、掃除のときなど、仏壇を閉じてかたづけてしまう時はそれでも良いですが、普段仏壇を拝む時などには適当な位置に出しておいた方が良いと思います。それから、仏壇の前には「経机」を置いてあるご家庭がほとんであると思いますが、「経机」とは読んで字の如く、仏様を拝む時にお経本を置く為の物ですから、この上には線香立てやローソク、打ち鳴らしやマッチなどは
置かない方がよいでしょう。経本専用です。数珠ぐらいは構いませんが…。真言宗の仏壇の祀り方としては大体上記のような形になると思いますが、
絶対にこうでなければならないということではありません。最も大事なのは真心を込めて出来る限りでお祀りをするという事です。いくらお金をかけた立派な仏壇であっても、また形や儀則にのっとった祀り方をしていても、そこに祀り手の真心が籠っていなければ、仏様はお喜びにはならないと思います。

葬儀のしきたり及び式次第

◆真言宗の葬儀の意味
 「阿」は梵字で書かれ、大日如来とその生命を表します。つまり、葬儀は大日如来の阿字へ還ることを示します。したがって、亡者【もうじゃ】(死者)を宇宙生命の本源である大日如来の大生命に包まれている弥勒菩薩の浄土へ還帰させることが葬儀の精神になります。
*浄土はまた「密厳浄土「密厳華厳」「華厳世界」などとも呼ばれます。このため葬儀式は、即身成仏【そくしんじょうぶつ】(この身このまま仏になること、身・口・意【しん・く・い】が行者【ぎょうじゃ】と仏において一体となることで、このための修行が三密【さんみつ】です)への引導作法として示されます。
 剃髪【ていはつ】、授戒【じゅかい】、戒名の授与までが前段階で、大日如来そのものへ導く準備段階の作法です。それ以降が後段階で、大日如来との一体感、つまり永遠の生命との一体感に関わる作法となります。亡者に真言の教義を教え、一刻も早く仏弟子にする(速疾成仏【そくしつじょうぶつ】)ということで、お経は微音で速めに読まれます。真言宗は古義真言宗【こぎしんごんしゅう】と新義真言宗に大別され、葬儀の根本思想に大差がないものの、高野山真言宗は古義真言宗で、引導法の基軸を即身成仏に浄土思想を付加して据えているという違いがあります。実際の葬儀の進行は、宗派だけでなく、地方によっても異なります。以下は高野山真言宗で一般的とされるものです。

◆臨終と通夜
 枕経は、本来は臨終に際して行うものとされ、
(1)亡者の成仏を勧める『般若理趣経【はんにゃりしゅきょう】』を読誦し
(2)「慈救の呪【じくのしゅう】」を唱えて悪魔を祓い
(3)阿弥陀如来の『陀羅尼【だらに】』
(4)『光明真言』
(5)御宝号【ごほうごう】(「南無大師遍照金剛【なむたいしへんじょうこんごう】」)を唱えます。 死者には清浄な衣服を着せて左手に念珠を持たせて合唱の姿にします。一筋に成仏に向かう意味で
線香は1本です。(通夜と49日の法要が済むまで1本だがその他は3本)
 納棺にあたっては遺体を土砂で加持【かじ】し(加持された土砂を棺に入れること)、『光明真言』を唱えながら納棺します。 通夜では、
(1)『理趣経』
(2)「慈救の呪」
(3)『光明真言』
(4)御宝号を唱えて亡者の霊を慰め
(5)通夜法話が行われます。

◆葬儀式
 葬儀式の式次第を次に示します。一部省略されたり、順が変更されるなどのことがあります。

1.洒水【しゃすい】加持された法水を注いで亡者の心身を浄める。
2.加持供物【かじくもつ】仏前の供養を加持して浄める。
3.三礼【さんらい】三礼文を唱えて仏法僧を礼拝する。
4.剃髪 剃刀を執って偈を唱える。
5.授戒【じゅかい】十善戒(仏道修行者が行うべき10の徳目)あるいは五善戒を授ける。 三帰三竟、十善戒(あるいは五善戒)、発菩提心真言(はつぼつだいしんしんごん)、三昧耶戒真言(さんまやかいしんごん)の順。
6.授戒名【じゅかいみょう】亡者に戒名を授ける。脇僧はこれより『前讃』『理趣経』の読経に入り、10.まで並行する。
7.表白【ひょうびゃく】本尊大日如来をはじめ諸仏諸菩薩に対して亡者への功徳を乞い願う。
8.神分【じんぶん】大日如来、阿弥陀仏、弥勒菩薩、観音菩薩、閻魔法王などの名を唱えて、その降臨を感謝し、亡者の滅罪、生善、成仏を願う。
9.教化【きょうけ】亡者が即身成仏の生覚を得るために、その開発、教化を諸仏に願う。
10.引導の印明【いんどうのいんみょう】印契(手の形や組方によるさまざまな意味を表す)を結び、真言を唱えることによって大いなる功徳が与えられるとされるのが印明である。ここで臨終の大事を授ける、不動潅頂の印明、弥勒三種の印明などを授け、理趣経十七段総印明を結び唱える。(脇僧の読経、ここで一時中断)
11.破地獄の印明【はじごくのいんみょう】亡者の心内の地獄を破砕する。
12.五鈷杵授与偈文【ごこしょじゅよげもん】本来は生前に結縁潅頂(けちえんかんじょう)を受法するのであるが、その代わりに如来の五智を表現する五鈷杵(ごこしょ)を授けて潅頂とする。

13.金剛界胎蔵秘印明【こんごうかいたいぞうひいんみょう】 真言を受ける。
14.大師御引導の大事偈文【だいしごいんどうのだいじげもん】 弘法大師による引導の印明、偈文を授け即身成仏の境地に引導する。真言宗引導の中心。
15.開眼の印明 仏眼の印明により亡者を加持し、位牌を開眼する。
16.授血脈【じゅちみゃく】大日如来から弘法大師に至る系譜の後に導師名、亡者戒名を加え、真言密教の師資相承(ししそうしょう)の血脈を授ける。
17.六大の印明【ろくだいのいんみょう】地、水、火、風、空、識の六大縁起による生命の境界を与えて引導を授ける。
18.諷誦文【ふじゅもん】引導作法の後に導師により読まれる、亡者の生前の功績と徳を讃え、その成仏を願う文。
19.弔辞
20.弔電
21.焼香 焼香は、戒香、定香、解脱香の3つを仏法僧の三宝に捧げる意味で3回行う。同時に読経が行われる。後讃では鉢をつき「阿弥陀如来根本陀羅尼」(弥陀の来迎を願う真言)、『光明真言』「御宝号」「舎利礼」「回向」を唱えて読経を終える。
22.祈願 亡者が都率浄土へ往生するよう祈願する。
23.導師最極秘印【どうしさいごくひいん】弾指三度(指を3回弾く)して亡者を都率浄土へ送る印契を行い、葬式を終える。
24.出棺 火葬場では、「舎利礼」『光明真言』を唱える。


葬儀のしきたり及び葬儀の常識ごと
1、喪 服

●通夜の会葬者の喪服
通夜の服装は、男性は黒の略礼服が多くなりました。また黒っぽいスーツを着ている人も見かけます。これは通夜は急いで駆けつけるという意味もあって失礼にはなりません。
女性は黒っぽいワンピースかツーピース。和装なら紋つき羽織を着けています。

●葬儀・告別式の会葬者の服装
遺族や近親者、世話役代表(葬儀委員長)は、正式の喪服を着用しますが、その他の一般弔問客は略式の喪服でよいでしょう。略式の揚合、男性はダークスーツに黒ネクタイ、黒の靴下でよいでしょう。
女性の場合、黒のワンピースかツーピース、和装なら黒の一つ紋の着物、帯やハンドバックなども黒の物を用います。アクセサリーはつけませんが、真珠ならかまいません。
喪章は、遺族が喪に服していることを示すものですから、世話役などで喪家側の人間としてお手伝いする場合にはつけますが、一般の会葬者は着けません。

●学生、子どもの服装
学生は、男女ともに制服が喪服となります。なければ黒または地味な服装(グレーなど)に、腕章を右腕に巻くか胸に喪章かリボンをつけます。靴は黒、靴下も黒か白いものを使用します。また真夏には、男子なら白のシャツに黒ズボンと黒靴、女子なら白のブラウスに黒のスカート、黒靴がよいでしょう。

●喪主の喪服(通夜)
通夜には喪主や遺族も正式喪服ではなく、略式にしています。男性は黒のスーツに白のワイシャツ、黒のネクタイと黒の靴下です。和装では少なくなってきましたが、黒っぽい無地の小紋の着物に、一つ紋か三つ紋の羽織、袴をつけます。
女性の場合は黒無地のワンピース又はツーピース。和装なら、黒無地か地味な無地のものにします。

●喪主(男性)の正式喪服
和服の場合、黒羽二重の染抜き五つ紋付きに羽織袴で、慶事と同じ装いです。袴は仙台平で、帯は角帯。下着の衿は羽二重で、白、ねずみ色などを用います。下着の衿は弔事には重ねません。足袋は白が正式ですが、地方によっては黒が用いられています。
洋装の正式喪服は、黒のモーニングに黒のネクタイです。チョッキはシングルで、上着と共地です。ズボンは縞柄で、裾はシングルです。モーニングは昼間の礼装ですので、通夜では黒のスーツがよいでしょう。

●喪主(女性)の正式喪服
和装の場合、関西では地紋のない縮緬、関東では羽二重に染抜きの五つ紋をつけた黒の無地が正式とされています。夏の喪服は、あわせと同じ五つ紋付きの黒無地で、六月と九月がひとえ、七、八月は絽が正式とされていますが、最近では六月から九月まで絽で通すことが多いようです。帯は、絽か紗の黒の名古屋帯が一般的です。
洋装の正式喪服は、黒無地のワンピース、スーツ、アンサンブルです。ボタン、バックルは、共布か光沢のない共色にします。黒は飾りのない黒のパンプスが正式です。アクセサリーは結婚指輪以外はつけないのが本来です。

●法要の服装
忌明け法要などには、喪服に近いものを着ますが、一周忌、三回忌と回を重ねるにしたがって、喪の表現は少なくしていくのが一般のしきたりです。
一般的には地味な平服で差し支えありません。男性はダークスーツにネクタイ、靴下も派手なものでなければ、黒にそろえる必要はありません。女性は、色無地の着物に黒帯か、洋装なら黒でなくとも、地味なワンピースやスーツならよいでしょう。アクセサリーは目立たないものにします。
おおよそ三回忌までは略式喪服を着るようにするのが無難でしょう。
※ホテル、料亭で法要を行う場合には、地味なスーツで出席する人がふえてきました。

●いわれ
喪服は凶服ともいわれ、父母・妻子、親戚等の「忌服」の間は、喪服を着ることが定められていました。「忌服令」にある「服」とは喪服を着るべき期間のことで、服者は神事に携わることは禁じられ、また公事にも参加できませんでした。服喪期間がすぎて、これを脱ぐことを除服といい、河原や門前で行ないました。このように、もともと遺族のみが喪服を着ることが義務づけられており、一般会葬者は喪服を着る定めはなかったのですが、大正後期から、一般会葬者も喪服を着用するようになってきました。また遺族も喪の期間を通して着服することはせず、葬儀の時にのみ喪服を着るように変わってきました。

2、数 珠(念珠)

<現 状>
数珠は葬儀や法事などの仏事に持参するもので、一般に一連、単念珠が多く用いられています。
材質は透明な水晶や色の美しい珊瑚、渋い色の香木などがあります。
普通数珠は、持っている場合左手首にかけるか、房を下にして左手で持ちます。合掌の時には、両手の親指以外の指を輪の中に入れ、親指と人差し指で支えるようにします。
「上記の数珠作法は(真言宗信徒でも本連念珠を使用しない時)他の宗教及び仏教一般の作法です。」

次に真言宗の信徒の数珠の作法を説明します。高野山真言宗及び真言宗信徒は数珠を念珠と呼び、108個連ねてあるのを「本連」といって正式な念珠です。念珠は母玉と緒留の間に片側に54個、もう片側に54個の玉を連ねてあるのです。念珠のつかい方ですが、まず、母玉を右手の中指にかけ房を手のひらの内側に入れます。次に緒留を左手の人差し指にかけ房を手の内側に入れる。そして軽く2〜3度すってから念珠を左腕に一匝にして掛けて手を合わせます。手に持つときは二匝にして持ち、置く時は三匝にして母玉を上にして置く様にします。

●宗派と数珠
宗派によっても数珠の形が異なりますが、略式のものなら、各宗共通に用います。真言宗の念珠は振分数珠と呼ばれ、八宗用に用いられることがあります。一般信者用としては、片手数珠が多く用いられています。
●男性用と女性用
市販の数珠には男性用と女性用があり、珠の大きさや色が違っています。

●用い方
数珠を両手にかけ、親指で押さえるのが一般的です。焼香の時手のひらの中で数珠をこすりあわせます。
●いわれ
数珠は古来ヒンズー教のバラモンが儀礼用に用いていたもので、現在もヒンズー教徒の間で用いられています。その後、密教僧が用い始め一般仏教徒も用いるようになりました。数珠は「念珠」ともいい、念誦する題目などの数を記憶するために用いられました。念珠の珠の数は、人間の百八の煩悩を表しています。従ってもとは百八個の珠をつないでいましたが、百八では長すぎるので、二〜四分の一に省略して用いられています。日本に数珠が入ってきたのは天平八年(736年)、天竺僧の菩提仙那が来朝の際、天皇の献納品の一つであったといいます。

3、焼香の作法(抹香・線香)

<現 状>
通夜では、僧侶の読経中に焼香するケースが多く見られます。焼香には、立礼の焼香、座礼の焼香がありますが、作法は少し異なります。

●立 礼
立礼の場合、順番が来たらまず焼香台の前に進み、遺族と僧侶に一礼し、続いて身を正して頭を下げてご本尊に合掌拝礼します。そのあと焼香合掌し、最後にもう一度拝礼し、前向きのまま祭壇から2、3歩退いて元の席に戻ります。(但し縁台等の立礼では、2、3歩退く事はしません)

●座 礼
座礼の場合にも腰をかがめて祭壇前にすすみます。喪主に一礼してから前に進み、祭壇に向かって頭をさげます。次に膝で前へ進み遺影に向かって合掌してから抹香を右手に取り焼香します。そのあと再度合掌し、喪主に一礼して立ち上がってから退きます。

●回し焼香
式場が狭い時には、香と香炉を盆に乗せて回し焼香を行ないます。この時、本尊の方角に礼をし、香をつまんで焼香を行ない合掌礼拝して、隣の人に回します。

●宗派による違い
焼香回数は宗派で規定しているところがあります。真言宗では焼香3回、線香も3本立てます。
身・口・意の三業を清めるのがその理由です。また真宗では、焼香に際して香を額におし戴きません。

●線香での焼香のしかた(座礼)
線香のあげ方は宗派によって違います。離して3本の真言宗。 但し、通夜や49日までは一本。
焼香の際には、霊前まで進みます。そして喪主に一礼をして、祭壇に向かって合掌をします。このあと、線香を取りローソクで火をつけます。このとき炎は手であおいで消します。息をふきかけて消すのは禁物です。そして線香を香炉に立てます。ここでもう一度合掌してから、そのまま後ろにさがります。最後に遺族に一礼をして、自席にもどります。

●いわれ
焼香は仏教儀礼につきもので、釈尊在世当時から行なわれていました。日本には、推古天皇(628没)の御世に淡路島に香木が漂着したと『日本書紀』に記されています。唐の鑑真和尚(753来朝)が仏典とともに、香木を携えてきたというのが香流行のはしりといえます。香は特に夏など部屋の臭気を消すために用いましたが、神仏の食料ともいわれ、高価なために珍重されました。

4、香 典
<現 状>
香典は葬儀に出席する場合に、香典袋に入れて通夜、あるいは葬儀の時に持参します。香典金額については、身上の者に相談したり、あるいは最新のデータなどを取り寄せて参考にするケースが多いようです。

●香典を持参する方法
地味な色の袱紗(ふくさ)に包むようにします。
袱紗は、直接ポケットやバッグに入れても、香典袋が折れたりしわにならないようにするためです。
台付袱紗で台の色が赤いものは慶事用ですので、気をつけましょう。
袱紗に包むときは、つめを左側にして中央に香典をおき、右、下、上の順にたたみます。

●差し出し方
香典は袱紗に包み、受付で表側を上にして開きます。そして香典は表書きの名前を相手側に向けて差し出します。そのあと会葬者名簿に記帳します。通夜などで受付が設けられていない場合には、祭壇に供えます。その際香典の表書きはこちら向きになるように置きます。通夜と葬儀両方に出席する場合には通夜に持参します。
●香典袋の折りたたみ方
香典袋を折る場合には不祝儀袋ですので、左手前に折るのが正式です。裏面は上側が下の折られた紙の上に重なるようにします。香典に用いるお金は新札を使いますが、あらかじめ準備してあったことを嫌い、一度折り目を入れて用います。

●香典額
香典金額は、故人との親しさの程度や土地の慣習、故人の社会的地位などによって違います。親戚関係では、両親が死亡したときは10万円、兄弟のときには3〜5万円ぐらいです。近所づきあい程度の場合ですと、隣組などで一軒5,000円。親しい間柄で、最低5,000〜10,000円が普通でしょう。

●香典の郵送
香典を郵送されるときは、現金を不祝儀袋に入れ、お悔やみ文を同封して官製の現金封筒に入れて送ります。

●いわれ
香典は死者に香をお供えする代わりに、金銭を差し出すという意味がありました。また昔から葬儀の時には色々と費用がかかるため、地域の人が助け合う目的で米や食物などをお供えし香典としました。
香典の「典」は本来は尊い書物(仏典など)の意味があり、香奠の「奠」の字は神仏に物を供えて祭るという意味があります。


5.表書き
<現 状>
香典や布施の表書きは、儀式を行なう宗教(仏式・キリスト式等)によって異なりますし、また葬儀・法要によっても異なります。現在市販されている不祝儀袋には、あらかじめ表書きが印刷されている場合がありますので、これを使用される方が多くなりました。

●書く位置
水引きラインからわずかに下がった中央に氏名を書き、裏面の左端に金額と氏名・住所を書きます。
中袋に書くときは、表中央に金額、裏面左端に住所・氏名を書きます。
住所は、受け取られた方が記録をつけますので、必ず記します。連名の場合、表に氏名を書くのは3名までで、右側に目上の人の名前を入れます。
人数がそれ以上の場合は「○○課一同」「○○会一同」などと書き、全員の住所・氏名を別紙に書いて中包に入れます。合同慰霊祭など死者が複数の場合には、だれ宛ての香典か分かりませんので、上段の右上に故人の名前を書いておきます。

●名刺を使用する場合
故人と仕事関係などで遺族には面識のない場合に、名刺を不祝儀袋の表面(水引より下部)に貼ることがあります。


●表書きの種類
葬儀の不祝儀袋の表書きまたは「御霊前」は、各宗教に用いることができます。仏式の葬儀には「御香袋」「御香典」とします。

●僧侶へのお礼の表書き
仏式では白の包に水引きをかけ、「御布施」と書きます。
●心づけの表書き
霊柩車の運転手など、心づけを渡す場合には、白の封筒に「寸志」と書きます。また葬儀を手伝って頂いた方には「志」とします。

●仏式の表書き
仏式では「御霊前」「御香典」「御香奠」が一般的です。



6、友 引

<現 状>
葬儀の当日が「友引」にあたると、友引の翌日に葬儀を行なう習慣があります。
そのため、葬儀の前夜に「本通夜」を、その前夜には身内だけで「仮通夜」を行なうことになります。
現在「友引」に葬儀を行なわないという習慣は、多くの人が守っています。

●火葬場の現状
全国的にみて、友引には火葬場が休業する地域があります。そうした地域では友引明けの日に、火葬場が普段よりも混み合い、場合によってはその日に火葬を行うことが出来ないこともあります。
現在では火葬場での火葬を予約し、それから葬儀の日程を決めることがあります。

●いわれ
「友引」はその日に葬儀を行なうと、友を引き寄せて一緒に冥土に連れて行くという、迷信から起こった風習です。
これは先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の順序で循環する六曜の一つで、旧歴正月の1日が「先勝」、2月の1日から「友引」を当てて、6日ごとに循環する仕組みです。
本来の「友引」の意味は、孔明六曜星では「相打ち共引きとて、勝負なしと知るべし」
とされ、引き分けの意味で悪い意味はなかったのですが、葬送の凶日凶方を知る「友曵方」とが、混同されて信じられたものといいます。
その他の説では、1716年(亨保元年)に表された『暦之抄』の中に、辰・巳・午の日には葬儀をしてはいけないとあります。これとは逆に二十八宿における「昴」と「ともぼし」が葬送にふさわしいとされています。六曜の名称が今のような形になったのは、江戸時代末で、それが普及したのは幕末の頃と言われています。



7、神棚封じ

<現 状>
家族の誰かが死亡した場合、死の忌みを嫌う神棚には、白の紙を貼って封印することを「神棚封じ」といいます。この神棚封じは、最近では家の者が行なうようになりました。この白の紙は忌明けまで貼っておき、忌明けとともに取り除きます。この間、神棚は閉ざされていますので、普段のお祭りは中断します。

●仏壇の場合
葬儀や忌明けまで、ところによっては仏壇を閉ざすところもありますが、仏教では神道のように死者を汚れたものと見做すことはありませんが、仏壇を閉ざす所もあります。
浄土真宗や日蓮正宗では仏壇の扉を閉めませんが、他の宗派では閉めている場合が多いようです。
また中陰の期間中はお位牌は中陰壇に祭られますので、そちらでの供養が中心となります。

●いわれ
昔から神道では死や出産などを汚れとして取り扱いました。
かつては死者のために喪屋をつくり、出産にさいしては産屋を設けて、そこに隔離されました。
江戸時代後期の国学者、平田篤胤(1843没)は、「家のなかがけがれるときは、神棚もけがれるのは、やむをえないことである。私の家では父母の喪であれば50日、祖父母の喪であれば30日の間、神拝をやめます。忌明けには身を清めて、そのあと礼拝します」と記しています。

8、末期の水
<現 状>
死にゆく者に対して、家族が枕元に寄って順番にその口許を水でうるおすことを「末期の水」あるいは「死(に)水」をとるといいます。新しい筆か、箸の先に脱脂綿を巻いて糸でしばり、それに水をふくませて、軽く口を湿らせます。この作法は、本来死者の命が蘇ることを願って行うもので、死者に何かをしてあげたいという遺族の心情にふさわしい儀式といえるでしょう。
かつては臨終の間際に行なわれるものでしたが、現在では息を引き取ったあとに行います。

●死(に)水をとる順序
死水をとる順序は一般に喪主、そして血縁の近い順とされています。
最初は配偶者、次に子、そして故人の両親、兄弟姉妹、子の配偶者、孫の順となります。
■死水をとるのは、ご遺体が病院から自宅に帰ってきて、布団に安置された直後に行われます。
■家族がそろっているとよいのですが、揃っていない場合には、揃うのを待って行うことがあります。
■道具は箸の先に脱脂綿を巻き付け紐で縛り、それに水をふくませて唇を湿らすのです。
■脱脂綿の代わりに、しきみや菊の葉に水をつけ、それで死水をとることもあります。

●いわれ
仏典『長阿含経』の中に「末期の水」の由来となる話がのっています。
「末期を悟られた仏陀は弟子の阿難に命じて、口が乾いたので水を持ってきて欲しいと頼んだ。
しかし阿難は河の上流で多くの車が通過して、水が濁って汚れているので我慢して下さいと言った。
しかし仏陀は口の乾きが我慢できず、三度阿難にお願いをした。そして『拘孫河はここから遠くない、清く冷たいので飲みたい。またそこの水を浴びたい』とも言った。
その時、雪山に住む鬼神で仏道に篤い者が、鉢に浄水を酌み、これを仏陀に捧げられた」とあります。これが仏典にある「末期の水」の由来です。

9、北枕と枕飾り
<現 状>
病院から自宅に遺体をお運びしたら、布団に寝かせます。敷ぶとんは一枚、その上にシーツをかけ、掛けぶとんは一枚にします。安置する場所は仏間あるいは座敷で、故人の頭を北に向けて安置します。
この時、故人の身体にドライアイスを目立たないように使用します。顔には白布をかけ、両手を胸の当たりで合掌させ、手には数珠をもたせます。事情によって北枕に出来ないときには、西枕にします。

●枕飾り
遺体を安置したあとには「枕飾り」を準備します。故人の枕元に、白布をかけた小机を置きます。
その上に
(1)ローソク立て、
(2)香炉、
(3)花立ての三具足の他、
(4)鈴(りん)
を用意して下さい。花立てにはシキミや白菊を飾ります。これを俗に「一本花」ともいいます。
そして線香立てやローソク立てには、それぞれ線香、ローソクを立てて火をつけます。
線香とローソクは消えないように、遺族の人が交替で見守っていてください。

●枕飯、枕団子、守り刀
「枕飯」は故人の使った茶碗を用意しご飯を山盛りにし、その上に箸を一本を立ててお供えします。
「枕団子」を作り、白紙を敷いた三方に供えます。
また故人の枕元か胸の上に、葬儀社で用意した「守り刀」を置きます。

●北枕のいわれ
仏典『涅槃経』に、
「その時世尊は右脇を下にして、頭を北方にして枕し、足は南方を指す。面は西方に向かい」
とあるように、釈尊が入滅されたとき、頭を北にし顔を西に向けられた姿を故事に由来します。
この頭北面西は古くから伝わっており、法然上人の伝記のなかにも、「建暦二年、正月二十五日遷化。…頭北面西にしてねぶるがごとくにしておわり給いにけり」とあります。

●枕飾りのいわれ
枕飾りのローソクの光は仏の光明を意味し、線香の煙は仏の食物を意味しています。又灯りは死者が迷わないように道を照らすという意味があります。「一本花」に用いるシキミは、神の意志の先触れをするとされる木で、その実が毒のため、「あしき実」からシキミと呼ばれるようになったといわれています。大変に生命力の強い木で、魔除けにもなるので昔から墓などにも植えられました。
「枕飯」は、食物が肉体を養うならば、魂も養うという考えから、魂の形である丸形にして供えます。これは死者の依代(よりしろ)と考えられています。
「枕団子」は、釈迦が入滅したときに無辺身菩薩が香飯を捧げた故事に基づいています。また地域によっては、死んでから善光寺に行くための弁当という信仰があります。
枕団子の数は六個が多く、これは六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六世界)を巡る象徴で、六文銭を死者が身につけていくのも同じ考えの現われです。
「守り刀」は邪霊を払うために用いると言われています。また武士が死んだとき、枕元に刀を置いた名残りともいわれています。

●枕団子の作り方(11個の場合)
上新粉(米の粉)をぬるま湯でかためによく練ります。
(1) 直径3センチくらいの団子を11個作ります。
(2)小皿を用意します。
(3)皿の真ん中に一個置き、その回りに6個置きます。
(4)7個の上に3個置きます。
(5)1番上に1個置きます。
(6)5分程度蒸して完成です。


10、逆さごと

<現 状>
葬儀に関係するものごとでは、通常の逆に行なう「逆さごと」というものが行なわれています。
例えば死者の衣装(帷子)を左前に着せる。枕元に屏風をひっくり返して立てる「逆さ屏風」。
水にお湯を注いでぬるくする「逆さ水」。死者のふとんを天地逆さにする「逆さ布団」といった作法が残されています。

●いわれ
死という異常事態に対処するために、古来よりさまざまな工夫がなされてきました。
それは死を生者の領域から隔絶させるための演出というべきもので、それが「逆さ事」という形であらわされました。
また死者の世界はこの世とは「あべこべ」になっていると考えられ、例えばこちらの昼が向こうでは夜ということは多くの民族で信じられていました。
そこで、かつて葬儀が夜行なわれたのも、死者が向こうに渡るのに、明るいのがよいというので、こちらでの夜に葬儀を執り行なったといいます。


●逆さごとの風習
納棺時に足袋を右左逆にはかせたり、洋服の裾を顔の方に、着物の襟を足元に掛けるという「逆さ着物」は、最近でもよく行われている風習です。
◎逆さ水=水にお湯を注いでぬるくします。湯灌の際などに行います。
◎左前=死者の着物のあわせを「左前」にします。
◎逆さ屏風=枕もとに屏風を逆さに立てます。

11、死装束と納棺
<現 状>
納棺は死亡したその日のうちにすませるのが普通で、枕経が終り、祭壇の飾りつけが終わった後に納棺され、納棺後のあとに祭壇の手前に安置されて通夜を迎えます。そののち告別式が終了した時点で棺が遺族の前で開かれ、最後の対面になりますが、ここで花や副葬品が納められてから棺の蓋が完全に閉ざされます。

●死装束
納棺に先だって、故人に白いさらしの経帷子(死装束)を着せます。経帷子は手甲や脚絆、そして白の頭陀袋から組み合わされています。
これを着せるにあたって、遺族の手で行なうことが大切です。経帷子は左前に合わせ、手足には手甲、脚絆をつけます。足袋をはかせるときには、こはぜをとり、わらじを履かせます。頭には白の三角布をつけ、手に数珠を持たせ、首から六文銭の入った頭陀袋をかけます。

●納 棺
納棺の方法は、棺の底に薄手の蒲団、または白木綿を敷きます。次に死装束をつけた遺体を、遺族が全員でささえながら仰向けにして棺の中に入れます。手は合掌させて数珠をかけます。そして棺に蓋をしますが、出棺の時まで釘でとめることはしません。

●副葬品
出棺に先立ち、故人の棺のなかに入れるものとして、頭陀袋、杖、経典。あるいは生前愛用したタバコ、そして生花などがあります。
故人にもたせる杖は、ふだんとは逆に、太いほうを下に細いほうを手元に入れます。
女性の副葬品には櫛、カンザシなどがありますが、火葬のときに酒瓶や手鏡など燃えないものは禁じられています。

●いわれ
経帷子(きょうかたびら)、つまり経文を書いた衣を着せる起源は、もともと真言密教の説に基づいています。ダラニ(梵語の文句)の威力によって、これを身に帯びるなり衣に書けば、死を迎えるときにも心が乱れず、一切の仏が現われて慰めるという「ダラニ経」の一説から来ています。
経帷子に書く書式は宗派によって異なります。


12、戒名・法名
<現 状>
仏式の葬儀を行う場合、故人にはその人にふさわしい戒名(浄土真宗では法名といいます)がつけられます。住職に葬儀の勤行をお願いする際、戒名のお願いもいたします。
また院号などを付ける場合にはあらかじめ、それをお願いしなくてはなりません。
戒名は宗派によってその構成が異なっていますので、故人の宗派を間違えないようにしなければなりません。故人の宗派がわからない時や、菩提寺が離れている場合には俗名のままで葬儀を行ない、改めて墓や遺骨を管理する寺院にお願いすることもあります。

●戒名の位階など
 <院殿号>
昔なら天皇や大名に限られた最上位の名称。
現代では信仰が深く寺に貢献した人や、社会に尽くした人に授けられます。
 <院 号>
院殿号に次ぐ位で、昔なら奉行や役付きの侍などに授けられました。現代では、
やはり寺院や社会に貢献した人が対象となります。

 <居士・信士(大姉・信女)>
一般庶民に授けられる名称。

 <童子(童女)>
子供に授けられる名称。

 <孩子(孩女)>
赤ちゃんに授けられる名称。


●宗派による戒名
浄土宗は誉号といって五重相伝を受けた人に授けられ「誉」の字が用いられます。
浄土真宗は戒名のことを法名といい、男子(釈)、女子(釈尼)を用います。
日蓮宗は日号といって男子は「日」を、女子には「妙」の一字が贈られます。
なお天台宗の位牌には、戒名の上に新円寂と記されたり、真言宗では
梵字が記されたりすることがあります。

●いわれ
戒名は本来生前出家して、師の僧から戒を授けられるときに与えられる名前で、法名、法号ともいいます。日本では継体天皇(530没)の頃の渡来人、司馬達等のむすめが、584年、慧便の弟子として出家し慧信尼という戒名をさずけられました。(『日本書紀』敏達天皇より)
日本では奈良時代に鑑真によってつくられた三戒壇、またのちに比叡山につくられた円頓戒を受けた者が正式な僧とされ、葬儀で死者に授けるのは結縁受戒といいます。

13、位 牌

<現 状>
位牌は故人の戒名(法名)を書いた板で、通夜式や葬儀の際には白木の位牌を祭壇に飾ります。葬儀が終了しましたら、この位牌は遺影とともに火葬場にお持ちします。火葬がすみましたら、遺骨と一緒に後飾り壇に安置し、初七日法要を行います。なお忌明け法要には、白木の位牌とともに塗位牌(本位牌)を使用します。

●塗り位牌の準備
忌明け法要までに塗位牌(回出し位牌)を準備します。仏壇は、できれば法要までに購入して、開眼(かいげん)供養もあわせて営みます。
忌明けに、白木の位牌を塗位牌か、回出し位牌にかえます。(回出し位牌には、戒名を書いた板を複数入れることが出来ます)

●いわれ
位牌はもともと中国が発祥地で、儒教では死者の依代(よりしろ)である木主が用いられました。これを宋の時代に禅僧が日本に持ち込み、仏式の位牌として用いられるようになりました。
位牌が一般に普及したのは江戸時代で、檀家制度が確立してからです。

14、通夜

<現 状>
通夜には遺族・親類縁者が集まって、故人の番をしながら静かに最後の夜を過ごします。最近では半通夜といって、夜6時頃より一時間ほどの通夜式を行ないます。
自宅で通夜を行なう時は、受付の人をきめて弔問者の名前を記帳していただく用意をします。
また通夜式が終わったあとには、弔問者一人一人に通夜粗供養品等をお渡しするために、あらかじめ人数を予測してその分を用意します。

●通夜式
開始時間とともに僧侶が入場し、読経が始まります。通夜の席次は祭壇の右に喪主、遺族と関係の深い者から並びます(式場によって異なることがあります)。
読経が始まり、喪主より順に焼香を行ないます。
一般焼香が終わりましたら、最後に喪主はお礼の挨拶を行ないます。そして通夜ぶるまいに入ります。

●通夜ぶるまい
通夜ぶるまいは、通夜式のあとにお礼と供養を兼ねて、弔問客に料理を施すことを指します。
最近では簡素化されて料理も寿司、サンドイッチなどを大皿に盛って、めいめいに取っていただく形式がふえています。

●いわれ
通夜はもともと故人の蘇生を願うために、夜を徹して故人の生前の徳を讃え、みんなで飲んだり踊ったりして夜を徹してすごしました。死者を交えた饗宴は世界各地にその例が見られます。
アイヌでは死者のために団子や酒を供え、客を呼んで宴を張ります。通夜に共通することは夜眠らないということで、そのために酒などを飲んで陽気にさわぐというのがその理由です。


15、骨あげ

<現 状>
火葬場では火葬炉に棺を安置したあと、読経、焼香をします。点火したあと火葬には約一時間半ほどかかりますので、遺族の方は控え室で待ちます。時間になりましたら、再び炉の方に戻って、遺族の方々による
「収骨」あるいは「骨あげ」を行ないます。収骨には竹ばしを用い、二人一組になって一片ずつはさんで骨壷に納め一度拾ったら次の人に渡します。
この儀式を「はしわたし」といい、亡き人をこの世からあの世に送り届けるという意味が込められています。

●骨あげの順序
骨あげは、火葬場係員の指示によって行います。地域によって手順は異なりますが一般的には遺骨ははじめに歯を拾い、そのあとは足から順に拾って腕、腰、背、肋骨へと順に拾って最後に頭部を骨壷に入れるようにします。
なお喉仏の骨は最後に故人と最も縁の深い二人が拾います。骨あげがすんだら、遺骨を納めた骨壷を白布の箱に納め、喪主が抱いて帰ります。
分骨が必要な場合は、あらかじめその数を係員に申し出る必要があります。

●死体火埋葬許可証
火葬するには、死体火埋葬許可証が必要です。火葬場に着いたら管理事務所で火埋葬許可証を提出します。帰りに管理事務所により、火葬許可証執行済みの判の押してある埋葬許可証を受け取ります。

●お骨迎え
家に戻った遺骨は、後飾り壇に安置します。そしてローソクに点火し、線香をあげて読経します。後飾り壇には遺影、位牌、花、ローソク、香炉、鈴をならべ、忌明けまでこの壇で供養します。

●いわれ
かっては、最も暗い丑(うし)三つ時に火を入れて火葬したあと、火力が現在よりもずっと弱かったために、収骨は翌朝になってから行なわれました。
収骨の際に、先に歯を拾う由来は、釈尊の荼毘の時に、先に歯を拾い阿闍世王に与えたことによります。また日本での納骨の歴史も古く、高野山に納骨した記録は十二世紀に著された『兵範記』などに記されています。

16、服 喪
<現 状>
喪とは人の死後、親族が家族の死を悼んで、特定の期間遊びや笑いをつつしみ、また酒肉を断って家に謹慎することをいいます。
しかし現在では葬儀・法要以外は喪服を脱ぎ、普段と同じ生活をするようになりました。
しかし喪中はできるだけ派手なレジャーや遊興を避け、結婚式の出席や神社の参拝、年始参りも控えるのが普通です。

●忌引期間
官公庁服務規定によると、忌引期間は次のように定められています。
 ■ 配偶者‥‥‥(10日)
 ■ 父 母‥‥‥(7日)
 ■ 子 供‥‥‥(5日)
 ■ 祖父母‥‥‥(3日)
 ■ 兄弟姉妹‥‥(3日)
 ■ 孫‥‥‥‥‥(1日)
 ■ 叔父・叔母‥(1日)

●喪中の年賀はがき
喪中には年賀状を出さず、年賀欠礼の案内はがきを12月のはじめに到着するように出します。
年賀欠礼は、故人と年賀状を交換していた人を忘れないようにします。
また「喪中につき年賀欠礼します」だけの文面ですと、誰が亡くなったのかわかりませんので、死亡者名も明記しておきます。

●いわれ
かつての忌服令では中国の影響で父母の死は「忌」が死後49日、喪の期間は、死後1年とされています。喪の間の食事について中国の儀式の古典である『礼記』「間伝」には、
「父母の喪には3日間は断食で、3日目死者を棺に納めて祭ったあとに初めて粥を食う。以後も粗飯に水ばかりで野菜も食べない。1年の小祥忌が終わって、初めて野菜・果物を食べる。そして3年忌の大祥に初めて、酒、肉が許される」とあります。


17、満中陰法要(四十九日法要)

<現 状>
臨終から忌明け法要までは、7日目ごとの法要があります。初七日(しょなのか)忌、二七日(ふたなのか)忌、三七日(みなのか)忌、四七日(よなのか)忌、五七日(いつなのか)忌、六七日(むなのか)忌、七七日(なななのか)忌の7つです。初七日は死亡日(あるいは死亡前日)から7日目に行ないますが、現在では遠隔地から出向いた近親者を考慮して、葬儀の当日、還骨法要と共に行なうことが多くなりました。なお、忌明け法要も早くなって、五七日忌(35日)に行なうことが一般的になっています。初七日などの法要の日数の数え方は、関東では死亡日当日から数えますが、関西では死亡前日から数えることが多いようです。

●満中陰法要
忌明けには、忌明け法要を行ないます。あらかじめ日取りを決めて僧侶に依頼します。日取りは法事に出席しやすい土・日曜日が多いようです。
また事前に法事の会場、料理、引物などを手配します。塗位牌はこの日までに用意して、法要のあと仏壇に納めます。
この日に納骨を行なう場合には、法要のあと墓地に行き、僧侶の立会のもとで納骨を行ないます。精進落しでは、生ものを使った料理で参列者を接待し、食事のあと「引物」をわたします。
この日には神棚に貼られていた紙を取ります。

●いわれ
人の死後49日の間を仏教では中陰の期間といって、六道輪廻の間をさまよう期間とされました。
この期間に行なう供養を中陰供養といいます。
『梵網経』には、例え生前中に、悪行を重ねた人でも、遺族が7日毎に追善供養をすれば、死者もその功徳を受けるとあります。49日目は、審判で死者の運命が決まるとされており、満中陰といわれています。
また鎌倉時代から始まった十三仏信仰というものは、初七日から三十三回忌までの13回の重要な法要に、13の仏菩薩を本尊として配当するものです。法要にはこれら十三仏を描いた掛け軸を掛けることがあります。

初七日 (不動明王)
二七日 (釈迦如来)
三七日 (文珠菩薩)
四七日 (普賢菩薩)
五七日 (地蔵菩薩)
六七日 (弥勒菩薩)
七七日 (薬師如来)
百カ日 (観音菩薩)
一周忌 (勢至菩薩)
三回忌 (阿弥陀如来)
七回忌 (阿しゅく如来)
十三回忌 (大日如来)
十七回忌(大日如来)
二十三回忌(大日如来)
二十七回忌(大日如来)
三十三回忌 (虚空菩薩)
五十回忌(
大日如来)

また「忌」明けとは、中陰の期間である死者の六道輪廻が終了して六道の何処かに生まれ変わることを意味し、それとともに忌の汚れが除かれたことを祝う行事です。そこでこの法要は盛大に行なわれることになります。


18、お盆とお彼岸
お盆
<現 状>
一般には7月12日をお盆の入りとし、お盆明けの16日までの4日間、お盆の行事が行われます。
地方によっては、旧暦の7月、あるいは1月おくれの8月13日から16日までのところもあります。
お盆を迎えるにあたって、まず13日の朝には、仏壇を清掃し、次に「精霊棚」を作ります。

●精霊棚
仏壇の前に小机を置き、その上に真菰(まこも)やすのこを敷きます。また仏壇の引きだしを、精霊棚にしつらえることもあるようです。

●お盆の主な行事
(1)13日の夕方には門口で、オガラなどで迎え火をたき、玄関に提灯をさげ、迎えダンゴを供えます。
(2)14日には、なすときゅうりのごまあえなどを供えます。
(3)15日には「蓮飯」といって、蓮の葉にご飯を包んだものや、なすやきゅうりで馬や牛を作って供えます。
(4)16日には、門口で送り火をたきます。

●棚 経
お盆の期間、霊が滞在している間に、「棚経」といって、僧侶に精霊棚の前で、読経をしてもらいます。この時「御布施」を渡します。

●初 盆
人が亡くなったあと、初めて迎えるお盆を、「新盆」とか「初盆」といい、ていねいに供養します。忌明け前にお盆になるときには、翌年が新盆となります。たとえば、亡くなった日が6月末で、
七七忌(49日)を終えていない新仏の霊について、翌年を待って新盆とします。
新盆は、普段のお供物の他に、故人の好物などを供えます。そして、親族や故人に縁のあった方を招き、僧侶に読経してもらい、精進料理でもてなします。また、新盆には親族などから、盆提灯が贈られることがあります。
正式には、白い提灯に喪家の家紋を入れ、一対にして飾ります。
しかし、最近は、毎年使えるようにと、模様のある提灯を贈ることが多くなっています。

●いわれ
「盂蘭盆(うらぼん)経」によると、釈尊の高弟である目連の母親が、餓鬼道に落ちて苦しんでいたので、目連は、母の苦しみを除こうと思い、救済の仕方を釈尊に尋ねました。すると釈尊は毎年7月15日の安居の終わった日に、多くの僧に飲食を供養すれば、七世の父母を救うことが出来ると教えたのです。
目連はさっそく母の供養を行ない、母を救ったことから、盂蘭盆が始まったといいます。
日本での盂蘭盆は斉明3年(657年)7月15日に飛鳥寺の西で、初めて盂蘭盆会が行われました。
鎌倉時代からは施餓鬼(せがき)を、あわせて行うようになり、江戸時代には一般民衆の間で、欠かせない行事として定着しました。

お彼岸

<現 状>
昔から日本では、春分、秋分の日を中日として、その前後七日間を「お彼岸」として祖先の霊を供養してきました。初日を彼岸の入り、終日を彼岸のあけといいます。彼岸とは三途の川の向こう岸ということで、祖先が無事彼岸に渡れることを願って、供養が行われています。この彼岸の期間には、各寺院では彼岸会法要が営まれ、家庭では、自宅の仏壇や御骨が納められているお墓にお参りする習慣あります。

●仏壇の参り方
仏壇には、炊き立てのご飯、お茶、水、花を供えます。そしてローソクに火を灯して線香をあげます。
数珠をかけ、合掌礼拝をしたあと、お経をあげます。礼拝を終えたら、ローソクの火を手やうちわで消します。

●お墓参りの仕方
墓についたらまず清掃をします。墓石はタワシでこすり水をかけてきれいにします。
墓がきれいになったら、花と線香を供えます。線香は束になった線香に火をつけて供え、手おけに酌んだ水を墓石にかけてから合掌します。
墓石がいくつもあるときは、古い祖先の墓から拝みます。

19、香典返し
<現 状>
香典のお返しは49日の忌明け法要のあとに、忌明けの報告とお礼をかねて行います。現在では当日にお返しすることも多くなりました。その際には香典額の2分の1から3分の1くらいの品物を、礼状を添えてお返しするのが一般的です。
香典返しの商品は、シーツ、バスタオル、ハンカチ、緑茶、石鹸、椎茸、コーヒーセット、砂糖など、どこの家でも使う日用品が主に使われています。
弔事用ののし紙に「志」と表書きし、その下に喪主の姓名を書きます。なお、香典返しを受けた場合には、それに対する礼状は出さないことになっています。

●香典返しの礼状
礼状には、奉書タイプとはがきタイプがあり、一般的にはあらかじめ用意されてある文例に名前、日付などを入れて印刷します。
文面には、会葬のお礼、忌明け法要を営んだ旨を述べ、それに香典返し品物を添えたことを記します。

(文例)
 謹啓
時下益々ご清祥の段 慶賀の至りに存じます 先般祖父 ○○○○ 死去の節は御鄭重な御弔詞を忝うし且つ霊前に過分の御供物を賜り 御芳情の程洵に有難く厚く御礼申し上げます
本日○ ○ ○ ○ ○ ○(戒名)七七日忌に際し供養の印までに心ばかりの品お届け申し上げました 御受納下さいますれば幸甚に存じます
早速拝趨の上 御礼申し上ぐべき筈の処 略儀ながら書中を以て謹んで御挨拶申し上げます            敬具
            平成○年○月 ○ ○ ○ ○(喪主・氏名)



20、年忌法要
<現 状>
死者の追善供養のために、祥月命日に行なう仏事を年忌法要といい、
1・3・7・13・17・23・27・33年と、3と7のついた年に実施しています。
一般に33回忌で終わりますが、なかには50回忌まで勤めるところもあります。
一周忌を満で、回忌は死亡した年を数えて計算します。

●準 備
年忌法要を行なうには、命日の一ヶ月前に日時、場所、時間を僧侶に相談して決定し、そのあと親族にその旨連絡をします。
当日は法要、食事、墓詣りをしますが、参列者の数が確認できましたら、引物の手配をします。

●併 修
祖母と祖父など祖先の年忌が重なって訪れた場合には、命日の早い方に合わせて、同時に法事を行います。これを併修といいます。
併修の場合には、案内状や引物にもその旨を明記します。

●いわれ
民俗的な伝承では、人は死んでホトケになるとされています。
しかしこのホトケのお位牌は、まだ個性や煩悩が残っているため、仏壇の中に安置されています。
33回忌の「弔いあげ」を迎える時分には、ホトケはその個性を失い、先祖の神となって家を守るといわれています。従ってそれまでの間は、子孫は追善供養をしてホトケの世話をするのです。年忌の終りである、「弔いあげ」「問い切り」には、位牌を墓地や寺に納め、「うれつき塔婆」や「太い角塔婆」を、墓地に立てて神に祀り替えるところもあります。


まだ色々、しきたりとかあるがこれからも随時掲載していきます。